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惑星ミヨン

作者: 濱野乱
掲載日:2014/11/19


ケロポヨン星からの飛行物体が地球に飛来したのは、それほど遠い過去のことではなかったらしい。地球の暦が存在した、西暦2×××年頃のことだと記録にはある。

まだ人間が至高の生物だと息巻いていた時代、異星人は前触れもなく現れた。ケロポヨン星人の外見は、ホモサピエンスとうり二つであった。雌雄に分かれており、顔かたち、背格好も地球人に酷似していた。頭部にカエルの被りものをするのが、正装らしい。

当初カエルを始祖とし、神と崇める異星人に畏怖の念を持っていた人類も一年もしないうちに、宇宙の同胞として認識する。

そして、宇宙船を始めとしたオーバーテクノロジーに、人類は目の色を変え飛びついた。ケロポヨン星人は技術供与に積極的だった。

「ただし条件がある」

ケロポヨン星人の王の名代は、ある条件を提示した。

それは、地球で流通する全ての通貨レートを廃止し、宇宙で流通する宇宙通貨を地球で使うこと。地球はケロポヨン星と同盟を結び、有事の際は共に戦うこと。宇宙には地球だけでなく、生命体のいる惑星が数多くあり、国家が乱立していた。さながら戦国時代の様相だ。

賛否が分かれたのは言うまでもない。地球で行われている縄張り争いが宇宙にまで広がると考えれば、困難が増すことは容易に想像できた。

しかし、江戸期日本の鎖国よろしく広漠な宇宙に取り残されることになりはしないかと不安は募った。

格差、人口の減少、宗教対立、社会の閉塞感が高まっていたこともあり、最終的に地球人はケロポヨン星人の提案を受け入れることにした。

星間ロケットの技術が確立すると、安価に宇宙旅行が楽しめるようになる。

宇宙資本が流れ込み、地球の土地が投機の対象となるのを防ぐため、宇宙人の不動産売買は原則禁止。その他、輸出入の関税、検疫、ルール作りは山ほどあった。

しかし、振る賽の数を増やせば望む結果が得られるとは限らない。賽の数が増えたことで、選択肢は膨大に増えた。エンドロピーが増えた。

人間が処理できる情報の量には限りがある。それがケロポヨン星人と比べて、人間は圧倒的に少なかった。それが間違いの元である。

ケロポヨン星人に悪意があったと思わないで欲しい。彼らは、真摯な気持ちから地球を宇宙の輪に入れようと手を差し伸べたのだから。

増えた選択肢で人類が行ったのは、よりよい統治ではなく、より儲かる戦争。効率的な戦争。内戦は減るどころか、新たな火種が出るわ出るわ、ちょっとここでは書ききれない。

かろうじてパワーバランスを保っていた国々は、新たに手にした武器により自壊する。

地球を支配下に置きたいがために、異星人が裏で手引きしたという噂がまことしやかに囁かれたこともあった。地球は貴重な生物や自然にあふれていたから、それも頷けたが、結局月と同じくらいかそれ以上、荒廃してしまった地球の惨状を誰も予想できなかったのではないのだろうか。

一つの惑星が息絶える。

これはごくありふれた話だった。



 

惑星2098の高度一万メートル上空では、皇族専用の宇宙船が待機していた。デフォルメ化されたカエルのマークを横っ腹に据えた銀色の船体は、全長三十キロメートルの細長い楕円形だった。

目に見えない力の鎖が断ち切られたように突然、船は地表に向け下降を開始した。

猛スピードで雲を突っ切り、砂礫の大地がみるみる迫る。

ここはかつて地球と呼ばれた惑星だ。今は惑星2098という名で、ケロポヨン人が管理している。

廃惑星にカテゴライズされ、その利用目的はもっぱら宇宙を漂うジャンクの集積地となっている。

2098に滑走路はない。適当な場所を見つけ、宇宙船はじょじょに減速態勢に入る。赤茶けた地表には、鉄くずの山が二、三小分けにされていた。その側に、小家が一件ある。屋根にソーラーパネルを設置して電気を蓄えているようだ。

衝撃で小家を吹き飛ばさないように、宇宙船はゴミの山からだいぶ離れた地点に着陸を試みる。

宇宙船の下部から針金のような細い線がにゅにゅにゅとの大量に伸びて、大地との緩衝材となった。船は無事着陸した。

しばらくして、船体から蛇腹のように階段が飛び出ると、緑の耐熱スーツを着込んだ人影が現れた。一名が地表に降り立った。もう一名は、階段の上から、辺りの景観をしげしげと眺めていた。

赤茶けた砂と山ばかりが目に付く峻厳な土地に、心動かすものはない。そう思われたが違ったようだ。景色を一通り堪能した後、興奮した声を上げる。

「amazing! 生きているのデスね、この大地ハ」

彼女は英語と少々カタコトになった日本語のチャンポンになった言葉をつぶやいた。

小屋から細く伸びた煙は、確かに生活の息吹を感じさせた。

二名は薄型ホバークラフトに乗り、小屋へと向かった。ホバーは、とても薄くて折り畳むこともできる新型の試作品。その分、浮力があまり強くないため、岩にぶつかると簡単に壊れてしまう。慎重な運転が求められる。

元は川の跡だったのだろう。細い線になった窪みを、二名は一列になって通過した。 

砂塵舞い散る荒れ野の開けた場所に、その小屋はあった。小屋の表には、フロントドアのついていない車の残骸が置いてある。小柄な方のケロポヨン人が車の側に駆け寄り、詳しく調べようと手を伸ばす。

「触るな!」

鋭い叫び声と共に民家から出てきたのは、十代中頃のヒューマンの少年だった。肩まで伸びた黒い髪、大漁と書いてある黒いTシャツの上に赤のチェックシャツを着ている。ボトムスはダメージジーンズ、靴はナイキエアフォースワン。地球のスラングでいうなら、典型的なティーンエイジャーだ。

「OH、KENTOー、what'up?」

大きい方のケロポヨン人が耐熱スーツのまま少年に抱きついた。

「あっつ! んだよ、おっさん、離れろよ」

少年は迷惑そうに軍手をはめた手で、ケロポヨン人を引き離す。

 彼は言う。

「英語使うな、めんどい。ここ、ニホン。日本語、OK?」

ケロポヨン人は頷き、耐熱スーツの頭部を外した。アジア系の壮年男性の顔が出てきた。真っ黒い顔に光を反射しそうな白い歯。

「おお・・・・・・、すまんすまん。では流儀にならうことにするか。郷に入っては郷に・・・・・・」     

「シタガエ!」

小柄な方のケロポヨン人が離れた岩場の陰から叫んだ。

少年は見て見ぬ振りをして、家の中にさっさと入ってしまった。 

岩場にいたケロポヨン人は中々入ってこなかった。怯えているらしい。

家の中には沖縄シーサーの置物、食い倒れ人形、ぺこちゃん人形、etc・・・・・・が乱雑に置かれている。お世辞にも綺麗とはいえない家の中には、地球の過去の遺物で溢れかえっていた。

「まあ、適当にくつろいでてくれ・・・・・・、って言うまでもないか」

ケロポヨン人は既に耐熱スーツを脱ぎ捨て、スプリングの壊れたソファーに足を組んで座っていた。

彼の名前は、ゼロン。ケロポヨン星宇宙環境大臣という要職についているが、気さくな親父である。現在惑星ミヨンは彼の管轄になっている。

小柄な方はスーツを脱がず、地球のアンティークを手に取り、愛でてていた。 

煉瓦で組まれた竈で鍋がぐつぐつ煮えている。少年はその鍋にじっと目を注いでいた。

「健人、何してるんだ?」

手持ちぶさたになったゼロンが尋ねた。 

「んー・・・・・・、枝豆茹でてる」

健人と呼ばれた地球最後の人間が、そう返事をすると、小柄なケロポヨン人が聞き耳を立てていた。

惑星2098は、戦争の爪痕による気候変動で雨も降らない厳しい土地になった。昼間の気温は、五十度近くまで達し、乾燥に弱いケロポヨン人の移住を困難にした。逆に夜は氷点下まで冷え込む。

異星人が開発した強固な外殻に守られ、厳しい環境に耐えられる特殊種子バイオシードでも、発芽するのが、三割、成長するのが一割程度だ。健人の家の裏手にも野菜が植えてあるが、成長はあまり芳しくない。

自給自足は無理なので、こうして一週間に一度、補給物資を運んでもらっている。ゼロンは多忙のため一ヶ月に一度くらいしか来ない。来るときは大抵悪い知らせを持ってくる。

前回は、惑星2098を入札にかけるという議案が出た時だ。幸い反対票が多数で健人は、2098を追い出されずにすんだ。

辺境のジャンクランドでも需要はあるようだが、2098の付近では、重力場の渦が定期的に発生し、宇宙船の航行に危険極まりない地帯だ。リゾート地に開発しようという一部議員の野望はあえなく潰えた。

