2―7.千冬の記憶
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2―7.千冬の記憶
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「これからキミに質問をする」
「キミは身体を楽にして……ゆっくりと……好きなだけ時間をかけて答えてくれるだけで良い」
千冬は文継のベッドにて、仰向けに瞳を閉じていた。
彼は彼女の枕元に丸イスを置き、普段よりやや低い声で暗示のようなものをかけた。
「う、うん…………」
彼女の記憶を探るために。
人は自発的にものを思い出そうとするよりも、時として人に問いかけられた方が有効にそれを引き出せる。
「零夏はキミを丁重に扱うようにと要求してきた」
「でないと俺は地獄に堕ちるらしい」
「え……?」
「……ふ、ふふ……っ、なによそれ……おっかしい……♪」
その言葉を聞いて、千冬のこわばっていた身体は緊張をほぐした。
苦痛をともなう記憶の復旧も、やさしい零夏さんの言葉があれば頑張れそうだと。
「だが俺にその気はない」
「ああ……そうね、アンタそーいうやつだよね……」
「キミはこの事件を解決しなくてはならない。でなければ、キミは全てを忘れ、再び剣にさいなまれる地獄に堕ちる」
「……………………そうね」
再び正気を失い、せっかく抜いてくれた剣がよみがえる日がきっと来る。事態は彼が言うように切実だ。
「一度関わってしまった以上…………その……あれだ」
「………………そんなキミを見たくない」
ついに情が移って、文継もけして正直とは言えない本心をちらつかせた。
「ふ、ふふふっっ、なによそれ……あはは……っ」
「アンタもしかして、ツンデレ……?」
さらに千冬の身体がリラックスしてゆく。厳しい彼が、やっとやさしい一面を見せてくれたのがとにかく嬉しかった。
「茶化すな」
「ごめん……♪」
真面目に思い出さなければと、彼女は瞳をそっと閉じる。
文継はその姿をジッと眺め、ただ彼女の心が静まるのを待った。
「…………そうだった、事前にまた言っておく」
「俺は復讐の片棒を担ぐ気はない」
「万一、キミが人を憑り殺すことになれば、俺たちは責任を感じるだろう」
「人とは良心的なものだ。俺も零夏も、そんな咎を背負って生きたくはない」
「殺すなとは言わん。だがそのことを重々承知しておいてくれ。…………頼む」
彼にしては珍しく、低い声は下手な頼みごとをした。
「…………ん」
けど千冬は肯定も否定もせず、集中しているふりをしてはぐらかした。
彼女の記憶を探ろう。
「千冬、キミが死んだのは三年前だ」
「え…………」
「やはり気づいていなかったか。もう三年が経過していたのだ」
「嘘…………そんなのおかしいよ、私…………」
「三年も亡霊なんかしてない…………」
まず始めに現実のことを伝えた。
ゆさぶりをかけて、その無意識に事実を直視させる。
「だが事実だ。まずはそのことを認めよう」
「………………うん」
子供みたいに素直にうなずく。
「…………いい子だ」
「うん…………」
その三年間というラグは、一体どんな意味を持っているのだろうか。気にかからないわけではないが、答えを探すための糸口はどこにもない。亡霊に時間の概念があるのかも謎だ。諦めよう。
「では、キミに質問をしよう」
「簡単なものから聞くから、答えられるものを答えてくれ」
「うん……わかった……」
うっすらと瞳を開き、文継の顔を確認して閉じる。
「キミの名前は?」
「……小宮千冬」
「好きな食べ物は?」
「りんご」
「嫌いな食べ物は?」
「焼き魚……骨がなければ食べれる……」
「携帯の電話番号は?」
「080……xxxx……xxxx」
「なら学年とクラスは?」
「…………最後のクラスは……2ー3組……だったかな……」
次第に返事は子供っぽく、どこか眠そうなものになった。
「そうか……ありがとう、千冬のことが少しだけ理解できたよ」
「ほんと……? えへへ…………」
これは暗示。文継の言葉はとろけるほどやさしかった。厳しい彼が、今だけはやさしくしてくれる。それが千冬には嬉しかった。
本当の彼はどちらなのだろうと、ふと思う。演技ではないと思う。
「苦しくはないな?」
「次はもう少し、難しい質問をするぞ?」
「だいじょうぶ…………」
瞳をまたうっすらと開き、千冬は純真に微笑んだ。
そんな彼女へと、彼も不器用な作り笑いをする。
「…………」
本当に彼女の顔は穏やかだ。苦痛はどこにもない。これはいけるかもしれない。
また瞳が閉じられると、彼の作り笑いが真剣なものへと変わる。
「なら…………」
「キミを殺したのは誰だ?」
「うっっ……?!!!」
途端に、彼女の身体がビクリと引きつった。苦しそうに素顔が歪む。
「そ、それは…………」
「それは?」
「うっ……ううっ、うっ、うぁ…………」
「だ、ダメ…………思い出せないよ…………」
それでも彼女は懸命に記憶を探った。なにも浮かばない。
「そいつは男か? 女か?」
「…………わからない……」
「なら、他に誰かいたか?」
「…………それは……いない……アイツと、わたしだけ……」
「はぁ……はぁ……はぁ……」
質問のレベルを下げると、彼女は呼吸を乱しながらも見るからに落ち着いた。
「その時の状況が思い出せるなら、ソイツは……」
「何のためにキミを殺そうとしたと思う……?」
「ん……んんっ、んぅぅ……っ! はぁ、はぁ、はぁ……ぁ、ぁぁ……」
脂汗のへばりついた身体がモゾモゾと苦悩する。うなされて首を振り、切なげに涙を浮かべた瞳が細められた。
(ぅ……?! な、なんか…………色っぽいな…………?)
