1ー5.帰宅、深夜の頃
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1ー5.帰宅、深夜の頃
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夜空は濡れガラスに星々を散りばめたかのような、深く静謐な姿をした新月だった。
死者すらもまどろむ静寂と安寧が、この世の凡てをひっそりと抱き寄せて、甘く魅惑的な言葉をささやく。
それはあらゆる者から夜明けを忘却させ、まどろむ彼らに永遠の暗闇を約束した。
「…………」
そんな明らかに気配のおかしい、異質で薄気味の悪い晩のこと。
「やっと……見つけた……」
時計は午前二時過ぎに差し掛かっていた。屋敷の誰もが寝静まり、振り子時計と絶対の無音だけがそこにある。
「ふ……ふふふ……やっと、見つけた……」
彼――菱道文継は、無防備に小さな寝息を立てていた。
ずいぶん寝相が良いようだ。その夏用の掛け布団とベッドシーツからは、少しの乱れも見て取れない。むしろ不自然なほどに整っていた。
「キレイな寝顔……その平穏が妬ましい……」
その彼の顔をのぞき込むように、どこからともなく女の浮遊霊が現れる。
――そう、それは昼間の『貫かれた女』だった。
「あなたに言われてやっとわかった…………私は確かに死んだのね……」
女は空から文継を見下ろし、うっすらと幸せな笑みを浮かべる。
どこか病的な部分の残る、不安な笑顔を。
「わかってはいた…………でも、心のどこかで認めることが出来ないでいた……」
「でも今は違う……」
「私を知覚してくれるあなたは、私そのものを確かにしてくれる……」
「でも、足りない…………」
笑みは次第に失われ、最後には堅い無表情となった。
生ある存在と、哀れな亡霊に過ぎない自分。あんまりな死にざま。理不尽だと、彼女の心は悔しさでいっぱいになる。
「あなたは私を亡霊だと言った…………それは、本当にその通りだった……」
「ふ、ふふふ、うふふふふ…………」
「だったら…………」
幽体の彼女はふわりふわりと降下して、両手を文継へと伸ばした。
「っっ……!!」
彼女の眼孔が広がる。温かい。生者の体温が、冷えきった彼女の全身へと伝播した。
少し息苦しそうな彼、その真上で女は官能にも近い身震いを立てる。
「ん……っ、ん、んふぅ……ぁぁ……あったかい……」
それから愛おしそうに彼を見つめて、しかしすぐに現実が彼女の心を凍り付かせた。
「…………」
「だったら………」
「霊は霊らしく、生意気なアンタに取り憑いてあげる……」
「私はそう…………地縛霊なのね…………やっとわかったわ…………」
両手は男の首筋に回されていた。動脈の通るそのあたたかな箇所へと、ゆっくりと、ゆっくりと震える手が力を込めてゆく。ゆっくりと、ゆっくりと……。
「ぅ…………ぅ、ぁ……」
当然、彼は苦しげに首を振った。しかし病的な思考にとりつかれた彼女は、その苦悶を幸せそのものだと冷たく歓喜する。
「ごめんね…………恨みはないの…………でもね、私…………」
「私だけ死んでしまったなんて許せない…………」
「だからお願い…………あなたも私と一緒に…………」
「死んで」
地縛霊としては模範的な行動だ。
女は願いを言葉にすると、破壊衝動のままに力強く喉を鷲掴みに押し潰した!!
『コンコン……』
「えっ?!」
したはずだったのだが、予想外にもいきなり部屋の扉がノックされていた。
凶行を決意したその矢先にペースを乱されて、女は人間らしくも慌てふためく。
「わっわわっ、あっわっ、ちょっ……きゃぅぅぅぅっ?!!」
地縛霊の世界にバランスなんて概念があるかどうかは判らないが、まあ、とにかくドジなんだろう。
見目麗しき亡霊は首から手を離し、大胆にも少年へとのし掛かる形で倒れ込んでいた。
閲覧ありがとうございます。
用事が入らない限り、一日一話ペースで送ってゆくつもりです。
追記、地縛霊のはずが誤字で自爆霊になっていました・・・。
仲間をかばって爆死してもなお、自爆を止めない霊とか男のロマン過ぎる!(妄想