2-8.未解決事件
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2-8.未解決事件
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文継の指示により、続いて彼女は屋敷の外周を確認した。
ちょっとした工夫をすれば、二階の寝室から外へと抜け出すことは誰にでも出来そうだ。
とはいえ問題はその逆。逆はとてもじゃないけれど厳しかった。屋敷の外壁はキッチリと直角にそびえて、上るような足場はどこにもない。
「…………」
ここから行き来するには、どうしてもロープなどの移動手段が必要だった。しかし住民たちの部屋からは、ロープとして使えそうなものも、ロープを固定した何かしらの物、形跡も見つかっていない。
それは主人が入手した調査資料に、しっかりと検証と確認が行われている部分だった。
「ここも穴は無さそうですね……」
「こんな難問、喜ぶのはうちの変態主人くらいでしょう……」
それは答えの見つからない推理ゲームだった。不可能に埋もれた真実を実証するという、想像力こそかき立てられるが、結局は結論も何も見えない、いやにモヤモヤとしたものだ。
(ふぅ……それにもうこんな時間……)
東の空を眺めると、木々の隙間から黄みがかった空が見える。これから一挙に琥珀色に染まって、トリコロールカラーを描いて青ざめてゆくのだろう。
(あまり遅くなる前に用事を済ませないと、ご迷惑ね)
全て文継任せというのも忍びない。彼女も彼女なりに考える。
完璧な防犯カメラの設置された廊下と玄関……。
その玄関を避けて、外部から居間へと進入することは可能だ。
居間にはいくつかの小窓と引き戸が一つある。施錠の問題さえ度外視すれば、外部からの進入、犯行は実現できる。
施錠さえ度外視すれば、だ。
「…………」
彼女は裏出から表へと移動してもう一度、居間へと繋がる窓と窓を確認した。
怪しい部分はどこにもない。もう三年以上が過ぎ去っているのだから無理もない。ありきたりな慣用句を使えば、砂漠でコンタクトレンズを探すようなものだ。
「ふぅ……」
扉をこじ開けた形跡はない。
誰かが手引きして、犯人を内側から外側へと引き込まない限り不可能だ。
なのに犯行当時の屋敷は施錠された密室で、犯人がどこへと逃げたかも解らなかった。仮に外へと逃げおおせたとしても、メイドと執事の寝室以外は二階へと設置されている。
一体どうやって自室へと戻ったというのか。
(なら、使用人たちを疑うべきなのでしょうか……?)
(特にあの老執事は……イヤな男ですし、信頼出来ません)
使用人の二人は離れの小屋を休憩室にしている。
こちらは犯行が親族より容易ではあるが、結局のところ密室のトリックは崩れない。
何より相続権を持たない彼らには、千冬を殺す動機そのものが無かった。
(はぁ、こうなると誰も彼もが犯人に見えてきて、余計にイヤな気分になるものね……)
人は答えの解らない物事にストレスを覚える。だからこそ未解決事件に興味を示し、その結末を焦がれ追い求める。
けれども悲しいかな、それらは一様にして想像力をかき立てるが、それ以上の未消化感を人に植え付けるものだ。
「あ、零夏さん」
「……おや、どうされましたか愛海さん?」
陽射しを避けて、春蝉の鳴く木陰で首を傾げていると彼女が現れた。
「ご長男とご長女様が帰宅しました」
「しいては少し早いですが当主のはからいで、あなたを晩餐に招待したいそうです」
「零夏さんの分も作ってしまいましたし、よろしければそちらの席で話をうかがってみてはどうでしょう?」
彼女に好意を寄せるメイドは、晩餐への招待に乗り気だった。同業者として、零夏は何となく彼女の意図を把握する。
料理と茶は奉仕の花形だ。彼女は自分の仕込んだディナーを、零夏へとふるまいたかったのだ。
「そうですね……」
ふと文継の姿が頭に浮かんだが、彼女はすぐにそれを忘却した。生活能力のない男だが、そもそも自分をここに派遣したのは彼だ。
彼の好奇心のために、千冬はきっと苦しんだに違いない。地獄に堕ちればいいと。
「では食事の席で聴くのも忍びない話ですが……松次郎様がそうおっしゃるのならば……」
「はいっ、そうしてくださいっ!」
メイドはそれはもう嬉しそうに華やいだ。
「あの、零夏さんっ!」
「はい、何でしょうか?」
「応援してます! 私も力になりますからっ、がんばって下さい!」
もしかしたら一家の中に殺人鬼がいるかもしれない。奉仕する側からすると、それは不安で気味の悪いことだ。
「ありがとう、そう言ってもらえると心強いです」
「はいっ!」
積極的な愛海は包むように相手の右手を握り締めた。零夏の落ち着き払った素顔が、丸く瞳を広げて驚く。
親愛の込められたそのボディタッチに、彼女はしばらく恥ずかしそうに困った顔をしたが、やがて愛海へと心を許してやわらかく微笑み返していた。