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青空戦線異状なし!

作者: 柴野 沙希


青空が、灰色の少し空に近い地面を照らしていた。私にとって眩しい太陽は、緩やかに西に沈みつつあった。ふぁ……と、欠伸をする。あまり眠れていない訳では無いが、眠りが浅すぎて疲れが取れない。実際、夢見が強すぎるせいで、私は医者になったり、勇者になったり、ヒーローになったりと大忙しだ。問題が一つあるとするなら、覚めると疲れ以外は無かったことになる点だが。


「眠いな……太陽でも直視すれば、目が覚めるかな?」


独り言で目を覚まそうと努力するも虚しく、瞼は今日の冒険へと吸い込まれていく。いいや、そんなのは許されない。私は手すりに持たれかかっていた身体をひっくり返し、太陽に全身を晒した。恐らく校舎からは、白衣を着てYのポーズを取っている変人が生徒たちの目に映っていたに違いない。数年もすれば、私も新しい七不思議になるだろうか?屋上に現れた謎のY型怪人!なんて。

暖かい。余計眠くなってくる。ダメではないか!眩しさで閉じていた目を勢いよく開いて、太陽を直視した。


「ぐぉぉ……!」


当然眩しい。情けない声を上げながら、大慌てで顔を覆う。真っ暗闇になった世界に、ぼんやりと玉虫色の円形が映っている。あまりにも愚かな行為である。自分でも信じられないが、これでも私は、スクールカウンセラーとして、この学校にいるのだ。

評判としては、情報準備室の番人、学校よりも吉本の方が向いてる先生、変人と散々な言われようだが。それでも、誰も関わってくれないカウンセラーより、遥かにいい。どれだけ優秀でも、話す機会が無ければ、何の意味もないのだから。

しばらくしゃがんで顔を覆っていたが、玉虫色の光も落ち着き、世界が帰って来た。ベンチに座り、背もたれに両腕を預けて、大きく溜息をついた。


「いい天気だなぁ……」


のんびりと目を閉じ、世界の空気に身を預ける。風、光、温度、ふと鳴り出した、チャイムの音さえ愛おしい。

…………しばらく、眠っていたような気がする。左手の腕時計を見ると、ニ十分ほど眠っていたようだ。これはまた、養護教諭の佐々木さんに怒られるぞ。あの人、ほわほわしてる割に、怒るとガンつけてくるんだよね。青山先生!どこに行っていたんですか!って。大体、月三回ぐらいのペースで怒られてる。思い出すと余計嫌になってきた。まぁでも、戻らないと。ベンチから立ち上がり、錆びた緑の両扉へとことこ歩き始めた。

すると、その扉の片方が、ギギ……といって開き始めた。珍しい事もあるもんだ、いや、初めてかとぐるぐるする思考。今日に限って、居眠りしてて本当に正解だったな、暑さからではない汗が、背中に流れる。中ほどまで開かれた扉の間から、一人の女生徒が静かに出てきた。


「あら……先客の方が、いらしたのですね」


品のよさそうな口調、目を引く美貌、目元のほくろが最も特徴的。私は基本、この学校の生徒は覚えているはず。しかし、その脳内ライブラリの中に、彼女の姿はない。部外者?いや、制服を着ているし、何よりここまで来れる訳がない。幽霊?そんな訳あるか。随分と、私も混乱しているらしい。とにかく、ここで彼女を逃してはいけない。事情を聴かねば。


「お先に失礼してるよ。良ければ君も、一緒にどうだい?」


何が一緒になんだろうか。声は震えてなかっただろうか。ビビるな。何とか彼女に声を掛けると、顎に手を当て少し考えるそぶりをした。その姿さえ、絵になる。こんなに目立つ子を、覚えてない訳がない。


「よろしいので?」


少しして、彼女がそう言った。私は、肩の荷が少し、軽くなったような気がした。


「君が良ければ」

「では、失礼して」


そう言うや否や、私の隣りを早足で駆け抜けて、ベンチに座り込んで、空を眺め始めた。とりあえず、最悪の可能性は避けられたかと、大きく肩の力が抜けた。

真剣な表情で空を眺めている彼女、私は何かその先にあるのかと同じ方向を眺めてみた。しかし、吸い込まれるほど青い空は私も大好きだが、特段何かがある訳ではないように思えた。ほぼ真横から見る彼女の黒い目は、澄んでいて、思わず声を掛けずにはいられなかった。


「良ければ、何を見ているのか教えてくれないか?」


彼女と、目が合った。


「不思議な事を聞きますのね。勿論、この空です」

「何もない、この青空を?」

「えぇ、その青空を見ているのです」


余りにも真剣な表情でそう言うものだから、拍子が抜けてしまった。なるほど、目が澄んでいたのはそう言う事か。すっかり安心して、彼女の座るベンチの、逆側の端に腰を下ろした。座ってから、何か言われるかと恐ろしく思ったが、特に何も言われることは無かった。最近は何でもセクハラや体罰と言われることが多い、カウンセラーなら、こんな評判が出た地点で一発アウトだ。気を付けないと。

座ってしばらく一緒に空を眺めていたが、なんとなく彼女に興味が湧いて仕方なかった。どんな人間なんだろうか、と。


「しっかし、なんでこんな時間に屋上に来たんだい?昼休みや、放課後でもよかったんじゃないか?」

「昼休みは質問攻め、放課後も同じ感じになりそうでしたから」

「明日とかじゃダメだったのかい?」

「明日の空は、明日の空です。今日の空は、今日しか見られないので」


まるで地球が丸いとでもいうかのような当然さで、彼女はそう言った。なんというか、掴みどころのない子だな。私が担当した子の中でも、多様な世界観の子は多かったが、彼女ほど自分の世界をある種、信仰している子はいなかったと思う。基本的には、自分の世界に縋っている子が多い。本当にそう見えている子は、そう多くない。何かが無ければ、その歳でそうなることは、ほぼない。興味が、使命感に変化しつつある。私はこの子を、知らなければならない。


