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あの恋が続いていた世界で、私は息をしていなかった  作者: さくらこ


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選び続ける日常

選び続けることは、特別じゃない日々を取り戻すことだった。

朝、目が覚めたとき、

私はすぐに起き上がらなかった。


天井を見て、呼吸を確かめる。

深くはない。

でも、止まっていない。


昨日より少しだけ楽で、

明日はまた浅くなるかもしれない。


それでも、

止めなければいい。


私はゆっくり起き上がって、キッチンに向かった。

コーヒーを淹れる。

湯気の匂いを、ちゃんと感じる。


それだけで、今日を選んだ気がした。


彼はまだ眠っている。

隣で息をしている人。

私を傷つけようとしていたわけじゃない。


むしろ、守ろうとしていた。

正しくあろうとしていた。


だからこそ、長く迷ってしまった。


正しさの中にいれば、

間違えない気がしたから。

選ばなくて済む気がしたから。


でも私は知っている。

選ばない日々は、静かに私を消した。


食器を並べる音。

冷蔵庫の開閉音。

窓の外の車の音。


日常の音が、以前より少し大きい。

私は今、ここにいる。


スマートフォンを見る。

通知は多くない。


それでいい。


つながりは多さじゃない。

閉じないこと。

自分で開け閉めできること。


私は、連絡先を開く。

誰に送るかは、決めない。

開いて、閉じる。


その小さな操作だけで、

胸の奥が少し落ち着く。


――私の手は、私のものだ。


外に出る。


空気は冷たい。

でも吸える。


歩きながら、私は時々立ち止まった。

今もまだ、選ぶことに慣れていない。


どの道を行くか。

どこで曲がるか。

何を買うか。

誰に会うか。

今日は会わないか。


小さすぎて、

以前の私はそれを「選択」とすら呼ばなかった。


でも今は、全部が私の手の中に戻ってきている。


疲れる。

正直、楽じゃない。


けれどこの疲れは、

からくり人形の疲れじゃない。


自分の筋肉を使っている疲れだ。


帰宅すると、彼がリビングにいた。

「おかえり」と言う。


私は「ただいま」と返す。

余計に明るくしない。

機嫌を取らない。

正しい顔を作らない。


それでも世界は崩れない。


崩れないと知ったことが、

私には大きかった。


夜、ベッドに横になる。

暗闇の中で、息を吸う。


深い呼吸には、まだ遠い。

怖さも、まだある。


でも、私はもう決めている。


息を止めて生きる場所には戻らない。

戻らないために、私は今日も小さく選ぶ。


派手な決断じゃない。

劇的な解放でもない。


ただ、

明日も息をして起きて、

自分の手で、ひとつ選ぶ。


それだけを続ける。


あの恋が続いていた世界で、

私は息をしていなかった。


でもこの世界で私は、

今日も息をしている。


それを、

何度でも確かめながら、

歩いていく。


急がなくていい。

戻らなくていい。


私は、

私の速度で、

ここに立っている。


ここまで読んでくれてありがとうございました。

あなたの呼吸が、少しでも楽になりますように。


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