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2:死神殺し

 夜もとっぷりと更けた。

 エルフの少女ヴァイスとクマゴローと名乗った中年漢が、二人ぽっちで焚き火を囲む。

 此処で野宿を、と提案したのヴァイスだ。先に進む、引き返す、どちらの町に行くにも距離があるし、多少なりとも休まないと魔力の回復も出来ない。

 ならば私の背中に負ぶさるが良い!とクマゴローの満面の笑みでの申し入れがあったが、丁寧に断った。なんか嫌だったからだ。断った理由は雑だった。

 クマゴローはこの世界の住人ではないと言う。ヴァイスはその言葉を素直に受け入れた。受け入られるくらいの出来事は昼間たっぷりと見てしまったし、正直なところこちらの世界の人間であって欲しくない。もし彼がこの世界の住人ならば彼のような親兄弟が各地に複数居る可能性もある。そんなの怖すぎる。

 ヴァイスとクマゴローは話す言語は判らないがそれでもほぼ完璧に近い状態で意思の疎通が出来る。それはなぜなのかとクマゴローに尋ねると、彼は会話というものは口を交わすものではない! 心を交わすものなのだ! と答えた。意味不明だ。

 今は昼間助けてもらった礼の変わりに教えてくれないか、とクマゴローが言うのでこの世界の概要・現状をざっと教えている。

「どう?かなり省いて説明したけど、わかった?」

「うむ。大体判った」

 合点がいったという調子で頷いた。

「今のこの、なんちゃらと言う世界でなんちゃらという魔王がなんちゃらという軍団を率いて侵攻して来ている。しかしなんちゃらとなんちゃらとなんちゃらなんちゃらはどうしても折り合いが悪く一致団結できないと。そういうわけだな」

「何一つ理解する気が無いことはわかった」

「ううむ。しかし大雑把に言えば、魔王とか魔物以外は全員人同士なのだろう? 皆で仲良くやればいいのにな」

「種族間で差別とか種族内でも格差とか、色々あるの。今まで積み重なってきた歴史の結果。なかなかうまくは行かないもんなのよ」

「しかし……やはり良いとは言えぬ。今まさに迫りくる恐怖を目の前に、互いに手を取り合わねばならぬ隣人同士がいがみ合っているなど……」

 揺らめく炎に視線を預けながら、クマゴローは何か思案している様子だった。

 焚き火にくべた木材が全て燃え尽きようとしている。ヴァイスが追加の木材ねんりょうを炎に投げ入れようとしたその時、クマゴローは不必要極まりない大声でよし! と叫びながら勢い良く立ち上がった。

「今は皆が一丸とならねばならぬ時! 当事者同士がそれを成せぬと言うならば、我らで皆を結びつけるのだ! 皆をまとめ! 魔物の軍勢を打ち倒す! 共栄共生の為の旗頭となろう!」

