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終焉に出逢う

 とある一社の倒産が、多くの人間を狂わせた。

 私もそのひとりだ。人生が大きく狂った。

「必ず得をする」――ほとんど脅されたように多大なカネをつぎ込まされ、無一文になる恐怖と闘いながらも信じて生きていた。しかし、社の人間は一斉に行方をくらまし、そのままカネはどこかで宙を舞っている。

 私は自分の店を失い、家を失い、将来を失った。年齢も重ねてしまい、次の就職など見越せない。もちろん、私と同じ苦しみを味わう者は山といる。私以上に生活に行き詰まり、命を落としたものもいる。それだけ被害も莫大で、具体的な額は国の調査すらも追いついていない。それほど闇に紛れた綿密な犯行だったのは、認めざるを得ない。

 街を彷徨いながら、私は考える。

 社の人間は一体どこへ消えたのだろうか。少なくとも、社の運営にさほど携わっていなかった息子夫婦の所在だけは知られており、とある高級住宅街に住んでいるという。社長がそこへ転がり込んでもいいものだが、報道陣に囲われ籠城している夫妻が匿っていられるとは思えない。社長一族も四散しているのだ。

 しかし、失踪からもう三日。そろそろ、警察に囚われるか、野垂れ死にか、だ。

 そうすれば、少しは恨みが満たされるというもの。



 次第に、私は何か満たされない気持ちになっていた。

 失踪から四日。警察は未だに振り回され、一向に事件は動かない。たった五分のニュースの間に社長の死が伝えられないだけで、喉の奥が詰まるような違和感を覚える。奥歯のあたりが震える。眉間に力が入る。

 気に入らない。

 国内だか国外だか知らないが、他人の人生を狂わせておいて逃げ回っていることが信じられない。カネをくらませていることが許せない。この世のどこかで社長が生きていることが解せない。

 私は素直に生きていた。自分で始めた商売を、不正もせず、違反もせず続けてきた。なのに、どうしてカネと悪に汚れた人間の手によって、このような目に遭う? しかも、刑事事件になってしまったからには私に救済など存在しない。

 これが弱肉強食の世の中の摂理だというのならば、私は何を悔やめばいい? 何を取り返せばいい? 何を恨めばいい? 

 カネは戻らない――

 ならば、奪えばいい。

 奪えるもの?

 命だ。



 失踪から六日後の夜、私は灯油を抱え、社長の息子一家の家へ向かった。

 すでに夫婦は警察から戻り、家で休んでいるはずだ。証明として、報道陣がいくらか車の中で待機しているのを見た。

 社長や幹部の命は奪えない。しかし、社の中心にあったのは間違いなく社長一族。息子夫婦は比較的独立していたとはいえ、社を支えていたことには違いない。私が社に復讐する手段はただひとつ、一族を掃討するのだ。

 きのう、おとといと屋敷の周囲を探っている。夜であってもすぐに抜け道を捜し出し、報道陣の少ないそこから敷地に侵入する。

 反吐の出るような、豪華絢爛たる洋館だ。

 私は気の赴くままに、外から灯油をちょろちょろと撒いた。玄関、厨房裏、ガレージ、すぐに灯油は尽きてしまった。もっと燃やしてやりたいのに、もう少し灯油を準備しておけばよかったと後悔する。

 異臭が立ち込めないうちに、灯油を撒いた箇所に火を点けて回る。

 まもなく、洋館は美しく燃え上がった。

 近所の丘を登り、その様を眺めた。街中から消防やら救急やらのサイレンが響き、甘美な調和となって耳に届く。その中央で燦然と洋館が燃えている。闇にひとつだけ浮かぶ炎の明かりが、希望の光に思えた。

 快感だった。

 体の内側が縄で縛られるような、緊張感と圧迫感。凍えるその感触が、かえって病み付きになりそうで、心地いい。

 焼け崩れる。

 燃え尽きる。

 命が消える。

 私が終わる。

 私は罪と闇に出逢った。



 快感は手放せなかった。

 息子夫婦は焼け死んだが、他の一族も殺したくてたまらなかった。幹部も兼ねるような親族は見つけるのに手間取ったが、三人は見つけ出して殺しただろうか。殺すこと自体に目的があるから、もう誰を殺したかなど憶えていない。失踪中の連中だけあって、殺してからも見つかっていないのが幸いだ。

 ただ、まだ息子夫婦の子供、つまり社長の孫を殺せていないのは心残りだった。火を点けたあの日、偶然にも息子は屋敷におらず、いまも一族の誰かと逃げているのだろう、殺し損ねたまま見つけられていなかった。

 目先の標的は社長の孫。ひたすらに、その快感を求めていた。

 そして、人殺しだけでなく、もうひとつの快感にも嵌っていた。

 好奇の目、監視の目を潜り抜け、屋敷の瓦礫の上に立つことだ。危険防止のフェンスに囲われて外からは見られなくなった敷地に侵入しては、悦に浸っていた。

 私はここで意を決した。

 私はここに火を点けた。

 私はここで人を殺した。

 私の思い入れある土地。

 復讐のはじまりの土地。

 腹から込み上げる笑いを堪えながら、転がる瓦礫を蹴飛ばし歩き回った。脚に痛みを感じるたび、生きている喜び、命を奪った悦びを嚙みしめた。そうだ、私はここで気が付いたのだ。悔いと怒りと憎しみと恨みがすべて集まれば、それはもう感情を超越する。


