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ありえぬ出会い

 男は飢えていた。

 照りつける太陽とひび割れ、枯れ果てた大地を彷徨いながら、小さな岩陰にたまった泥水を啜る日々。

 それでも体は朽ちることなく、飢餓感だけが募ってゆく。

 渇いた口をひと時でも潤そうと小さな水たまりに顔を寄せたその時、他者の魔力の発動を感じると同時に、水たまりから有り得ないくらい大きな物体が飛び出して、男は顎を強打した。

 脳髄が揺さぶれ、よろりと地面に転がりながら宙を仰ぐとそこには女が居た。

 薄茶色の長い髪に淡い黄昏色の瞳。全体的に小柄なつくりではあるが、背には大きな荷物袋を背負っている。


 「えっとー……あれ? ここは、どこ?」


 きょろきょろとあたりを見回す女を見ながら、男はため息をついた。


 「ああ、また犠牲者が増えたか。お前は一体何をやったんだ?」


 体力を温存するためには、会話も最低限に減らした方がいい。

 しかし男はそういうのも馬鹿らしくなるくらい、長い時間この場所にいる。

 その間にこの地に流された多くの者が土くれに還るのも見送ってきた。


 「ここは流刑地だ。流されたが最後、出る術はない。宰相―――っと、今は魔王陛下だったか? に逆らったやつが流される場所さ」


 唇を歪めて歪な笑みを浮かべる男に女はきょとんと首をかしげた。


 「魔王の復活まで後2日あるはずだけど?」


 「はあ? なに言っている? 復活も何も魔王は今代で27代目だろう。26代目が言うんだから間違いない。私が未だここに捕らわれていることを考えれば、まだ27代目も生きているだろうしな」


 自嘲するようにへらへらと笑う男には妙な迫力があって、女は何も言い返すことができなかった。


 「あ、あの! 私はシルヴィア。リューリクス城下町、パン屋のイリーナの娘。あなたは……?」


 話題を切り替えようとしてか、唐突に自己紹介を始めるシルヴィアに呆れることもなく、男は胡散臭さを感じさせるほど愛想よく応じる。


 「私はローシェル。先ほど話した通り、26代目魔王だ。今や宰相にその座を奪われてこの体たらくだが。しかし、なんだってパン屋の娘、しかも人間がこんな場所に? いや、そもそも領土内にリューリクスなんて城あったか?」


 伸びた顎鬚を撫でながら記憶をたどるローシェルにシルヴィアはどう説明したものかと頭を悩ませた。


 「あー、あのね……信じてもらえるかわからないんだけど、私の家に大きな鏡があって、それを通り抜けたらこんな場所に」


 男の口にした【魔王】と言う単語に、本当のことを話していいものかシルヴィアの体に緊張が走った。

 が、上手い嘘をつけるほど知恵が回らないことを自覚しているので、起こったことをそのまま説明することにする。

 しかして、どうにも奇妙な話だった。

 ローシェルという男の話だとすでに魔王は存在しており、しかも今代で27代目だという。

 話がかみ合わなさすぎて、頭の中もこんがらがってしまった。

 よく分からなかったので、シルヴィアは考えることをやめた。


 「とりあえず、パンでも食べて落ち着きましょう! よければ、どうぞ」


 革袋の中から布でくるんだ薬草パンと水をローシェルに手渡す。

 ローシェルは手渡されたそれを穴が開くほど見つめ、ぽつりとつぶやいた。


 「こ、これは……! パン、と見せかけた岩か? それとも齧り付いたとたんに消えてなくなる幻影か……」


 ぶつぶつとうるさいローシェルを見つめていたシルヴィアもやがて飽きて、一人黙々とパンを食べた。

 清々しくも青臭い薬草の匂いが鼻を通り、シルヴィアは懐かしさに少し気持ちがほぐれた気がした。

 しょっぱくてどこか癖になる味は代々家に伝わる秘伝のレシピ。

 いくつかの代の国王陛下も召し上がったことがあるのだと、母が自慢していたのを思い出して、シルヴィアの目頭が熱くなる。

 良く噛んだパンを水で流して顔を上げると、シルヴィアの涙はすっと引っ込んでいった。

 無言で涙を流しながらパンをかみしめている成人男性を目にしたら、驚きで涙もどこかにいってしまったのだ。

 こけた頬と無精ひげにより、やつれた印象が強いが、きりりと意志の強そうな瞳が印象的な男性。

 その男性がこうして泣いているからにはよっぽどのことがあったに違いない。

 男が涙を流すときにはそれ相応の理由があるものだと母が言っていた。

 声を掛けられない限りは邪魔せず、ただ黙って付き合うだけでいいのだと。

 シルヴィアも黙ったまましばらく男に付き合い、革袋の水や残りのパンなどを追加で渡す。

 4つのパンと2つの革袋が無くなったとき、男がぽつりと呟いた。


 「こんなに美味しいパンは、初めてだ。感謝する」


 長い前髪から覗く、真摯な瞳に少し緊張しつつもシルヴィアはひらひらと手を振って笑う。


 「いえいえ、それがパン屋の仕事だから。それじゃあ、私は帰ろうかな」


 自然と腰を浮かして、彼女は思った。

 あれ? 帰るって、どうやって?