「待って! ちょっと待って! 今『我ら』って言った!?」

「ふっ……何を当然のことを。我らは最早血よりも固い絆で結ばれた仲間同士……当然だろう」

「仲間!? 絆!? 私たちまだ知り合ったばかりですよね!? 出会って半日も経ってないですよね!?」

「そう照れずとも良い……いや、そうか。これが世に聞く『つんでれ』という奴なのだな」

 その言葉の示すところは判らないが、絶対に違う。ヴァイスはそう思った。

 この様子では何を言ってもクマゴローの都合の良い様に解釈されるに違いない。もう、観念して割り切るしかないような気がしてきた。

 ヴァイスは大きなため息一つ吐くと、だったらどうやってみんなを纏め上げるのか、とクマゴローに訊いた。

「そんなものは決まっている。心だ」

 クマゴローその分厚い胸板を叩いて見せる。

「心ぉ?」

「その通り。皆同じ人間であるならば、心を通じ合わせるのは決して不可能な事ではない。私と、ヴァイスのように」

 意思疎通できてしまった事が仲間判定を食らった最たる理由かもしれない。

「何をバカみたいな。そんな綺麗事罷り通る訳が……」

「罷り通すのだ! そのためならば幾千幾万の言葉を重ねよう!」

「絶対無理だって! 話し合いで全部解決するなら世の中こんなにこじれてないもん!」

「言葉が無理ならば、この拳を通じて心を伝えよう!」

 胴着の袖を巻くりあげ、クマゴローは大木の如き隆々としたその腕部を誇示するように見せ付けた。力瘤が凄まじい。

「いやいや! その拳は昼間スライムを打撃オンリーで完全に消滅させた拳じゃない! そんなのでぶん殴られたら誰だって言うこと聞くよ! 心とか関係無しに!」

「……確かにそうだ。素手とて時には人を危める凶器ともなる。しかし拳を交えることによって心を通わせ合えるのもまた事実! 他者と手と手を繋ぐ行為こそが拳の本質! それこそ剣や槍、人を殺める為だけに作り出された武器とは決定的に違う! 『血が通う』という現象の発露なのだ!」

 この人には、何を言っても、通じない。

 ヴァイスは完全に諦めた。そして決意した。

 せめて関わり合いになるのは最小限にとどめ、傍観者(Bystander)の立場に徹しよう、と。





「そもそも、あんたっていったい何なの?」

「うむ? 先ほど言ったではないか。此処より異なる世界から来たと」

「そんなの結局、何処其処の地方から出てきました。位の情報にしかならないじゃない」

「言われてみればなるほど。そうだな……強いてあげるとするならば……私は甘いものが大好きだ! ふははは! どうだ!? 風体に似合わず意外だとびっくりされる!」

「そういうことを言ってるんじゃないの! 実際に職業ジョブとか技術スキルとか! どうなってんのって訊いてんの!」

 仲間になったのなら――パーティーを組んだのなら相手のステータスを『閲覧』することが出来る。ただ、相手の力が見たいと、念じるだけで良い。そうすれば後は自動的に対象の数値化された強さ(パラメーター)が、頭の中に描かれる。

 敵の状態を覗く『分析アナライズ』と言い、何でこんな便利なすべがあるのか、いつ出来上がった物なのか、ヴァイスを含めこの世界の住人は良く知らない。分からないが便利なものは便利なのでとりあえずそのまま使っているのだ。

 この世界の成り立ちに詳しい古文書などにはこの能力を差して『神の忘れ物』などと呼称している記述もあるが、手掛かりについてはそれだけである。起源ルーツを辿ろうにもそこで手詰まりだ。

 そして困ったことに、この世界において極々当たり前であるはずのこの能力が、マツゴローには通じない。いくらこの漢のステータスを確認したい! と念じても、何も頭に浮かばない。同様にマツゴロー自体もこの能力は使えないようだった。いくら念じてみようともヴァイスのステータスは分からぬ! と吠えた。異界の人間だから、この世界の法則ルールは通じないのだろうか。

