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名誉に果てる

 とある一社の倒産が、多くの人間を狂わせた。

(さか)(なし)、どうだ、調子は? 資料は集まっているか?」

 あたしの背後に立ち、編集長は手元を覗き込んだ。椅子を回して答える。

「はい、デスク。至って順調です。無理かと思っていましたが、三人の被害者と、ひとりの元幹部と名乗る人物から取材許可が取れました。きょうは取材日ではありませんが、写真と地元の人の話を聞きに出かけようと思っています。行ってもかまいませんか?」

「ああ、構わんよ。行ってきたまえ」

 会釈をして、会社を飛び出した。

 あたしが小ぢんまりとした出版社の週刊誌編集部で任された仕事は、つい一週間まえに倒産した企業の裏を探る、というものだった。出版業界に憧れたものの、ゴシップで申し訳程度の利益を釣ろうとする部に入ることになるとは思いもしなかった。辞めようとは思わないが、不本意な仕事をさせられている。デスクすらも「多少胡散臭いほうが何かと手に取ってくれる」と語るありさまの部署だ。

 それでも、今回の件は、あたしとしても少しだけ興味を引かれていた。

 本当に、突然の倒産だったのだ。

 その社があらゆる闇取引をしていたと報じられたのは一か月前。あたしのところの週刊誌よりも大きな社の誌で取り上げられ、その二週間後に会見が開かれた。

 会見では社長や幹部らが潔白を訴え、名誉棄損で裁判沙汰になる寸でのところまで過熱した。しかし、その一週間後社の人間たちが突如一斉に失踪した。つまり、法的な倒産はしていないのだが、当然損を被った人々が批判の声を荒げていた。

 一斉に失踪した人々はどこにいるのかは知れない。しかし、きのう社長の息子の屋敷が放火と見られる火災に遭い、その夫婦が死亡した。

 さらに、その火災現場で、殺人事件も起きていた。身元不明の男が、日本刀のような大きな刃物で斬られて死んでいたのだ。

 いまあたしは、まだ情報が錯綜する火災の現場へ向かっているのだ。

 すべての真相を見つけるべく走った。



 現場付近は封鎖され、かつその周囲も報道陣に埋め尽くされていた。

 ほんの小さな雑誌の取材に勝ち目はなく、あたしはとぼとぼと街の丘の上から現場の写真を取っていた。ここはまだ、他の社が見つけていない撮影ポイントのようだった。

 すると、

「あの、危ないですよ」

 と女の子の声がした。振り返ると、買い物袋を持った小汚い姿ながら、上品で凛とした雰囲気を持つ不思議な少女だった。

「ああ、心配させてごめんなさい」あたしはフェンスを越えて、コンクリートで補強された崖に腰かけて写真を撮っていた。「あたしは大丈夫だから」

「そうですか、くれぐれも気を付けてくださいね。……お姉さまは、何を撮っていらっしゃるんですの?」

 お姉さま、か。優雅な言葉遣いだし、きっといい家が出身の女の子だ。

「あなたには遠い世界よ。ほら、あそこ」指を差して教えてあげた。「あの燃えた家を撮っているんだ。あの家の運営していた怪しい会社について調べていたの」

 すると、少女が眉をひそめた。

「他でもありません、あすこはわたくしのお家ですわ」

「え? 嘘でしょう? お名前は?」

 またとない、身内への取材のチャンスだと思った。フェンス越しに簡単な自己紹介をし、名刺を差し出した。

「へえ、阪無さま。では、少しだけお答えしましょう……わたくし、名前は(かなえ)と申します」

「叶さん、ね。苗字は? 泙野(なぎの)さん?」

 叶さんは首を振った。

「違いますわ。わたくし、父親がその泙野のおじいさまなのですが――」

「あ、ちょっと」あたしは話を遮って尋ねる。「あなたの言う泙野のおじいさまって、あの会社の社長のこと?」

「ええ」叶さんは寂しげに微笑んだ。「でも、わたくしは婚外子ですの。家が必死に隠してきたので、戸籍がないということもあり得ます。教育も受けられず、ああして家が廃れてしまうまでは、家の中で奉公をしておりました」

 あごが落ちそうになった。いつの時代の不倫だろう?