今回は新顔のお披露目が目的なのだろうと、健人は察する。

小柄なケロポヨン人は、飾ってあったドライフラワーの側でしゃがみこんでいた。

丸みのある腰に目がいき、健人は慌てて視線を鍋に戻す。異星人とはいえ、生身の女を直視するのは、久しくないことだ。健人は現在十八歳、心の動揺を抑えるのは難しい。

礼代わりにわずかに採れた野菜を振る舞うのは恒例だったが、健人は幾分緊張しながら枝豆をゼロンの所に持っていった。

「頂こう」

ゼロンは小指ほどの大きさもない枝豆のサヤを皿からつまんだ。口に含んだ途端、勢いよく吐き出した。

「駄目だな、こりゃ。食えたものじゃない。健人、やはり土地を移ってはどうだ?」

健人は黙って、枝豆を口に入れた。塩で味付けしたにも関わらず、渋みは飛んでいない。昔食べたことのあるゴーヤよりもさらに苦い。味だけでなく、植物の奇形は跡を絶たない。危険な化学物質が大地に染み込んでいるのかもしれない。

健人は定期的にケロポヨン人の宇宙船で簡易健康診断を受けている。今のところ体に異常は見つからないが、今後どうなるか定かではない。

「おっさんには悪いけど、俺はここの住民だから。最後の民族だからここを離れるわけにはいかない」

「意地になるのもいいが、あまり無理はするなよ。住む場所はここだけじゃないんだ」

「わかってる」

いつものやり取りで二人の会話は終わる。ゼロンは悪意から、健人を地球から追い出そうとしているわけではない。ケロポヨン星で一緒に暮らそうと言ってくれている。その時は養子にしてやるとも。わがままも聞いてもらって健人は彼に頭が上がらない。

「品種改良は今まで通り頼むとしてさ、アレ、何なの?」

健人は、親指で謎の新顔を指した。さっきから、会話に加わりたいのかテーブルの周りをうろうろしていて一向に落ち着かない。

ゼロンは宇宙公用語で彼女(?)に二、三語りかけた。健人は彼らの言葉を解さない。何となく成り行きを眺めているだけだ。

やがて結論が纏まったのか女は、健人の横に立ち頭部を 露わにした。

水が溢れるように、ふんわりとした桃色の髪がこぼれる。健人は、あっと声を上げそうになった。

色白で丸顔の少女が汗ばんだ気色で佇んでいる。健人と同じくらいの年代かと思われたが、この法則は異星人に当てはまるとは限らない。ケロポヨン人は地球人に比べて遙かに長命だからだ。

彼女の美しい双ぼうが気恥ずかしそうに健人を見下ろしていた。

「な、名前は、ミヨンです。ヨロシクです」

ミヨンが勢いよくおじきしたので、長い髪が健人の鼻先をかすめる。嗅いだことのない芳しい香りに、健人の頭はくらくらとする。

「彼女は学院生アカデミアの二年生で、この星を調査したいそうだ・・・・・・、聞いてるのか? 健人」

「・・・・・・・、お、おう」

健人はミヨンから慌てて目を逸らし、ゼロンの方を向いた。

学院とは、地球で言う所の大学に当たるらしい。広大な銀河から集められた学生は裕福なだけでなく、とても優秀らしい。気弱そうな彼女もまたそのスペシャルに該当するのだろう。

「で? この娘に旧跡案内でもしてやれってのか? 近場にはゴミの他に何もねえぞ」

近場どころか、この惑星には文明の痕跡らしきものはほとんど残されていない。健人はゼロンの力を借りて、機械オートマタを使い発掘しているが、何かが見つかるのは極めてまれだ。

「そうじゃない。このミヨンをここに置いてやって欲しいんだ。荷物は持ってきたから」

「は?」

健人の野暮ったい反応に、ゼロンが大仰にため息をつく。

「だから、ミヨンをホームステイさせて欲しいってことだ。良かったなあ、健人。生活に潤いが出るぞ!」

「仕事はどうするんだよ。処理場の稼働を止めるわけにはいかない」

健人は宇宙から運ばれてくるゴミの処理施設で働いている。と言っても機械が自動でしてくれるのでできることはあまりない。名ばかりの監督だ。健人がいなくても差し支えない。

ミヨンは可愛らしく小首を傾げて、健人の様子をうかがっている。健人は顔を覆って俯いた。まるで自分の中に厳粛な神を探すように。

健人はゼロンに辞退を申し出ようとしたが、彼は既に家を出ていった後だった。せわしない。

ミヨンがゼロンのいた椅子に座る。足をぱたぱたと動かして落ち着きがない。

健人は会話の糸口を探そうとしたが、言葉の壁に阻まれて、右往左往するばかり。ミヨンの目を見ることすらできない。

「あのぉ・・・・・・・」

ミヨンが皿を指している。

枝豆を指していることを気づくのに、時間がかかる。上の空で頷いた。

ミヨンは英語で短く礼を言うと、枝豆をさやから取り出して手のひらに置き、子細に眺めている。

健人はその間、ゼロンが一刻も早く戻ることをひたすら祈る。

「イタダキマス」

ミヨンは健人が止める前に、危険な枝豆を口に入れてしまった。単なる好奇心からの鑑賞だと思っていたため油断していた。

「た、食べちゃだめだ、それ、まずい。NO,more」

ミヨンは目を瞑り、健人の制止を聞きもせず、もくもくと咀嚼していた。やがて目を開けると、スーツのポケットから小型端末を取り出して操作している。

一通りのデータを打ち込み終わると、顔を上げる。

「Very nice」

嘘つけと健人は思ったけれど、彼女なりのやさしさに触れてくどくど言う気も失せる。

「ヴッェ・・・・・・」

突如ドイツ語みたいな発音をして、ミヨンは椅子から転がり落ちた。温室育ちにはさぞ酷な味だったのだろう。

健人が駆け寄ると、ミヨンは泡を吹いて痙攣を起こしている。

「ゼロン! ゼロン来てくれ!」

一人ではどうにもならず、戸外に必死に呼びかける。ミヨンの容態は悪化していた。苦しそうにあえいでいる。

ゼロンが血相を変えて、飛び込んできた。

「むぅ・・・・・・、こりゃいかん」

ゼロンはミヨンを抱き起こすと、頬をぴしゃぴしゃ叩いた。

「おいっ! しっかりしろ、お姫様。まさか、あれを食べたのか?」

 「俺、まさかこんなことになるなんて思ってなくて」

 「健人、すまんが使ってないバケツはないか?」

 「あ、ある・・・・・・!」

 健人がバケツを持ってくると、ゼロンはミヨンの頭をバケツに突っ込んだ。

健人はたまらず小屋を出た。おどろおどろしい音に耳を背けながら。

 「お世話かけました。もうダイジョブです。ぶい!」

 健人が暫く経ってから戻ってみるとミヨンは、何事もなかったようにソファーに座って、ピースサインしている。スーツを脱いで、白いブラウスと、フレアスカートになっていた。

 健人はほっと胸をなで下ろした。もしものことがあったら、自分の責任だと思ったのだ。

 「何ともなくてよかった。これからは勝手に何でも食べないでくれよ」

「はーい、健人気をつけます」  

 健人が苦い顔で注意すると、ミヨンは如才なく返事をする。反省しているのかはっきりしない。

 ゼロンは台所に立ち、父親らしい厳然とした態度でミヨンを見下ろしている。

 ミヨンはそれに気づくとしょげたようにうなだれた。

 「健人、ちょっといいか」

 防護服を着たゼロンに連れられ外に出た健人は、程なくして、汗を垂らした。本日の気温、四十六度。まだまだ上がる。小屋を見晴らせる高台の上で、二人は止まった。

 「お前達、本当に大丈夫か?」

 「変なこと訊くなよ、あんたが連れてきたんだろ。危なっかしいから帰してくれると助かるんだけど」

 ゼロンは一度決めたことはなかなか撤回しない。頑固なのである。その点、健人が知る地球人も異星人も大差ない。

 「それはできん。あの娘がやることに口出しはできんのだ。それにここでは自由させてやりたいしな」

 「ふーん・・・・・・」

 あのミヨンという娘は、ゼロンの仕事に関わりある者の娘なのだろう。健人の対応がまずければ、ゼロンの責任は免れない。

 「苦労をかけるがよろしく頼む」 

 「よそうぜ、そういうのは。もう目を離したりしないよ」

 健人は今度こそ快く返事をした。

 健人たちが小屋に戻ると、ミヨンははたきを手に掃除をしていた。眩しい笑顔でくるりと振り返る。

 「おかえりなさい、ケント。オワビにおそうじしていまス・・・・・・、きゃっ!」

 ミヨンは棚の上の陶器の招き猫を、はたきで叩いていた。が、床にそれが落ちて粉々に散った。

 前途多難としか思えない共同生活が、これから始まる。


 2


 健人は沖縄県那覇市で生まれた。十歳まで県内で暮らし、両親が離婚して父親に引き取られてからは、福岡に生活の居を移した。

 その間、彼に特筆すべき事案が生じたわけではない。釣りとサッカーが好きな少年はごく限られた生活圏の外を知らずに育った。

 小学六年生の時、近所の池にサンショウウオが出るという噂が立ち、いてもたってもいられず、調べに向かった。 地球が滅びた現在では、古ぼけた図鑑の一情報となってしまったかの天然記念物は、当時としても珍しく容易に見つけることはできなかった。

 その池は公園の外れにあり、かつては子供が溺れる事故があったので、立ち入り禁止になっていた。

 高いフェンスに囲まれて、水草が生え放題になった池からは、いつもカエルの鳴き声がしていた。

 六月のある日の早朝、人目を避けて健人が池に向かうと、先客がいた。緑色のレインコートを着た何者かが、池のフェンスの前に背を向け貯立している。フードを被っており、体型は小柄である。