 異世界。その言葉でヴァイスはふと思い出した。

 この世界が恐怖と混沌に包まれる時、異界より勇者が降り立ち、皆を救う。

 そんな話をヴァイスが今まで忘却の彼方へ追いやってしまう位小さいころに御伽噺か何かで聞いたことがある。

 異世界から来た。とマツゴローは言う。実際にそうなのだろう。ならばマツゴローこそがこの世を救う勇者なのだろうか。

職業ジョブか。その道で能力を生かし金銭を得る行いを職業と言うなら、私は前の世界では……うむ……無職ノージョブだった!」

 勇者どころが無職だった。

「超級の地雷職じゃん! いや! 何もやってないんだから職業ですらないし!」

「ハハハ! 世界を助け強敵ともと切磋琢磨する! そこに金銭が入り込む余地などあるものか!」

「タダ働きしてたって事!? 信じらんない!」

技術スキルと言うとそうだな……牽引二種免許を持っている程度だ」

「なにそれ聞いたことも無いんですけど!?」

 良く分からないが絶対にこの世界では役に立たないだろう。

「そう言うヴァイスの職業は何なのだ? まほうなるものを使えるならば、そのまま「まほうつかい」か?」

「それは前職。今の職業はシー……トレジャーハンターかな!」

 思わず本職を口にするところだった。他人に堂々と自分は盗賊ですとひけらかす盗賊は居ない。その場のノリでつい口が滑りそうになったが。

 逆に、ヴァイスの経験で言うと自身を含めて初対面でトレジャーハンターです! と説明する人間の9割は盗賊だ。

 未知のダンジョンに潜り込んでお宝を漁るより、街にある貴族の豪邸にでも忍び込んで資産おたからを物色するほうがはるかに楽と言うものである。ちなみに『分析』も盗賊由来の技術だ。

 その他盗賊の技術スキルには、自分のステータス上の職業ジョブを詐称する『偽装カムフラージュ』、人間・魔物を問わずその持ち物を奪い取る『強奪シージャー』、相手の体力や精神力を攻撃の際吸収する『栄養奪取エナジースナッチ』等々、他職から見ればイリーガルなものがずらりと並ぶ。

「なるほどトレジャーハンターか! 夢と浪漫の探求者と言う訳だな! うむ! 素晴らしい!」

 実際には他人のゆめを奪い取り財物ロマンを探し出してかっぱらう鬼畜な職業だ。勿論、口には出さないが。

 ヴァイスは基本悪党金持ちを標的にしているので、そこらへんのチンピラ盗賊よりはマシだ……という自己弁護を常日頃から怠らない。しかし結局のところは、同じ穴のムジナなのだが。

「しかし、すてーたすなる物を見る事が出来なくとも、さしたる問題にはなるまい。マナコマナコをあわせれば自ずとその人間の『人となり』は見えてくるものだ」

「えぇ~? また嘘くさい事言って」

「真実だ! ならば、今この場で試してみよう!」

 ヴァイスの眼とクマゴローの眼がぶつかる。視線だけでも暑苦しさが伝わってくるようだ。

「うむ! 理解したぞ! ヴァイスよ! お前の本質は……」

 暫くの沈黙の後、視線を交わしクマゴローが垣間見たヴァイス評を本人相手にまた不必要に大きな声で披露する。

「優しく」

 身包み剥いだ獲物の、その下着までかっぱらった事がある。

「思いやりがあり」

 悪徳金持ちから奪った金は全部自分の財布に入れる。貧しいものに分け与えるなど言語道断。

「まるで聖女の如き心の清らかさ!」

 阿婆擦れと罵られる事しょっちゅうだ。

「どうだ! 完全に合っているだろう?」

「ああうん……まぁ、ニアミスってところかな……」

 あまりの外れっぷりに言葉を濁すより他無かった。

「そう。思い返せば神たる御仁も荘厳で思慮深い人物であった……」

 言いながら、クマゴローは月と無数の星が広がる夜天を仰ぐ。

 そういえば、勇者たる者は神によって選ばれこの世界へ連れて来られる。とも聞いたことがあった。

 クマゴローはこの世界に来る前におそらく神と接触したことがあるのだろう。しかし、それは別として、彼が語る人物の印象があてにならないのはつい先ほどに証明済みだ。

 ヴァイス評から察するに、その発言の正反対を行けば多分正しい人物像に辿り着く。

 つまり、実際にはその神たる人物は特に威厳も無く考えなしの性格であり、

「私がかの御仁に挑もうとすると、貴方はまだ私とまともに闘えるだけの領域ステージに居ない。この世界で実力を磨いてくるといい……そう言われた」

 私は貴方と闘える実力は無いから、適当に修行に適した異世界に送るんでそこでストレス発散してきて! と、そんな風に言ったのではないだろうか。


「えっ、私たちの世界の神様って、そんなにちゃらんぽらんなの……?」

 思わず呟いてしまった。







「へくちっ!」

 くしゃみと共に勢い良く鼻水が飛び出す。それなりに美しい部類の顔も台無しだった。

空間へや冷房クーラー入れすぎたかな……? えーっと、リモコン何処おいたっけ?」

 盛大に鼻をかんでいるこの少女こそ神である。本来ならば熊五郎が破壊した空間の裂け目を修復した時のように、念じればこの純白の空間の温度など自由に調節出来る。リモコンなど必要ない。

