エクストラテレストリアル
眩い光の線を描いて船が飛ぶ。
「たーまやー」
青空の彼方に吸い込まれる銀色の船を眺めながら、ミカは長閑な歓声を上げた。
「かーぎやー」
轟音にかき消されそうなその声を耳聡く聞きつけたタクミは己も負けじと声を上げる。
船の打ち上げを見るのは本日5度目だ。
ミカ達の住む地域(大昔は日本という一つの国だったらしい)では毎日何十、何百という船が宇宙へ向かって打ち上げられている。
ミカやタクミにとって、それは産まれた時から、飽きるほどに見慣れてきた光景だった。
「あの船にはどんなお金持ちが乗ってたんだろうねえ」
「さあな、A-1地区の役人か、C-1の政治家か………。だが悪人なのは確かだな」
「そうね」
二人は顔を見合わせてくすくすと笑った。
地球という大きな大きな乗物に、その乗物を破壊してしまう、大きな大きな石が落ちると発表されたのが今からおよそ400年前。
パニックに陥った当時の地球人達は、余命わずかな乗物の上で、凄惨な殺し合いを演じたらしい。
あちらこちらに死体が積み重なり、人口が1/50以下にまで減った時、ようやく彼らは殺し合いを止めたという。
それからは生き延びるすべを模索する事に必死になり、200年経って、宇宙ステーションの建設に着手。今日まで人類は延々と新たな乗物をつくる為に時間を費やしてきた。
「なあ、ミカは乗りたいと思わないのか?」
草原に座り込んで船の打ち上げを見ていたタクミは、隣で寝そべるミカを見て尋ねた。
「さあねえ。分からないわ。考えた事もないもの」
「どうしてさ、あれに乗れなきゃ、あと少しで死んでしまうのに?」
「だって、乗りたいと思っても乗れないじゃないの」
いくら人類が総力を挙げて船の建設に勤しんでも、生き残った人類全てを乗せるだけの船は造れなかった。
船に乗れるのは、稀有な才能を持つものと、使いきれない程の財を持つものだけ。
ミカにはそのどちらもありはしなかった。
「くじを買えばいいじゃないか」
乗船が絶望的な一般人に少しでも希望を頂かせ、最後まで船の建設、発射に携わらせる為、世界政府が考えたのが、小額の共通硬貨で変えるくじだった。
船を造り、その給金で船に乗るためのくじを買うれが人々の今の生活だ。
「どうせ当たりっこないわよ。タクミだってあの信じられない倍率知ってるでしょ?」
ミカは笑う。「そうだな」タクミはミカの隣に寝転んだ。
「いい天気ね」
「ああ」
手をかざして空を見上げるミカの視界に、また一隻、新しい乗物を目指して飛び立つ船が映り込んだ。
煙で満ちた薄暗い工場で船の部品を作っていたミカのもとにタクミが尋ねてきたのは、野原で一緒に過ごしてから10日が過ぎた頃だった。
「よっ」
頬を油で汚したミカに、タクミは軽い調子で手を上げた。
「何しに来たの? あんたもまだ仕事中でしょう?」
ミカは怪訝に思って尋ねた。
「今日、発射される船の備品を運搬するのをさ、まかされてんだよ」
タクミはミカの頬を服の袖口で拭う。
「ミカ………船に乗り込まないか」
「は?」
ミカはタクミの顔を見つめ返した。そんなくだらない冗談を言う為にわざわざ来たのかと、そう思ったが、タクミの顔は真剣そのもので、何時も口元に浮かんでいる笑みも無い。
「本気なの?」
ミカは震える声で尋ねた。
「冗談でこんなこと言わないよ」
船への密航は重罪だ。見つかれば即刑務所行きになり、その後の消息が分からなくなる。恐らく殺されているのだろう。皆が知っているけれど口にしない密航者の末路に思い至り、ミカは身震いした。
「どうせここにいたって近いうちに死ぬんだ。なあ、ミカ、賭けてみないか」
ミカは返事が出来なかった。
最後の日にはタクミとあの野原で空を見上げながら過ごすんだと、漠然と考えていたミカにとって、密航など想像もしたことがない事だ。
「ミカ。お願いだ。俺と一緒に来てくれ。今日しかチャンスはないんだ」
「タクミ………」
見つかれば殺される。見つからなければ宇宙にいける。
タクミと過ごす最後の時が、少し早まるだけか、もしくは運が良ければ何十年か先になるだけで、何もしない今とそう変わらないのかもしれない―――――。
困惑しながらもミカは頷いた。
ほっとしたように肩の力を抜くとタクミはミカに笑いかけた。
「良かった。すぐに支度をしてくれ」
ミカは防護用手袋を外して、タクミの後を追った。
自室に戻ったミカは、一番大きなリュックの口を広げて、荷造りを始めた。と言っても何が必要か分からなかったので、目に付く衣服や日用品を適当に詰め込んだだけだけれど。
扉をあけるとタクミがミカより少し小さなバッグを手に立っていた。
「行こう」
「うん」
ミカが頷くと、タクミはミカの手をとって歩き出した。
工場番号が書かれたトラックに乗り込み、身分証明書を胸につける。
発射基地のゲートを潜るときは心臓が煩いほどに鳴った。
倉庫に入ると、タクミは素早くトラックから降りて、ミカを誘導した。
人の気配がするたびに隠れて、狭く長い通路を抜けてたどり着いたのは、濁った灰色の扉の前だった。
「ここ?」
「ああ、この奥は貨物室に繋がっている」
タクミは躊躇なく扉をあけた。
ミカは愕然とした。目の前に広がるのは貨物室でもなんでもなくて、基地の制服を着込んだ人々がたむろする一室だったから。
ブルーグレーの服を着た彼らは、一斉に銃口を二人に向けた。
「何をしに来た」
鋭い叱責にミカは怯んだ。
「今日の船に乗る人を連れてきました。こちらがチケットです」
静かな声が隣から響いた。
「タクミ?」
ミカはタクミを振り返る。
タクミは真っ直ぐに彼らを見ていた。
「確認させてもらおう」
銃口を向けた人々の奥から口髭を生やした男が進み出た。
タクミに近づくと、手にしていた緑色のカードを受け取り、胸ポケットから小さな機器を取り出すと、カードに押し当てた。
「確かに。だがこれは1人分だが。乗るのは?」
「彼女です」
タクミの言葉で銃口が彼にのみ照準を合わせられる。
「来なさい」
カードを受け取った男がミカの腕をとった。
「タクミ! 何を言っているの!?」
タクミは笑った。いつもの顔で。
「元気で」
ミカは目を見開いた。
こんなのってない。最後の場所がどこになろうと、タクミと一緒にすごすのだと、そう決めていたのに。
「いやっ、放して」
ミカは暴れた。腕を掴む指が強さをます。
口髭の男に向き直るとタクミは頭を下げた。
「どうか、よろしくお願いします」
それが、ミカが目にしたタクミの最後の姿だった。
首筋に鋭い痛みが走ったかと思うと彼女の視界は黒く染まる。
次に目を覚ました時、彼女の側に彼の姿はない――――――。
今日も空気を裂いて船が飛ぶ。
「たーまやー」
タクミは野原に寝そべり、空を見上げ、呟いた。