2-9.澱んだ晩餐
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2-9.澱んだ晩餐
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「…………」
「……」
カチャカチャと食器だけが陶器質な音を立てる。ナイフが特上の肉を切り裂き、貫通したフォークがカチリと皿を慣らす。
それ以外はほぼ無音、静寂。
家族一同が集まったというのに、言葉を投げかけるのは当主松次郎ただ一人だった。
その家庭が上手くいっているかどうかは、食事をさせれば判る。
食堂の空気は不穏に澱み、彼らは自分の家族であるはずの人間に警戒を向け合っていた。
断言しよう。名門・上苑家は異常な家庭だった。
「桐二、学業は順調か?」
「さあどうでしょう、無難にはこなしていますが」
「そうか、ならばよい」
会話は二往復出来れば上出来な方だった。とにかく会話がない。話題が発展しない。
「祐一、例の事業の方は問題なかろうな?」
「そ、それはもちろん……懸念事項はないと、思います……」
「…………客人の前だ、もっとしっかりしたらどうだ」
「す、すみません父さん……」
「…………もういい」
長男の祐一。彼は父のことを苦手としていた。父だけではなく、義理の母の千代子も等しく。
零夏から見る彼はおとなしいが気弱な男で、ビクビクと父に怯えていた。
幼少時よりあまりに厳しく育てられて、さらには父の圧倒的な威厳と実績の前に、彼は父親恐怖症となっていた。
「できれば文継殿もここへとお招きしたかったのだが……」
興味が彼から外れ、長男祐一は心よりホッとする。
「すみません、主人はニートの引きこもりなのです」
「…………」
一同のフォークとナイフが止まり、深い沈黙が生まれる。
「……冗談です、お忘れ下さい」
何だ冗談だったのかと、疑惑を残しながらも食卓は平静を取り戻した。
「すみませんな、あいにくブラックジョークというものには縁が無いものでして」
「いえ、失礼をいたしました」
ついつい口にしてしまったが、明らかに信頼を落とす失言だったと反省する。だが事実だ。彼は尊敬されるような人物ではない。断言出来る。
「そろそろ本題に入っても良いでしょう」
「うちの息子たちに質問があるのではないですか?」
「はい、しかし……やはり食事の席で聴くというのも……」
何せ話が話だ。血肉のあふれるステーキ肉を食べながら、死人の話なんてして楽しいはずがない。この澱んだ食卓の空気が、さらに始末の負えない粘つく湿気を持ってしまう。
「ふふ……っ」
けれどそこに涼しげな声が響いて、不快な停滞を打ち破った。
ざわついた空気が途端にやわらぐ。
「いいのいいの、ごめんね~こんな家族でさ」
「え、ええと……ですが……」
長女、上苑読子。彼女は静かに様子を見守っていたが、ついに重い空気を破るべく口を開いた。
「あたしがイイって言ってるんだからイイじゃん」
「初めましてかわいいメイドさん、あたしが容疑者の一人、上苑読子よ」
状況をせせら笑って、長女は奔放に自己紹介する。
「ほら、アンタも挨拶しなさいよ」
「え、あ、ああ……本当にお前は強引だな……その性格が羨ましいよ」
「初めまして零夏さん、長男の祐一です」
先ほどまでの印象とはだいぶ異なる、どこか誠実そうな姿だった。それを見れば誰だって、彼が父親恐怖症であると判断がつく。
「遠慮せず聴いて~、その方が面白いし♪」
「僕は面白くないですけど…………」
「それが零夏さんの用件でしょうし、手短に済ませましょう」
「だって僕は犯人じゃないですから、怯える必要もありませんし」
「なにそれ、余計に犯人臭くない? アンタ千冬ちゃんに色目使ってたじゃなーい♪」
「そ、そんなわけないだろっ?!」
「クスクス……あーやーしぃ~♪」
「ぐっ……」
「確かに兄さんは長男ですし、相続面での動機が強いですね」
「桐二っ、お前まで何を言い出すんだ! それを言ったらお前だってっ!」
兄妹そろって性格が全く違う。仲も悪い。どうにも変わった兄妹だ。
「…………」
「では……」
仕方ないだろう。ここに至ってしまっては、後回しにしても話がこじれてしまいそうだ。
