2―3.父
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2―3.父
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「よく来てくれた」
「貴女が…………文継殿の使いの者か」
書斎へと通されると、そこには重々しい雰囲気を醸し出す老紳士がいた。
その顔立ちには彫りの深いしわが刻まれ、直視するだけで威厳に言葉を詰まらせてしまうような、威風堂々たる人物だった。
「はい、お時間をいただきありがとうございます」
「お初にお目にかかります。菱道文継の使いの綾都零夏と申します」
だが彼女は物怖じしない性質のままに、流れるように丁重で洗練されたお辞儀をした。
「そうか……」
「ワシは上苑松次郎。君たちを歓迎しよう」
零夏には一つ疑問があった。一介の引きこもりに過ぎない自分の主人が、何がどうしてこんな大物とのコネを持っているのだろうと。
当然、彼女なりに根深い興味がわいたが…………。
あいにくそれは今回の本件ではなかった。
「ありがとうございます。そのお言葉に主人も喜ぶでしょう」
「…………」
松次郎は文継に興味がある素振りだった。
だが、積極的に問いかけようか迷っているかに見える。
「ところでご主人は…………いや…………」
「永作さん、悪いが席を外してくれ」
迷った後に、執事へと人払いを要求した。
「いいえ旦那様、失礼ですが菱道文継などといった人物を私は存じません。この女もどこまで信用できるか、はなはだ怪しいものです」
当主はこの頑固な執事に敬意を示しているようだった。
二人を見比べてみると、いささか執事の永作の方が年長に見える。ともかくよっぽど長い付き合いなのだろう。
「頼む、ワシも人の親だ……」
「あまりお前に情けないところは見せたくない……」
「それは…………左様でございますか」
「失礼致しました、それでは何かあればお呼び下さい……」
「うむ……」
執事はやはり不審げに零夏を睨み、やむなく書斎から立ち去っていた。
「ご迷惑をおかけしたようで……」
「いや、いいのだ……」
「それで貴女の……文継殿の用件というのは……」
執事が立ち去り、彼は心なしかホッとしたようだった。少なくとも、主人を大事にはするが、面倒な人物のようだ。
「はい、電話でもお伝えしましたが、今回お尋ねしたのは……その……」
「過去を掘り返すようで本当に心苦しいのですが、娘さんの……小宮千冬さんのことでうかがいました」
相手の心境を慎重にはかりながら、あえて小宮の姓を使って彼女の名を上げる。
「そうか……」
「実はとある事情で、主人は彼女の意志を継ぐことになりまして…………」
「どうしても迷宮入りした千冬さんの事件を解決したいのです」
「……………………」
松次郎氏は深く考え込んだ。
調査の結果、自分の家族が犯人と決まれば家名が傷つくことになるだろう。それはそのまま、財閥の業績にも影響する。
そんな決断を、保守的な老人がするだろうか?
いや、ならばそもそも彼女を屋敷に招く必要も無かった。
つまり、おそらく松次郎は迷っていた。
「警察が調べてもわからなかったのだ。専門外の人間が調べたところで、何が得られるとも思わぬが……」
「…………」
「わかった、調査を許可しよう」
けれど結局は、親の情が勝ったのかもしれない。
松次郎は悲しそうだが、どこか嬉しそうにうなずいた。
「娘のことをここまで思ってくれている友人がいたとは、ワシも救われる気持ちだ」
「真実にたどり着くのは難しいかと思うが…………それでキミたちの気がまぎれるなら、一人の残された者として協力しよう」
はなから文継らの試みで、事件が解決するとは思っていないようだった。
それも仕方がない。事件の調書は完璧で、不可能犯罪は揺るがないのだから。
「ありがとうございます。主人もご厚遇に感謝するに違いありません」
「文継殿か…………」
「その…………彼は本当に…………文継殿なのですか……?」
質問をためらうように、当主は意図のわからない確認をする。
「は、はぁ……主人は確かに菱道の文継でございますが…………」
そうは聞かれても、彼は彼なのでそう答えるほかにない。
(この人……本当に文継様のことを知っているのね……)
否、そう誤魔化さなければいけなかった。
「いや、妙なことを聞いた、すまん」
「ワシはこれから打ち合わせがある。悪いが後のことは愛海くんにでも聞いてくれ」
厳しい経営者の表情へと戻り、屋敷の主人は書斎から立ち上がった。それから立てかけてあった杖を取り、足早に出入口へと立つ。
零夏は丁重に部屋の扉を引いて、もう一度協力への謝辞を述べた。
「もし…………本当に文継殿だとしたら…………」
「怖ろしい話だ……」
去り際、松次郎は低い声で何かをつぶやいた。
(怖ろしい話……ですか……)
どういう意味だろうか。文継と上苑家当主の関係に、好奇心を刺激されて止まない。
だがふと我に返った頃には当主の姿は遥か遠く、今はどうにも難儀そうに杖を突いて、広いバルコニーを下ってゆくところだった。
「我ながら得体の知れない主人を持ったものですね……」
ともかく当主の許可は得られた。聞き込みと調査を始めよう。
面倒な執事に見つからないように、彼女は一度屋敷の外へと抜けた。
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