「……わからない…………ひどく、興奮してて……わたしを痛めつけた……」
「何度も……何度も…………」
「殴られて……蹴られて……痛くてたまらなくて…………」
そろそろ危険かもしれない。ヤバいときの、出会った頃の彼女に様子が似てきてしまっている。
彼は最後の質問を慌てて練り、苦悶の少女に投げかけた。
「千冬、これが最後だ」
「ぁ…………最後…………わかった……わたし、がんばる……」
息を乱す少女が甘くはかなげに笑う。
わき起こる復讐心を、今は千冬なりに堪えていた。
「最も疑いの深い人物は…………キミなりに誰が該当すると思う……?」
「――!!」
「ア、アアアッ、ア、アイツ……ッ」
かすれ声が敵意を示す。そこには深い憎しみしかなかった。
「あいつ? 誰のことだ?」
「…………上苑、伊代子……」
「当主夫人か……」
これまでの男性的な犯人象からすると、意外な人物の名が上がった。
「それはなぜだ?」
「だって…………だってあの女は…………私の……私の…………」
「うっっ、うぐっっ、あああああああーっっ?!!!」
何かを言いかけて、千冬は割れるような偏頭痛に絶叫した。もうここまでだ、これ以上は危険過ぎる!
「わかった、もう終わりだ、終わりにしよう」
「だ、ダメ…………まだ、まだダメ…………ッ」
「だが…………」
「これ以上は零夏に地獄へと堕とされる」
「い、いいの…………楽に、なってきたから…………」
何がここまで彼女をそうさせるのか。尊敬を覚えるだけの執念だ。
「…………負けたよ」
「さすがにすぐ答えにたどり着けるわけないよな、わかった、方向性を変えよう」
その姿に敬意を示して、彼は今度こそ最後の質問を模索した。
「そうだった。まだアリバイの確認が出来ていない人物がいたぞ」
「ぇ…………?」
「警察には絶対に調べ得ない、この事件解決の鍵ともなるアリバイだ」
「なに……それ…………そんなの……誰……?」
「千冬、キミ本人だ」
「ぁ……っ!!」
事件当夜、彼女は何をしていたのだろう?
なぜ、深夜の居間などにいたのだろう? 何かがおかしい。
「千冬、キミ自身は事件発生当夜、何をしていた?」
「わたし…………」
「そう、キミのことだ」
「…………あれは……そう……確か…………眠れなくて…………」
「一時ごろまで起きてしまっていたと思う…………」
はっきりと彼女は記憶を呼び戻しつつあった。
これは貴重な情報になるに違いないが、しかし千冬の精神が心配だ。
「その後…………その後…………部屋に祐一さんが来た…………」
「何だと?」
「眠れないって私が言うと…………飲み物を作ってくれるって…………」
「それで…………居間に下りて…………飲んで…………それから…………」
「………………寝ちゃったんだ……」
長男の祐一。なぜ彼は深夜に部屋を訪れたのだろう。
彼が居間へと千冬を呼び込まなければ、千冬は防犯カメラによって守られていたのではないか?
「後はね…………後はね…………」
「起きたら……二時過ぎで…………寝ぼけてて…………」
「部屋に戻ろうとしたら……はは、あはは……」
「いっぱい殴られて……刺されちゃって…………死んじゃった…………♪」
「下民の分際で……遺産を……かすめ取ろうとした罰だって……」
千冬は自分のことなのにおかしそうに笑った。
死んで、文継と零夏と出会って、今はそこまで不幸を感じなくなった。心の底で、それなりの幸せを噛み締めているからなのかもしれない。彼女は今、救われていた。
「そうか……」
症状は小康状態に治まり、千冬も落ち着いている。
「あ…………そういえば…………」
「アイツ…………アイツから何か…………花の匂いがした…………」
「花……? どんな匂いだ?」
「それは…………」
「うっっ?!!」
続きをしゃべろうとすると、また彼女は苦悶した。
先ほどまでとはどこか症状が異なる、何か……。
「お、おぇ……きもちわるい…………」
「えっ、おいっ、待てっ?!!」
「ぐぷっ、げほっ、うおぇぇぇぇぇぇっっ?!!」
…………。
……。
症状は突発的で重いものだった。
すぐに彼女は上半身を越し、そしてそのまま嘔吐した。
文継はシーツを汚されたこともいとわず、背中をさすってやる。
ところが……。
その枕元の上には、汚らしい吐しゃ物があるはずだった。けれど文継の目前に現れたのは、全く予想に反するものだ。
枕元にはただ、唾液にまみれた指輪と、細かい鎖の破片が落ちていた。
指輪にはあの上苑家の家紋が刻まれている。
「なに…………これ…………何で……こんなの……わたし…………」
彼女はそれが何なのか思い出せなかった。
「これ…………これ……渡せない…………」
けれど、絶対に奪われてはならないものだと言う。
「これ、千冬の?」
「違う…………」
「ならなぜこんなものを飲んだ」
「…………わからない……」
疲れ果てた千冬はそのまま眠りについた。嘔吐により気持ちの悪い異物が消えたせいなのか、その様子は幸いにもやすらかだった。
謎の指輪。上苑家の家紋。鎖の破片。
「ふん……よくがんばったな…………辛かったろうに…………」
正体はわからないが、それは事件解決を握る重大な鍵だ。
死を迎える少女が丸飲みにするほどの、千冬の執念そのものだった。