騒動を止めるためにも、零夏は諦めて事件発生一時間前からのアリバイを確認した。
【長男・佑一の証言】
「よく覚えてるよ。僕も眠れなくてね、千冬とは居間で偶然会ったんだ」
「でもそれは1時過ぎくらいのことかな?」
「彼女に飲み物を作ってあげて、すぐに寝たよ」
「あとは調書にある通りかな。物音に目が覚めて、確認に行ったら…………刺された彼女がいたんだ」
【長女・読子の証言】
「あの日は課題があったの。だから夜はずっと部屋で作業をしていたわ」
「とにかく集中してたからごめん、何にも気づいたようなことはない」
「一時過ぎくらいまでは意識があったんだけど、でも気づいたらアタシそのまま寝ちゃって……」
「祐一兄さんの、男のくせになっさけな~い叫び声に目を覚ましたの」
「せっかくかわいい妹が出来たのに…………」
「アタシ、今でも犯人が許せない。零夏ちゃん、アタシからもあなたのこと応援してるからね」
「ありがとうございます、参考になりました」
それぞれの証言はそんなところだった。
「美味しい夕食までいただいたのに、皆様の過去を掘り返す非礼をお許し下さい」
一通り質問を終えると、零夏はもう結構だと席を立つ。
「まだいいではないですか、零夏さん。ぜひともワシは文継殿の話をうかがいたいのですが……」
「すみません、それきっと後日落ち着いてからの方がよろしいかと……」
「そうですか、それは残念です」
あまり彼のことを探られるのも困る。
誉められた男ではないし、彼の事情も事情だった。
「では……」
「待って零夏ちゃん」
そこへ、長女読子が席を立ち引き留める。
「ご客人に迷惑だぞ、読子。それに食事中に席を立つなと何度言ったらわかるのだ」
「何度でもどうぞ、お父様」
兄と比較して彼女は真逆に育っていた。
奔放に父を無視して、零夏の進路を自分自身でふさぐ。
「はい? あの……何でしょうか?」
読子は長い髪を揺らし、相手を見定める為かその美貌をピッタリと零夏に急接近させた。
当惑しながらも落ち着いた瞳が、大胆な彼女を見つめ返す。
「あのね……」
それは確認もあったが密談のためでもあった。
人を茶化してばかりの長女が、今はシリアスな面もちで語る。
「気をつけて、零夏さん」
「…………気をつける、ですか?」
「そう、それ以下でもそれ以上でもない」
彼女が口にしたのは警告のたぐいだった。
真面目なその面持ちは、冗談ではないと真摯に零夏を気にかける。
「どういうことでしょう?」
「…………」
伝えるべき言葉はもう出来上がっている。イタズラっぽい長女は言葉をためて、ためて、怪談めいたささやき声で言い放った。
「この事件…………私も後から調べたの」
「気をつけて、零夏さん。この事件ね……」
「実は二年前に、担当刑事が事故死してるのよ」
とんでもない事実を。
「ここの住民は、誰もが他殺だと思ってる」
「だって遺産は莫大だもの。私たちの家族は、仲良くそれを分けられるほど健全じゃない」
その警告はただ、零夏の身を心配して口にされたものだった。この事件は危険なのだと、そのことをまず知るべきなのだと。
「差し向けたのは父かしら、それとも母?」
「屋敷の名誉がそんなに大切なものかしらね……」
「父がどうして心変わりをしたのかは知らないけど、あたしの父と母はそういうことをする人間よ」
「だから気をつけて、ここの人間を信じちゃダメ。わかった?」
なんて話だろう。腐っている。零夏は嫌悪した。
なんて怖ろしい、なんて身勝手な一家なのだろう。これでは千冬が報われない。
「ご忠告ありがとうございます」
「いいえ。だからアタシも信じない方がいいかもね、クスクスっ♪」
零夏は言葉の音量を元へと戻して、本当は親切な彼女に謝辞を伝えた。
「気をつけてね」
言いたいことを言い終えると、読子は真っ直ぐに席へと戻る。
そして何事も無く、ふてぶてしく食事を再開し始めた。
(頭が混乱してきました……)
(こんな時ばかりは主人が恋しいです……)
それとは反対に彼女は、軽いホームシックに陥った。
もうこんな屋敷は嫌だ、帰りたい。
丁重に晩餐の礼を伝えると、急かされるように屋敷を去った。
もうじき日暮れが訪れてしまう。その前に住処へと戻らなくては。
読子の語る真実は怖ろしく、別段臆病でもない彼女すらも不安にさせていた。