 しかし正直念じる行為自体めんどくさい。四六時中楽しい事だけ考えていたい。その点で言うとリモコンはスゴイ。何も考えずに指先一つで温度調整出来る。最強だ。

「あ、あれ? リモコン無い! リモコン何処!?」

 周りに散らかった漫画や雑誌をひっくり返して探してみても見つからない。

 彼女は神である。彼女がその気になれば無くなったリモコンを探すのも、リモコンを経ずして空間の温度を操るのも造作ない。彼女がそれを思い出せば、だが。

 ……30分ほど、そのまま本末転倒していた。







 不意に、生暖かい風が吹く。怖気が走るような、身の毛もよだつような、生理的嫌悪感を孕む風だった。

 焚き火が消える。辺りを照らす光源は夜空に瞬く星と満月だけになった。

 破顔し、それまで気楽な風を気取っていたクマゴローの態度が一瞬で強張り、独特の――恐らく格闘術の構えだろう――戦闘態勢で周囲を警戒する。

「凄まじい圧力プレッシャー……誰かがこちらに向けて殺気を放っているな」

 それはヴァイスも感じていた。だが、その殺気の質は尋常の物ではない。どの方角から殺意を向けられているのか、肌で直接理解できるほどだ。だがそちらに首を動かす気にはなれない。正確には動かせないというべきか。全身が金縛りに有ったように、ガチガチに硬直して言うことをきかない。

 殺気を放たれてどれだけの時間が経ったのか分からないが――或いはほんの数瞬しか経過してないのか……時間の感覚も麻痺している――ヴァイスがやっとの思いで殺意の根源へと振り向いた。

「う……嘘でしょ……?」

 そこに居たのは……夜闇の中、水面みなもに浮かぶ海月の如くゆらゆらと浮遊する人型。全身を襤褸のようなローブで体をすっぽりと覆い、両手に大鎌を携えた骸骨の化け物……

死神リッチ……」

 不死アンデット最強の魔物。狙いをつけたひょうてきに取り憑き何処までも追い詰め、その大鎌で何人なんびとの命も刈り取ってしまうと言われる。

 ヴァイスは『分析』でリッチのステータスを確認する。それが死神を前にして彼女が取れる行動の精一杯だった。

 レベル240。この時点で昼間のスライムとは比較にならない。耐性だけを見ても耐撃・耐刃・耐弾・耐火・耐水・対雷・耐風・耐闇……と、枚挙に暇が無い。唯一の弱点が有るとするなら『光特効』。光属性ならば覿面てきめんに効果があるらしい。

 しかし、どのような光魔法の達人だったとしても、この死神と遭遇し生還した、と言う話をヴァイスは耳にした事が無い。

 スキル『即死』……リッチが繰り出す全ての攻撃に付与されるそれは、相性など容易に覆すに足りる。ただの魔物でありながら『神』の異名を持つ理由がそこにある。

 狙った獲物は、絶対に逃がさない。

 ヴァイスたちはこの死神の標的エサとして捕捉されたのだ。

「むぅ。これは珍妙な。半透明スケルトンな骸骨が宙を舞っているではないか」

「あ、あ、あんたがずっと大声出してたから、み、見つかっちゃったんじゃないの……!?」

「そうだとしたら私のせいだけはあるまい。ヴァイスも十分大きな声で騒いでいた」

 今、責任の所在を探り合っても仕方あるまい、と、クマゴローは拳を固く握り死神を見据える。

 眼球の無い、何処までも続いているかのような暗い穴が二つぽっかり開いた骸骨の顔。表情はなくともきっと、内心は獲物を見つけたと歓喜しているに違いない。

「どうするの!? まさかまた殴るつもり!?」

「然り。挨拶も兼ねて、まずは一撃――!」

 大地を蹴り、勢いのまま死神に拳を振るう!

