2-10.調査報告と一日の終わり
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2-10.調査報告と一日の終わり
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帰宅するなり、文継は茶と報告をねだった。
半日も慣れない屋敷で社交辞令を振りまき、排他的なあの執事のせいでコソコソを調査せざるを得なかった、大変な一日だった。
なのに主人は今か今かと、報告と茶に飢えていた。
「疲れたので入浴したいのですが……」
「ダメだ、今だ今、今知りたい。茶だ茶!」
「はぁ……わかりました……」
まだ完全に収まらぬ怯えと、頭の混乱を何とかしたかった。
それにあのイヤな執事の匂いが、今も身体に残ってしまっている気がする。
だから零夏は手短に、早く話が終わるよう簡潔に調査結果を伝えた。
「なるほど…………クソだな……」
「そっくりそのまま貴方にお返ししますよ。少しは人の都合も考えて下さい」
「すまん、それはイヤだ」
「はぁ……そうでございますか……」
それはどういう反論だと呆れ返る。
彼は夢中で情報をかみ砕き、自分の考えに没頭した。きっとまだ解放はしてもらえない。
「…………」
「私は混乱してきましたよ、文継様」
「直にあの屋敷の人間と接触したら、たぶん貴方も同じ心境に陥ると思いますよ」
心底イヤだと愚痴る。あのメイドや長女は親切だったが、婦人と次男、永作執事は最悪だった。
当主は人を気疲れさせて止まない人物だったし、長男もまた……千冬に気があったとの情報が不信を募らせる。
「防犯カメラに改竄が無い以上、廊下と玄関を経由した犯行は不可能だな」
深く考え込んでいた彼がやっと口を開いた。
「……そうですね」
「ところで千冬さんは……?」
「知らん。どこかで寝てるんじゃないか。姿は見えない」
不在の間、主人があの子に何をしたのか気になる。だが今は黙っておいた方が手早く解放されそうだ。
「夜11時、12時にいったん全施錠……」
「となると、居間の施錠を解放するチャンスがあったのは、それ以降に居間を訪れた長男、次男だな」
主人の言葉に調書をもう一度確認する。
「確かに、そうなりますね」
「うん、だけどその二人には犯行は無理だ」
「キミの言うとおり、何の形跡も残さず千冬を殺し、屋敷の自室へと戻るのは極めて困難だ」
「防犯カメラも自閉式の全自動型…………」
「今の情報だけ見ると、二階の家族連中はパーフェクトに白だ」
キッパリと彼は断言した。出来ないものは出来ないのだと。
「ならば……」
「カメラという動かぬ証拠がある限り、これは……」
茶をゴクリと一気に飲み干し、彼は硬く閉じた瞳をパチリ見開く。
「誰かが居間の窓を開けて、外側からの進入を手引きしたということだな」
「それが最もシンプルで、実現可能な偽装工作だ」
身もふたもない話だった。
けれど形跡を残さずに外側から施錠を解くには、それしか無い。
シンプルだからこそ実現が可能で、成功率も十分に高いものだった。殺人計画は確実に歯車が回るものでなければならない。
「これを見てくれ」
続いて彼はあの「指輪と鎖の破片」を見せた。
「昼に千冬が吐き出したものだ」
「吐き出した……?」
言葉の意図がわからないと、彼女は実物を眺める。そこには上苑の家紋が刻まれている。
「…………文継様、彼女に何をしでかしたのでしょうか?」
「場合によってはただではおきませんが?」
「…………」
名残惜しそうに彼は空のティーカップを傾ける。彼女を怒らせると恐ろしい。
「憶測だが、おそらくコレは犯人の所有物だ」
「文継様、怒りますよ?」
「……言った以上のことは何もしてない、話を進めるぞ」
メイドの威圧に、彼は言葉のトーンを落として弁解した。嘘はついていない。少なくとも嘘は。
「犯人と争った千冬は、もみ合った拍子にこれを相手から偶然奪ったのだ」
「その後、犯人の凶行に倒れた彼女は、何とかこの指輪を口へと入れたのだな」
「霊体の彼女がこれを嘔吐したということは、おそらくこれを飲み込んだことになる」
彼はとにかくそのことを、零夏に伝えたくてたまらなかった。大発見でもあるし、行動として見てもとてつもないことでもある。
「これを飲んだのですか……?」
なぜなら指輪は指輪、それなりの大きさだ。
