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第5話 地図は、未完成

 箱の中は、思ったより広かった。


 外から見れば、ただの古い木箱だ。子どもの頃から「近づくな」と言われてきた、村の端の“例の箱”。

 なのに中に入ると、棚があり、机があり、道具があり、紙の匂いがした。


 エリオは、改めて入口の布をそっと押さえながら、あたりを見回す。


 そして――


「……すご」


 机の上に、紙が山ほど積まれていた。


 白紙に近いものもあれば、何かを書き散らしたようなものもある。

 線、線、線。丸。矢印。意味の分からない記号。

 その中に、雑に折りたたまれた一枚があった。


 ノエルが、当たり前みたいに言う。


「それが地図だ」


「……地図?」


 エリオは近づく。

 紙は古びていて、端が破れている。

 描かれている線も、まっすぐじゃない。川なのか道なのか、そもそも山なのかも怪しい。


 ――これを地図と呼ぶのか。


 エリオが黙っていると、ノエルはケラッと笑った。


「いい顔だな。そう、その顔だ」


「いや……その、地図って……もっと、こう……」


「綺麗で、正確で?」


「……うん」


 ノエルは肩をすくめた。


「正確な地図なんて、冒険には向かない」


「は?」


「正確だと、人が“地図通り”にしか歩かなくなる。

 すると世界は、地図の中に閉じ込められる」


 意味が分からず、エリオは眉をひそめる。


 ノエルは、机の隅の紙束を指で弾いた。


「世界はな、エリオ。

 地図より先にあるんだよ」


 ノエルの声は軽い。

 なのに、妙に胸に引っかかった。


 エリオは、もう一度、地図を見た。


 ……空白が多い。


 どころか、ほとんど空白だ。

 村の周辺らしき部分だけ、無駄に濃い。

 そこから先は、線が途切れたり、薄かったり、破れていたり。


「……これ、未完成じゃん」


「そうだよ」


 ノエルはあっさり言う。


「完成したら、俺が旅に出る理由がなくなるだろ」


「……え?」


「俺はな、世界の“知らない部分”が好きなんだ」


 そう言って、ノエルは地図の端を指さした。


 破れているところ。

 そこには、何も描かれていない。


「ここから先は、まだ誰も知らない。

 だから面白い」


「昔描いた場所が、次に行ったら無くなってたこともあるしな」


 エリオは唾を飲んだ。


 怖い、というより――


 なんだか、胸が少し軽くなる。


 自分は今まで、“決められた未来”の中で生きてきた。

 竜に選ばれるか、選ばれないか。

 それで全部が決まる。


 なのに――


 この地図は、決まっていない。


 道も。目的地も。

 「行き先未定」だ。


「で、“竜の地”はどこなんだ」


 エリオが言うと、ノエルは地図をひらりと持ち上げた。


「それがな」


 ノエルは、地図の真ん中あたりを指でトントンと叩く。


「……分からん」


「えっ」


「分からん」


 もう一度言った。


 エリオは思わず声が出る。


「は!? 分からないの!? じゃあなんで――」


「焦るな。焦るな。

 “竜の地”って言葉が出てきた時点で、もう普通じゃない」


 ノエルの目が、少しだけ鋭くなる。


 ふざけているように見えるのに、視線は真剣だった。


「そもそも、“竜の地”が一つとは限らない」


「……どういうこと?」


「竜が生まれる場所、って言うだろ。

 じゃあ竜は一体だけか?」


 エリオは言葉に詰まる。


 村の竜は、確かに一体だ。

 でも世界に竜が一体しかいないとは、誰も言っていない。


「昔な、こんな噂があった」


 ノエルは、地図の端をなぞった。


「風を追いかけて歩く子がいた。

 地図も持たずに、風向きだけで道を決める」


 エリオは聞き返す。


「……変なやつだな」


「変じゃない。

 あいつは、世界の方が先に見えてた」


 ノエルは、少しだけ笑う。


「竜に選ばれなかった。

 けど、災いの前に必ず姿を消す。

 だから村じゃ、縁起が悪いって言われてた」


 エリオの背中に、ひやりとしたものが走った。


 災い――?