 しかしクマゴローの剛拳は、死神の体に触れる事無くそのまま通り抜けてしまう。

 その体質により打撃を無効化するスライムとは全く異なる理屈による、『耐撃』。

「成る程。そこにはっきりと存在しながらも実体は無い……見た目どおりの幽霊か。面白い!」

「おもしろくない! 本当にどうするつもりなの!? 当たらないならスライムの時みたいな闘い方も出来ない! あぁ~っ! せめて私が光魔法を使えれば……!」

「なんだ。まほうを扱えるのに光まほうとやらは無理なのか?」

盗賊シーフがそんなキラッキラしたもの使えるわけ無いじゃない!」

 ヴァイスとクマゴローのそんな短いやりとりの間にも、死神は音も立てずクマゴローに近づき、鋭利な大鎌を振り上げる。

 一見すると人一人何の苦労も無く両断できそうな大鎌だが、その本質は違う。死神の鎌は肉体を一切傷つけず、その魂だけを刈り取るものだ、と風の噂で聞いたことがある。何せこの死神と相対して生き残った人間は居ないのだ。信憑性など確かめようもない。

「鎌か! これはまた興味深い得物を扱う。後学のために一度食らってみるのも一興!」

「駄目! 絶対に食らっちゃ駄目! 死神の攻撃はかすり傷で致命傷になっちゃうの! 命刈り取られるの! だから全力で避けて!」

 いくらヴァイスが叫んでも、クマゴローは最早仁王立ちからびくともしない。食らう気満々だった。

 そんなクマゴローに死神は容赦なく大鎌を振り下ろす。鋭利な大鎌はクマゴローの体を傷つける事無くすり抜ける。

 命を刈り取る一撃を受けたクマゴローは、力無くその場に仰向けで倒れてしまった。

 「あっ……ああ……!」

 あのクマゴローが、なす術も無くたったの一撃で死んでしまった。スキル『即死』……その能力は正真正銘本物だ。抗えるものは誰一人おらず、ただ一撃で平等に死をもたらす。

 死神の真っくろ眼窩がんかが、今度はヴァイスを捉える。当然だ。この場に生きている人間はもう、彼女しか居ない。

 逃げようとしても、体が思うように動かない。死神これは『死』という名の現象だ。出会ってしまったと言う事象自体が寿命の尽き。運命だと思って潔く諦めるしか……ない。


「ふっ……ふふふふ! フハハ!」

 ヴァイスが生を諦めかけたその時、野太すぎる笑い声が辺り一面を支配した。

 その声の主はクマゴローだ! クマゴローは仰向けのまま大笑しながら両足を高く夜空へ向けて上げ、振り落としたその反動で立ち上がる。肉体的にも精神的にもダメージは無さそうだった。

「いやぁ、効いたぞ! 魂をそのまま抉り取られるような衝撃! 思わず腰が抜けた!」

「へ……平気なの……!?」

「おうとも! むしろあの一撃を食らう前より体の具合が良い。絶好調だ!」

「なんで!?」

 唖然とした。表情はないが、あの死神も同じ感情なのかもしれない。獲物ヴァイスの存在を忘れ、広がるはずの無い眼窩を広げてまるで驚愕という様子でクマゴローを見ている……気がした。

「私はな、今まで己自身でも気が付かなかったが、どうやら緊張していたのだ」

「き、緊張ぅ? 何に?」

「現状にだ! 見知らぬ土地。ましてや異世界。 緊張で体が強張るのも無理は無い!」

 ビシッ! とクマゴローは死神を指差す。

「だが死神よ! 貴様の命を刈り取るその一撃のお陰で今まで抱えていた緊張がときほぐれた! 脱力リラックス出来たのだ! 思わずうたた寝するほどな!」

「脱力て」

 『即死』の攻撃もこの男には息抜き程度の効果しかないのか。

 そんなはずは無いとかぶりを振ったのはヴァイスでは無く死神だった。先ほどまでのゆらゆらとした動きとはうってかわって目にも留まらぬ俊敏さでクマゴローに接近すると、見事な大鎌捌きでクマゴローを何度も斬りつける。

