4ー5.ゲスト
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4ー5.ゲスト
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「お待たせいたしました」
再び扉がノブを鳴らし、零夏が寝室へと戻ってきた。
「さ、こちらへどうぞ。散らかってはおりますが、何とぞご容赦を」
「ありがとう」
彼女はゲストへと深々とお辞儀をして、自らの部屋へと招待する。
しわがれた声が気品高く謝辞を述べて、ゲストはカツン、カツンと独特の物音ともに彼らの前に現れた。
「こちらが一部始終を記録したものでございます」
部屋の片隅には小さなテーブルが置かれ、その上にはバスケットが乗せられていた。
果物か菓子でも保管しているように見えるそれは、ひとたひ布の被いをどかせば、ハンディカムカメラを乗せた状態で現れる。
凶行から策略、糾弾、自白までの全ての流れを、精密機械は淡々と記録し続けていたのだ。
「便利な時代になったものだ。彼ならこの記録映像の正当性を保証してくれるだろう」
「松次郎様、後ほどデータをコピーいたしますので…………松次郎様……?」
録画を止めて、零夏は記録が正常に行われていたことを確認する。
証拠としてこれを見定めて欲しいと彼女は声をかけ、歩み寄ろうとするが……。
上苑家当主、上苑松次郎氏は何か様子がおかしかった。呆然と立ち尽くしている。驚愕に何か見つめて、石像となって動かない。
当主はただ涙していた。ただただ無言で、彼女を見つめ続けていたのだ。
「っっ……!」
失われた愛娘、上苑千冬の姿を……。
「ぉ、ぉぉ……ぉぉぉぉぉ…………」
よろよろと歩き出す。震える手で杖を突き、転げ倒れてしまいそうなほど不確かな足取りで、千冬の目前へと立ちそのまま力尽きた。
「ぉ、ぉぉぉぉ……ぅぉぉぉぉぉ…………」
松次郎は娘の足下で倒れ打ちひしがれ、声にならないうめきを上げ続けた。
「霊体を感知しやすくするまじないが、まだ切れていなかったようです」
「そのようだ」
水を差さぬようにと、零夏は文継の隣で小さくささやく。
偶然ながらも、親子の再会が果たされてしまったのだ。
「すまなかった…………すまなかった千冬……すまなかったぁぁ……っ!!」
「ぅっっ……」
彼女の足首へと、当主は文字通りすがりついた。深い深い謝罪が繰り返され、威厳溢れる紳士はただの老いぼれた年寄に戻ってしまう。
「っ……っっ……」
けれど千冬はどんな顔をすれば良いのかわからなかった。どう声をかければ良いのか、彼女は父の哀れな姿から目をそむける。
「何てことをしてしまったんだ……ワシは、何てことをしてしまったのだ……!」
「お前を守れなかった…………お前の母も……お前も……ワシは……ワシはぁ……」
「間違っていた……!! 間違っていたのだ……!!」
「ぉ、ぉぉ……ぅぉぉぉ……ぉぉぉぉぉ……」
老人の涙。父の涙。謝罪、後悔、苦悩、自らの人生の否定。
どんなに家名を上げて、繁栄を果たしたとしても、子供を守れなければ何の意味も無かった。
千冬は硬直して青ざめるばかり。松次郎もまた、あまりに重い後悔に我を失っていた。
「……千冬」
「ぁ……」
文継はメガネを外して素顔を見せた。やさしく千冬の名を呼んで、誠実に彼女をじっと眺める。
「松次郎は調査に協力的だった。キミのことを納得出来ていなかったのだろう」
「経緯は知らないが、もしキミが彼を恨んでいるのだとしたら……」
「友達として言おう。どうか許してやってくれ……」
最も穏便な結末を願った。千冬に拒絶されれば、松次郎はこの先、激しい後悔と共に生きることになるだろう。
彼に恨みを抱えたまま千冬が消えることも、きっとそれは救いある終わりにはならない。
「直接調査へとおもむいた、私からもお願いします」
「ご当主様は本当にあなたのことを悔いて、私たちにまで気をかけて下さいました」
彼と零夏の言葉は、青ざめていた顔へと徐々に血色をそそぐ。その情け深い申し立てに、老人はまた涙するばかりだった。
「…………恨んでる?」
避けるように彼女は背中を向けていた。その横顔が父を見下ろし、哀れなその様へと身体ごと振り返る。