「空の、どこが好きなんだい?」

「そうですね……」


彼女は一度そこで、言葉を切った。


「空の、孤独さでしょうか」

「孤独さ?」

「えぇ……そうです」


彼女自身も何故そんな言葉が出たのか、あんまり分かってないようだった。彼女の癖なのか、顎に手をやって、頭を左右に振っている。私としても不思議だった。基本的に孤独とは、避けられるものだった。それは私が見てきた生徒たち全員に共通する。どんなに一人が大丈夫と言おうが、一人の世界を持っていようが、内心で孤独を恐れていた。


「どうして、そう思うんだい?」


次の瞬間には、思わず聞いていた。初めてだった、こんなに気になるのは。もしかしたら、あの子に重ねていたのかもしれない。でも、性格も雰囲気も、何もかも違うんだ。だからこそ、気になるのか?


「私、先日ここに転入してきましたの」

「あ、そうだったのか」


謎が、一つ解けた。直近の転入生なら、流石に私も把握していない。なおさら、なぜこんなところに?私が青空カウンセリングをやってることなんて、在校生以外知らないはず。


「そして、貴方がスクールカウンセラーの青山先生でしょう?」


なぜ知っているんだ?必要だから先に知らされていた?いや、普通に知っている可能性の方が高いか。


「そんな顔をしなくても……佐々木先生に、お聞きしましたの」


余りにも不安げな表情をしていたらしい、彼女はふっと笑いながら言った。そして、私から目線を外し、また空を見た。吸い込まれそうな空は、そのまま私達の目の前にある。


「カウンセラーの先生になら……話してもいいかしらね」

「一応、断っておくけど。私は君から聞いた話を先生、生徒、保護者含めて誰にも話さないと誓うよ」


これは、私の矜持だった。毎回、カウンセリングを行う前に伝える、儀式のような物。それを聞いて彼女は、くすくすと笑った。


「私の家、破産しましたの」

「父親は蒸発。母は、ほぼ廃人」

「実家は屋敷から、見るに堪えないボロアパートへ」

「学費も当然払えず、優秀だったお陰で何とかここに転がり込みはしたものの」

「今は、元使用人の方々の援助で何とか生きてます」


一息で言いつくされた全ては、あまりにも単純で、残酷な現実だった。私でさえ、言葉を失う。その歳で、全てを得て、失う。尋常の人が味わうことのない誇りを失う感覚、上から下へ一気に転落する恐ろしさ。それは、空に囚われてもおかしくないと思ってしまった。


「別に、現実逃避の為に空を見てる訳ではありません」

「そうなのかい?」


私の内心を見透かしたかのように、彼女がそう言う。その顔には、ありありと不満が浮かんでいた。私は思わず、両手を横にぶんぶんと振って否定していた。


「もう……孤独で、美しいからですの」

「空の美しさは、分かる気がするな」

「あら、先生も見る目がありますね」


彼女は嬉しそうに顔を赤らめ、足を前後に揺らしている。元お嬢様とはいえ、そういう所は年相応らしかった。


「ですから、一人であるがまま美しい。そんな空が大好きなのです」

「私も、眠くなるほど暖かい空は大好きだな」

「先生!私は真面目に話していますのよ!」

「うん、勿論分かってるよ」


ただ、このまま茶化さずに放っておいたら、そのまま空に溶けて消えていきそうな、そんな雰囲気さえ感じてしまった。別に、話している限りではそんなことは無いはずなのに。

まぁでも、どちらにせよ面白い子だ。今後とも関わっておいた方がいい。そう結論付ける。


「そう言えば、こんな話を知ってるかい?」

「なんでしょう?」

「星は、日中も見えている」


得意げに私がそういうと、彼女はそれはもう深い溜息をついた。頬をかなり膨らませ、ありありと不満げだ。


「私が知らないとでも?太陽の光が強すぎて、星の光が見えないと言う話です」

「ありゃ、知ってたか」

「先生は、私をバカにしておられます?」


ぷんすか!と聞こえて来そうな勢いで私に怒ってくる。私はごめんごめんと言いながら頭をかき、思いついた一つの提案を彼女にするべく、再び向き直った。


「じゃあ、夜空に興味は?」

「勿論!あります!」

「入る部活は決まったかい?」

「それは、まだですね」


部活と聞いた途端、明らかにしょんぼりしてしまう彼女。そう、天文部はこの学校に存在しないのであった。だから、私は一つ、彼女に告げた。


「天文部、作ってみない?」

「……ぜひ!」


満面の笑みを浮かべ、肯定する彼女。私もいい加減、ここから進まなきゃと思っていたし、いい契機ではあるんだろうな。強く、風が吹いた。私の背中を強く押すように。思わず、涙が零れそうになる。ごめんね、ありがとう。


「あ、そういえば」

「なんでしょう?」

「君、名前は?」


そう言えば聞いていなかったなと思いつつ、問いかける。これから長い付き合い、年単位になる事は間違いないのだ。年単位で無ければ、それは私にとって非常に大問題になるし、そんな覚悟で彼女に関わっていない。

彼女はきょとんとして、ふふふと笑った後、名乗った。


「鳥羽、蒼空です。よろしくお願い致します、先生。」


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