 中腰のままぴたりと固まる彼女に、ローシェルは気の毒そうな顔でこう言った。


 「言っただろう。ここは死を待つための場所だ。空間は閉ざされており、外に出ることはできない。ただし、お前が鏡を通り抜けてこの地に来たというのなら、同じ方法で戻れるかもしれないが、この通りここには砂地と岩以外なにもない」


 空には輝く太陽と青い空、乾いた風が吹き抜ける大地ははひび割れた砂地で、周りは見渡す限りの地平線。

 たまに岩場が見えるくらいの殺風景な土地である。

 ローシェルが自分の作った拙いパンに感動したのも恐らく飢餓ゆえだろうとシルヴィアは理解した。

 食事がなければ人は生きてゆけない。

 シルヴィアもこのままでは手持ちのパンを食べつくし、遠からず飢えて死ぬのだろう。

 ならば、生きてゆける土地に変えなければ!

 ローシェルの言うとおり、ここは砂と岩以外何もない土地ではあるが、驚くほどの光に満ちている。

 光さえあれば、人は生きてゆける! どんな荒れ地でも知恵と光を集めて、自らの楽園を作るのだ!!

 とシルヴィアの父は良く言っていた。

 ……ちなみに、彼の楽園とは家庭菜園の事である。

 しかし、雑草も生えない荒涼とした店裏の砂地に立派な畑を作り上げた彼の努力は実り、店に野菜パンと言う革命的商品をもたらした。

 野菜の一つ一つに名前を付けて実の娘そっちのけで可愛がる姿を見てしまったシルヴィアは、衝撃のあまり「私と野菜どっちが大事なの! 」と父に詰め寄ったことがあるが「この子たちは僕が居ないとダメなんだ。許してくれ、シルヴィア」と妻を捨てる浮気男の様な言葉が返ってきて絶句したことを覚えている。

 覚えているが、忘れたい記憶の一つである。

 もはや野菜と張り合うことは諦めたが、父は門番をやめて農家になるべきだと思う今日この頃であった。

 野菜狂いの父はさておき、まずは水をためる井戸か溜め池が必要だ。

 そう判断して、シルヴィアは砂に混ざって所狭しと輝く土色の光に触れた。

 すると、ざあっと地面が窪んで人が数十人は入れそうな大きな穴が開く。

 今度は水の色の光を集めて穴に水を満たして、池の淵に薬草パンの材料である薬草を植えた。

 この薬草は適した環境であれば葉の一枚からでもどんどん増えるので、食糧難のときなどは重宝するのだ。

 薬草は渋みと苦みが強いが栄養満点なので、最低限水と薬草があればしばらくは凌げるだろう。


 「……これで、しばらくは何とかなりそう。こんなことなら、小麦の種もみも持ってくるんだった」


 ふう、と一仕事終えで額の汗をぬぐうシルヴィアはローシェルが唖然とした目で自分を見ていることに気が付いた。


 「これは……いったい、どうやったんだ? この場所で、魔術は使えないはずだが」


 星のない夜空の様に真っ黒な瞳を見開いて、自分の掌を開いたり閉じたりしているローシェル。

 急に拳を握って力んだり唸り声をあげてみたりとかなり不審な様子である。

 お手洗いに行きたいのかもしれない、とシルヴィアは察したが、ため池を作るので疲れてしまってとてもじゃないけど便所を作る余裕はなかった。

 一口に便所と言っても穴掘り式から水洗式までさまざまであるが、そういうことを考えるのも今は億劫だった。


 「あの、あっちでしてきてもいいですよ……?」


 控えめに提案してみるシルヴィアだったが、ローシェルは諦めたように砂地に腰かけ岩場に背を持たれる。

 どうやら便意は収まったようだ。

 ほっとしたシルヴィアだったが、ローシェルは項垂れていた顔を上げて彼女の名を呼んだ。


 「シルヴィア、頼みがあるんだが」


 あ、いや、ちょっと疲れているから、お手洗いの問題はそちらで済ませてほしいんだけどなぁー。

 ちょっとぎくりとしながらシルヴィアが応じると彼は真剣な瞳で続けた。


 「先ほどはどうやって魔術を使用した? この空間では魔術を使用できないはずなんだ。使おうとしても体内をぐるぐると回るばかりで、発動には至らない。そもそも魔術を使用する人間と言うのは初めて見たし、実際お前の体には魔力を感じないのだが……」


