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第34話 風の兆し

 遠くの空は、まだ薄く霞んでいた。


 砂嵐は、止まっていない。



「さっそくだが、準備が必要だ」


 ギルド前で、ベルクが腕を組む。


「準備?」


 エリオが首を傾げる。


「砂の国は遠い。歩いて行くのは現実的じゃねえ」


「どうするの?」


 プルが胸を張る。


「みんなを乗せてジャンプとか――」


「黙れ。三枚に卸すぞ」


「ひっ」


 リュカが笑いながらプルを押す。


「向こうで跳ねてて、プルちゃん」


 ルルカは遠くの空を見ていた。


「……砂の国。かなりの距離よ」


 一拍。


「この人数、相当お金かかるわよ」


「……金か」


 エリオの顔が曇る。


 ベルクは鼻で笑った。


「だからギルドだ」



 ギルド長室。


「砂の国へ行くことにしたか」


 ギルド長は、すでに分かっていた顔をしていた。


「移動手段の相談だろ」


 ルルカが一歩出る。


「あの……正直、お金はありません」


 ギルド長は、ふっと笑った。


「お前らには世話になってる。俺の顔もある」


 一拍。


「移動の件は任せろ。三日後、もう一度来い」


「……本当ですか?」


 ギルド長は椅子に深くもたれた。


「これは、今回の厄災の礼だ」


 低い声。


「街を守ったのは、お前らだ」


「俺は後始末をしただけだ」


 エリオは深く頭を下げた。



 ギルドを出る。


「三日後、出発だ」


 ベルクが言う。


「それぞれ準備しろ」


 ルルカはくるりと背を向ける。


「私、挨拶回りしてくる」


「三年もいた街だもの」


 リュカも手を振る。


「私も準備するね。じゃあ、またねエリオ」


 プルは伸びをした。


「わしは自由行動〜」


「お前はギルドの預かり制度だ」


「魔物扱いひどいプル」


 潤んだ目でエリオを見る。


「エリオ……?」


 エリオは腕を組んだ。


「確かに」


 プルがぱあっと顔を明るくする。


「やっぱりエリオはわしの味方――」


「魔物ショップの檻で管理されるべきだ」


「売り物枠はいやだよ!!」


 一瞬の沈黙。


「……ギルド預かりでいい」


「おやつ三日分つけて」


「甘やかすな」



 ふと。


 遠くで、風が鳴った。


 強い。


 だが、砂嵐の方向とは違う。


 ベルクの目が細まる。


「……妙だな」


「何が?」


 エリオが振り返る。


 市場の一角がざわついていた。


 布屋の天幕が、裂けている。


 誰も触れていないのに。


「風……?」


 だが、その瞬間。


 ぴたりと止まる。


 人々は何事もなかったように戻る。


 エリオの胸が、わずかに鳴った。


(整えられてる……?)


 プルが空気を舐めるように、舌を伸ばした。


「……ちょっとしょっぱい」


「何がだ」


「風」


 ベルクは無言で空を見る。


 砂嵐は、まだ遠い。


 だが、確実に近づいている。



「エリオ」


 ベルクが振り向く。


「この後、時間あるか」


「え?」


「お前は危うい」


 はっきり言った。


「一緒にいる間に、剣の使い方を叩き込む」


 真剣な目。


「どうだ」


 エリオは即答した。


「やります!」


「よし」


 ベルクが顎で示す。


「冒険者御用達の武器屋に行くぞ」


 風が、また吹いた。


 今度は、街の奥へ。


 砂嵐は遠い。


 だが。


 何かが、もう動き始めている。


 出発まで、あと三日。



 冒険者通りの奥。


 鉄の匂いが濃い店に入ると、炉の火がぱちりと弾けた。


「おう、ベルクじゃねえか」


 奥から低い声が飛ぶ。


「剣の手入れか? あんたの刹那丸はほんと大事にされてる。やり甲斐があるよ」


「今日は違う」


 ベルクは顎でエリオを示した。


「こいつの剣を探しに来た」


 店主の視線がエリオに移る。


「坊主、剣持ったことは?」


「ないです」


「素人やな」


 店主は笑い、棚を叩く。


「適当に持って、振ってみい」



 何本か試す。


 重い。


 軽い。


 長い。


 短い。


 どれも、しっくり来ない。


「どうだ」


 ベルクが腕を組む。


「……微妙」


「だろうな」



 店の隅。


 Eランクの安価な刀がまとめて置かれている。


 そこで、別の客が一本を手に取った。


「これカッコいいな。振ってみようぜ」


 軽い。


 だが、次の瞬間。


 刃が、ぴくりと震えた。


「……あ?」


 客の腕が勝手に動く。


「うわっ、なんだこれ! 止まらねえ!」


 刀が振り回される。


 軌道が不自然に変わる。


「ベルク」


 店主の声が低くなる。


「あれ、やべえな」


「おい、離せ! 腕なくなるぞ!」


「そんなこと言っても、勝手に動くんだよ!」


 刃が跳ねる。


 ――向いた。


 エリオへ。


「エリオ、避けろ!」


ベルクが動く。


 刃のほうが速い。


(終わった)


