2―5.上苑家の業深き人々(前編
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2―5.上苑家の業深き人々(前編
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報告を終えて、彼女は邸宅にまた舞い戻った。
まずは関係者を探さなくてはならない。できれば個人的な好意も含めてあの葦花愛海が理想だ。
広いロビーはそのまま居間と繋がっており、あちこちに高価豪華な調度品が立ち並んでいる。
その中で最も目につくものといえば、天井に吊られた大掛かりなシャンデリアだった。それは華美なほどに精巧な金細工が施され、まだ昼間だというのに室内を余すことなく照らし続けている。
……電気代を考えただけでも恐ろしい。
さらには無数の薔薇、蘭、百合などの生花があちこちに活けられ、それにまぎれるように昆虫の標本や、何かの勲章、賞状、巨大な絵画が立ち並ぶ。
(嫉妬というわけではないのですが…………)
(こんな環境で人というのは、普通に暮らせるものなのでしょうか……)
住み慣れた自分たちの住居は、この屋敷と比較するとみすぼらしいほどに質素で、だがうぬぼれでなければ生活しやすいような気がした。
ともかく、彼女は住民を探して、居間から食堂、食堂から廊下、廊下から客室や風呂へと行き当たって…………。
結局ぐるりと、さっきの広間へと戻ってきてしまった。
「あ、零夏さん!!」
「む……っ」
するとそこに、最も探し求めていた人物と、最も出会いたくない人物が家事の打ち合わせをしていた。
「こんにちは、愛海さん」
「実は松次郎様より調査のお許しがおりまして、貴女たちを探していたのです」
あまりに保守的過ぎる老執事を警戒して、彼女はフォーマルな応対と、親愛を込めた挨拶をおくった。
「聞いている」
「それは話が早くて助かります」
「だが、余所者に話すことなど無い。お引き取り願おう」
それがまた気に食わなかったのか、男は腕を高く組み、威圧の眼孔を向けた。
「で、ですが永作さん……っ、ご当主様は、全面的に協力しろと言っていたではないですか……っ」
「それはそれ、これはこれだ」
「松次郎様は千冬様のことをずいぶんと気に病んでいる。この者たちはそれを食い物に、スパイごっこをしようとしているのだよ」
そんなふうに思われていたのかと、さすがに零夏もイヤな顔をした。
これだけの実業家となると、産業スパイも少なくないだろうけれど…………義憤で千冬を助ける道を選んだ彼女としては、この上なく不愉快だった。
「それは誤解です」
「ふんっ、どうだかな」
申し訳なさそうに愛海は零夏の顔をうかがい、視線が合うと信じていると笑顔を浮かべる。
「ともかく、こんなことをしていてもラチがあきません」
「貴方方にも仕事があるでしょう。申し訳ありませんがほんの少しだけお時間をいただきます」
「…………ふんっ」
勝手にしろと言わんばかりの反応だ。
「では、お二人には三点聞きたいことがございます」
「一つは、防犯カメラの管理状況について、あらためてお聞きかせ願いたいのです」
するとその質問に、執事は露骨にバカにするような顔をした。
「ハッハッハッ、何かと思えばそんなことか」
「ならばお前の主人にこう伝えるが良い。監視カメラの管理は完璧だ」
「まるで三文小説のように、録画映像がすり替えられたとでも考えているようだが…………それは不可能なのだよ!」
その嘲笑と軽蔑は、あろうことか文継へと向けられたものだった。
主人をコケにされて、メイドは冷たく表情を失う。
「どういうことですか?」
「ええと…………簡単に言うと全自動式なんです」
明らかに険悪だ。これ以上、この二人を会話させまいと愛海が代弁する。
「ふんっ、そういうことだ」
「カメラの映像データは、監視システムのPCへと直接保管されています」
「これは特注の装置でして、カメラ以外からの入力を受け付けないものなのです」
コンピューター関連の言葉が使われて、零夏は慎重に意味をかみ砕く。
「…………それはつまり、細工は不可能ということですか?」
「はい、無理だと思います。管理装置であるPCを直接持ち去り、中身を改竄しない限りは……」
「だがその装置は厳重に室内へと固定されている。無理だよ、わかったかね?」
要するに、古い監視システムのように、記録メディアを差し替えるだけでは工作にならないということだ。
つまり、監視カメラが作り出した不可能犯罪は揺るがない。事件当夜2階にいた親族たちは、限りなく白だということだった。
「ありがとうございます、大変貴重な情報でした」
「では二つ目ですが、当時の戸締まり状況についてお聞きします」
本当に戸締まりは完璧で、密室だったのか?
それ次第では監視カメラが生み出す真実にも、大きな穴が生まれる。
「それについては…………あの……永作さん……」
その質問に愛海は答えられなかった。
「愛海くん、お前はやけに協力的だな」
「そ、それは…………旦那様の言いつけですし…………」
「あの、お願いします永作さん……」
「…………まあよかろう」
彼は執事としては不釣り合いにプライドが高い。
それもあってか、愛海のへりくだった依頼に気を良くしたようだ。
「当家は戸締まりもまた完璧だ」
「防犯に関わることなので他言無用で願うが、屋敷では毎晩夜11時、12時に二度の施錠確認をしてる」
「当時の当番はそこにいる愛海の母だ」
「え……っ」
初めて知る話らしかった。愛海は大げさに感じられるほどに驚き、呆然とする。
そんな話は一度も母から聞いていなかったのだ。
「彼女のは母は、この私も惚れ惚れするほど几帳面な人でな」
「その彼女が義務を怠ったり、よもやヘマをおかすはずもないのだよ。彼女と私に任せておけば、屋敷の管理は完璧なのだ」
誇らしげにその執事は語った。愛海の気も知らないで、彼女の前で言うべきでない部分も含めて。
「そうだったんだ……」
「だが結果的にあの庶子は死んだ。お前の母も責任を感じているのだろう」
やはりイヤな男だとひしひしと思う。愛海に投げかけたその言葉も、とても慰めになるものではなかった。
「そこまでで結構です」
「では最後に…………永作さんの事件発生時から一時間前までのアリバイを、確認させて下さい」
「事件当夜あなたは何をしていましたか?」
「寝ていたよ。あの女が死んだと聞いて、その後は尻拭いに奔走だ」
尻拭いとはどういう意味なのか。この執事の性格を知れば聞かなくてもわかった。
要するに警察への応対など、彼の仕事が単純に増えたのだ。
「これで三つだな?」
「はい、ありがとうございました」
「ふん…………お前たちの遊びに時間を消費した。愛海、今日は残業を覚悟するのだな」
「うっ……はい……」
好き勝手言い散らすと、永作は別れも告げずに仕事へと戻っていった。
その彼の背中が、玄関を抜けて外界に消えると二人は心からホッとする。
「何ですかあの人……」
「すみません……やっぱりちょっと感じ悪いですよね……」
「ちょっとどころではありませんね、私の主人より最悪です」
「零夏様のご主人様? それって一体どんな人ですか?」
「…………」
そう聞かれて、彼女は先ほどの、最低としか言いようのない通話を思い出した。
「訂正します。やっぱりうちの主人は、あんな男なんて非じゃないほどに最低です」
「はっきり言えばクソです。さっさと地獄に堕ちればいいです。文継様は筆舌に尽くし難いダメ男なのですよ」