第1話 竜に選ばれなかった日
祭壇の上に、竜の影が落ちた。
巨大な羽が空気を震わせ、乾いた音が村に響く。
見上げた空を、黒い輪郭がゆっくりと覆っていく。
誰かが息を呑み、
次の瞬間、歓声が弾けた。
竜が来た。
祝福の日だ。
この村では、竜に選ばれることで未来が決まる。
畑を継ぐ者、剣を取る者、村を守る者。
すべては、今日ここで定められる。
――だから、誰もが前を向いていた。
「……エリオ」
名を呼ばれたのは、彼ではなかった。
祭壇の前に立つ少女が一歩踏み出す。
リーナ。
金色の光が彼女の足元に落ち、竜の気配が応えた。
拍手が起こる。
祝福の声が重なり、誰かが泣いた。
当然だ。
彼女は選ばれるべき存在だった。
次々と名が呼ばれていく。
光に包まれ、竜の視線を受け取る者たち。
エリオは、その列の中にいた。
背筋を伸ばし、視線を前に固定する。
心臓の音が、やけに大きく聞こえた。
去年も、その前の年も。
この日のことを思い描いてきた。
自分も、きっと。
――選ばれるはずだと。
そして、順番が来た。
竜は、何も言わなかった。
一瞬、風が止まった気がした。
歓声は起こらず、咳払いの音だけが、不自然に響く。
誰かが視線を逸らし、
村長が、わずかに言葉に詰まる。
エリオは、呼ばれなかった。
それでも儀式は続く。
次の名が呼ばれ、歓声が戻り、祭りは何事もなかったかのように進んでいく。
――ただ一人を、残したままで。
⸻
儀式の後、村は祝祭の色に染まった。
酒が振る舞われ、選ばれた者たちは囲まれ、未来の話が飛び交う。
「……お前も、よく頑張ったな」
そう言ってくれたのは、父だけだった。
母は何も言わず、ただ微笑んだ。
その優しさが、胸に静かに刺さる。
――納得なんて、できるわけがない。
小さい頃から、
何度も願った。
サンタにも、星にも、
形も意味も分からないまま、
それでも続けてきた。
……時間にしたら、
どれくらいになるんだろうな。
そんなことを考えても……
もう、無意味だと理解できた。
居場所はある。
だが、期待は消えた。
広場の向こうで、リーナが祝福されているのが見えた。
目が合いそうになり、エリオは視線を外す。
同じ場所に立っていたはずなのに。
もう、そこにはいられない。
「選ばれなかった者は」
背後から、村長の声がした。
「竜の巣に近づいてはならぬ。それが、この村の掟だ」
責める口調ではない。
だが、それが余計に重かった。
強い者が正しい。
選ばれた者が守り手で、そうでない者は、そうではない。
それが、この村の当たり前。
⸻
夜。
祝祭の音が遠のいた頃、エリオは一人、家の外にいた。
選ばれなかった理由を考えても、答えは出ない。
考えるほど、胸が沈んでいく。
その時だった。
「……聞こえるのか」
低く、古い声が、確かに響いた。
エリオは息を呑み、辺りを見回す。
誰もいない。
「俺に……?」
返事はない。
だが、確かに“聞こえた”。
竜だ。
選ばれなかったはずの自分に、竜の声が届いている。
胸の奥が、わずかに熱を持つ。
――そんなはずはないと、分かっているのに。
「……残念だったな。俺は竜じゃない」
その言葉に、エリオは息を詰まらせた。
―― 一瞬、期待してしまった。
「竜だったら、たぶん……聞こえない」
「え……?」
「いいから、よく聞け。少年」
声は、どこか楽しそうだった。
「お前は、選ばれなかったんじゃない」
再び、低い声。
「ここでは、選べなかっただけだ」
「どういうことだ……?」
問い返そうとした瞬間、声は途切れた。
残ったのは、静寂と――
これから先を選ぶ、いくつもの可能性だけだった。




