第32話 選ぶ者
風の街への帰路は、行きの倍の時間がかかった。
「お前が寄り道するからだろうが!」
ベルクが振り返る。
「カエルの刺身にして食べるぞ」
愛刀《刹那丸》の鞘が、ぴたりとプルを指した。
「やめてケロ!」
プルはぴょん、と跳ねて後退する。
「美味しい匂いがしたんだよ!」
「匂い……?」
リリアが眉をひそめる。
「それであなたは、アーティファクトの残骸を食べていたのね」
「だって、あの変なやつが来てから、急に食べたくなってさ!」
「変なやつって厄災よ」
ルルカが呆れたように言う。
「そんなの食べたらお腹壊すわよ」
「うん。だからトイレ!」
全員が黙った。
ベルクが深いため息をつく。
「……あの場で卸しておくべきだったか」
「えっ、やっぱり卸すの⁉︎」
プルが凍る。
その横で、ベルノが妙に上機嫌で歩いている。
「ローラ♪ ローラ♪ 早く会いたいぜ〜」
「お前も緊張感ないな」
ベルクは本気で呆れていた。
「もうすぐ風の街だ。まずはギルド長に報告だ」
レインが淡々と言った。
エリオは、黙って歩いていた。
胸の奥が、ほんの少しだけざわついている。
理由は分からない。
ただ、プルが隣にいると、空気がやわらぐ気がした。
⸻
風の街ギルド。
報告を終えたあと、ギルド長は静かに頷いた。
「よくやったな」
白髭を撫でながら、リリアを見る。
「もう厄災の気配は、ダンジョンから消えたんだな?」
「ええ。不吉な匂いは消えたわ」
ちらり、と視線が動く。
「正しくは――目の前にいる、このカエルの中に」
プルは正座していた。
「……これが成果、というわけか」
ギルド長は、じっとプルを見る。
目は優しい。
だが、その奥に、わずかな探る光があった。
「コイツの処遇だが……」
空気が変わる。
プルの喉が鳴る。
「プルはエリオと旅に出る!」
いきなり叫んだ。
「エリオの周りは空気が潤っていて心地いいんだ。たぶん伝承の“マイナスイオン”ってやつ。それそれ!」
「意味が分からん」
ギルド長が即答する。
「でも本当なんだってば! 一緒にいると落ち着くんだ!」
「ルルカの意見は?」
ギルド長が促す。
ルルカは腕を組んだ。
「ここで卸さないなら、エリオと一緒にいるのが一番いいわね」
プルが固まる。
「取り込まれた“あれ”は、今は暴れていない」
静かな分析。
「リリアの周囲の魔素を整える以外、対抗手段がないのも事実よ」
そして。
「……あとはエリオの意思ね」
視線が集まる。
エリオは、一瞬だけ目を伏せた。
旅。
選択。
誰かに決められるものじゃない。
村では、選ぶのは竜だった。
自分は選ばれる側で、選ばれなかった。
でも今は違う。
プルの潤んだ目が、真正面にある。
胸の奥で、何かが整う。
風が、窓を揺らした。
ほんの一瞬、世界が静まる。
エリオは顔を上げた。
「……おれは」
間。
「このプルと、旅に出ます」
言い切った。
空気が、少しだけ動く。
ギルド長は目を細めた。
「そうか」
短い一言。
だが、そこには止める気配はなかった。
「面白い風が吹き始めたな」
ぽつりと呟く。
「好きにしろ。ただし、無茶はするな」
それが、送り出す言葉だった。
プルが飛び跳ねる。
「やったケロ!」
エリオは、小さく息を吐いた。
自分で選んだ。
それだけで、胸が少し軽くなる。
旅が、動き出す。
⸻
その時だった。
ギルド長の部屋の扉が勢いよく開いた。
「待って!」
息を切らせて入ってきたのはリュカだった。
後ろでローラが慌てている。
「リュカちゃん、まだ会議中よ……!」
部屋の空気が一斉に動く。
リュカは真っすぐエリオを見る。
迷いのない目だった。
「わたしも、連れて行って」
静かな言葉。
さっきまで賑やかだった空気が、少しだけ引き締まる。
エリオは一瞬、言葉を失う。
「リュカ……」
「エリオが行くなら、わたしも行く」
それは願いではなく、決意だった。
ギルド長が低く息を吐く。
「簡単な話ではない」
白髭を撫でながら続ける。
「今のままでは、ギルドの目の届くところに置いておきたい。危険だ。厄災の残滓もある」
現実の重み。
エリオは唇を噛む。
「でも……」
言葉を探す。
自分で選んだのだ。
ならば、守る覚悟もいる。
その時。
「仕方ないわね」
ルルカが一歩前に出た。
「エリオの力は、まだ理屈が通っていない」
淡々と告げる。
「整える、なんて曖昧な現象を放置したまま外に出るのは危険よ」
プルを見る。
「あのカエルも含めてね」
プルがびくっと跳ねる。
「わしは無害ケロ!」
「無自覚なのが一番厄介」
ルルカは帽子を軽く押さえる。
「だから同行する。観察と、教育。それが私の役目」
一瞬、口元がわずかに上がる。
「……それに、面白いものは放っておけない性分なの」
一拍。
「卒業試験にも使える。ちょうどいい題材よ」
リュカの肩が、わずかに震えた。
ギルド長はしばらく考え、ゆっくり頷く。
「……ルルカが責任を持つなら、許可しよう」
部屋の空気がわずかに緩む。
だが、ギルド長は続けた。
「それでも前例がない。護衛が必要だな」
視線が動く。
「ベルク」
呼ばれた男は、面倒そうに舌打ちした。
「ちっ……厄介ごとが増えちまったな」
だが、視線は真剣だった。
「次の街までだ。そこまでなら面倒見てやる」
エリオを見る。
「剣は甘い。旅に出るなら、まず立て直す」
それは申し出ではなく、宣告だった。
エリオは、ゆっくり頷く。
「お願いします」
自分から頭を下げた。
選んだのは自分だ。
だから、教わるのも、自分の意思。
ギルド長は小さく笑う。
「面白い風が吹き始めたな」
窓の外で、風が鳴った。
揺れるカーテン。
止まらない風。
エリオは、隣に立つリュカを見る。
ルルカが腕を組む。
プルがぴょんと跳ねる。
「旅だケロ!」
エリオが首を傾げる。
「……プル、さっきから“ケロ”って」
「えっ?」
「ずっと言ってる」
プルが固まる。
「で、出てた?」
「……無意識コワイ」
沈黙。
(今さら?)
胸の奥が、もう一度整う。
これは、誰かに選ばれた道じゃない。
自分で選んだ道だ。
扉の向こうから、強い風が吹き込んだ。
それは、止まらない。
風の街を離れ、
次の地へ向かう風だった。
旅は、もう始まっている。