 健人は息を潜めた。その日、雨は全く降っておらず、湿度は高めでレインコートの必要はないように思えた。

 密猟者かもしれない。健人は警察に通報しようと身構えたのだが、その時不審者が振り返った。

 不審者は女と呼ぶにはまだ幼すぎるような少女であった。あどけない唇に疑問符が浮かんでいる。

 豊かな桃色の髪と思考をとろけさすような彼女の美貌に健人の目が釘付けになった。向こうも健人に気づくとにっこり笑った。

 少女は何か呼びかけていたが、健人の耳には届かない。もっとよく聞こうと近寄ってみた。

「#p*__*%?」

「へっ?」

 少女の口から出たのは地球上のどの言語にも属さない言葉だった。健人は返事をしないのも失礼だと思ったので、むやみに頷いた。

 すると少女は興奮した面もちで、健人の腕を掴んで揺さぶった。その力があまりに強かったので、しばらく健人の腕に痣が残った程だ。

 「は、離せ・・・・・・!」

 健人はもぎはなすように少女の腕から逃れると、後先考えず公園の出口に向かって走った。

 「:!?}5@?」

 走りながら振り返ると、少女が叫びながら追ってくる。捕まったら殺される、そう思った健人は恥も外聞もなく泣きながら出口を目指した。

 追いつかれる前に公園を出た健人は、少女が背を丸めて池の方に戻っていく姿が遠ざかるのを目にした。

 赤くなった腕を押さえながら、健人は悪いことをしたように感じた。

 学校に行ってもあの桃髪が忘れられず、健人の足は明くる日もあの池に向いていた。

 少女は同じ時間に池のフェンスの前にいた。レインコートをまた着ている。健人の姿を認めると、今度は無闇に迫ってくることはしなかった。

 「ダ、イジョ・・・・・・ヲぶ?」

 空耳だったのかもしれない。少女の言ったことの大半がただの呻きのようだったから。

 それでも健人は、もう何でもないよという風に笑った。少女も笑った。もう怖くもなんともない。

 少女は健人の腕に塗り薬を塗ってくれた。健人はこの塗り薬をもらったが、これが火傷にも擦り傷にも効く万能薬

であった。

 「俺、健人。わかる?」

 「ケ、ンツオ?」

 たとだしく繰り返す言葉の一片も愛おしく感じる。

 「惜しい。お前は?」

 少女の言葉は相変わらず理解不能で、要領を得ない。身振り手振りで質問していると、少女は池に近づきたいことがわかった。

 「そこ、危ない、ダメ」

 「!=><WY”*P0z1」

 健人が注意すると癇癪を起こしたように暴れる。見た目以上に子供っぽい。

 「わかったから、落ち着けよ。落とし物でもしたのかな。俺がとってきてやるよ」

 やっとなだめると、健人はフェンスに指をかけた。少女に良いところを見せたいがために健人は無理をした。

 フェンスを越えて池の縁に立つ。池の水は白く濁っていた。よくよく考えればこんな場所にサンショウウオがいるわけない。サンショウウオは水のきれいな場所にしか生息しないのだ。

 少女が叫びながら首を振っている。

 健人は無事を知らせようと手を振った。その途端、ぬかるみに足を滑らせ、池に落ち込んだ。健人は一瞬の内に首まで浸かり、淀んだ水を飲んでしまった。

 池は足が着かないほど深い上、なま温かい水はからみつくように重かった。パニックになった健人は、水面を無駄に叩くことしかできなかった。

 「ケントぉ!」

 池に頭まで沈む前に、少女の悲痛な声を聞いたような気がした。

 健人が目を覚ましてみると、そこは見知らぬ場所だった。あまりに眩しくて、まぶたがろくに開かない。声も出せなくなっており、恐らく自分は臨死体験をしているのだとおぼろげながら想像した。

 柔い誰かの手が、健人の胸に置かれた。見えなくてもあの少女のものだとわかる。健人は安心して眠りに落ちる。


 3 


 「ケントっ!?」

 次に目を覚ました時、健人は池のほとりに寝かされていた。少女が側で身も世もなく泣きじゃくっている。

 「泣くなよ・・・・・・、俺まで泣きたくなってくるだろ」

 健人ももらい泣きし、二人して池の側にしゃがみこんでいた所、人に見つかった。子供二人が大声で泣いていれば目立たないというのは無理な話である。我に返った健人は、少女だけを何とか逃がして大人しくお縄についた。

 父親まで呼ばれて、健人はこっぴどく叱られたものの、少女のことは黙っていた。彼女のことを話したら、もう会えない気がしたのだ。

 健人と少女はそれからも、懲りずに二人で会った。度重なるコミュニケーションの末、彼女がカエルに執心しているのを突き止めた。池でカエルが鳴いているのが気になるらしい。カエルのおもちゃをあげると、いたく喜ばれた。

 健人は彼女がどこから来て、どこに住んでいるのか聞けなかった。多分、訊いたら答えてくれただろうが、秘密の関係がほどよい距離だと二人は知っていた。

 一ヶ月程たった頃だろう、少女は驚異的な速さで日本語を覚え意志疎通も難しくなくなっていた。

 七月、健人は学校をサボり、少女を連れて遠出した。

 「ケント! ワラワラくる!」

 それでも時々、少女は空を指して、意味不明のことを口走ることがあった。電車の中でも落ち着いていられない彼女を健人は押さえ込むのに苦労した。

 健人は適当に相づちを打ちつつ、少女を連れていったのは渓流釣りで行ったことのある場所だった。健人が溺れかけた池とは違い、底の浅い沢のような場所だ。

 二人で川に入ると、くるぶしまで清澄な水に浸かった。

 少女はワンピースにストローハットにサンダルとずいぶんラフな格好になっていた。水に浸かった少女の白い足に健人は幾分ドキドキしていた。

 「水、冷たいな。なあ、そろそろ名前教えてくれよ」

 少女はこの話題になると、可愛く首を傾げてとぼける。本当はわかっているのだろう。

 「じゃあ何て呼べばいい? お前って呼ぶのも何かさあ・・・・・・」

 結構勇気を奮い起こしているのに、たまらない気分を味わう。強い態度に出られないのがもどかしい。

 少女に熱意が伝わったのか、健人に何かを伝えようと口を開きかけたが、結局言葉にならなかった。

 少女は川の水を手ですくってかけてきた。健人も負けずにかけ合い、二人は水浸しになった。

 日が沈むと、二人は岐路についた。電車に乗ると少女はすぐに眠ってしまい、健人に寄りかかった。並んで座っていた健人は身を固くした。

 別れ際、少女は健人に不思議なものをくれた。

 小さな寄木細工の箱だったが、開き方がわからない。健人はそれを大事に持っていると、少女が茜色の空を指して叫ぶ。

「ケント! ワラワラくる!」

 その言葉の意味を知ることになったのは、だいぶ後になってからのことである。


 4 


 惑星2098の夜は冷える。健人は日が沈む前から大急ぎで準備を始める。

 熱が逃げないように銀色のシートを小屋の上からかぶせ、昼に貯めた電気を保温のために使い込む。

 「ケントー、さむいー」

 頭から毛布を被ったミヨンが、幽鬼のような表情で不平を言った。昼間との寒暖差にまだ対応できていないのだろう。

 「今からそんなこと言ってたら、身が持たないぞ。ゼロンに連絡して迎えに来てもらうか?」

 ミヨンはちょっと誘惑に負けそうだったが、首を振って寒さに懸命に耐えていた。

 現在の室内気温は五度だ。深夜の最低気温は零度を下回ることはざらである。

 窓を締めきって、夕食の支度を始める。といっても、ゼロンが持ってきてくれたレトルト食品を暖めるだけだ。ミヨンがまた食中りになったら堪らない。

 皿に盛ると二人分のサラダとカレーのできあがり。野菜はケロポヨン星で成育された有機野菜がつかわれている。

 「あっ、これなんか懐かしいな」

 健人はカレーのパッケージに目を留めた。それはかつて地球で生産されていたものに酷似していた。当時のものが現存しているわけがないから、ゼロンが気を利かせて作らせたのだろう。

 木のテーブルに皿を並べると、ストーブで暖をとっていたミヨンが咳払いをして、席についた。毛布は被っていない。身震いしながら不自然に目を大きく見開き、皿を見つめている。

「カレーは苦手か?」

 ミヨンはちょっとの間を置いて答える。

「いいえ、むかし食べたことあります・・・・・・大切な人と」

 「そうか」

 健人はそっけなく言うと、スプーンで皿をすくった。

 食事はひどく淡泊に進んだ。味覚に乏しいという意味ではない。レトルトといっても、最先端技術の用いられたこの製品は味、鮮度を全く落とすことなく維持できる画期的な代物だし、日本食を学んだらしい一流シェフの作ったものにケチをつけられるはずもなかった。