「そうだ、本人以外がこれを飲ませる動機がない」
「ですが……」
果たして飲めるものだろうか? そんな疑念を覚えざるを得ない。
「飲んだのだよ、彼女は」
「大した執念だ。はっきり言って普通じゃない、異常だ」
よほどのことが無ければ、それを飲もうなどと死に際の人間ですら考えない。彼女は大量出血をしていたのだから。
「この指輪は彼女と同じ霊体。一般人に見せるのは困難だろう」
「あ……」
文継は彼女の手を取り、指輪へと誘導する。ハンカチの中の指輪は彼女の指先に透けた。
「……ふ、文継様……レディの手を気安く触らないで下さい」
「ふんっ……朝までにこれを模写しておく」
「明日はそれを屋敷の容疑者どもに見せてくれ。反応を知りたい」
相手の恥じらいなどお構いなしだ。夢中になったことに一直線で、こうなった彼はたちが悪い。
「ふふっ……ですが名案です」
「本当にあの屋敷の人間には嫌気がさしていたのですよ」
「だから楽しみになってきました」
「そうか、頼んだぞ」
知りうる限り、犯人は最低最悪の人間だ。安心しきっているソイツに、これを見せたらと思うと気分がスッとする。
「相手は何かしら焦りや行動を見せるはずだ」
「冷静にそれを観測してくれ」
それについては文継も同意見らしく、ニヤリと意地悪く笑った。
「ええ、任せて下さい」
「では話も決まりましたし、私は入浴してまいります」
「ご苦労だった」
「本当に疲れましたよ、今でも彼らには腹が立ちます」
やっと温かいお湯でゆっくり出来る。
身体中の緊張をほぐして、彼女は幸せそうに一人微笑んだ。
これで悪を追いつめることが出来る。鼻歌でも歌いかけてしまうほどに、零夏は機嫌を良くして風呂場へと立ち去って行った。
そこへ……。
「ねえ、アンタさ」
どこからともなく千冬が文継の背中に立った。
「うひぉっ?!」
「後ろからいきなり現れるなっ、心臓が今キュンッとしたぞっ!!」
端から見てわかるほどに、男は驚きビクリと身体をすくませる。
「あらためて言っておくけど、犯人を追いつめる証拠なんて要らないから」
「私が知りたいのは、誰が私を殺したか、ただそれだけ」
だが相手はそんなものお構い無しだった。
冷めた口調で、また自縛霊めいたことを言う。自縛霊なのだが。
「悪霊の手助けをするつもりはない。その考え方は悔い改めろ」
「ヤダ」
「直せ」
「ヤーダッ! 誰がアンタの意見なんかっ!」
「零夏も同じことを思っている」
「…………うっ」
彼女は恩人だ。彼女の意思に逆らうのは千冬の本意ではなかった。
「でも……」
古宮千冬にはやらなければならないことがある。
「妙だな」
迷う自縛霊に、文継はハッキリとした口調で疑問を向ける。
「その執着のしよう、自縛霊なら自然かと思っていたが…………やはり妙だ」
「…………ふんっ」
指摘にその少女は腕をくんでそっぽを向いた。への字に眉を不機嫌にして、話す気はないと拒絶する。
「なぜキミは指輪を飲んだ」
「そう簡単な覚悟で飲めるものじゃない、異常だ、狂気と言って良い」
「別に…………覚えてないしー」
「…………」
文継は彼女へと近づき、その顔を一直線に見つめた。心の底を見定めてやろうと。
「なによっ?! ちょっと近いってば!」
「生前のキミはなぜそこまでして、犯人への報復を選んだのだ」
「お前の過去に何があった」
「……………………」
彼女は問いに答えない。むしろ無遠慮な彼に、だんだんと怒りをくすぶらせる。
「はぁ…………しつこい人……」
でも彼女なりに彼との付き合い方を学習した。
まるで零夏みたいにため息をはいて、相手に負けじと文継を見定める。
「どうしても許せないからよ……」
「それ以上でも、それ以下でもない、むしろそれでしかない単純なこと」
「わたしはどうしても犯人が許せないの」
「復讐をしないと死ぬに死ねない。死ぬに死ねないのよ、わかる……?」
「それがわたしの全てなの、全部なの」
「アンタみたいにのほほんと生きてた人にはわからない……」
「それは傲慢な自己完結だな」
「ッッ~!! わからないのよ……っっ!!」
亡霊は激情を爆発させて、悔しそうに大粒の涙を流した。
しかし不器用かな、涙する自分を恥じて千冬はすぐに姿を消した。
小宮千冬の内面には、絶対に人へと真実を語ることのない、闇に染まった孤独がある。




