3-1.指輪の由来
――――――――
3.幻影の指輪
――――――――
――――――――――――
3-1.指輪の由来
――――――――――――
「先日の客人ですが……」
書斎の扉をノックしかけて彼女は腕を止めた。その向こう側から、低く重い言葉が漏れたからだ。
「もしよろしければ追い払いましょうか?」
その客人とは間違いなく彼女、零夏本人を指すものだった。
「菱道文継が何者かは存じませんが、断る方便などいくらでも用意しましょう」
「何よりこれ以上、あの事件で上苑の家名を汚すこともないのでは」
その低い声色を知っている。忘れもしない、あの傲慢な老執事だ。
土曜の昼過ぎはうららかで、そんな天気の外出は本来心地よいはずだった。
なのにこの執事のおかげで全て台無しだ。
何もここまで敵視しなくてもいいではないか、あんまりな話だ。
「余計なことはしなくていい」
「ですが旦那様……!」
「永作さん、ワシはもう疲れたよ……」
「家名と繁栄を第一に生きてきたが、それが大事な娘を殺した」
「千冬を殺したのは…………そもそも、あの母も…………」
当主は弱気になっている。彼女の死を心より悔やんでいた。
千冬本人がじかにこれを耳にすれば、あの荒んだ心を救うものとなったろうに……現実はあまりにもどかしい。
「それは思い込みです。あの事件は外部犯によるものですぞ」
「さ、どうか正気にお戻り下さい旦那様。彼らが貴方のお心を乱しているのですよ。だからこそ、私にお任せ下さい」
「私なら波風立てず、あの無愛想で生意気な娘を――」
老執事は主人思いだった。だが主人よりも家名を重視する男だった。
慰めの中に、卑怯にも自分のエゴをまぎれ込ませる。
今すぐノックを鳴らして、この密談を破り終わらせてしまおうかと、零夏は右手を扉にそえたまま迷う。
「いくらお前とはいえ独断は許さん。零夏殿には礼儀を尽くしてくれ」
それは杞憂だった。松次郎氏は事件の解決を望んでいた。
「だ、だが万一の可能性が……」
「……ぐっ…………かしこまりました」
往生際悪く反論が出されかけたが、厳しく睨まれでもしたのかすぐに彼は折れた。いい気味だ。
ニヤリと零夏はほくそ笑む。だがすぐに永作執事の用件が終わったことを思い出した。慌ててその身を廊下の角へと隠す。
執事は書斎を抜け、玄関方向へと立ち去っていった。
「おお、これは零夏殿」
「連日の訪問をお詫びします、松次郎様」
その姿が完全に消えるのを確認して、入れ替わるように彼女は書斎を訪れた。
「もしや聞いておりましたかな……?」
「…………さてどうでしょう」
直接的な回答をためらい、零夏は返事をはぐらかす。
「お恥ずかしいことです。とんだ失礼をいたしました」
すると当主は、事実はどうあれ非礼をわびることを優先した。
だてに老いてはいない。真偽を見破るにはなかなか巧みな手段だ。
「いえ、何も聞いておりませんのでご安心を」
だから零夏は無表情に徹して無難な返事を選んだ。
「そうですか……それは申し訳ない」
「彼はワシが幼い頃から、ずっと屋敷に仕えていてくれてな……」
「あれも当家を考えてのことなのだろう。許してほしい」
やはりそうなんだなと、零夏は納得した。
ただの使用人にしてはあまりに偉丈夫だ。
納得すると、彼女は昨晩手に入れた「本題」を思い出した。懐より二つ折りにした白紙を取り出す。
「これに何か見覚えはありませんか?」
「拝見しましょう」
松次郎はそれを受け取り、折れた紙を広げ直す。
「……!」
彼はそこに現れたものに驚き目を広げた。
それは昨晩のあの「幻影の指輪」の模写で、極めて精巧に描き込まれたものだった。
「…………これを一体どこで?」
「千冬さんはこれを飲み込んだ可能性があります」
「何と……」
飲んだとの言葉に再度当主は驚いた。少し噛み砕けば、それが必死のダイイングメッセージだとわかることだ。
「………………」
「どこかで見覚えはありませんか?」
書斎の沈黙を破るのは、旺盛な夏ゼミばかりだった。
……もう一度、質問を繰り返す。
「上苑ゆかりのものに見えるが……」
「これは古いものだ」
「古い……?」
ようやく彼は返答をくれる。古いとはどんな意味だろう。
「古くは身分の証明に使われるなど、確かに一時期は使われた」
「だが時代も変わり、こういったものはすっかり作られなくなったのだ」
指輪は古い、今は使われなくなったもの。貴重な情報だ。
それはつまり、年齢の高い親族に容疑が向けられることを意味する。もちろん、子が親より引き継いだという可能性もないことはないが。
「なるほど、主人が喜びそうな情報です」
「おお、そうですかそうですか。彼は元気ですかな?」
「……はい、相変わらず、外出を好まない方なので困ってはおりますが」
「はっはっはっ、彼は本の虫でありましたからな、はっはっ」
楽しそうに松次郎氏は喜ぶ。ずいぶんとあの変人を気に入っている。
(物好きもいたものですね……)
「……まあそんなわけで、これは犯人の所持品である可能性が極めて高いです」
「あらためて確認しますが、どこかで見覚えはありませんか?」
手のひらをかざして、もう一度その模写を見て欲しいとうながす。
「犯人のものですか……ふむ……」
「キミたちがどうやってこれを手に入れたのか、それはどうもわからぬが…………ううむ」
彼は目をつむり、しかめ顔を浮かべて記憶を探った。
「すまない、見覚えは無いようだ」
結果は見覚え無し。年輩の当主が知らないとなると、これは困った話になる。
「さっきも言ったが、ずいぶんと昔に廃れたものだよ」
「これを持っているということは、確実にうちの家系であるとの証拠とも言えるがね」
「そうですか、なるほど……」
元よりそう簡単に話が進むとは思っていない。情報は得られたのだ。
指輪は古いもので、上苑の血筋を意味する。
「あの、今は皆さん在宅ですよね?」
「ええ、文継様のご要望通りに足止めしてありますよ」
「……それは申し訳ありません」
当主には昨晩連絡を入れた。大きな証拠を手に入れたので、当時の関係者を集めておいて欲しいと。
「ではその模写を彼らに見せるのですな?」
「はい、手配していただけますでしょうか?」
「もちろん喜んで。ともに千冬の無念を晴らしましょう」
「…………はいっ」
意思の強い口調で零夏はうなづいた。
事件の担当刑事は事故死している。差し向けたのが松次郎ならば、今のこの行動は矛盾している。
彼はただの父親で犯人ではない。そう願いたい。
「そういえば、主人より伝言を預かっておりました」
「文継殿から……?」
「良くわからないのですが、とにかく伝えろと……」
伝言をそのまま伝えるために、零夏は軽い間を作る。
「キミのおかげで図鑑が好きになった。今はとても楽しんでいる」
声色を変えて、文継のイントネーションで言葉を代弁した。
「……とのことです」
「お、おお……なんと……おお…………」
「確かにあなたの主人は文継殿でございます」
「おお……しかし、しかし、何ということだ……ぉぉ……」
言葉の意味はわからない。当主は喜び、続いて驚き、そして最後は混乱した。
意味や意図はわからないが、これで当主はより積極的な協力をしてくれそうだった。ならばそれこそが彼のねらった結果だったのかもしれない。
当主松次郎にとって、彼は第三者から見ても特別な存在だった。




