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はて、私は何をしに来たんだっけ?

 さて、自らを元魔王と名乗る男との出会いから幾日たっただろうか。

 この荒れ果てた地で、日が落ちては昇ってを繰り返し、すっかり地べたで眠ることに慣れてしまったシルヴィアは浅い眠りから覚めて朝の薬草摘みに励んでいた。


 「それとってー」


 食べやすく、柔らかな新芽を積みながらシルヴィアが声をかけると横から籠が渡される。

 干し果実を入れていた籠だ。

 浅く、彼女の顔と同じ大きさのそれは、新芽を水にさらした後の水切りに適していた。


 「何か手伝うか?」


 隣に腰かけたローシェルが手伝いを申し出るも、彼にできることはなかった。

 何せ、食料は底をつき、後は草と水を細々と食するだけである。

 せめて、せめて……種もみがあれば……!

 彼女はこの頃夢に出てきた種もみを掴んでは、起きてなくなっていることにがっかりするという朝を繰り返していた。

 まぁ種もみを手に入れたところで、育つまでに時間かかるし。

 農業へ並々ならぬ情熱の片鱗を見せ始めていた父ならいざ知らず、農業ど素人のパン屋の娘に小麦を育てることなどできるはずがない。

 この頃はそんな理屈を並べたてては、自分を納得させるシルヴィアだった。


 「どうした。困りごとか?」


 知らず、ため息を漏らすシルヴィアに、ローシェルは思案気な顔で黙り込むと意を決したように口を開いた。


 「やはり人間がこの環境で生活を続けるのは厳しかったか……ならばいい加減、この地を出ないとな」


 「ええっ?! ここを出れるの?!」


 「……お前のやり方を使えば、おそらく」


 「私の、やり方?」


 「ああ。私の体内にある魔力を使うのではなく、大気に満ちる魔力を動かしてみれば、結界を破れるかも知れない。一番の問題は、私にはお前の言う光が見えないことだが、お前の目を借りればそれも解決する」


 目を貸すとはどういうことだろう?


 首をかしげるシルヴィアの髪を名残惜し気に梳いて、ローシェルは穏やかな笑みを浮かべた。


 「何も心配する必要はない。お前がこちらに来た時の魔力の波長は覚えている。水たまりに姿を映した水鏡でも送り返すことは可能だろうが、念のため、来た時と同じ状況を作り上げた方が良いだろう。必ず、無事に在るべき場所へ帰してやるからな」