 ノエルは、さらっと話題を戻す。


「……まあ、今はいい。

 お前の旅に必要なのは、まずこれだ」


 ノエルが取り出したのは、細い紐で束ねた紙の束だった。

 地図というより、メモに近い。雑な文字で、地名らしきものが書いてある。


「これ、何?」


「“竜の話が残ってる場所”の噂だ」


「噂?」


「そう。噂。昔話。口伝。

 世界はな、正式な記録よりも、噂の方が正直な時がある」


 ノエルは机に腰を乗せるみたいに座った。


「で、エリオ」


「なに」


 ノエルは、地図をひらりと揺らしながら言う。


「どこから行けばいいと思う?」


 エリオは固まる。


 ――それを教えてくれるんじゃないのか。


 ノエルは、エリオの顔を見てニヤッとした。


「ほら。地図は未完成だろ?」


「……」


「だからお前が決めるんだよ。

 “選びに行く”んだろ?」


 エリオは、胸の奥が熱くなるのを感じた。


 村では、選ぶのは竜だった。

 自分は選ばれる側で、選ばれなかった。


 でも今は――


 自分が選ぶ番だ。


 エリオは、紙束の一枚を手に取った。


 そこには、こう書かれていた。


『風が強い街。竜の羽が落ちたという話あり』


 次の紙には、


『水辺の町。竜の涙の噂あり』


 次には、


『古い山。竜の骨の伝承あり』


「……いっぱいあるじゃん」


「あるよ。世界は広いからな」


 ノエルは、あっさり言う。


「で、どれが気になる?」


 エリオは考える。


 ――どれが正解かなんて、分からない。

 でも。


 ふと、昨夜の夢の声が脳裏をよぎった。


『歩け。迷ったままでいい』

『風は、止まらない』


 エリオは、紙束を握りしめる。


「……風が強い街」


 口にした瞬間、妙にしっくりきた。

 理由は説明できない。

 ただ、今の自分にはそれが必要な気がした。


 ノエルが頷く。


「いい。

 理由が言えない選択は、たいてい当たる」


「当たるって、なにが」


「さあな」


 ノエルは立ち上がり、布の奥から小さな袋を投げてよこした。


 エリオは受け取る。

 中身は、乾いたパンと、小さな火打石と、古い方位針。


「……これ」


「餞別だ。旅は腹が減る。

 あと――迷った時は空を見る」


「空?」


「風は、空に出る」


 ノエルは、地図を畳んでエリオに差し出した。


 エリオは受け取る。

 紙は軽い。

 なのに、手の中で確かな重みを持った。


「……ありがとう」


「礼はいい」


 ノエルは、少しだけ声を落とす。


「ただ一つだけ言っておく」


 エリオが顔を上げる。


 ノエルの目は、ふざけていなかった。


「竜に選ばれなかったのは、不幸じゃない」


 そして、少し乱暴に笑う。


「あんなのは、この世界の広さに比べたら大したことない」


「……」


「むしろ――」


 ノエルが布の奥に手を伸ばす。


 そこから、古びた地図の“別の端”がのぞいた。

 今の地図とは違う。

 もっと古い。もっと破れている。

 そして、そこには――


 見たことのない紋のような印が、かすれて残っていた。


 エリオは息を止める。


 ノエルが言いかける。


「――いや。今は、まだいい」


 そこで言葉を切った。


 代わりに、軽い口調に戻る。


「お前の旅は、まだ一歩目だ。

 まずは風の街だな」


少し間を置いて、ノエルが続ける。


「胸を張って、世界を見て来い」

「未知に触れるのを、楽しめ」


「……なんかカッコいいね」


「だろ⁉︎」


二人は、思わず笑った。


エリオは、そっと地図を胸に抱えた。


 未完成の地図。

 行き先未定の旅。

 正解も、保証もない。


 なのに――


 不思議と、怖くなかった。


 昨日まで、何も残っていないと思っていた。

 選ばれなかった自分には、未来がないと思っていた。


 でも今は違う。


 未来が“決まっていない”ことが、

 こんなにも胸を軽くするなんて。


 エリオは立ち上がる。


「……行ってくる」


 ノエルが手を振った。


「行け行け。

 迷ったら――風の吹く方だ」


 エリオは布をくぐり、外へ出た。


 村の空は、昨日と同じはずなのに。

 今日は、少しだけ高く見えた。


 頬を撫でる風が、冷たい。


 でもその冷たさは、

 “外の世界”の匂いがした。


 エリオは笑ってしまいそうになるのをこらえながら、歩き出した。


 “竜の地”へ向かうための――

 未完成の地図と、未完成の自分のまま。


それでもいい。


それが、旅の始まりだった。



エリオの足音が遠ざかる。


箱の中に、静けさが戻った。


ノエルは、しばらく入口の布を見つめてから、

ふっと息を吐いた。


「……これで、よかったんだよな」


誰に向けた言葉でもない。


天井を見るでもなく、

地図を見るでもなく、

ただ、空を思い出すように。


ノエルは小さく笑った。


「相変わらず、厄介な頼みだ」


その言葉だけを残して、

彼は机に背を預けた。


 

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