 ミヨンの様子がおかしい。元からおかしかったが、食事を始めてからというのも尚更動きがぎこちなくなった。

 「あっ・・・・・・!」

 ミヨンがテーブルの下にスプーンを落とした。健人が拾おうとすると、ミヨンが素早く頭を下げる。

「ごめんなさい!」

 健人は困ったように笑った。

「あんまり気を遣わないでくれないかな。一応、これからしばらく共同生活するんだし。こっちも参っちまうよ」

「ちがうんです・・・・・・、私たちがあなたの大事なものを奪ったから」

ミヨンは地球が滅んだことを気に病んでいるようだ。遠慮がちな態度の原因がわかると、健人は落胆した。

そんな気遣いは無用である。あれは地球人が勝手にやったことだと健人は思っているし、恐らくそうなのだろうと信じているからだ。

 「ミヨンは悪くない。あれは、自業自得だったんだ。それでいいだろ」

 曖昧な幕引きに、ミヨンは悲しげに眉をひそめる。健人はそれにひきずられることなく、食事を再開する。

 「それでも、私たちが争いの火種を持ち込んだのは事実でスから。割り切ることはできません」

 ミヨンは強い口調で話を蒸し返してきた。健人はついにスプーンを置いた。一にらみする。

 「おい、お嬢さん。あんた何しに来たんだよ。俺に謝罪しに来たのかよ。違うだろ?」

 ミヨンは言い返すことなく席を立った。

「今日はもう休みます、おやすみなさい」

ミヨンは床の間の座敷にまっすぐ向かうと、寝袋を用意してそれにくるまってしまった。

「お、おい・・・・・・・!?」

 みっともなく狼狽する健人をよそに、ミヨンは横になったまま身動き一つしない。この籠城に健人は本当に参ってしまった。

自分から謝ることはしたくない。自分は間違っていない。ミヨンもまた間違っていない。こんな話するべきではなかったのだ。  

「ミヨン、ごめん。お休み」

ミヨンの背中は何も語ってはくれなかった。

 

 5


西暦2098年、地球は異星人の来訪に沸いた。といっても健人少年の生活には変化がなく、人型の異星人にがっかりした程度だ。

「絶対グレイとか、タコみたいな奴が来ると思ったんだよ。夢壊れたよ、チクショー」

温かそうなダッフルコートを着た少女は、健人の隣で曖昧な微笑を浮かべる。

二人が出会ってから半年が経過していた。少女の身元は未だに不明だ。健人が強く言い出せないのが悪いのだ。

 二人は公園のベンチで遅くまで語らっていた。六時になったら、彼女はどこかに帰る。どこかは知らない。

 「ワレワレワハチュウジンダ」

 健人がミヨンを笑わせようと冗談を飛ばしても、彼女の反応は優れない。

 悩みごとでもあるのか、少女は時折年齢不相応の大人のような眼差しで遠くに目をやることがままあった。

 出会った頃とは何かが違う。健人より一足先に、彼女は大人になっていたのかもしれない。

 「今日はもう帰るね。オヤスミ、ケント」

 「あ・・・・・・」

 健人は彼女を引き留める術を持っていなかった。彼女のオヤスミは、その日の幕切れを明示するとともに、また明日会えるという、期待の残してくれる。

 昨日まではそれで我慢できた。けれども、今日は我慢できなかった。健人は彼女の後をつけた。

 大通りからそれて、少女は迷うことなく脇道に入っていった。建設途中のマンションの前で、少女は人目を気にするように目を走らせた後、その中にまっすぐ入っていった。

 健人は物陰から、その様子を探っていた。手汗が止まらない。少女の秘密を握るのは今や自分だけ。これ以上知ってしまえば、今の関係は続けられないのかもしれない。

彼女の生活は尊重しなければならない。健人はとぼとぼと引き返した。途中からは走り出していた。

 健人は彼女が恐ろしくなった。

 明くる日、健人は学校を休み、約束の公園にも行かなかった。家のベットの中で毛布を被って寝ていた。寝ている間も、少女のことばかり考えている。もうすぐ約束の四時だ。耳目をひくのを避けるため、二駅離れた公園が待ち合わせ場所にしている。 

 少女は待ちぼうけを食ってどんな気分だろうか。考えたくない。でも考えてしまう。

 インターホンが鳴らされる。健人は出ない。しつこくインターホンが鳴らされる。健人は舌打ちして玄関に向かう。

 ニコニコ顔の少女が玄関にいた。家の場所は教えていない。健人は無言で少女に家に入るように促す。

 リビングに入ると、少女はまっすぐにプランタンの観葉植物に目を奪われたようだった。物珍しそうにしげしげと、眺めていた。

 健人はコーヒーを入れて、少女の所に持っていった。

少女は笑顔で頷き、カップを受け取り口をつけた。

 「うぐっ・・・・・・!?」

 陶器の割れる儚い音。

 少女はフローリングの床にカップを落として苦しみ喘いだ。このハプニングに健人はどうしていいかわからない。

 少女は大急ぎでキッチンへ走ると、水で口をゆすいだた。

 「お、おい・・・・・・」

 健人が心配になり駆け寄ると、少女はいつものように穏やかに笑って見せた。

 「ごめんなさい、飲んだことない味だったからびっくりしちゃった」

 少女がしきりに健人の部屋を見たいと催促したので、二階に連れていった。

 少女は部屋にあった作りかけの車のプラモデルを触ろうとした。

 「触わるな。それ作りかけだから」

 健人のきつい言い方に、びっくりしたように少女は手をひっこめた。

 「健人、何怒ってる?」

 少女はベットに腰かけた。ベットの質を確かめるように何度か跳ねた。

 「怒ってない」

 「うそ。怒ってる。今日公園来なかった」

 「・・・・・・忘れてたんだ、ごめん。今日はもう帰ってくれないか」

 少女は飛び跳ねるように立つと、健人の鼻先まで顔を近づけた。少女の青い瞳が自分の心を見透かすように広がる。

 「健人、隠し事してる」

 健人は胸が熱くなるのを感じた。少女の肩を掴んで突き飛ばす。少女は尻餅をついた。

 「隠し事してるのはそっちだろ? 何で何訊いても答えてくれないんだ。名前とか、住んでるとことか・・・・・・」

 少女のすすり泣きが部屋に響いた。健人は自分が間違いを犯した事実を突きつけられた。

「健人、ごめんね・・・・・・」

「何でお前が謝んの? 俺はお前のこと・・・・・・」

 ミヨンは首を振る。まつげに涙の滴がついている。

 「私悪かったよ。健人にもう嘘つきたくない。これから言うこと秘密できる?」

 健人は無意識に頷いていた。少女は健人の耳に唇を近づけて囁く。

 「私の名前、教えてあげる。私の名前・・・・・・」


 6


 惑星2098、宇宙時間4時34分。健人はミヨンのことが気がかりで、まんじりともせずソファーに横たわっていた。暖房の音がやけに大きく聞こえる。その割、小屋の中は冷凍庫のように冷えている。ミヨンが寒さに耐えられるか心配だ。

 健人はできるだけ物音を立てないように、様子をうかがった。ミヨンの寝息はおろか、寝返りを打つ音もしない。

 健人は目を閉じた。意識し過ぎると身が持たない。あの娘は単なる学生。遠い世界のお姫さま。

 それでも寝付けず喉の渇きをいやそうと、立ち上がった。足下の照明だけが、ぼんやりと光っているおかげでつまづかずにすむ。

 冷蔵庫についた健人は、中からミネラルウォーターを取り出し、ごくごく飲んだ。

 何かが転がってきて、健人の足にぶつかって止まった。

拾うと、それがゴミ箱だとわかる。

 ゴミ箱が転がってきた理由を深く考えず、健人は寝床に戻ろうとした。

 普段自分が寝ている床の間に、他人が寝ているのは妙な気分だ。ソファーに目を戻し、また床の間に視線が引き寄せられる。

 「凍え死んじゃいないだろうな・・・・・・」

 確認のために様子を見るだけだ。まだ慣れていないだろうし、具合が悪くなっているかもしれない。健人は自分にそう言い聞かせて、床の間に上がった。

 寝袋はもぬけ空であった。健人は部屋中を探し回った。驚きのあまり、いるはずのないクローゼットまで開けてしまった。

 「ま、まさか・・・・・・」

 か細い光が、ドアの隙間から室内に漏れていた。健人は叩きつけるようにドアを開くと、後先考えず外に飛び出していた。 

 肌を突き抜けるような冷気と、目を灼くような陽光が同時に健人を包み込む。よろけて壁に手をつき、もう片方の手でひさしを作り目が慣れるのを待つ。

 「ミ、ミヨン・・・・・・いるのか?」

 返事はない。健人は目が慣れるのを待てず、歩きだした。固い土を踏みしめる音以外、物音は一切しない。ここは息するもののいない死の惑星だった。昨日までは。

 「返事をしてくれ、ミヨン」

 懇願するように呼びかけながら健人は辺りをうろついた。慎重に踏み出した足にやわらかい何かが触れた。

 ミヨンがうつ伏せで倒れていた。防護服をつけていない。この娘は、何と向こう見ずなことか。健人は強く舌打ちした。ミヨンは抱き起こし、口元に耳を近づける。まだ息はある。まつげは凍り、唇は青紫になっていたけれどまだ生きている。背中にかつごうとした時、ミヨンのうわごとが聞こえた。

 「朝日が・・・・・・、見たかったんです・・・・・・」

 「馬鹿野郎。そんなもん、言ってくれればよかったじゃないか」

 ミヨンは、もぞもぞと体を動かしただけだった。

 急いで小屋に入り、ストーブ側にミヨンを置いて毛布を被せた。お湯を沸かして、暖房を強くした。ろくな設備もないこの小屋ではそれくらいしかしてやれることはない。後はゼロンに、隠して持ってきてもらったブランデーで、きつけでもしてやるかと様子を見ていた。

 ミヨンは見た目の印象より、元気であるらしかった。暖かい飲み物を催促してから、目をつむって歌を歌っていた。健人はそれをどこかで聞いたことがあった。確かケロポヨン星の古い民謡だ。

