第9話 天天マル、正式に名乗る
丸い天使は、標識を軽く持ち直した。
「で、自己紹介がまだだったね」
空中でくるりと一回転する。
「俺は天天マル。
種族は天天ポン。
役割は――案内人」
「……案内人」
エリオは、警戒を解かないまま一歩下がる。
「どこを案内するんだよ」
「行き先」
「……それだけ?」
「それだけ!」
自信満々に言い切られた。
標識には、大きくこう書かれている。
【→ 行き先】
「いや、ざっくりしすぎだろ」
「細かいと迷うでしょ」
「迷ってるから困ってるんだよ!」
天天マルは、少しだけ首をかしげた。
「でもさ」
エリオを見る。
「君、迷ってる顔じゃないよ」
「……は?」
「“決められない”顔じゃない。
“選んでる途中”の顔」
エリオは言葉に詰まる。
「……そんな顔、分かるのか?」
「分かるよ。案内人だし」
「雑すぎない?」
「雑なのは仕様」
天天マルは胸を張った。
「正確な地図がない世界ではね、
顔と足取りを見るのが一番なんだ」
エリオは、標識と天天マルを交互に見る。
「……で、どこに連れていく気だ」
「まだ決めてない」
「は!?」
「決めるのは君」
天天マルは標識をエリオの前に差し出した。
「ほら」
「……ただの矢印じゃん」
「うん」
「右も左も書いてないし」
「だって、正解は一つじゃないから」
エリオは頭を抱えた。
「なんなんだよ……」
「安心して」
天天マルは、少し声を落とした。
「初めての人にはね、
取引もしないし、意地悪もしない」
「……初めて?」
「そう。君、天天ポン初利用でしょ」
「そんなサービスみたいに言うなよ」
「サービスだよ?
案内業だし」
天天マルはにこっと笑った。
「だから今日は特別」
標識がくるりと回る。
【→ 風の街】
「ここ、行ってみない?」
エリオの胸が、わずかに跳ねた。
「……なんで、そこを」
「さあ?」
天天マルは肩をすくめる。
「でも君、さっきから風ばっか見てる」
「……」
「それに」
少しだけ、真面目な声。
「“決められた道”を歩く人は、
天天ポンに会えないことが多い」
エリオは、はっとする。
「……じゃあ、俺は」
「うん」
天天マルは笑った。
「めちゃくちゃ向いてる」
「……案内されるのが?」
「迷うのが」
沈黙。
エリオは、空を見上げた。
雲が流れている。
風が吹いている。
昨日までなら、
“正解をくれる声”を待っていた。
でも今は違う。
「……分かった」
エリオは一歩、前に出た。
「案内してくれ」
「おっ」
天天マルが目を輝かせる。
「いいねいいね!」
標識を掲げる。
【→ まずは、あっち】
「……理由は?」
「ない」
「……」
「でも」
天天マルは少しだけ声を落とす。
「歩き出した人にしか、
見えない景色がある」
エリオは、ふっと息を吐いた。
「……変な世界だな」
「今さら?」
天天マルはくるっと前を向いた。
「さ、行こ」
「迷ったら?」
「迷えばいい」
標識が、風に揺れる。
「それが旅だよ」
「……なあ」
エリオは、ふと思い出したように聞いた。
「天天ポンって、竜のことどう思ってるんだ?」
天天マルは、標識を持ったまま少し考える。
「どう、って?」
「いや……信仰とか、畏れとか……」
「あー」
天天マルは、ぽんと手を打った。
「そういうの、人間っぽいよね」
「……え?」
「竜はさ、でっかい風みたいなもんだよ」
「風?」
「吹く時は吹くし、止まる時は止まる。
向かい風の時もあれば、追い風の時もある」
標識が、くるっと回る。
「大事なのは、風が吹くかどうかじゃなくて」
天天マルは、にやっと笑った。
「その時、歩いてるかどうか」
(間)
エリオは、言葉を失った。
エリオは、不思議な感覚を胸に抱えたまま、歩き出した。
竜の声は聞こえない。
正解も分からない。
それでも――
足は、止まらなかった。