 初撃時とは違いクマゴローは倒れない。むしろ、何が心地良いのか恍惚の表情だった。

「おおおお! わかる! 実感として分かるぞ! 悪の秘密結社(あの時)に負った精神的疲労感ストレスが! 巨大怪獣(あの時)に抱えたやるせなさが! 宇宙からの来訪者(あの時)に感じた悲しみが! 全てこそげ落ちていくこの感覚 ! ふははは! 快感だ!」

「そんなアホな……」

 これでは死を撒き散らす死神も、イイトコ癒し系セラピストに過ぎない。

 死神も大鎌での攻撃は無意味と悟ったのか、一瞬の素早さで距離を取ると今度は惜しみも無く複数の魔法を同時にクマゴローへ向けて連発する。

『蒼い炎』、『徹甲雷槍』、『凍死絶氷』、『無音疾風』……どれも人の身では才能がなければ習得が困難な魔法ばかりだ。死神リッチが力を求めるあまり魔道に堕ちた元魔術師、という伝承は本当なのかもしれない。

 だがクマゴローはそんな高位の魔法群すらまるで羽虫を追い払うような腕の振りだけで全て弾く。魔法は一撃たりともクマゴローにダメージを与える事無く、あらぬ方向へと着弾する。

「確か……光まほうと言ったか。察するに邪を打ち払うお経のような物と見たが……あってるか?」

「え? ああうん。オキョーとか言うのはよく分かんないけど、性質としてはそんな感じ」

「なるほど。ならば一つ! 試してみるか!」

 そう張り切ると、クマゴローは神妙な面持ちで何やら呪文を唱え始める。ヴァイスが聞いた事も無い単語の羅列だ。これはクマゴローの世界(異世界)の呪文なのかもしれない。

 クマゴローが詠唱している間にも死神の攻撃は止まらない。が、打ち出す魔法の全ては片手で振り払われ、即死の大鎌はいくら切りつけても全く効かない。骸骨に表情は無い。しかし、明らかに動揺している様子なのはヴァイスにも見て取れた。

 クマゴローの詠唱が終わる。彼は同時にカッと見開いた双眸そうぼうで死神を凝視した。


「喝ッッッッッッッッッ!!!!!!!!」


 今までで最大の咆哮だった。ヴァイスは反射的に両手で耳を塞いだが、そうしなければ今頃鼓膜が破れていたかもしれない。

 音波攻撃に等しい絶叫で、骸骨が振動し、怯む。不死者アンデットの王。『神』と渾名された存在ですら大鎌を手放し頭骸の左右を骨だけになった掌で塞ぐほどだ。

 音が止む。再び夜の静寂が戻った。超音量の直後なので未だ聴覚が麻痺しているだけなのかもしれない。

 耳から塞いでいた手を戻す。そのままヴァイスが死神に目を向けると、先ほどまで背後の風景を透かせていたその体から、透過性が失われていた。実体化した、とでも言うべきか。

「うむ! これで此方からも触れられるようになったと見た! では行くぞ! お前には先ほどまでの礼を真心込めてたっぷりとせねばならぬ」

 悠然と死神に歩み寄るクマゴロー。

 リッチにも『死神』と畏れられた矜持があるのか、一歩も引こうとしない。だが、分が悪すぎる。何度やっても、リッチの攻撃は何一つクマゴローに通用しない。

 ついにクマゴローとリッチの距離が無くなる。此処に来てようやくリッチがその場から引こうとするが、もう遅い。クマゴローはおもむろにリッチの襤褸をつかむ。首元と袖の部分だ。その動作の影響でローブの足元がめくれあがる。やはり骸骨の両足がちらりと覗いた。