 健人は腹立ちまぎれに、濃い目のブラックコーヒーを持っていった。

 ミヨンは慣れた手つきでそれを受け取り、口をつけた。

 「にがっ!」

 



 「嘘つき!」

 話を聞き終わるやいなや、健人は少女を力任せに突き飛ばした。その弾みで少女にもらった寄木細工が、棚から床に落ちた。健人の部屋はカーテンで締めきって暗かった。

 少女は床に座り込んで、うなだれた。

 健人の心は暗く淀んだ水を飲んだみたいに重くなる。ちょうど初めて二人があったあの池で溺れた時のように。

 「騙してたんだな、俺のこと」

 「NO、ちがう。健人聞いて・・・・・・」

 少女のすすり泣く声が部屋を満たした。健人はベットにどしんと腰を下ろす。

 階下でドアの開閉音。父親が帰ってきた。今日は帰りが早い。

 健人は少女の手を取って、立ち上がらせた。声を出さないように言ってきかせてから、二人で廊下に出る。

 階段を下りて、仕事の愚痴を機械的に口にする父親の相手をしている間に少女を逃がす。

 すぐに少女の後を追いたかったのだが、なかなか離してくれない。

 だがこれでよかったのかもしれない。健人と少女の住む世界は違う。心のうちでそう言い聞かせて、健人は束の間の平穏を味わう。

 その平穏は、戸外の物音で断ち切られた。車の長いクラクションがしたと思うと、不吉な衝突音。

 「事故かな・・・・・・、健人お前も気をつけろよ、危なっかしいんだから」

 父は健人の頭に手を置いてから、ワイシャツを脱ぎ冷蔵庫に向かった。

 健人は腹を殴られたような感覚を味わった。見に行かなくては。よろよろした動きで、玄関から出た。左右の靴はあべこべであった。

 家から50メートル程先が事故現場だった。電柱に激突したトラックのバンパーがひしゃげている。野次馬に向けて運転手が何かわめいている。

 曰く女の子が飛び出したと。

 健人はその場を立ち去った。少女を探して街をさまよった。大丈夫、大丈夫あの娘は違うんだと自分に言い聞かせながら。

 少女を見つけたのはとあるマンションの駐輪場だった。ママチャリと子供用自転車の間に挟まれるように少女は寝ていた。目を閉じて胸の前に両手を置いている。

 「お、おい・・・・・・」

 健人は、こわごわと少女の側にかかが見込む。少女は青白い顔をして、弱々しく息を吐いていた。

 「健人、何でここいる?」

 「別に。ちょっと歩きたくなったから」

 少女は目を閉じた。健人は心配になり、いっそう少女の顔に自分の顔を近づける。

 少女が含み笑いを漏らす。

 「息、くすぐったい。健人、犬みたい」

 「うるせーな、お前車にひかれただろ。平気なのか」

 「うん、だいじょぶ。健人きてくれたから治った」

少女は体を起こしたが、わき腹を押さえていた。

 「病院は・・・・・・駄目なんだよな?」

 「うん、騒ぎになっちゃうから。わたし、もう帰るよ」

 健人は少女をおぶって立ち上がる。背中に心地よい重み、健人は意識せずにはいられなかった。

二人で道路にでると、住宅街のそこかしこから、明かりが漏れている。少女はそれを眩しそうに見やった。

 「健人、パパとけんかしたらダメ」

 「してねーよ。仲のいい親子だよ」

  健人は我が身を恥じた。少女は命の危険、正体の発覚する危険に晒されていた。それなのに、健人の家の心配をしている。

 「健人、来てくれないと思ってた」

 「何でだよ」

 「おこってたし。今もおこってる」

 「・・・・・・もう怒ってない。もう、怒らない」

 大通りに出ると、少女は自分を下ろすようにと促す。

 黒塗りのリムジンがまるで計ったように二人の前に止まった。音もなく後部座席のドアが開いた。車内から言いようのない冷気が立ち上る。 

 「おやすみ、健人。さよなら」

 「お、おい・・・・・・待っ」

 健人を意図的に突き放すように、少女は車に乗って行ってしまった。健人が狼狽えたのは言うまでもない。

  

 8


 「いただきまーす」

 朝食のスクランブルエッグを前にして、ミヨンは元気に手を合わせた。 

 衰弱したような顔をして、健人がその向かいに座っている。髪はぼさぼさで、食もあまりすすまない。

 朝日が目につき刺さる。気温が上がり始め、二人は薄着になった。

 ミヨンは今朝の危機が嘘のような食欲を見せた。自分の分が終わると、健人の皿を子供のようにのぞき込む。

 「健人、食べないのですか? 私食べちゃいますよ」

 「おー、おー、色気より食い気か。どんどん食いねえ」

 健人の嫌みに動じることもなく、ミヨンは大きな口を開け朝食を頬張る。

 ラジオからは宇宙放送の番組が流れている。かろうじて電波は届くらしい。健人には宇宙公用語がわからないが、ミヨンは朝食を食べながらふんふんと聞いている。

 「今日の予定を聞いてもいいかな」

 健人が尋ねると、ミヨンは口元をナプキンで拭き取り答える。 

 「今日はフィールドワークに行きたいです」

 健人は賛同しかねた。今朝倒れたばかりで、日中の行動は無理がある。調査が目的で来ているのだから止める義理もないのだが、気にはかかる。

 ミヨンは健人の心配などお構いなしに、ストレッチをし、身支度を開始した。

 「さあ! 行きますよ健人。案内してください」

 頭から足先まで防護服に身を包むと、一足先に戸外へと走り出た。

 「俺が案内するわけね・・・・・・」

 ミヨンは裏の畑の土を採取していた。健人が来ると、家を離れて歩きだした。今日もうだるような暑さだ。

 「その格好で大丈夫なんですか?」

 ミヨンが気にするのも無理はない。健人の格好は、アロハシャツとハーフパンツ、カンカン帽子に、サングラス。靴だけは登山靴のような頑丈な奴だ。

 「地元民なめんなよ。これくらいへっちゃらだっての」

 小高い丘を迂回すると、岩陰に大きなコンテナがあった。ミヨンの持ち物のようだ。

 遠隔キーでコンテナが開くと、健人は飛び上がるほど驚いた。 

 コンテナの中から出現したのは、けむくじゃらの馬のような生物だ。背中に隆起が二つある。ラクダだ。

 「これ、本物か?」

 「いいえ、模造品です」

 ミヨンがキーで操作するとラクダはゆったりとした動きで足を伸ばして立ち上がった。目には光が宿り、全くの作りものとは思えない精緻さで動き出す。その点、精緻さ故の欺瞞も生じる。やはり本物を間近で見たことのある健人からすれば、模造品の人工筋肉の動きにかすかな違和感を覚える。

 「あまりうれしそうではありませんね、稀少品ですのに」

 「あんまりこういうのはな・・・・・・」

 ミヨンは健人に気を効かせたつもりだったのだろう。ラクダはとっくに絶滅した種だ。ラクダに限らず滅んだ地球の生物は異星人に魅力的に映るらしい。こういったレプリカは高値で取り引きされている。

 「フィールドワークなのにこんなの乗ってて仕事になるのか」

 「いいえ、これには健人に乗ってもらおうと思って持ってきたんです」

 「俺はいいよ、お前乗りな。体弱いんだから」

 ミヨンは怒ったように腕を振り上げた。表情は読めないが、健人の言葉が気に障ったらしい。

 「見くびらないでください! 私はこの日のために訓練を積んできました。体力に自信あります」

 「どうかなぁ、ここに来て二回も倒れたんだぞ」

 「それは・・・・・・、油断しただけです! もうあんな失態は致しません」

 ミヨンの勢いは最初の内だけだった。三キロも歩かないうちに座り込んでしまった。ラクダをお留守番させたことを後悔しているだろう。

 無理もない。舗装された道路もない岩だらけの土地、お姫様の足は棒になっているに違いない。

 「運動不足じゃないのか? そんなんじゃこの星で暮らしていけないぞ」

 ミヨンの肩を気安く叩くと、ぐるりと首を回して健人をにらむ仕草をする。

 「これからが本番です。地質調査します。健人手伝ってください」

 切り立った崖下で二人は地をはいずり回る。ミヨンは計器を片手に真剣に調査に取り組んでいる。

 健人も渡された計器で地層のマッピングに協力した。

 ミヨンが手頃な石を割り、サンプルを採取する頃には、日は高くなり、調査の続行は難しくなった。

 小屋に戻ると、健人はミヨンの防護服を脱がすのを手伝う。背中のロックを外してやると、汗まみれのミヨンの背中が露わになる。シャツにくっきりと白いブラジャーの線が浮き上がり、健人は目が離せなくなった。