「わかっている……ワシは……ワシは…………恨まれても仕方のない人間だっ……すまない……すまない千冬ぅぅ……っ」
良心を咎める父の姿。その姿からはもう……。
「わからない……昔は……心から恨んでいたのかもしれない……」
「けれど……」
感情の失われた顔はただ父を見つめ、凍て付いた自らの心に懐疑する。
「わたしを家族として受け入れてくれた。お金目当てじゃなかったけど、相続権まで与えてくれた」
「生きている頃のわたしにはわからなかったけれど……」
ゆっくりと心は雪解けを始めて、千冬は表情を取り戻していった。やがて、氷の底より現れたその顔は……。
「わたしはもしかしたら、父に感謝していたのかもしれない」
泣き顔を浮かべながらも笑っていた。止まっていた心の奔流が、涙と笑顔となって千冬の感情を形作る。
「あなたは母さんを毒殺していなかった」
「わたしを殺そうともしていなかった」
「母さんを取り戻そうともしてくれなかったけれど……」
「悪いのはあなたではなかった……あなたにもあなたの事情があったんだと思う……」
千冬はひざまずいて、言葉を失ってしまった父の顔をのぞき込んだ。それから不器用にまた笑う。
「ち、千冬……千冬ぅぅ……」
老人は言葉にならないのか、彼女の名を呼ぶばかりだった。
「それを知った今なら許せる。ごめんね父さん、わたしからもごめん……」
「母さんのように……死んじゃってごめんなさい……」
「もっとあなたを信じれば良かった……」
「もし、また生きられるのなら、死んだ母さんの代わりに親孝行がしたいです」
彼女は全てを許して、やさしい言葉を投げかけた。親子のわだかまりは消えて、本当の信頼が形作られる。
そっと細い手が差し伸べられる。その清らかで大切な手を、松次郎はまぶしそうに、救いそのものが怖ろしいのだとためらいながらも握り返した。
「すまなかった……千冬……すまなかった…………」
それでもなお、老人は謝罪を続けた。なぜならもう、取り返しのつかない現実が、彼ら親子の前へと横たわっていたのだから……。
千冬は全てを許した。だが、それでもなお、老人の罪は深く、彼が完全に救われることはなかった。
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やがて松次郎は立ち上がる。千冬へと向けていた意識を、彼へと向ける。安楽椅子に座る、事件解決の功労者へと。
「もしや……いや、まさか……そんなはずは……」
「そんなバカな……」
彼の姿を確認すると、すっかりくたびれていた老人は、またもや自らの目を疑った。
「貴方は本当に……」
だが、千冬と言葉を交わすことが出来た今なら、彼の存在もどこか納得できる。
当主は知っていた。その文継の姿を。忘れるはずがなかった。だって彼は……。
「気のせいだよ、松次郎」
衝撃を受ける老人へ、彼はなれなれしくも親しみを込めて、傲慢な微笑を浮かべた。
「その言葉は事件解決の賛辞として受け取ろう。どうだ、素晴らしい解決劇だっただろう?」
その男は、どんな時でもその男だった。楽しそうに恩義せがましいことを言って、外していたメガネをかけ直す。
「文継殿…………ありがとうございます、このご恩は一生忘れません、ありがとう、ありがとう!」
「松次郎様、そろそろ術式が切れます。千冬様とお別れをするならば今かと……」
控えめな言葉は、再び老人の意識を千冬へと向けさせた。彼は惜しむように娘の顔を見つめ続け、何度も何度も、見ている彼らの胸が張り裂けそうになるほど謝罪した。
事件は解決した。だがそこに救いは無い。
不義を働く咎人は暴かれ、その共犯者である夫人も責任を問われるだろう。長男の祐一もまた、罪から逃れることは出来ない。
そこには救い難い現実ばかりが残されていた。奇しくも伊代子の息子である桐二、読子へと権利が傾くだろう。
だがそんことは知ったことではない。
後は騒がしいあの女が、さっさと成仏してくれて、この何人も寄りつかぬ屋敷に、平穏な日々が戻ってくるの願うだけだ。
事件は終わった。引き裂かれた親子は最後の別れを告げて、二度と交わらぬ世界へと旅立っていった。




