1ー7.亡霊の願い
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1ー7.亡霊の願い
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「断る」
「っっ……?!! そん……な……」
ほどなくして亡霊は、その奇妙な少年へともう一度救いと慈悲を求めた。
だが相手がほどこしてくれたものといえば、果てしない絶望と、情け無用の拒絶だけだった。
彼にしては驚くほどキッパリと、力強い言葉で願いは打ち捨てられたのだ。
「で……でも……わたし、は…………わたしには…………」
あまりに冷酷な話だ。ショックのあまり、少女は浮遊する力も失い、ベッドの片隅にヘたり込んでしまった。
「文継様、やはり貴方は最低です」
その姿を見て、零夏は無感情に主人の暴挙をとがめた。
「自覚している。だが中途半端な同情はろくな結末にならないではないか」
「ごもっともですが、しかしもう少し言い方があると思います。だから最低だと言ったんです」
「うっ……とにかくダメなものはダメだ!!」
物怖じしない彼女の性質は、時としておっかない詰問者となる。彼はそんな彼女の一面を何より苦手としていたが、それでも要求を突っぱねた。
「…………」
亡霊の少女からは生気が失われ、消え入りそうなほどに弱々しく肩を落としている。よく見るとその身体は小さく震えていた。
このままではあまりに後味が悪過ぎる。
「…………おねがい……たすけて…………くるしいの…………」
「くやしくて…………くやしくて…………気が変になりそうなの…………おねがい……たすけて……」
それは神にすら見放された哀れな亡霊だ。
死ぬことも、生きることも許されず、絶望と復習心と圧倒的な孤独が、壊れたテープレコーダーのように救いをリピートさせる。
罪人は生きながらえ、その被害者は終わりのない悪夢へと幽閉される。理不尽だ。許されないことだった。
「亡霊よ、悪く思うな」
「…………」
血の気の失せた真っ青な顔は、容赦ないその男へと怯えるように向けられる。
「その……うむ……」
「うちの家系はな、キミのような思念体が見えてしまう血筋なのだ」
さすがにとうとう、彼も冷たい態度を取り続けることに疲れて、少しだけ声色を穏やかに変える。
「実際のところ、自縛霊なんて別段珍しいものじゃないんだ」
「キミの願いもまた、キミにとっては深刻なものだろう」
「だけど…………さして珍しいものではない。とんでもなく不幸なことではあるけど……キミより遙かに、最低最悪の人生を歩んだ者は、星の数ほどいる」
彼の言葉は次第にやさしいものへと変わって、少女の瞳からは静かな涙がこぼれ落ちていた。
「で……でも……わたしは…………わたし、は…………」
こんな死に方、結末はあんまりだ。
こんな未練を抱いたまま、消えることなんて不可能だ。
彼女にはやはりどうしても、菱道文継の助けが必要だった。
そんな彼女の姿を見て、文継は苦しげに眼鏡をかけ直す。
「全身全霊をもってお前に同情しよう、キミを殺した犯人をキミの代わりに憎もう」
「だが! 自縛霊に復讐をさせるなど俺の流儀ではない!!」
「いいから成仏しろ、天へと召されろ!! キミの人生はもう終わったのだ!!」
それから彼なりの正義を主張した。霊からの報復を手助けしたところで、そこには何も残らない。悪人は罰せられるべきだが、それは自分たちの仕事ではない。
厳しい態度で、文継は亡霊へと全ての忘却を要求した。
「ぅ……ぅぅ…………ぅぅぅぅ……」
「そんな……そんな……そんなの…………ひどいよ…………」
「正論ですが、やっぱり言い方が最低です。文継様は地獄行き確実ですね」
哀れな亡霊へと歩み寄り、零夏は彼女の傍らで責めるように主人を睨んだ。
「下手な同情は余計に未練と期待を与えるだけだ。それは逆に彼女を苦しめる」
「そうですね、その通りです。でも間違いなく最低です」
彼女の言葉もまた、一つの正論だった。
「ぐっ……どうとでも言うがいい!」
零夏もわかってはいるのだ。だが彼女なりに思うところもある。
もしかしたら、この少女の到来は、停滞した主人に何か新しい刺激を与えるのかもしれない。それは、主人を思うのならば手助けするべきことだ。
「大丈夫ですか……?」
やさしく彼女は慰めようとしたが、主人ほど特異な体質ではないその手は、霊体の手のひらに触れることも叶わなかった。
むなしく素通りしてしまったその手を、せめて形だけでもと少女へと重ねる。
「…………ありがと……とう……」
慈悲深いその気遣いに、少女は心からの感謝を告げる。
それから、性悪で融通の利かないその主人へと、泣きも笑いもしない心の凍った素顔を向けた。
「な、何だ……っ? 俺は悪くないぞ!」
「ふ、ふふふっ……」
鈴が鳴るように、その喉からかすかな笑い声が漏れる。何か様子がおかしい。
いつもは表情に乏しいはずの零夏が、軽蔑するように彼を睨んでいた。