 「シャワー浴びていいですか? 本当に寒暖差が激しいですね、昨夜の冷えが恋いしくなっちゃいます。・・・・・・どうしました? 健人」

 ミヨンは健人の視線に気づくと胸を押さえ、浴室に駆け込み鍵をかけた。

 健人は座禅を組み、煩悩を消すよう努めた。

 ミヨンがシャワーを浴びてから厚ぼったい服装で姿を見せると、健人はテーブルをふきんで拭くふりをしていた。

 ミヨンの刺々しい眼差しに健人はついに耐えきれなくなった。手を合わせる。

 「ごめん! 俺こんなの初めてで、不快にさせたのはわかってる。でもどうしようもなくて」

 健人はミヨンを異性として意識していた。昨日から鏡をのぞく回数は三倍くらいになっている。同世代の異性と一つ屋根の下で、意識が変わらない方がおかしい。

 ミヨンは落ち着きなく髪に手を当てていた。

 「私の方こそ軽率だったかもしれません。無理言って置いてもらってるのはこちらですし、もう忘れましょ。ね?」

 ミヨンの包み込むようなやさしさが痛い。健人は自己嫌悪に落ち込んだ。

 お昼の用意はミヨンがしてくれた。健人はそれを黙々と手伝う。ミヨンは再び薄着になっていた。白いTシャツにオーバーオールだ。

 今日の昼飯は蕎麦だ。ミヨンに食べ方を教えるのが難しい。ミヨンが日本食を持参しているのは恐らく論文のため、地球の文化を知るのが目的なのだろう。

 麺をすする習慣のないケロポヨン人には難易度が高いらしい。顔に羞恥を露わにし、小さな音を立てて麺をすするミヨンに健人の顔が綻ぶ。 

 「私って、魅力的に見えますか?」

 ミヨンが唐突に困った質問を投げかけた。健人は己の機知を総動員し、何とかミヨンが納得いく答えを出すよう努力する。

 「と、とても魅力的なんじゃないかな・・・・・・・」

 「どんなところが?」

 ミヨンはテーブルから身を乗り出し、間髪入れずに訊いてきた。

 「え、えーと、上品で、かといって驕っているわけでもなく気さくだし、好奇心旺盛で頭も良いよな」

 彼女が結構グラマーというのは黙っていた。さっきからシャツから胸の谷間が見えそうで健人は必死に見ないようにしている

 ミヨンは健人の腹の底を見透かすような鋭い眼で見ていたが、うんともすんとも言わない。

 「ミヨン? どうした? 俺なんかまずいこと言ったか?」

 「うにゃん・・・・・・」

 ミヨンは変な声を出して、両手で顔を覆った。健人は、かける言葉が見つからなかった。

 ミヨンは、しばらくして紅潮した顔を上げた。健人もその熱が伝染したように体温が上がるのを感じる。間が持たなくなり、二人は蕎麦をすする。

 後かたづけは二人で行った。その間、無言。

 健人が恐れていたことが現実になった。健人がミヨンを異性として意識しているのがわかれば、ミヨンとの関係も気安いものではなくなってしまう。

こんな気持ち悟られたくなった。恥ずかしいし、嫌われるのは何より恐い。

 隣で皿を拭いているミヨンの横顔を窺った。彼女の肌は、今のところその白さを堅持しているが、いくら防護服を着ていても殺人光線を前に、日に焼けてしまうかもしれない。健人はそれが気になり、保湿クリームを渡そうか迷っている。

 「あのさ、ミヨン。保湿クリームあるけど使う?」

 ミヨンは皿を拭き終わり、食器棚にしまっているところだった。

 聞こえなかったと思い、健人はもう一度言おうとした時だった。ミヨンは肩を怒らせて床の間に上がると、障子を閉めてしまった。

 健人は己の失敗を悟った。ミヨンは自分を軽蔑しているのだ。この小屋を出ていきたいが、行くところなどない。惑星2098以外で生きていく場所はないのだ。

 「あー、どうすりゃいいんだ」

 生まれて初めての他人との同居生活に健人は悩む。けれどもその悩みは、ミヨンが来る前は存在もしなかったのだ。

 ミヨンが障子の隙間からじっと健人の様子をのぞいている。その目に羞恥と好奇心が満ちているのを健人はまだ知らない。

 


 9

 

 一時間しても、ミヨンは床の間に籠もったままだ。

 健人は徐徐に苛立ってきた。勝手にやって来て、自己中心的な態度を取るミヨンを気遣う必要はないのではないか。この小屋は自分のものだし、いつまで大きな顔をさせておくのが耐えがたくなってきた。

 「そっちがその気ならこっちも無視してやる」

 健人はそう決めたものの五分もしないうちに、ミヨンの機嫌を直そうと、頭を捻っていた。地球にいた頃に女子の機嫌を取るなんて考えもしなかった。女子は何かよくわからないもの。はっきり口に出したことはなかったが、健人は未だに未知のものとして女子を捉えている。

 普段使わない頭を使って疲れてたのか、知らぬ間に健人はソファーで眠ってしまった。うっすら目を開けると日が落ちようとしていた。焼けるような日の光が弱まり、気温が下がり始めていた。

 「健人、健人・・・・・・・」

 誰かが自分を呼ぶ声がする。さては幻聴かと健人は覚めかけた意識を眠らせようとする。

 自分一人ではないのを思いだし、うーっと唸って床の間に向かう。

 そっと障子を開けて中を覗くと、ミヨンが畳の上でうつ伏せに寝ころんでいる。顔はクッションの上に載っていた。

 「よ、呼んだ? ミヨン」

 ミヨンは返事をしない。健人の聞き間違いだったのかもしれない。障子をそっと閉めて一歩下がる。

 「・・・・・・今日は歩き疲れて、足がパンパンです。マッサージしてくれませんか?」

 今度は聞き間違いではない。はっきりと聞き取ることはできた。

 健人は小躍りしたい気持ちで床の間に上がった。そこではたと思いとどまる。

 ミヨンのショートパンツにはきかえている。そこから伸びた大腿部。凝視して固まる。

 「どうしました、健人。嫌なら別に断ってくれていいですよ」

 すねたようなミヨンの言葉に、健人は首を振る。

 「い、いや、やるから。本当にいいんだな?」

 健人はミヨンの側にしゃがみ込み、ごくりと喉を鳴らす。ご本尊をじっくり眺めて、なおかつ触ってもいいのだろうか。本人の同意があるのだから、構わないはずだ。

 催促するようにミヨンが足をバタつかせる。

 健人は壊れものを扱うようにミヨンのふとももに手を伸ばした。心臓は砕けんばかりに激しく動いている。鼻息が荒い。

 ミヨンの太股は、やわらかそうに見えて案外筋肉質だ。押すと指を押し返してくる。しっとりと温い肌に健人は安堵する。

 この人肌が健人の内奥を熱くする。人の体温に触れるのは何年ぶりだろう。

 「健人、手が止まってますよ」

 ミヨンが顔を上げた時、健人の顔の下の畳に染みが見えた。ミヨンは気づかなかったふりをしてまたクッションに顔を埋めた。

 健人の下手なマッサージにミヨンは不平一つ漏らさなかった。満足したというより、口を開くのも億劫なようだ。

 「ふわぁ・・・・・・、眠くなっちゃった」

 あくびをしてから、ごろんと仰向けになるミヨン。無防備に伸びをした拍子に、可愛いおへそがこんにちは。ずいぶんと油断している。

 「も、もういいだろ? ミヨン。俺、夜の準備しないといけないから」

 「じゃあ、布団敷いてくれませんか、健人。私眠くなりました」

 ミヨンのわがままが止まらない。これがこの娘の本性だとしたら、少し幻滅してしまいそうだった。

 「はいはいわかったよ。今日はがんばったもんな、ゆっくりお休み」

 布団を敷き終わっても、ミヨンは動かない。健人が出ていこうとすると、ズボンの裾を握られた。

 「動くのめんどくさくなっちゃいました。運んでください」

 「はあ? お前、わがままも大概に・・・・・・」

 ミヨンと目が合う。大きく見開かれた瞳は世界の中心を健人だけに見定めたようだった。シャツに盛り上がった胸が上下に上下に動いている。不規則に時々止まったり。

 健人の視野が極端に狭くなった。ミヨンの胸から腰から足へと視線が泳ぐ。

 ミヨンが仰向きに寝ころんだまま足を組んで扇情的なポーズを取る。唇に舌を這わせる。

 健人がもどかしそうに押入から布団を引っ張り出す間に、ミヨンは服を脱いで放っていた。

 一糸まとわぬミヨンを抱え、乱暴に布団に放り投げる。奔放に笑うミヨンの上に健人は覆い被さる。無我夢中で彼女を貪る。健人はミヨンの虜だ。

  

