プロローグ:アルティメット壁ドン
世界最高峰の山、エベレスト。その山の頂に胴着姿で佇む漢が一人。
漢は寒さを物ともしない。この程度の寒さなら素っ裸で1年滞在した所で風邪の一つも引くまい。
漢は標高を物ともしない。真に強い漢には酸素など必要無いからだ。
この地球を滅亡させる……はずだった隕石を今しがた粉々に砕いた漢――松田熊五郎は大きな悩みを抱えていた。
物心ついた時から闘争に身を投じてきた。町の不良、悪徳政治家、悪の秘密結社、超太古より蘇った巨大怪獣、地球のテクノロジーなど比較にならぬ超先進文明を携えた宇宙からの来訪者、そして今しがたの隕石……
全て、倒してしまった。最早この世界において熊五郎に比肩し得る相手は居なくなったのだ。それが悲しい。
互いに切磋琢磨出来る相手が居てこそ『強さ』は更なる高みへと昇華するもの。周囲に並ぶものが居なければ、それが強さの頂点なのか? いいや。まだまだ強くなれるはずだ。しかし、どうすれば……
そのとき、ふと閃いた。この世界で駄目なら、別の世界ならば……
突飛な発想だった。異世界など本当にあるのかどうかわからない。有ったとしても、どうやって行けば良い?
だが……熊五郎は己の拳を見る。いつだって、自分の無茶に付き合ってくれた拳だ。隕石だって砕いた拳。この拳ならば、そんな無茶にも付き合ってくれるかもしれない――
「ふーっ……」
目を瞑り、精神を統一する。今まで培ってきた己の全てを、全身全霊を拳に込め……そして放つ!
「ハァーッ!!」
拳は空を裂き、音速を越え、さらに光速に到達し、光の速さすら完全に凌駕したその時……
パリン、と、ガラスの壊れたような音が聞こえた。
松田熊五郎の拳は、虚空に穴を開けていた。
真っ白い空間に、ごろんと寝転んで漫画を読んでいる黒髪の少女が居た。
どうしようもなくしまりの無い表情でえへらえへらと漫画を読んでいる少女、実は数多の世界の修復と再生・均衡を司る神である。とはいっても特別忙しい訳でもない。
彼女イコール均衡神の手が頻繁に必要になる世界と言うのは電化製品で例えるなら初期不良だ。欠陥品を騙し騙し維持した所で何の意味もない。底の抜けた柄杓で水を汲むが如くである。
そんな失敗作を創り出した責任は製造元の創造神にあるし、それの始末をつけるのは破壊神だ。好んで維持する理由もない。
彼女の仕事は安定している世界にちょっと不具合が起こった時、ちょいと介入してちょちょいっと修復する事だ。具体的に言うならそこら辺から適当な奴引っ張ってきてチートな能力授けて対象の世界に放り込む。あとはそいつが勝手に働いて修復すれば自分の仕事も完了だ。基本、よっぽど事態が悪くならない限りは見守るだけ見守って終わる。
チート能力もらってうれしい片方と、大した仕事をしなくてもいい片方。WIN―WINの関係だ。
最近は、神の存在や力を信じない人間も増えてきた。そういう人間達は全て自分達の力で物事を解決しようとする。素晴らしい。ただでさえこなす仕事量が少ないのに益々働かなくて良くなる。
要するにこの神はネオニートならぬネオニート神なのだ。放っておけば半永久的に冷房の効いた空間でごろごろ漫画読んでいるに違いない。役職だけは偉そうな、駄目な奴である。
「あ~面白かった。さぁ次の巻次の巻♪」
神の少女が読んでいたコミックスの次の巻に手を伸ばした時、ぱりん、と、後方からガラスが割れるような音がした。少女が訝って振り返ると……
「たのも~う!」
「ぎぃぃぃぃやぁぁぁぁぁ!!!!」
胴着を着た筋骨隆起でむさ苦しい、髭面で、凡そ30半ば位の大男が直立不動で立っていた。思わず悲鳴を上げる少女。
「にににに人間!? ど、どうやってここに!?」