 背後から両肩にローシェルの手が置かれ、彼は瞳を閉じる。

 そうしてそのままシルヴィアに辺りを見回してみるように言った。

 服越しに置かれた手は大きくて暖かい。

 これまでにないくらい彼を身近に感じて、シルヴィアの頬は赤味を増し心臓がどきりと跳ね上がった。


 「こんな味気ない景色であっても、お前の見ている世界は美しいな」


 しみじみと呟かれた声が耳を通って心に沁みる。

 伏し目がちに、優しい闇色の瞳を向けられて、シルヴィアの心が浮き立った。


 「でしょう。この光たちとともに、私たちは生きてきたの! 光はこっちに来るようにお願いしたら、来てくれると思うんだけど」


 緊張しているはずなのに体が固まるどころか、体中に血が巡って足元がふわふわと落ち着かない。

 緊張と興奮を持て余して、腕の中で落ち着きなくはしゃぐシルヴィア。

 彼女の頬を手の甲でひと撫でして、ローシェルは中空を指した。


 「さあ、空を見て。囲いを壊そう」


 七色に輝く光の渦たちが、竜巻のように回転しながら空高く舞い上がると真っ青な空にぴしりとひびが入った。

 空に現れた白い亀裂は広がって、開いた黒い穴に吸い込まれるようにして空が消えてゆく。

 穴の吸引力はどんどん増してゆき、地面から足が浮き立ちそうになるシルヴィアをしっかり支えながら、ローシェルは壊れてゆく景色を見送った。

 全てが無くなった後、二人は真紅の絨毯に放り出された。

 磨き抜かれた白い床の上に敷かれた絨毯は広間の入り口から真っ直ぐ、玉座に向かって伸びている。

 豪奢なシャンデリアが飾られた部屋は隅に飾られた花瓶ひとつとってもとんでもなく、高価なものであることが想像できた。

 先ほどの荒れ地から一変して現れた煌びやかな部屋に何度も瞬きをするシルヴィア。


 「玉座の間だ」


 彼女の疑問に答える様にローシェルが言った。

 声からは感情を伺うことのできない、平坦な声だった。


 「だっ、誰だ! 貴様ら!!」


 玉座に腰かけた壮年の男性が、金色の錫杖でこちらを指しながら叫んでいた。

 背はローシェルよりは低いが、ひょろりと痩せていて、神経質そうな男だった。

 正面の扉や壁に控えていた甲冑たちが鎧を鳴らしながら殺到し、二人に槍を突き付ける。


 「待て。争うつもりはない。久しいな、タリク。さっそくで悪いが、大鏡を借りるぞ」


 争うつもりはないと言いながらも、四方に放った衝撃波で兵士たちを吹き飛ばすと、シルヴィアの手を取って玉座への階段を一歩一歩上った。


 「な、ななな……きさま、いや、あなたは、ローシェルさま……?」


 「おや、私の外見は随分と様変わりしているだろうに、ようわかったな。安心しろ、今更魔王に返り咲こうとは思わん。今日は恩人のために、この地を訪れたまで」


 椅子からよろよろと立ってローシェルを見上げるタリクは、顎が外れそうなほど口をあんぐりとあけていたが、何とか言葉をひねり出す。


 「姿もですが、内面も驚くばかりに変わられた。以前のあなたならば、復活した暁には世界を滅ぼしてしまうおつもりだろうと思っておりましたが」


 「そうだな。お前は正しい。私は戻らぬ方が良かったのだろう。ことが終わればこの地を去る故、今しばらく、見逃せ」


 静かな口調で告げるローシェルをタリクと呼ばれた男は信じられないものを見る様にじっと見つめていたが、ゆっくりと瞳を伏せると無言で部屋を出て行った。

 彼につき従うように甲冑の兵士たちも出ていく。


 「この大鏡であれば、魔力も伝導率も十分だろう。ふむ、試しにつないでみるから、離れていろ」


 玉座の後ろに置かれた大きな鏡はシルヴィアが通ってきたのと違って硬質で、指先で触れても波打つことはなかった。

 突っ込んでいったらごつんと頭を強打しそうだ。

 そんなことを考えながら彼女は鏡から数歩下がった。

 ローシェルの手が鏡に触れると硬質だった鏡は銀色の光を放ちながら、輝き、うねり始める。

 あっという間にシルヴィアが通ってきた鏡と同じものが出来上がった。


 「すごい……! 一体どうやったの?」


 「お前が通ってきた魔力の周波数と同じ波を鏡に作り、道をつなげた。赤いレンガの小さなパン屋か、お前に似合いの素朴で可愛らしい店だな……。この鏡はお前が通ってきたであろう、地下室の鏡につなげてある」


 シルヴィアが鏡を見ても揺らめく自身の姿が映るのみだが、ローシェルには彼女の家など様々なものが見えているようだ。


 「さあ、元の場所へ帰るがいい」


 シルヴィアの手を引いて鏡の前にエスコートするローシェルを見上げ、彼女は口を何度か開いては閉じた。

 ――もう少しだけ、一緒に居たい。

 ――この手を離されるのは、寂しい。

 ……もう二度と会えない、のかな。

 色々な言葉が彼女の頭を駆け巡ったが、結局彼女の口から出てきたのは一言だけだった。


 「ありがとう、ローシェル」


 「礼を言うのはこちらの方だ。元気でな、シルヴィア」


 小さく微笑みを交わして、シルヴィアは後ろ髪をひかれる思いを断ち切るようにぐっと一歩を踏み出した。

 そうして彼女は揺れる銀の波へのまれて姿を消した。

 こつん、靴底が石打つ音がして、シルヴィアははっと顔を上げる。

 衝撃的な出会いと別れに、すっかり忘れていたけれど……魔王! 魔王は一体どうなった?!

 彼女は慌てて階段を駆け上がり、隣の薬屋の戸を激しくたたいた。


 「ミュイシャ! ミュイシャ! 開けて。シルヴィアだよ」


 何度か扉を叩くと、木の軋むような音とともに扉が開く。

 ふわふわとした赤味がかった髪と木の実のようにくりっとした黒い瞳が可愛らしい、シルヴィアの幼馴染。

 ミュイシャは恐る恐ると言った風で、ゆっくりと扉を開いてシルヴィアを中に招き入れた。


 「どうしたの? 」


 「ねえ、ミュイシャ! 世界はどうなったのかな? 魔王は、もう復活したの?」


 「えっ? 魔王復活まで後2日だよ。あまり、お外には出ないほうがいいと思うんだけど……ねえ、シルヴィアちゃん。真っ青な顔しているけど、だいじょうぶ?」


 「えー……そんなぁ! 色々言いたいことあるけど、もう、それしか出てこないよ……!」


 鏡の向こうの元魔王さまにお願いして、こっちの魔王を倒してもらえばよかったのかもしれない。

 私は本当に馬鹿だ。

 シルヴィアは、泣きたくなった。

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