 10


「ミヨンー!」

 健人は自分の雄叫びで目を覚ました。無様に息を切らした様はまるで獣のようで、自己嫌悪で体を丸めた。

 健人は床の間にいた。床の間はすっかり暗くなり、身震いがするほど寒くなった。

 敷いたはずの布団もなく、ミヨンもいない。全ては夢幻だったのだ。健人はため息をついて障子を開けた。

 ミヨンが台所で鍋を煮ている。ミヨンは夜の準備をしてくれたようだ。リビングは十分暖まっている。

 白いエプロンをしたミヨンが振り返る。

 「健人。お夕飯できました」

 「ああ、うん」

 夕食の席についても、ミヨンに格別変化はなかった。黙々と食事をし、まだ健人と話すつもりはないようだ。

 「あのさ、ミヨン。俺どうして床の間に寝てたのかな?」

 ミヨンは食べていた里芋を喉に詰まらせた。落ち着いてから口を開く。

 「覚えてないんだ。マッサージ頼んだら眠っちゃったんです」

 「ううむ、そうか・・・・・・」

 マッサージしたのは本当のようだ。手に感触がまだ残っている。

 「それから、健人」

 ミヨンが真顔になって箸を置いた。健人は否応なく緊張する。

 「ケロポヨン人は異性をストレートに褒める文化がありません。ああいう物言いは率直に言って困ります」

 「ええ? 俺なんか言ったっけ? ごめん、忘れてた」

 「言ったじゃないですか、私のこと・・・・・・」

 ミヨンが健人の手当たりに目を落とした。

 「悪かったな、もう言わないよ」

 「いいえ! 言ってくれないと困ります」

 ミヨンは顔を真っ赤にしてテーブルを叩いた。 

 健人はもう何も考えられなくて、今日は早めに眠ろうと思った。

 食後、二人で並んで食器を洗う。ミヨンがやけに体をくっつけてくる。健人は皿洗いに集中するふりをする。

 「健人って、結構男らしいですね。見直しました」

 今日の調査のことを言っているのだと思って、健人は聞き流した。

 「また・・・・・、して欲しいです」

 ミヨンは体を健人に預けてきた。ミヨンの髪が健人の鼻先にかかる。芳しい香りに健人の理性が火を吹きそうになった。

 「マッサージか、マッサージだよな!」

 上擦った声で健人が言うと、ミヨンはがっかりしたように体を離した。

 「私、今日の調査結果をまとめるので」

 「あ・・・・・・、後でコーヒーでも持ってくよ」

 「オ構いナク」

 ミヨンは素っ気なく言うと、床の間に籠もる。健人は、あきらめてソファーに寝ころんだ。

 その日から、ミヨンが2098を出発するまで、健人は金縛りにあった。夜うとうとしていると、重い何かが健人の上に跨り、息苦しい。かと思えばふっと宙に浮くように楽になる時もある。誰かの激しい息づかいが、耳元でうなる。その繰り返しがしばらく続く。その波が収まる頃には朝になっている。健人は疲労している。ミヨンは上機嫌で台所で歌など歌っている。

 

 11


 「生殖!?」

 中学生の健人が顔を真っ赤にして唾を飛ばすと、少女もまた顔を紅潮させて頷いた。

 二人は、夕方の川の土手で石を投げていた。季節は四月になり、草花の息吹が著しい。少女は、たんぽぽがお気に入りのようだ。

 少女がトラックにひき逃げされた日から、二人はより頻繁に会うようになっていた。少女は物思いに耽ることが少なくなり、健人をしっかりと見るようになった。健人はそれが嬉しいと思いながらも、好意をうまく表現できないジレンマを抱えている。

「私、生殖する。女王になるよ。準備できた」

 健人は何と言って良いのかわからなくて、手のひらで石を弄んでいた。

 学校の保健体育の教科書や、同級生との会話である種の知識はあるものの、女子の口からそんな話が出るとは夢には思わなかった。

 「・・・・・・、おしべめしべ?」

 健人はやっと小声で訊いた。

 「YES!」

 少女が大声で返事をしたので、健人は動転して川に落ちそうになった。

「そんなこと大声で言うな」

「なんで? 生殖いいこと。わらわらくる」

 ずっと引っかかっていたわらわらの意味が朧げながらつかみかけた健人だったが、少女の真意はつかみかねていた。

 「せ、生殖は一人じゃできないんだぞ。知ってるのか?」

 少女はそんな当たり前のことを訊くなという風に鼻で健人をあしらう。

 「お前変な奴だな。相手はいるのか?」

 少女は首を傾げる。訊かれたくないことを訊かれた時の癖。健人も慣れて気にしなくなってきた。

 「相手は健人だよ? あれあげたでしょ」

 「あれ?」

 健人は少女からもらった箱を思い出す。

 「そうかー、俺か、がんばらなくっちゃな・・・・・・・、って俺え!?」

 健人は素っ頓狂な声を上げしまう。

 「そうだよ、健人。他にいないよぉ」

 健人は頭を抱えて、少女のことを理解しようとするがそれも完璧にというわけにはいかない。何せ彼女は異星人だ。

 「そういうのはさ、好きな奴とするんじゃないのか?」

 「私、健人のこと好き。健人、私のこと嫌い?」

 健人は少女の手を大切そうに握る。

 「ずっと一緒、健人。わたしたち夫婦になる。この星健人のもの」

 

 12 


 重たい体を引きはがすように、健人はソファーから下りた。目眩がして、テーブルに手をついて体を支えなくてはならなかった。

 ミヨンが惑星2098に来てから三日が経とうとしていた。

 ミヨンは午前中にフィールドワーク、午後は床の間に籠もってレポートを纏めている。彼女の生活のリズムは全く崩れない。

 反対に健人の生活のリズムが崩れていた。夜は謎の金縛りで眠れず、昼間はミヨンの世話をしなくてはならない。体調も優れず、咳をすることが多くなった。 

 「悪いけど今日の調査、一人で行ってきてくれないか」

 朝食の席で健人は体調不良を訴えた。  

その時のミヨンの落胆ぶりは目に余った。何か言いたそうだったが、あまり多くを語らない。

 「ごめんなさい、私のせいですね。今日はゆっくり休んでください」

 「? うん、そうさせてもらうよ」

 ミヨンは床の間に健人を寝かせて、一人で調査に出た。

 健人はミヨンのもらった薬を飲んで、ひさしぶりにぐっすり眠ることができた。

 お昼はミヨンがお粥を作ってくれた。

 「はい! ふーふーしますよ、ふーふー」

 ミヨンは健人の枕元でお粥を冷まそうと息を吹きかけた。しかし、勢いが強すぎておかゆが健人の顔にかかってしまった。

 「気持ちはありがたいけど、一人で食べられるよ」

 「はい! 食べてください、はい!」

 「あっち!」

 必死の形相で、無理矢理健人の口にスプーンをねじ込もうとする

 健人はその不器用なやさしさに涙ぐみ、お粥がしょっぱく感じられた。

 午後は健人が眠る傍らで、ミヨンはレポートの制作にいそしむ。

 かつてこんな平穏な午睡があっただろうか。健人はうつらうつらする意識の中、誰かのありがたみを切に感じた。 そんな平穏も束の間、ミヨンは健人を盗み見るようになった。最初は五分くらいの間を置いていたが、そのうちいてもいられなくなったように、健人の枕元に顔を近寄らせる。

 「ん・・・・・・どうした? ミヨン」

 健人が間一髪目を覚ましたところで、ミヨンは取り繕うような笑みを浮かべた。

 「お熱、計ろうと思ったんです。健人体起こせますか?」

 「うん・・・・・・」

 ミヨンは健人のシャツを少々乱暴に脱がそうとする。

 「なあ、服脱がなくても体温計れるだろ。耳で」

 「脇の方が正確なんです」

 ぼんやりとした口調でそう言うと、ミヨンは細長い体温計を健人の脇にねじ込む。

体温は平熱だった。恐らく単なる寝不足だろう。健人は寝だめしようとまた布団にもぐろうとした。それをさせまいと掛け布団を持つ健人の腕をミヨンが掴んだ。

 「ミ、ミヨン?」

 ミヨンは熱を帯びたような潤んだ瞳で健人を見下ろしていた。熱くてたまらないという風に、着ていたブラウスのボタンを引きちぎるように外す。

 「ごめんなさい、健人。私もう限界みたいです・・・・・・・」

 「いや、何か知らないが落ち着け。服を脱ぐな」

 ミヨンはブラウスを放り投げて健人の布団に踊りかかってきた。

 健人はミヨンを組み敷こうとしたが、興奮した彼女は容易に思い通りにならない。

 ミヨンはものすごい力で健人を押さえつけると、息を荒らげる。

 一体どうしたというのだろうか。節度を弁えた彼女らしからぬ行動に健人はおびえた。

 ミヨンは健人の頬や首筋にキスの雨を降らせた。健人は目をつむっていたが、その甘美な刺激に身悶えする。

 ミヨンはその反応を楽しむように、首筋に唇を強く押し当てた。

 「ミヨン・・・・・・、やめよう? こんなこと」

 健人がすがるような目をすると、ミヨンは小馬鹿にするように笑った。健人の口を自分の口で塞ぐと、しっかりと閉じた健人の口を舌でこじあけ、侵入した。ミヨンの舌はまるで別の生き物のような細かな動きで健人の口の中をはい回る。舌の根本から上まで誘うよう動かれると健人も我慢できなくなり、ミヨンの舌を味わうように絡ませる。

 二人は水音を立てて、互いの舌をもつれさせ、からませて味わい尽くすと、顔を離した。唾液の糸がつぅーと垂れた。

 「はぁ・・・・・・、健人の切なそうな顔可愛い。んっ、ちゅ・・・・・・」

 健人の口のまわりをぺろぺろと舐めてきれいにした。健人はばつが悪そうに顔をそむける。

 「お前おかしいぞ。こんなことして」

 「おかしいのは健人ですよー。健全な男女が一つ屋根の下で暮らしたらこうなるのは自然なことなんれす」

 ミヨンは酔っぱらったように呂律が回っていない。

さては何かまた食べたのかと健人は思ったが、四六時中一緒にいたのに、変調に気づかなかった。別行動した午前中の調査で何かあったに違いない。

 「お前外で何か食べただろ? ここに着いたばかりの時みたいに」

 ミヨンは夢心地のようで、聞いていないようだった。情けないことに力ではかなわない。このまま流されるのもいいのかなと一瞬思ったが、ミヨンはどう見ても正常な状態ではない。