「全身全霊の突きを放つと、空間がに穴が開いた。そこに入り暫らく右往左往していると一筋の光が見えた。導かれるようにその光を辿ると、此処へと着いたというわけだ」
「ああなるほど……パンチで空間を破……破っ? ……破っ!?」
ありえない! そう叫びたかったが大男の背後で破れている空間と、そこから覗くひどいサイケデリックな模様が全てを物語る。それは事実だと。
「そそ、それで……本日はどのようなご用件でございますでしょうか」
神の自分が人間にへりくだった姿勢でお伺いを立てている……だが情けないとは思わなかった。この男には得も言えぬ迫力がある。というか、空間に穴を開けて入ってきた男相手にどう対応しろというのだ。
「うむ……私の居た世界では、私と肩を並べられる存在が居なくなってしまった。好敵手が欲しい。だから異世界に渡れば或いは……と考えたのだが……」
「だが?」
「その必要も無くなった……その華奢な体躯に内在せし圧倒的な闘気……神か、それに近しい存在とお見受けする……! いざ、尋常に勝負!」
「いやいやいや……いやいやいやいや!」
オーラって何だよ知らないよそんなの! と声を大にして叫びたかったが恐らくこの男には通じない。大体闘えといわれても少女にそんな能力は無いし、あったとしても半永久的にだらけていた体ではどうにもならない。
「いやいや! 私そんな強い存在じゃ無いスよ! 本当に、戦闘能力なんてないし!」
「ふ……なるほど。強者は己を必要以上に誇示したりはしないもの……」
話がつうじねぇ!
兎に角何とかして戦わない方向に話を持っていかなければならない。なんとなく察しがついていた。この男。普通に神も殺せる。
「あ……そうだ! 異世界ですよ異世界! そこは剣と魔法のファンタジーワールド! ドラゴンとか魔王とか居ます! そこで存分に修行なり何なりすれば良い! ねっ? ねっ!?」
我ながら名案だと思った。行きたがっているのだから行かせてやって溜飲なり何なりを下げさせるのだ。
「……今の私の実力では相手にもならないから異世界で鍛えて来い……と?」
「ああうん。そうそう」
面倒くさくなって適当に相槌をうった。
……しかしこれが後々まで少女を苦しめる途轍もないミスになろうとは……この時点では想像だに出来るはずもない。
「良かろう。ならば私がさらなる力を手に入れた後、再び合間見えよう」
なんとか話がまとまる方向に動いた。ホッと胸をなでおろす。
後は適当にチート能力見繕って異世界にポイだ。これで安心して漫画の続きが読めるというもの。
「それではですね! 異世界移動を祝して! 貴方に神謹製のものすごいチートな能力を……」
「……いらん」
「えっ?」
「己が身一つ! それさえあれば十分だ!」
「えっ? へっ? えっ!?」
「さぁ神よ! 私を異世界へと送るのだ! そして今行くぞ! まだ見ぬ好敵手達よ!」
「は、は、は、はい!」
大音量の高笑いを空間に響かせながら、大男は神の手によって異世界へと転送された。
「翻訳能力とかも渡してないけど大丈夫かな……大丈夫じゃないといいな」
正直もう二度と関わりたくない。
少女が軽く念じると白い空間に開いたサイケデリック模様は一瞬で消える。そしていつもの定位置に戻ると、再びごろんと寝転がって漫画を開いた。今の出来事は忘れよう。忘れてしまおう。
「あ、ジュースとお煎餅ほしくなってきた。でももう一回立ち上がるのめんどくさい! あ~、どーしよーかなー。あ~あ~あ~」
尚、これから彼女は延々(エンドレス)に松田熊五郎に会わなければいけない凡そ最悪の状態に陥る。
全殺し、と銘打ってますが厳密に全部は殺さないと思います。