1:スライム殺し
耳の長いエルフの少女ヴァイスは、自身の不運を呪った。今日は今までの記憶を手繰ってみても過去最大級の厄日だった。
レアアイテム欲しさに魔物をバカスカ倒していたら、いつの間にかストックしていた魔力回復薬を使い切り、これはまずいと回復薬を無計画にガバガバ飲みながら撤退するも途中で回復薬まで使い切り、ちょうど地面に出っ張っていた木の根に足を引っ掛け挫いてしまい、魔力が無い以上回復すらままならないため右足を引きずりながら、のろのろとこちらを追跡するイエロースライムから逃げ回っていた。
……どう見てもヴァイス自身の不注意のせいである。運を呪う資格は全く無い。八つ当たりもいいところだ。
ヴァイスはスキル『分析』でイエロースライムのステータスを確認する。
……イエロースライム。レベル30。保有スキルは耐撃・耐刃・耐弾。この三のつ耐性が厄介で、叩いても、斬っても、狙撃しても、絶対に無効化されてしまう。何をどうやろうがそれらの攻撃ではダメージはゼロなのだ。
いつもの、魔法主体の戦法をとるヴァイスならば倒せ無い敵では無い。しかし、今ヴァイスは魔力が枯渇し、手元にある武器も護身用のナイフ一本。
ただの鈍足なゼリーが、と平時ならば見下していたが、足を挫いてまともに走れない現状では、そのゆっくりと、しかし確実に追跡してくる姿が何より恐ろしい。
「うぅ……」
最早逃げ回るだけの体力も尽きた。その場にへたり込んでしまう。
ゆっくりと追いついてきた半球状のそれは、勝ち誇ったようにヴァイスの眼前で聳え立つ。人間の成人男性を優に超える大きさはあるだろう。
スライムは人を丸呑みにして捕食するのだ。丸呑みにした人間を、ゆっくりじっくり長い時間をかけて骨までどろどろに溶かして養分にする。自らも、そう、なるのか。
「か……かみさまぁ……」
最早神に縋り付くしかない。天を仰ぎ祈りを捧げる……それが、無意味な行動だとわかっていても。
……否。
きらりと、天空で何かかが光ったような気がした。
「えっ……?」
気のせいではない。実際に何かが凄まじい速度でヴァイスめがけて落下してきている!
落下物が地表にぶつかった衝撃。それに伴う轟音と土煙でヴァイスと、スライムまでもが身動ぎ出来ない。
土煙が晴れ、その中心にあったものは、腕を組んで仁王立ちし、色あせた胴着を着た髭面でマッシヴな中年だ。
「むぅ……ここが異世界?」
中年が口にした言語は聞いたことも無いものだった。しかし、どういう意図の言葉を発したのかは、不思議とヴァイスには心から理解できた。
喋っている言葉は理解できなくても、なぜか意思の疎通は可能なのだ。ならば助けを求めることも出来るかもしれない。
「ああ、すまぬがそちらの黄色いお方。ちょいと道をお尋ねしたいのだが……」
「そっち!?」
イエロースライムも吃驚したのかぶるぶる震えた。
「違う違う! そっちはモンスター! 襲われてるのは私! 助けて欲しいのも私!」
「なんと……相済まぬ。異世界と言うからにはそのゼリーの如きプルプルボディが異世界人の標準かと……」
「そんなわけ無いでしょ!?」
中年の胴着漢はもう一度謝ると、イエロースライムに向き直り戦闘体勢をとった。ヴァイスが今までに見た事の無い構えだ。
「うむ。助けを求められれば答えぬ理由は無し。ゼリーよ。その少女を襲うつもりならば、まず私を倒してからにしてもらおう」
その一言でスライムの意識が完全に中年漢に移った様だ。スライムがにじり、にじりと漢に近づく。
「ハァッ!!!」
先制攻撃を仕掛けたの漢の方だ。突き出した拳がスライムにめり込む。めり込んだだけだ。耐撃・耐刃・耐弾。スライムは物理攻撃を完全に無効化する。
「ああ! それじゃ駄目! スライム殴るなんて時間の無駄よ!」
「それはまだ判らぬ。もう一度だ!」
威勢の良い掛け声と共に再び拳を繰り出す。しかしスライムにダメージは無い。
「むぅ! もう一度」
右拳を突き出す。
「もう一度!」
左拳を突き入れる。
「もう一度っ!!」
さらに右拳を
「もう一度ォッ!!!」
さらに左拳を!
「何度やっても無駄よ! スライムに打撃は効かないの!」
「まだ判らぬ!」
右拳を!
「魔法なら簡単に倒すことが出来る! 初級の魔法でもいいから!」
「まほう? まほうとは?」
左拳!
「発火とか発雷とか! あるでしょ!?」
「成るほど……それならば私も良く知っている。確かに、敵を倒すには気を入れる事が何より肝要!」
漢がスライムから拳を引き抜き、何かしらの構えを取ってそのまま静止する。その姿勢から察するに精神の統一を図っているのかも知れない。目蓋まで完全に閉じ、傍目には無防備のように思えたが……スライムから中年漢に攻撃を繰り出すことは無かった。
……刹那!
「ファァァァイアァァァァァァァァァーーーーーーーーーーッ!!!!!!!!!!!!」
野太い怒号と共に繰り出される連撃連撃乱打乱打!
超高速度の打撃乱舞がイエロースライムを圧倒する!
「違う!絶対にそうじゃない!」
烈火の如き攻撃の嵐だが、実際にに炎が出てるとかそういうことは無い!
「だからそいつに打撃は……あれ?」
ヴァイスは一度目を擦る。心なしかスライムが小さくなっているような気がしたからだ。
「え……う……嘘っ!?」
見間違いではなかった! 確かに漢の乱撃によってスライムが少しずつ、だが確実に小さくなっていく!
「ア……『分析』」
アナライズはただ敵のステータスを覗くだけではない。戦闘の機微をつぶさに観察することが出来る便利なスキルだ。本来はこれによって敵の弱点や癖を見抜き、優位に立つためのものなのだ。
しかし、アナライズをもってしても漢の動作の全てを見極めることはできなかった。
ヴァイスが把握できたのは、まず初撃でスライムの一部分を強制的に分離させ、次撃で本体と再び合体しようとする分離パーツへ更なる攻撃、更なる分離、更なる追撃、分離、追撃……その動作のごく一部だった。
豆粒並みに小さくなったスライムのパーツにさらに攻撃を加える。分析で追えたのはここまでだった。それ以降も同じ動作を繰り返しているのだろうという予測は立つが、認識できる類のものではない。
「け……削れていってる……」
唖然とするより他無い
連撃は一切失速しない。いや、むしろその速度が段々上がっているようにさえ見える。
「出来ないとフンッ!なぜ諦める必要がフンッ! ある! 一発で駄目なら十発! 十発でフンッ! 駄目なら百発! 百発で駄目ならハァァァーーーッ!千発! 駄目なら万発! 泣き言はその後に言えば良いファァァァイアァァァーーーーッ!」
「いや、だって……」
ステータス上ではそうなんですもの……とは言えない。実際スライムは削られに削られまくって本体らしき部分も最早子供の小指くらいの大きさしか認識できない。
「真正面の道が塞がっているのなら、その障害物を粉砕して進めば良いのだ! 苦難を全て乗り越えた後にこそ! 道は開ける! そう! このように! はぁぁぁーーーーっ! サンダァーーーーーーーッ!」
ビシッ、と拳を前方に突き出し静止する。その拳の先にスライムの姿は一切無かった。
かくしてイエロースライムは、全く効かないはずの拳撃によって、完全に消滅したのだった。