第17話 火のそばで、歯車が鳴る
ダンジョンの奥は、思ったより静かだった。
天井から滴る水の音。
遠くで、何かが軋むような気配。
だが、暴走は起きていない。
「……ここで一旦、休みましょう」
ルルカが短く言った。
小さな杖を床に突き、指を鳴らす。
淡い光が広がり、簡易結界が張られた。
「火、起こすわよ」
火打石を使うまでもなく、焚き火が灯る。
温かい光が、岩肌を照らした。
その中心で――
リュカは、静かに眠っている。
呼吸は穏やか。
苦しそうな様子はない。
「……暴走は、完全に止まってる」
ベルクが低く呟いた。
壁際に立ち、周囲を警戒している。
剣には、いつでも手が届く位置。
「信じられねえな」
少し離れた場所で、ガルドが腕を組んだ。
「あいつが絡んだ現場で」
「何も起きなかったことなんて……」
言葉を、途中で飲み込む。
苛立ちと、納得できなさが混じった顔だった。
エリオは、リュカの隣に腰を下ろしている。
近すぎない距離。
けれど、離れもしない。
ただ、隣にいる。
火が、ぱちりと弾けた。
その音に紛れて、ルルカが声を落とす。
「……詳しい話は、ダンジョンの中で」
ふっと、思い出したように軽く笑う。
「って言ったでしょ?」
エリオは、視線を上げた。
「……ええ」
「今が、そのタイミング」
ルルカは火を見つめたまま、続ける。
「私の育った魔女の国でもね」
「竜にまつわる伝承は、たくさんあるの」
声は小さい。
だが、よく通る。
「竜に“影響を与える人”がいる、って話」
一拍。
「まずは、エリオくんたちみたいな――竜守り人」
「それと……例外の人」
「例外?」
エリオが、静かに聞き返す。
「単体だと、不安定」
「むしろ、危ないって言われる存在」
ちらりと、眠るリュカを見る。
「でもね」
「竜守り人と一緒にいると」
「力が“正しく出る”ことがあるらしいの」
エリオは、すぐに答えなかった。
「……止めてる、って感じじゃないわ」
ルルカは、言葉を探すように続ける。
「噛み合ってなかった歯車が」
「一瞬だけ、合った感じ」
焚き火が、静かに揺れる。
「だから」
「再現性は、まだ分からない」
肩をすくめる。
「期待しすぎると、痛い目見るやつね」
エリオは、リュカを見る。
眠っている彼女は、相変わらず小さく、弱そうだ。
けれど――
さっきまで感じていた、重たい気配はない。
「……俺は」
ぽつりと、エリオが言う。
「何もしてないです」
「それでいいのよ」
ルルカは、即答した。
「“何かをする人”じゃなくて」
「“隣にいられる人”なのかもしれない」
焚き火の音だけが、規則正しく響いていた。
結界の内側。
リュカは、浅い呼吸を繰り返しながら眠っている。
――眠っている、というより。
“落ちている”に近い。
エリオは、その様子を黙って見ていた。
「……止められた」
ルルカが、小さく呟く。
誰に向けた言葉でもない。
「でもね」
「止め“続けている”わけじゃない」
エリオは、視線を上げた。
ルルカは焚き火を見つめたまま、続ける。
「歯車が合った、って言うと綺麗だけど」
「実際はもっと――不安定」
一拍。
「偶然」
「あるいは、条件が揃った“一瞬”」
言い切らない。
それが、余計に重かった。
少しして――
ルルカは、ベルクとガルドの位置を確認する。
二人が、こちらを気にしていないのを見てから。
声を、さらに落とした。
「……最初はね」
焚き火が、ぱちりと弾ける。
「アーティファクトは、暴走なんてしてなかった」
「むしろ逆」
エリオは、息を飲む。
「ダンジョンが“楽”になるの」
「攻略が簡単で、被害も少ない」
「――“危険が、危険じゃなくなる”」
「だから――」
「みんな、あの子を重宝した」
言葉の裏に、苦味が滲む。
「それが、いつからか変わった」
「噛み合わなくなって」
「……あの事件が起きた」
ルルカは、ちらりとガルドの背を見る。
「ガルドはね」
「今でも、そこから抜けきれてないの」
エリオは、何も言えなかった。
「リュカも」
「本当なら、もっと冒険を楽しんでたはずよ」
焚き火の明かりが、リュカの寝顔を照らす。
幼い。
あまりにも。
「だから――今回の依頼はね」
ルルカは、肩をすくめた。
けれど、その表情は柔らかい。
「ガルドにも」
「リュカにも」
「“次の一歩”になると思ったの」
一拍。
「……天才魔女ルルカは」
「こんな面倒な依頼、普通は受けないんだけど」
小さく、息を吐く。
「まあ」
「ほっとけないのよ」
エリオは、眠るリュカを見る。
指先が、まだ微かに震えている。
守れたのか。
試されただけなのか。
まだ、分からない。
けれど――
ここで目を逸らしたら。
それだけは、違う気がした。
焚き火の向こう。
ダンジョンの奥で。
何かが、静かに――
待っている。
それが敵か。
答えか。
まだ、誰にも分からない。
夜は、深く。
そして、静かに――
次の一歩を、促していた。