「ええいっ、キミまでそんな顔をするな!! 俺は悪くない、協力も絶対にしない!!」
「見苦しいですよ、文継様」
「零夏っ、キミは一体どっちの味方だ?!!」
「もちろん、私はいつだって文継様の味方でございます」
貴方を信じていますと、心やさしいメイドは一変して主人へと微笑む。
「うっ……キミな……言ってることとやってることがメチャクチャだぞ……」
「いや、その笑顔は反則だ、やめてくれ…………おい、それはないじゃないか……っ!」
その微笑みは彼を信頼し尽くしたものだ。
彼女はほんの一瞬だって、その笑顔に疑いを混じらせない。
「いや、いや、いやいや、その手には乗らない! やはり手助けなんて……!」
だがその時。
その時いきなり、少女はむくりと立ち上がった。
「ぬあっ?!」
続いて飛ぶように彼へと詰めより、つかみかかり、一変して眉をつり上げる。
「ならアンタも私と一緒に死になさいよっっ!!!」
「人がこんなにお願いしてるのに、もうちょっと態度ってものがあるでしょ!!!」
「く、苦しいっっ、お、落ち着けっっ、締まるっ締まってるっ、ぐ、ぐほぉっ?!!」
ちょうど彼女がつかんだそこは襟首だった。暴力的に襟首は揺り動かされ、ガックンガックンと彼の頭が前後に揺れる。
「ムカつく! アンタ滅茶苦茶ムカつくぅ!」
「ああもう呪ってやるぅー!! 呪って呪って呪って呪って、アンタの一生、エンドレスで祟ってやるんだからぁっっ!!!」
「た、助けろ零夏っっ!! おごっあがっっ、お、おいっ、零夏っっ、た、助け、お助けぇっっ!!?」
ほとばしる鬱憤のままに、少年の身体は終わりなく振り回される。
忠実なメイドはその有様を眺め、だが何の助け船も出さなかった。
「全く…………本当に文継様は霊的なものに好かれますね」
「特に自縛霊などに」
災難に遭う主人を尻目に、メイドは乱れたシーツを簡単に直し、ポンポンと埃を払う。
「文継様、いい加減学習なされたらどうですか?」
「私は常々申し上げておりますよね? 口は災いの元だと」
「貴方のその高飛車な言動は、ご自身自らに災難を呼び寄せるあまりか、さらに話を余計にこじらせるのです」
「これは貴方が招いた事態です」
「理不尽ではありますが、まずはそれを認めることですね」
ひとしきりベッドメイクを終えると、彼女はゆっくりと亡霊と文継のらんちき騒ぎを見つめ直した。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁ……っ、ふぅっ、ふぅっ、ふぅっ……」
「わ、悪かった……悪かったからもう、止めるんだ……」
やっと怒りが収まってきたのか、彼女は両手の動きを止めた。荒く呼吸を乱しながら、頬を上気させて文継を睨む。
「ふぅん……それはどうしようかしら!」
彼はさすがにぐったりと、目を回して首を傾ける。力なくも、それでも強気に相手を睨み返してはいたが……。
「あら…………?」
「それはそうとして……」
しかし、はたから見るとその状況は大胆なものだった。
零夏の目線は、主に少女の胴体部分へと向けられる。
「殿方のベッドで、その格好ははしたないのではないでしょうか……?」
「ぇ…………っ?」
何せ年頃の男女が、同じベッドでしゃがみ込み、密着して、お互いに顔と顔を近づけ合っていたのだから。
元から乱れていたパジャマはさらに大胆にはだけ、白くやわらかな膨らみがのぞき見えている。
けして小さくないそれは十分に女性的で、本来絶対に外界へとさらしてはいけないものだった。
「め、目が……世界が……揺れる…………」
「ひゃっっ、こ、これは違うの零夏さんっっ」
「わっわっ、は、離れなさいよアンタっっ!!」
パニックに陥った彼女は、顔を真っ赤に染めて乙女の恥じらいを見せた。
「ぎゃんっっ?!!」
まあ要するに、もう一度彼を揺すり振り回した後に、突き倒したのであるが。
「っ……っっ~~~!!」
「わ、私……っ、なんて格好……っっ、み、見ないでよぉっ!!」
少女は慌てて胸元を隠してヘたり込み、耳まで熱く赤面させた。
恥ずかしさのあまり顔を上げることができない。
深くうつむいた彼女は、そのまま微動だにしなくなってしまった。
「完全にグダグダですね」
「お客様、気分が落ち着かれましたら、ちょっとあちらの部屋までご一緒しませんか?」
「大丈夫、私が何とかとりまとめてみせますので……」
情緒不安定の亡霊と、強情で偏屈な頑固者。だれがどう考えたって、これを取り持てるのは綾都零夏だけだった。
提案に少女はコクリと素直にうなづく。
メイドは彼女を引き連れ、言葉もなく部屋から立ち去っていった。
「少し落ち着きましょう」
「あなたの事情を、文継様に聞いていただいてからでも遅くはありません」
「彼は少しばかし自縛霊に好かれ過ぎる体質でして……」
「過去に何度か……いえ、何度も何度も災難に遭っているのですよ」
「だからまずは落ち着いて、彼のあなたへの警戒を緩めることにしましょう」
「全てわたくしにお任せ下さい。だってあなたは、当家久々の麗しきお客様ですもの」