「それで、おじいさまは会社でひどいお金儲けをしておりましたし、母も不倫をした不浄の身……ゆえに、わたくしは不名誉な苗字を名乗らないと決心しております」

 強く言い切るので、やや怯んでしまった。

「ごめんなさい、まずいことに触れてしまったようね」

「いいえ、なんてこともありませんわ。そのほかに、阪無さまはどのようなことを伺いたいんですの?」

「あら、訊いてもいいのかしら?」

「構いません。仕えている泙野家のお坊ちゃまならばともかく、泙野家と会社のほうには愛想が尽きました」

 何とも言えぬ恐怖をはらんだ微笑みをたたえている。不条理に使用人として雇われてきたのならば、社や一族を多少恨んでいるのかもしれない。

 でも、いまはそんなことはどうだっていい。

「なら、遠慮しないわ。まず、会社の幹部……叶さんの一族はどこへ散ってしまったの? 特に社長、お父さんは?」

「下品な物言いかもしれませんが、正直父のことなぞ知りませんわ。いまごろどこかで落命しているのではありませんか? ほかの一族も存じ上げません。……お坊ちゃまのご両親は、先日の放火で亡くなってしまいましたが」

 凄まじい恨みを感じた。どこで死んでいても構わない、といった冷酷な口調。

 一体一族の中でどのような扱いをされていたのだろう?

「そのお孫さんとはまだ一緒にいるの? いるとしたらどこかしら?」

「それは口外できません。お坊ちゃまは家を失って、大変に恐怖しておられます」

「わかったわ。じゃあ、叶さん自身は、泙野家でどのような暮らしをしていたの?」

「…………」叶さんは数秒ほど空を見て考えてから答えた。「いい暮らしをさせていただいていました。決して悪い暮らしはしておりませんわ。お坊ちゃまには重用していただいて、わたくしは幸せでした」


 いくらか写真を持ち帰り、その後退社した。

 帰り道、きょう出逢った叶さんについて考えた。

 まず、彼女が社長の娘で、母は社長と不倫の関係にあった。その両親を不潔と嫌い、彼女は苗字を名乗らない。しかも、一族が不倫を隠していたため、戸籍がない可能性もある。教育は受けていないらしい。そのせいなのか、社長をはじめ泙野一族と、一族の運営する会社を、恨むがごとく激しく嫌悪している。

 そして、彼女は社長の孫、つまり死んだ息子の子供に仕えていた。死んだ息子の年齢からすると、彼女とさほど変わらない年齢なのではないか。なのに、彼女は孫に対して相当な愛情を抱いている。泙野一族を嫌っておきながら、だ。

 不思議でならない。どうして叶さんは、仕えている孫にだけ愛を示しているのか。ただ好きなだけである以上の、何か裏がありそうな気がする。

 そう、叶さんと孫が、ふたりで泙野一族を呪っているようだった。


 その後記事は仕上がったが、出版されてもさほど売れなかった。

 そして、あらゆる謎に対する関心は、一時期のピークを過ぎてしまった。



 叶さんと出会って二週間後。

『阪無! ニュースを見ろ』

 デスクから電話がかかってきたのは、昼休みの時間だった。

 切羽詰まった様子での指示なので、通話を切ってワンセグテレビの速報を見た。

 そこで報じられていたのは、

『失踪の社長樹海で自殺 遺体は一部が白骨化』

 …………。

 言葉を失った。まさかこんな結末が待っていようとは。

 報道を詳しく見ると、社長はいわゆる富士の樹海、青木ヶ原で死体となって発見された。腐敗の進んだ遺体の一部は白骨化しており、失踪直後に死亡したとみられる。損傷が激しいため、自殺か他殺かは捜査中。まだ情報も錯綜しているようだった。


 翌日、あたしは泙野邸のある街へ出掛けた。地元住民の話を聞くためだ。

 取材を終え、儀式的に泙野邸の前まで行ってみた。もう規制はなされておらず、すんなりと焼け跡へ行くことができる。

 この火事の謎はいまだに多い。放火の犯人、斬り殺された男、行方不明の一族。そこに、新たな謎として死んだ社長が見つかってしまったのだ。もう何が正しい情報なのか、警察もメディアも、近隣住民も理解できなかった。

 現場のすぐそばまで行くと、ひとり、現場の前に誰かが立っている。

「か、叶さん!」

 つい叫んでしまったが、叶さんは驚いたふうもなく振り返った。

「どうしてこんなところに?」

「いえ、たいした所用ではございません。思い入れのある場所には、何度も来てしまうものですから」

「叶さん……」あたしは次の言葉を考えたが、「やっぱり、この家が……」とまで言って口籠ってしまった。

 すると、叶さんは不気味な微笑みを浮かべる。

「ああ、語弊がありましたね。わたくし、この家には何の思い入れもありません。

 ただ、自分の意志を確かめた場所ですから」

「どういうこと?」

「阪無さまにお伝えするほどのことではございませんわ。では、ごきげんよう」

 そう言って、優雅に踵を返したときだった。

 がしゃり。

 ……妙な音が聞こえた。その音は、叶さんの手元――

「ちょ、ちょっと、何を持っているのよ!」

 彼女が持っていたのは、紛れもなく――日本刀だった。

「これですか?」とぼけたように日本刀を示しながら、叶さんは誇らしげに話しはじめた。「これは、わたくしの母の家の家宝、村正です。母が持っているべきものでしたが、おじいさまに気に入られたいがために譲ってしまいましたの。長らく泙野一族の所有となっていたので、わたくしが今回の火事で、取り返して参りました」