 「まじゅつ? うーん、私はこの土地に満ちる光を集めて地面を窪ませたり、水を集めただけなんだけど」


 「ひかり?」


 「そう。このきらきらしている小さな粒なんだけど」


 おいで、とシルヴィアが呼ぶと赤い光の粒が集まってシルヴィアの指に小さな炎が灯る。

 ローシェルはシルヴィアの指先の炎をじっと見つめた後、その炎を指先で摘まんだ。

 火傷する! と腕を引こうとしたシルヴィアだったが、指先ごと掴まれてしまってはそれもできない。

 慌てて光を散らしてローシェルの掌を確認したが、大きな骨っぽい掌はカサついているくらいで火傷の後などはなかった。


 「えっ? あれっ……やけど……」


 掌をひっくり返してまじまじと観察するシルヴィアに低く笑って、ローシェルはそのままシルヴィアの手を両手でそっと握った。


 「おそらくお前は大気に満ちる魔力をその手に集めることができるのだろう。我々魔族は生まれた時よりともにある魔力を使って炎や水、風を起こすが……これは、実に興味深い。もっと大きな炎や水を集めることはできないのか?」


 「水はあのため池で精いっぱい。沢山ある光の中から、水の色だけを選り分けて呼び寄せるのはとても疲れるから」


 「では、私の内にある魔力はどうだ? お前の言う……きらきらとやらが見えないか?」


 瞳を輝かせるローシェルの期待に応えたいという気持ちはあった。

 しかし、シルヴィアの目には背が高くやせ細っている男が色あせた布きれを纏っている姿が映るのみ。

 彼の中に水や炎などの、自然の恵みを生じる光を見つけることはできなかった。

 そもそもシルヴィアは生き物や植物などの体の中に光を見つけたことがない。

 ローシェルが体の中に光を持っていても、自分には見つけることができないだろうと彼女は思った。


 「ごめんなさい。私は役に立てないと思う」


 視線を落として詫びるシルヴィアに、ローシェルはゆるく首を振って再び岩陰にもたれる。


 「いいんだ。こちらこそ、無理を言ってすまない」


 それっきり二人の会話はなくなった。

 一休みしてから、シルヴィアは強すぎる日差しを避けるために、大きな岩陰に穴を掘り、小さな日よけの洞窟を作る。

 ローシェルの分も作って進めると彼は小さくお礼を言って、岩陰に入った。


 「涼しいな」


 「そうだね」


 ぽつりとつぶやくローシェルの言葉にシルヴィアが相槌を打つ。

 応じる声があるのは良いものだ、と彼は思った。


 「ここに来る前は何をしていたんだ? 」


 「パンを作ってた」


 「パン屋だものな。当然か」


 小さく笑うローシェルに頷きながらシルヴィアも笑顔を浮かべた。


 「うん。あなたは……?」


 「私は魔族を束ねる王をしていた」


 「王さまかぁ」


 凄いなあ、と煌びやかな生活を想像してため息を漏らす彼女に、ローシェルはおどける様にして肩をすくめる。


 「そうだ。だが、裏切りに合ってな、このとおりだ」


 自嘲してわざと軽く流す彼にシルヴィアは飛び上がらんばかりに驚いて、肩をいからせた。


 「裏切り?! 酷いね!」


 信じていた者に裏切られた時の衝撃は筆舌しがたいものだろう。

 父との野菜事件なんか比じゃない、陰謀めいた裏切りの香りに彼女は顔を顰める。


 「まぁ、そうだな。今考えると、私は魔族にとって良き王ではなかったのだと思う。彼らにも刃を向けるだけの理由があったのだろうが、それでも、信じた者に後ろから切られれば……な」


 遠くを見るような寂しげな横顔に、シルヴィアは拳を握りしめた。


 「裏切った酷い人たちをけちょんけちょんにしてやりたいとか思わないの?」


 「最初は思っていた。こんなところ、すぐに抜け出して、私を裏切った愚か共の血で大地を赤く染め上げるつもりだった。しかし、今やそれも虚しくなった。全てが滅びた大地で一人立つ王など、この場所にいるのと何も変わりない」


 ……なんだか想定より恐ろしげな言葉が入っていた気がするが、シルヴィアは気にせず言葉をつづけた。


 「そう? 難しいことはよく分かんないんだけど、酷いことしたやつを一発殴ってやるだけでも、すっきりするんじゃないの?」


 「ははは……お前は分かりやすくて良いな。私はきっともう恨むことに疲れてしまったのだ。この地で一生を過ごしたいとは思わないが、やつらに復讐したいとも思わないよ」


 「よしならば私が代わりに殴ってあげる! パン屋の娘は腕も根性もたくましいんだから」


 握りしめた小さな拳をぶんぶん振り回しながら、いきり立つ彼女を微笑ましそうに眺めながら、ローシェルは頷く。


 「そうだな。お前がいれば、さぞ心強いだろうな」


 こたえた彼の声は酷く穏やかで、凪いでいた。

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