第26話 夜明け前の静かさ
夜明け前の空は、まだ黒に近かった。
ギルドの裏口。
出発前の、ほんのわずかな時間。
――なのに、そこだけは起きていた。
革の擦れる音。
金具の鳴る音。
短く、無駄のないやり取り。
集まっているのは、
ルルカ。
ベルク。
そして――エリオ。
加えて、黄金の鐘持ち団。
空気が違う。
さっきまでの“ギルドの雰囲気”とは違う。
「……全員そろったな」
先頭の男――レインが、静かに言った。
声は低く、感情がない。
だが、その一言で場が締まる。
「エリオは、皆のことをよく知らんだろう」
「改めて紹介する」
「俺がレインだ」
「今回の調査隊の指揮を取る」
レインが言う。
「まず言っておく」
「今回、お前は前に出すぎるな」
「お前の判断一つで、
この場の全員が死ぬこともある」
強い言い方。
だが、威圧ではない。
――命綱を、先に結んでくれる声だ。
「……はい」
エリオが頷くと、レインはそれ以上言わなかった。
次に、重い足音が一歩。
大柄な体格。
肌の色も、骨格も、人間じゃない。
典型的なドワーフ種族。
「グロウだ」
レインが短く紹介する。
ドワーフは、口の端を少しだけ上げた。
「……うっす」
「盾役。任せろ」
その一言で、十分だった。
「で、こっちが――」
レインが指を向けた先。
金髪の男が、にこにこ手を振っていた。
腰元には、小さな鐘。
金色で、目立つ。
「ヤッホー」
「エリオくん、よろしくっしょ」
軽い。
軽すぎる。
エリオが戸惑っていると、レインがさらっと言った。
「ベルノ」
「後衛支援、結界補助、撤退判断」
「普段はチャラいが、仕事はする。信頼していい」
「普段は、ってなんだよ〜」
ベルノが笑いながら、肩をすくめる。
「朝弱いんだって。人間だもの」
ルルカが、腕を組んだ。
「鐘、鳴ってるよ」
「今、ふざける場面じゃない」
「はいはい。こわ〜」
ベルノが両手を上げる。
――チリン。
腰元の鐘が、乾いた音をひとつ立てた。
エリオは、それを見てしまう。
笑ってるのに、鐘が鳴るだけで空気が締まる。
この男は、鐘で“場”を変える。
「最後に――」
レインの視線が、もう一人に移る。
ゆったりと立つ女性。
ハーフエルフ。
年齢は分からない。
若く見えるのに、目だけが古い。
妖麗な微笑みが、夜明け前の冷気に混ざる。
「リリア」
レインが言う。
「匂いに敏感だ。魔素の扱いは右に出る者がいない」
「よろしくね、エリオくん」
リリアが、軽く首をかしげる。
「あなたの匂い……嫌いじゃないわ」
エリオの背筋が、ぞくりとした。
「リリア」
ルルカが即座に釘を刺す。
「それ、やめて」
「冗談よ」
リリアは楽しそうに笑う。
「でも……守りたくなるの、分かる」
ルルカが、むっと頬を膨らませる。
エリオは思った。
この距離感は――本物の姉妹かもと。
「確認だ」
レインが空気を切り替える。
「対象は“厄災のかけら”の反応」
「前回観測地点の中で、湖周辺が最優先だ」
ベルクが、短く息を吐いた。
エリオは、その横顔を見る。
いつもなら皮肉を言う口が、閉じている。
今日は、余計なことを言わない日だ。
「行くぞ」
レインが言う。
誰も返事をしない。
でも、全員が動いた。
エリオも歩き出す。
――あの子に、戻ったら話すって言った。
だから、戻る。
戻るために、今、行く。
⸻
森に入ると、空気がさらに冷えた。
吐く息が白い。
足元の土は硬い。
ダンジョンに繋がるこの森は、
前回と、明らかに様子が違う。
不思議と、音が少なかった。
鳥の声がない。
虫の気配も薄い。
遠くで流れているはずの水音が、やけに遠い。
ベルノが、欠伸を噛み殺しながら言う。
「なぁ、静かすぎない?」
「朝だから? にしてもさ」
グロウが、短く返す。
「……朝でも鳴く」
ベルノが肩をすくめた。
「だよな〜」
リリアは歩きながら、鼻先をわずかに動かしている。
「……濁ってる」
呟きは、独り言みたいに小さい。
ルルカが、同じ方向を見た。
「うん」
「“いない”感じじゃない」
エリオが聞き返す。
「……どういう意味ですか?」
ルルカは言い切らない。
「“潜んでる”って感じ」
「……説明できないけどね」
リリアが、続けるように言う。
「匂いが、動いてないの」
「生き物の匂いじゃないのに……残る」
レインは、淡々と歩調を変えない。
「湖まで、無駄口はなし」
「目と耳を使え」
その言葉に、エリオは一度だけ頷いた。
――確かに。
自分の耳が、いつもより働いている気がした。
音がない分、
些細な擦れや、呼吸のズレが、浮き上がってくる。
そして。
嫌な予感だけが、少しずつ形になる。
音が、なかった。
それが、
一番おかしかった。
森は、息を潜めている。
湖は、波紋すら拒んでいる。
まるで――
何かが、先に目を覚ましているみたいに。
エリオは、
その視線を、振り払えなかった。
――まだ、何も見ていないのに。