「一端落ち着こう。な? こんなことしたってどうにもならないよ」

「健人は私のこと嫌い?」

 健人は頭痛がして、ミヨンの顔から視線をそらした。

 「健人だって喜んでるのに。ほら!」

 ミヨンは健人のズボンを人差し指でつーっと撫でた。健人の腰が跳ね上がる。

「せ、生理現象だって。もういい加減にしないと怒るからな」

健人は苦しくなった股間を意識しないようにしていたが、ミヨンにはお見通しであった。

「ケロポヨン人は一度つがいと決めた相手と一生を添い遂げるんです。あまり意地悪しないでください」

「お前とそんな約束した覚えなんてない。だいたい、会ってすぐの相手にこんなことする女なんて・・・・・・」 健人の顔に水滴が垂れた。ミヨンの目から落ちたものだった。

「覚えてないんですね。ごめんなさい、やっぱり・・・・・・」

すすり泣くミヨンの体に注意深く腕を回し、布団に横たえた。ミヨンを抱くと、彼女の不安が伝わってくる。

「お願いだから謝らないでくれ。俺が悪いんだ、きっとそうなんだ」 

いたわるような健人の愛撫に、ミヨンの気持ちはしだいに快方に向かったようだ。呼吸が穏やかになっている。

「寒くなったね。もう出ようよ」

健人がそう言うと、ミヨンは首を振った。二人はその晩、同じ布団で暖を取った。

 

 

 13


夫婦で連想する言葉とは、つがい、一対、表と裏、切っても切れない関係、死が分かつものetc・・・・・・。

それらの言葉が夫婦の概念を説明するためのものか、言葉が夫婦の定義を決めているため夫婦足り得ているのか。

あの時の二人はどうだったのだろうか。夫婦を知らない幼い二人は、逆に真のつがいだったのではないだろうか。

少女は健人を自分の父親に紹介した。それが不用意だったと、悟るには二人は若すぎた。父親は激怒した。少女はやんごとなき血筋の女だった。

父親は健人を殺そうとした。ケロポヨン人は一度パートナーを定めると相手が死ぬまで変更できないという面倒な業を抱えていた。

そのため少女は温室で大事に大事に育てられてきたのだが、地球との交流のどさくさに紛れて少女は外の世界を知ってしまった。禁断の果実をかじった後で、少女は父親の前に立ったのだ。

少女は健人を逃がそうとした。しかしそれも無駄なあがきであった。健人を逃がすことが、不可能だと悟った少女は健人の記憶を消して、信頼できる者に預けた。

それが当時、地球との折衝を任されていたゼロンだった。結果的に地球は滅んでしまったが、ゼロンは健人の生命を守りきった。

 


 14 


食卓を囲み、仕事をして、また同じ食卓に座り、同じしとねで眠る日々も終わりを迎えようとしていた。ミヨンが七日目の調査を終えて明日にも本国に帰国する。今宵は最後の晩餐。それでも会話は弾まなかった。まるで二人の間には越えられない川があるようだった。

ミヨンは、慣れない箸を懸命に使おうと躍起になっている。健人が教えても短期間では、それほど上達しなかった。 

「なあ、スプーンを使えばいいだろうが」

健人が見かねてスプーンを取り上げようとすると、ミヨンは意固地に反抗する。

「私できます。ここでの成果を健人見せたいから」

健人はミヨンを黙って見守った。細かい動きができるようになるには、まだ修練が足りなかったものの、健人は自分以外の誰かが箸を使えるようになるのを見るのが嬉しくてたまらない。

「何かこういうのっていいよな。伝わってくっていうのは」

「何ですか、しんみりしちゃって」

「しんみりもするさ。明日からまた俺一人だもん」

一人でいると孤独を忘れていることがある。他者の存在がより孤独を浮き上がらせる。

「ねえ、健人。どうして私がここに来たかわかりますか?」

健人は顔を真っ赤にして言葉に詰まった。

「私の夢はね、この星を蘇らせることなんです」

「・・・・・・いよいよ本格的に開発が始まるんだな」

恐れていたことが現実になる。薄々は感づいていたものの、やはり堪えた。 

「健人が考えていること当てましょうか? 2098を、いえ、地球を追い出されると思っていませんか?」

「それならそれで構わないよ。俺は晴れて自由の身ってわけだ。せいせいするよ、こんな不毛の大地に縛り付けられるのはもうたくさんだ」

健人の負け惜しみに、ミヨンは一度理解を示すように頷く。

「健人の不安わかります。この星の人間が一人でも残っているのに、勝手な開発などさせませんから安心してください」

ミヨンの断固とした口調に、健人はわずかな期待を寄せる。

「じゃあ、俺はどうすればいいと思う?」

ミヨンは健人の手を握った。

「少しずつでいいんです。歩みを止めないで、我々と手を取り合ってみませんか?」

健人は目を閉じた。瞼に浮かんだのは両親や、友人、親しかった誰か、そして・・・・・・。

「なあ、山椒魚って小説知らないか?」

「サンショウ?」

「ああ、もしかしたらケロポヨン星の図書館に写本があるかもしれない。山椒魚が岩場から出られなくなる話だ」

「どうして出られなくなったのですか?」

「外の世界を馬鹿にしているんだが、本当は恐かったんだ。外にあるものが。悩んでいるうちに体がでかくなって、出られなくなった」

ミヨンは顎に手を当て考え込む。

「外の世界は確かに広くて恐ろしいかもしれませんが、そればかりではないと思います」

「そうかもな。でも恐いっていう気持ちは、俺にはわかるんだ。岩屋の外では誰も俺を必要としていない」

その存在を確かめるように、強くミヨンの手を握り返す。

「そんなことありません。私たちこうして繋がってるじゃないですか」

「そうだな、ここにいても何もないからって、外に何もないとは限らないのかもな」

健人は最後の民とか、格好付けたことを言っていたが、それも方便にすぎず、新しい世界を受け入れるのは耐えがたかった。今までの人生を否定されていると感じた。

「ところでミヨンは、どうしてこの星にこだわるの?」 

ミヨンが照れ笑いを浮かべる。

「実は私、親に内緒でこの星に来たんです。ゼロンに協力してもらって」

「へえ・・・・・・、あの野郎、けっこうな悪党だな」

「そうかもしれませんね。悪いことはみんなあの人に教わりました」

二人は顔を見合わせ笑いあう。思えばくつろいだ会話が続いたためしがない。健人の胸に去来したのは、ある種の寂しさだった。

「私ね、この星に大切な人を残してきたんです。自分が助かりたいばっかりに、その人のことを長らく蔑ろにしてしまった。もうそんなことしたくない。だから・・・・・・」

健人はうなだれる。

「残されたそいつは、蔑ろにされて悲しかったとか思ってないと思う。お前が幸せそうな姿を見て、安心してるよ」

「本当にそうでしょうか? 私は不安でなりません」

ミヨンが、健人の顔を下からのぞき込もうとしたので、また明後日の方へと視線を移動させる。

「不安になるくらいで丁度いいのかもしれないな。相手のことを思いやれるだろ」

「むー・・・・・・、健人はいくつになっても意地悪です」

その日は早くに床についた。

  

 15

 

「忘れ物はないか?」

ミヨンの荷物を纏め終わるのを今や遅しと待ちかねながら、健人は言った。

「まるですぐ私に帰って欲しいみたいですね、健人」

「そうかもな。お前も砂だらけの土地にうんざりしてるんじゃないか? 早く帰りたいだろ」

ミヨンは紫外線で少し痛んだ髪を、指ですいた。

「初めは少しナンセンスな気もしましたが、こういうスローライフも悪くないですね。移住したいです」

「よそ者はのんきでいいね。それじゃもう時間だ。良い旅を」

健人はミヨンに背を向けさっさと小屋の奥に引っ込もうとする。重力場の弱い時間はそう長くない。迎えの船は相当じれているだろう。

「健人!」

健人は聞こえないふりをして、奥の本棚へと足を運ぶ。

「私、また必ずここに来ます。絶対あきらめませんから。またね、健人!」

ドアが大きな音を立てて閉まる。健人はほこりがたまった本棚を上から順に眺めていた。

「何しに来たんだろうね、あの娘は」

苦笑いを浮かべて、健人はお目当ての本を発見する。井伏鱒二の山椒魚だ。

その文庫本を脇にどけると、奥がくぼんでいて、そのくぼみには黒ずんだ寄木細工の箱が置いてあった。

手に取り、息を吹きかけ、ほこりを払う。

健人の記憶は生来のままだ。ゼロンは記憶の消去をしなかった。忘れさせた方が色々な点で楽だったに違いない。それでも、己の責任と向き合うということをゼロンは教えたかったのだろう。

健人がここで暮らしているのを、ミヨンの父親はきっと知っている。それでもミヨンを好きにさせたのはお許しが出たと思うのは楽観し過ぎだろうか。

いずれにしろ、またミヨンが小屋に駆け込んできては堪らない。

健人はゼロンと密かにコンタクトを取り、どこか適当な学校に入れてもらおうと考えた。自分には学がない。何をするにしてもそれは必要だ。

ミヨンをこの星に迎えるにはまだ早い。何も考えないでいられたらと悟っていたが、ミヨンの誘惑は思ったより強固だった。

「この星が蘇ったら、その時は・・・・・・」

健人は顔をだらしなく緩ませる。埃だらけの本を持ってリビングに向かった。

人は誰かのためにしか生きられない。これは宇宙広しといえども、ごくありふれた話だ。(了)

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