 呪いになる。


 私に殺された遺体があがるようになれば、人々はきっと社の被害者の霊による呪いだと思い畏怖するだろう。人の所業とは思うまい。愉快で滑稽に恐怖する愚人の姿が目に浮かぶようだ。暗い闇に埋もれた私の世界も、さぞ楽しい世界になろう。

 しばらく闇の中、瓦礫に座っていると、どこかから、がしゃり、がしゃりと物音がする。警備の者が私の存在に気が付いたのだろうか。私はやや大きな柱を見つけ、その陰から様子を窺った。

 人影が浮かび上がる。

 華奢で、背は高くない。女か子供だろうか。孫なら面白いが、そうとも限らない。夜だから遠近感が曖昧なのも真実だ。警戒して、ポケットの中ナイフを握り締める。

 がしゃり。

 がしゃり。

 がしゃり。

 さっきから足元を探っていた。しばらく待つと、やがて身を屈め、何かを取り出した。

「ふふふ……取り返しました」

 女の声だ。その声の主は、手にしたそれをごそごそと扱っていたが、やがて手にしたそれはすらりと一筋の青白い光を放った。

 ――――日本刀だ。

 驚いた私は、不覚にも足元で物音を立ててしまった。それに気が付き、刀を手にした女はこちらを振り返った。

「あら、そんなに焦らなくても。……お客さまには最初から気が付いております」

「何者だ」私は立ち上がり、念のため攻撃は控える。危害を与える意志のないことを示すために両手を上げた。「ここで何をしている? ここの家の人間か?」

「ええ、わたくしはこの家の者ですわ。お客さまを手厚くお迎えするよう言いつけられてはおりましたが、生憎このとおり屋敷は跡形もなく焼けてしまいましたゆえ、どうかご容赦ください」

「ああ、私が燃やしたのだから当然だ。それで、何をしているんだ?」

 闇の中である、相手も私の手までは見えやしまいから、ナイフに手を掛ける。相手は日本刀を持っているとはいえ、ここの家の人間なら話は別だ。殺してしまいたい。

 女は微笑んだのだろうか、ふふ、と声を漏らし、

「わたくし、この村正を取り返しに参りましたの。ご存知ですか、村正? かの家康公も恐れ、長く妖刀(ようとう)として畏怖されてきた名刀です」

 かつて私も骨董に手を出した時期があるから、村正という刀くらいは知っていた。次の言葉を待つ。

「この村正、もとはわたくしの家に伝わる家宝でありました。しかし、わたくしの母が訳あってこの家の者に譲ってしまいましたの。そこで、わたくしもこの家を呪うひとり、どうしてもこの村正を取り返したかったのです」

「そうか」私の口角が自然と上がっていく。「なら、お前もこの家を呪う、この家の敵か。敵の敵は味方、私の敵ではないな。私はな、この家の一族を殺して回っているんだ。いまは孫を探している。……お前は立派な妖刀を持っているし、一族の人間ならば人捜しのときには頼りになる。手伝ってはくれまいか?」

 言葉に期待が混じる。敵が刀を持つ恐怖が少し和らいだ。

 しかし、

「お言葉ですが、お客さま。わたくしは、お客さまの味方ではございません」

 冷たい声に戦慄した。焦って捲し立てる。

「なら、敵なのか? 味方なのか? この家に味方するのか、復讐を果たす私に味方するのか、はっきりしろ」

「どちらの味方でもございません、と申し上げております。わたくしが味方するのは、ただひとり」

 私は堪らずナイフを突き出した。

「誰だ? 誰の味方だ」

「村正にそのような小さな刃物で立ち向かおうとは、少々無謀というものですわ。お客さまの身が危険です、おやめください。

 さて、お客さまの質問ですね……わたくしがどなたにお仕えしているか。申し訳ございませんが、お客さまにはお伝えできません」

 そう言うと、刃先をこちらに向けて歩み寄って来る。華奢な腕だが重い刀を片手で持ち、使い慣れている立ち居振る舞いだ。

 ナイフを握る手に力が入る。

 …………。

 この女、仕えているというのは社長か? 一族を次々と殺す私を消そうと、社長が送り込んだ刺客なのか? 何日も文無しで着の身着のまま逃げ惑い、流石に生きてはいまいと高を括っていたが、奴は私を確実に狙っていたのか。

 一歩一歩、死神は刀を向けて迫る。

「わたくしはお仕えする方の命を狙い、恐怖させる人間を許しません。あの方は恨んでおります。憎んでおります。呪っております。わたくしはその代わりの者として、お客さまに直接手を下すため参りました」

 私の復讐も、ここまでか。道半ばで果てることになろうとは。

 いまここで殺されようと、私はまだ、

 ウランデイルゾ。

 ノロッテイルゾ。


 輝く妖刀。

 走る閃光。

 迸る鮮血。


 復讐が終わる。

 呪いが始まる。


 私は呪いと終焉に出逢った。

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