 ……筋が通っているようで、全く通っていない。

「待って。それじゃあ、叶さんは言葉通り火事場泥棒をしたってこと? そんなの当然窃盗罪だし、刀を鞘に入れただけで持ち歩くのは銃刀法違反よ」

「お言葉ですが、火事場泥棒とは心外ですね。この刀は、持っているだけでわたくしにとっては名誉なことなので。

 それに、銃刀法違反のほうは、ご心配には及びません。口止料は、たっぷり持っていますから」

 そう言った刹那、彼女の手元が青白く輝いた。

 指一本分、刀を抜いたのだ。

 警察でもないあたしは観念して、両手を上げた。

「あたしにはどうにもできないわ。くれぐれも、人は殺さないように」

「いわずもがな」しとやかに彼女は微笑んだ。「呪っている方ならたくさんおりますが」

 …………。

 心臓を鷲摑みにされたような気持ち悪さだった。

 時計を見ると、ちょうど日没の直後。日は沈んで見えないものの、その光だけは空の低いところを不気味に、かつ優雅に照らしている。

 こういう時間を、「逢魔が時」というんだったかしら?



 夕食は外食にした。

 その席で、自分の記憶を巡らせる。

 叶さんは、日本刀を持っていた。しかも、それは火事のあった現場から盗み出したもの。さらに、現場では斬り殺された死体があがっている。

 もうこれは、素直に考えたら同一犯で間違いない。叶さんが火事の現場で日本刀を盗み、それを目撃したのだろう男を殺害。その刀を持ち歩き、社長の孫とどこかに潜んでいる。潜んでいるふたりは、いずれも泙野家を恨んでいるようだから、もしかすると社長を殺したのもこのふたりかもしれない。

 凶悪犯が、目の前で微笑んでいた――――?

 そんなことも知らずに、あたしはただただ泙野家での待遇や、泙野家の現在を尋ね、泙野家の真実を追いかけ走り回っていたのか? 相手は平気で日本刀を使って脅して来る。そんな叶さんを、あたしは気づかずに放置してしまったのか?

 どうしようもなく恐ろしくなって、料理を食べきることなく支払いをして店を出た。

 事件の真相を狙って走りまわって、肝心な恐怖を見逃すなんて、


 あたしは馬鹿だ――――


 夜を歩き、踏切で立ち止まった。

 下を向いていると、その視界の端で、青白い光を捉えた。

「……叶さん!」

 遮断機の下りた先に、こちらに背を向けて叶さんが立っている。

 ……赤く汚れた日本刀を持って。

「ちょっと、危ないじゃない! 早く出てきて!」

 警報ボタンを押せばよかったのだろうが、混乱してすぐには見つけられなかった。

 叫びに気がついて、くるりと体を回した。

「いえ、わたくしは人を待たせておりますので――」

「社長の孫を?」少しの言葉から、すぐに結論に辿り着いた。「社長の孫を、あの世で待たせているの? 斬り殺したんでしょう、その刀で。でないとあなた、自殺になんて走るとは思えない。ひどく泙野の一族を恨んでいたもの、易々死にたくないはず」

 警報音がけたたましく響く。

 その中から、叶さんの声を聞き取る。

「お言葉ですが、自殺とは心外ですね。自害ですよ。わたくし、村正を少しばかり酷使してしまいまして、刃こぼれがひどいものですから、美しく果てるには向かないんですの。だから、仕方がなく、踏切の中へ」

「そんなことじゃない。あなた、殺したのよね? その家宝の日本刀で、たくさん人を斬ったのよね?」

 冷静を保って言ったつもりだった。

 でも、あたしの冷静さよりも、彼女の冷酷さのほうが数段上のようだった。


 首に、赤黒い一筋が当てられる。


「これは呪いです。殺人などという下等な人間の所為ではありません。

 わたくしが消したと知られれば、呪いではなくなってしまいます。ただの人間による、ただの人殺しでは、意味がありませんの。下賤の者とは違います、わたくしは名誉のうちに果てたいのです。

 ……それなのに、阪無さまは知ってしまった。知ってはならないことを、知られてはならないことを。よりにもよって、報道に携わる阪無さまに。

 しかし、下品な物言いかもしれませんが…………阪無さまを消すぐらいは、呪いでなくても構いませんわ。もとはといえばそんな必要まではなかったのですから」

「ちょっと、待って! そんなの筋が――――」


 スジガトオッテイナイジャナイカ。

 あたしの訴えは届かない。


 遮断機の警報音が、

 電車のブレーキ音が、

 車内からの悲鳴の声が、


 村正が、


 あたしを、切り裂いた。

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