「なんだ! きちんと両の足があるではないか! だったら浮かんでいる場合じゃないだろう! 若い内から楽をしているから筋肉にくが付かんのだ! ヒョロッヒョロではないか!」

 ヒョロヒョロというか骨しかない。リッチに肉が付いたところで屍生人ゾンビが関の山だろう。そもそもリッチ若いか老けてるかなんて基準ものさしが通用するのか。

 色々突っ込みたかったが、今は黙っているのが賢い行動だ。

 死神の襤褸をがっちり掴み、クマゴローは更に相手を胸元まで引き寄せる。密着ゼロと言っていい距離だ。

「行くぞ。魂を『刈る』一撃への返礼だ。その身で余す所無く味わうといい!」

 密着した状態から右足を、水平以上の角度を付けて前方に持ち上げ、それを先程までこの死神が散々やっていたように、いや、それとはまるで比較にならない速度で一気に振り下ろす!

 全ては死神の脚部を『刈る』為の動作だ。ものの見事に右足を『刈られ』た死神はそのまま体勢バランスを崩し、浮遊する間も無く轟音を立て頭蓋骨から大地に陥没した。刈られた右足は文字通り消し飛ぶ。

 瞬間、大地が大きく揺れる。ヴァイスが立っていられないくらいだった。その振動は地面を伝わり広範囲に伝播する。草木を揺らし、その木々に泊まって休んでいた鳥たちが危険を察知し夜空へ一斉に飛び立つほどだ。


「どうだ。堪能したか? これが私の『大外刈り』だ!」


「本当に何なのこの人……」

 死神は投げ叩きつけられて暫くは痙攣しているかのように小刻みに動いていたが、やがてこの世の物とは到底思えない金切り声を出しながら跡形も残らず粉々に砕け散った。


 清々しさを感じさせる夜風が吹き抜ける。風は粉末状に砕かれた死神を全てさらって行った。後に残ったのは死神が身にまとっていた襤褸だけだ。

「……やはり筋肉だな。筋肉は体を衝撃から守る天然の緩衝材。それが無ければ、ああもなろう」

「骸骨でも悲鳴は上げるんだ……魔法使ってるときは一言も喋らなかったのに……」

 ヴァイスはよろよろと立ち上がる。脅威は去った。自分たちが死神に相対して生還した初めての事例になったのかもしれない。彼女は何もしていないが。

 それより気になったのはクマゴローが唱えていた異世界の呪文だ。オキョーと言ったか。彼女自身は心が清らかではない上に盗賊の為、破魔の技術スキルは一切使えないが、異界の手段モノならば話は別だろう。覚えておけば不死者アンデッドと相対してもぐっと楽に戦えるようになるかもしれない。

「ね。ね! さっきの呪文って何? どういうの?」

「どういうのも何も、あれは似非エセだ。適当な単語をそれっぽく言ってみただけだ。やっておいてなんだがあれに効果があったとは到底思えん。その後の喝と雰囲気に呑まれて動揺し実体化したのだろうな」

「そんなの分からないよ~。適当に言った呪文が本当に効果合ったのかもしれない。ね、なんていったのか教えて!」

「うーむ。そこまで言うのなら教えよう。ただし我々の世界でも淀みなく発音できる人間は少ないと、あらかじめ断っておくぞ」

 よっしゃちょろいぜ! と心の中でガッツポーズした。

 元々全く知らない異郷の言葉だ。習得が難しいのは覚悟している。

「では行くぞ。聞き逃すなよ」

 そう言ってクマゴローは先程唱えた呪文を口に出した。




「生麦生米生卵・赤巻紙青巻紙黄巻紙・隣の客はよく柿食う客だ・東京特許許可局・坊主が屏風に上手な坊主の絵を描いた!」

 ヴァイスは三日三晩ほど習得しようと頑張ったが、最終的に舌を噛んで口の中が血だらけになったので諦めた。


この作品の世界観設定ですが、冒頭のやりとりが全てです。

熊五郎=つよい

神=ニート気質

この二つさえ抑えてもらえれば特に問題ないです。

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