 逃げられない。


 目を、逸らさない。


 胸が鳴る。


 風が、一瞬だけ整う。


 刃が――止まった。


 目の前。


 わずか数寸。


 空気が静まり返る。


 刀が、客の手から抜け落ちた。


 金属音。


 床に転がる。


 微かな魔力が、刃から溢れている。



 エリオは、無意識にそれを拾った。


「触るな!」


 ベルクの声。


 だが、刃は震えない。


 むしろ、静かだ。


「……嘘だろ」


 ベルクが呟く。


「馴染んでやがる」


 店主は慌てず、厚手の手袋をはめた。


「貸してみろ」


 だが、エリオが握ったまま、刃は動かない。


 重い。


 だが、拒まれない。


 店主は刃を覗き込む。


 ゆっくりと息を吐いた。


「失われた刀シリーズの一振りだ」


「銘は――蒼刃そうじん


 一拍。


「昔、異国の侍が使っていた」


「戦場で名を上げた刀だ」


 ベルクが低く問う。


「呪いか」


「いや」


 店主は首を振る。


「主を選ぶだけだ」


 エリオの手の中で、刃が微かに鳴る。


 音ではない。


 感触。


 エリオの鼓動。


 ドクン。


 刃が、かすかに震える。


 ドクン。


 炉の火が揺れる。


 店主が続ける。


「主が死んでから、誰も扱えなかった」


「暴れ、拒み、置き去りにされた」


 一拍。


「……妙だとは思っていた」


 店主は刃を覗き込む。


「なぜこんな業物が、安価の山に混じっていたのか」


 指で刃の反りをなぞる。


「昔から言われている」


「幻刀は、主が現れるまで姿を偽る、と」


 静かな炉の音。


「……今、現れたんだろうな」


 視線が、ゆっくりエリオに戻る。


「……だが今は静かだ」


 ベルクが真顔で言う。


「おやじ、これをこいつに」


「代金は?」


 店主は豪快に笑った。


「いらん」


「いい刀は、使われてこそだ」


 一拍。


「だが覚えとけ」


 エリオを見る。


「その刀は、持ち主を戦場に連れていく」


 炉の火が、強く弾けた。


 遠く。


 砂嵐が、わずかに膨らむ。


 エリオは刃を握る。


 重い。


 だが。


 その重さは、恐怖ではなかった。


 指に力が入る。


 ――握らされたのではない。


 自分で、握った。


 砂嵐の影が、空を削る。


 蒼刃は、静かに鳴っていた。


 まるで――


 もう、戻れないと告げるように。



 海の向こう。


 霧に包まれた山間の国。


 竹林が揺れる。


 音はない。


 ただ、風が一本だけ、真っすぐに抜けた。



 古びた道場。


 板張りの床。


 中央に、男が座していた。


 長い髭。


 片目を縦に走る古傷。


 右肩には、古い爪痕。


 霧島 斬道。


 その膝の上。


 一振りの刀が、低く鳴った。


 ――カン。


 金属でも、音でもない。


 だが確かに“応えた”。


 斬道の片目が、ゆっくり開く。


「……騒いどるな」


 低い声。


 刀の柄に、指を置く。


 再び、微かな震え。


「蒼刃か」


 一拍。


 風が止まる。


「どっかの武人の手に渡ったか」


 静かに立ち上がる。


 長い影が、畳を裂く。


 刀を抜く。


 刃は黒く、光を吸っている。


 幻刀《黒落》。


 異名――竜落とし。


 刃が、わずかに熱を帯びる。


「……竜の匂いがする」


 遠い空を見る。


 砂嵐の向こう。


 まだ見えぬ土地。


「守るか」


 鼻で笑う。


「均すか」


 一歩。


「落とすだけだ」


 黒落が、低く鳴る。


 それは共鳴ではない。


 反発。


 遠く。


 蒼刃が、微かに震えた。


 斬道は目を細める。


「来るなら来い」


 刀を鞘に収める。


「覚悟のある者だけが、刃を持て」


 竹林が、一斉に揺れた。


 風が、海を渡る。



 その頃。


 砂嵐は、わずかに膨らんでいた。


 蒼刃は、静かに鳴っている。


 まるで――


 自分の“対”が目覚めたことを知るように。


 出発まで、あと三日。


 蒼刃は静かに鳴っている。


 遠く、黒落も応える。


 二つの幻刀は、まだ知らない。


 ――いずれ同じ血を浴びることを。

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