第一話【2】
放課後。帰路にて。
遠くの空に夕日が少しづつ沈んでいく。まさに今の俺の心情と同じだ。なんだかなぁ。
自分でもよくわからない気持ちのまま、自転車で下り坂へと向かう。やがて街で一番高い場所である展望台まで来る。
夕日の方角を見れば、ここから少しいったところにある日本海が遠くに見える。近くの家々は夕飯を作っているらしく、味噌汁だったりカレーだったりと、懐かしいような仄かな香りが放たれている。
そんなノスタルジーな雰囲気のなかで、下り坂を所々ブレーキをかけながら、それでもスピードを楽しみながら下っていく。
下り坂を降りきったところから幾つか角を曲がれば、俺の住む家がある。
その我が住宅へ向かいながら、さっきの学校での出来事について思い出していた。
「あなたはもしかして……不審者?」
「第一声がそれかよ! 見れば分かるだろうが!」
「書類の束を携えた不審者」
「もしかして、自分の知らない人をみんな不審者って呼んでるのか?」
担任よりおつかいという名目の、実質雑用で出向いた無名プレートの教室では、早速何故か電波が撒き散らされていた。改めて、目の前の少女を見据える。
「あはは。冗談だよ」
少女が愉快そうに笑い、こちらへ歩み寄る。
「こんにちは。こんなところまでどうしたの?」
どうやら冗談だったらしい。見知らぬ男子高校生の前でもこんなしぐさを見せるということから、人懐っこい性格だと伺える。
「先生からの頼まれ事をしに来ただけだよ。放課後何もすることないだろう? て」
「へえ、じゃあやっぱり部活には入ってないんだね、良かった」
「入ってないけど……」
やっぱりって何が。良かったって何が。
「じゃあ、これから活動ができるって事になるんだね」
先生からの雑用のことか?
「まあ、俺に出来る範囲なら、空いた時間であればできるけど」
「うんうん。じゃあ決まりだね。はい、この用紙に必要事項書いてね。判子はいらないよ」
「え、用紙って何の……って、なんでこの紙なんだ?」
少女が渡してきたのは、何故か入部届けだった。
「え? だってさっき部活やってないって」
「確かに部活はやっていないけど……」
「放課後は暇だから、活動ができると」
「まあ、簡単な雑用なら別に……」
「それって、部活には雑用としてなら参加していいってことでしょう」
「なにそのボランティア精神! どうしてそうなった!?」
「でも、担任の先生から言われたわけでしょう。部活に入りなさいって。それでここへ来て書類、つまり入部届けを書きに来た」
「いや、それ違って……はないが、入部届け書きに来たわけじゃなくて」
俺は、机に置いていた書類の束をビッと指差す。
「俺はこの書類を!」
「書類を?」
「担任の南原先生から!」
「先生から?」
「雑用として!」
「おつかいだね」
「数学準備室に!」
「そういえば隣の数準のなっちゃん先生、私もおつかいとしてよく頼まれるよ」
「その隣りの……って隣?」
「うん? 隣りは数学準備室、略して数準だけど」
「隣り……書類……とな、り……」
俺は膝から崩れ落ちた。
空いたドアの合間から隣の教室のプレートを伺う。遠目だが、数学準備室という文字が見えた。
「隣だったのか……!」
「まさかとは思ったけど、その書類はなっちゃん先生からだったんだね」
「……まさか、この俺が失敗をするだなんて……」
「別に失敗はしてないんじゃない? これから持っていけばいいだけだよ」
「たとえ雑用でも、最後まで一瞬の狂いもなくやり遂げるのが俺のプライドであり、数少ない特技なのに」
「さりげなく悲しいこと言っているけど」
「こんな簡単なことすらできないなんて、俺は一体どうすれば……」
「うーん、とりあえず、この届けを書いちゃおうか」
「そ、その届けを書けば、俺のプライドは助かるのか!?」
「まあ、気は楽になるよ。多分」
「分かった。書く」
「計画通りで助かるよ」
そうして俺は届出に名前を書き、その少女に提出をした。勢いでやってしまったけど大丈夫かな。部活名のところはよく分からない名前書かされたし。
「はい、じゃあ私が先生に渡しておくね」
「頼むよ。……ええと」
そうだ、まだ名前を聞いてなかった。だが名前を尋ねるときはまず自分から。礼儀はちゃんと心得ている。
「まだ俺の名前名乗ってなかったな。俺は」
「吉田、龍樹くん。でしょう?」
「え、そうだけど……どうして俺の名前を」
「だって有名じゃない。吉田くん」
俺が? 有名? 聞き間違いだろうか。でも確かに俺の名前を知っているじゃないか。
こんな、授業の合間は前の席の、例のサッカー部とたわいも無い会ををしながら次の授業の予習。放課後になれば、先生のおつかい、もとい雑用が無い日は、どこに立ち寄るでもなく真っ先に家に帰って授業の復習をするという、帰宅部の中の帰宅部、真面目の中のガリ勉といった感じなのに。
そんな俺が有名だなんて悪い夢だ。自分で言うのか。
「因みに、どんなところで有名なの?」
「うーん、やっぱりテストの順位表だね」
テストの順位表か。
我が校は、伝統かどうかは知らないが、テストが終わった数日後には廊下の壁に順位表が張り出されている。
昔は点数込みで表示していたが、保護者会で問題視され、今では順位と名前のみが表示されている傾向にある。
それでも、俺は入試の時から今までに、3位以下にはなっても、2位以上になった事は一度ない。
「やっぱり俺はそこまで有名じゃないと思うけど」
「まあまあ。その話はまた別の機会にね? じゃあ次に私が自己紹介するわね」
「うん」
こちらが頷くと、彼女はニコッと笑いながら言った。
「私の名前は泉莉緒」
「いずみ、りお……」
どうしてだろうか、頭の片隅の片隅の、そのまた片隅に少し違和感を覚える。
「気軽に下の名前で呼んでね」
「し、下の名前で?」
「ええ」
今まで男しか名前で呼んで無かったので、何か恥ずかしいものがある。
「り、莉緒?」
「うん。これからよろしくね、龍樹くん」
満面の笑みを見せる目の前の少女は、夕日の茜色が降り注いで、輝いて見えた。