第31話 声の届かぬ者
風が鳴っていた。
村の中央広場。
石で組まれた古い祭壇の前に、数十人の候補者が並ぶ。
各部族から選ばれた若者たち。
その中でも最後まで名が残ったのは、二人。
リーナと――カルロン。
昨夜、満天の星の下。
「竜よ。選びたまえ。
どちらが相応しいかを」
誰もが息を詰めて見守った。
そして今――
二人は、同じ声を聞いている。
――竜の声。
風が止まる。
天から光が差し込んだのは――リーナだった。
リーナの首元に、
竜の形をした小さなペンダントが宿る。
だが。
ペンダントの瞳は、
光を宿しながらも、潤んではいなかった。
村長が、杖を地に打つ。
「第53代、竜守り人に――リーナを任命する」
ざわめきが広がる。
拍手は、まばら。
歓声は、少ない。
それでも、リーナはまっすぐ立っていた。
(エリオ。私、やったよ)
胸の奥が、熱い。
でも同時に、冷たい。
背後で、低い声が漏れる。
「……くそ」
双頭の男。
亡き先代カカロンの息子カルロン。
その拳は、白くなるほど握られている。
(親父……すまねえ)
自分こそが継ぐはずだった。
自分こそが、竜を守るはずだった。
だが選ばれたのは、リーナ。
村長が静かに続ける。
「選ばれたからには、分かっておるな」
「世界の安寧がかかっている」
空気が変わる。
「竜の扱いは、先代譲りだ」
「だが、守るのは“力”ではない。“均衡”だ」
リーナは、息を吸う。
「……はい」
その声は、震えていない。
だが。
村長は最後に、低く言った。
「途中で投げ出すことは、できんぞ」
その言葉の重みを、
リーナは、ゆっくりと噛みしめた。
⸻
式典が終わり、人々が散り始める。
だが、広場の中央だけは、まだ張りつめていた。
「……待て」
低い声。
カルロンだった。
双頭の影が、村長の前に立つ。
ざわ、と足が止まる。
村長は、ゆっくりと振り返る。
「弱い、とは」
「分かっているはずだ」
右の顔が低く言う。
「親父の時とは違う」
左の顔が続ける。
「揺らぎがある」
広場がざわつく。
言葉にされなかった不安が、
形を持った瞬間だった。
リーナの胸が、ぎゅっと縮む。
村長は、目を細めた。
「力の強さだけを言うか」
「力がなければ守れない」
カルロンは一歩、踏み出す。
「世界は均衡で守れない」
「親父は、力で守った」
その名が出た瞬間、空気が重くなる。
先代カカロン。
村の誇りであり、象徴。
村長の杖が、地に打たれた。
「力だけでは、いずれ壊れる」
「壊れなかった」
「壊れなかったのではない」
村長は静かに言う。
「壊れかけたものを、均したのだ」
沈黙。
思想が、正面からぶつかる。
リーナは何も言えない。
選ばれたはずなのに、
言葉を持たない。
視線が刺さる。
期待と、不安と、疑念。
カルロンは、リーナを見る。
怒りではない。
測る目だ。
「……俺は認めない」
「声が弱い」
広場が凍る。
「親父の時は、もっとはっきりしていた」
一瞬、視線がリーナの首元に落ちる。
「これで、選定と言えるのか」
間。
「このままでは、守れない」
ざわめきが広がる。
賛同。
戸惑い。
恐れ。
村長は止めない。
カルロンは背を向けた。
「俺が証明する」
一歩。
「力こそが、正しいと」
そのまま、広場を去る。
誰も、止めなかった。
風が、祭壇の火を揺らす。
リーナは、その背を見つめる。
追えない。
止められない。
均衡は、もう揺れている。
⸻
雲の上。
人の目では届かぬ場所。
巨大な影が、ゆっくりと呼吸している。
始祖竜。
その姿は、雲に隠れ、輪郭さえ曖昧だ。
だが、圧だけがある。
「報告いたします」
竜が一体、頭を垂れる。
「リーナが襲名しました」
「先代カカロンの死から一年。ようやく後継が決まりました」
間。
「ただ……揺らぎが見られます」
空気が震える。
始祖竜の声は、直接響く。
「我の声は、届かぬ」
静かな断定。
「支えよ」
竜が頭を下げる。
だが、別の竜が口を開く。
「風の街にて、動きを確認」
一瞬。
空気が変わる。
「厄災か」
「はい」
「竜の声が弱い時を、狙っていたように見えます」
沈黙。
「世界の均衡が、崩れかねません」
始祖竜の影が、わずかに揺れた。
「……予測の範囲内だ」
だが、次の報告は違った。
「もう一件」
「我々から逃げ出した竜の存在、未だ確認できておりません」
重い沈黙。
それは、厄災とは別の存在。
世界を壊したいと願う、異端の竜。
「……まだ、見つからぬか」
「はい」
始祖竜の声が、低くなる。
「均衡が崩れれば、あれも動く」
雲の奥で、巨大な瞳がゆっくり開く。
「時間は多くない」
⸻
その頃。
風の街。
ダンジョンからの帰路。
エリオは、妙な感覚を覚えていた。
胸の奥が、ざわつく。
誰かが、自分を見ているような。
だが、声は聞こえない。
何も。
ただ――
遠くで、何かが呼吸している気がした。
「どうした?」
ベルクが横目で見る。
「……いや」
エリオは首を振る。
隣で、プルがぴょんと跳ねる。
「竜の地、楽しみだな!」
軽い声。
だが。
その軽さの裏で、世界は静かに動いている。
リーナは、まだ知らない。
始祖竜の声が、自分に届いていないことを。
エリオは、まだ知らない。
自分の“整える力”が、
竜の地へと繋がっていることを。
そして。
厄災も、
逃げた竜も、
同じ未来を見ている。
⸻
声の届かぬ者が選ばれた。
だが、
声はまだ、どこかへ向かっている。
均衡は、揺れている。
それでも世界は、
何事もない顔で回り続けていた。




