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辞令 月面本部勤務を命ず。

辞令 月面本部勤務を命ず。



「……それで、どのコロニーにしましょうね?」

翔子は、夕食を片付けた後の電子ダイニングテーブルを、スリープモードから解除した。

テーブルの上には三つのホログラムパンフレットが浮かびあがる。

『コスモクロノス管理セクター_Luna02』『日本国公共月面居住域 日和』『セレネス共同自然区』。

それぞれに、月面に暮らす笑顔の人々と、青く輝く地球の背景が描かれていた。

「会社としては、どこに住んでも問題ないってことらしい。まあ、忠誠心を示すならコスモクロノスのセクターに住むべきかな。」

修一はため息と混じえながら、しかし期待を込めて言った。

光速輸送網を運営する巨大企業コスモクロノスで20年。長年の東京出張所勤務(社宅の浦和から毎日通勤……!)を経て、突然の月面本部異動。想定外の辞令に、家族を巻き込んだ議論である。


「コスモクロノスのセクターって、つまり会社の寮でしょ?」翔子が目を細める。「あなたがクビになったら全員立ち退き?」

「地球時間で90日は猶予があるよ。それに、今の浦和の社宅も同じようなもんさ。クビにならないように仕事を頑張るってだけの話。」

冗談めかして笑う修一に、翔子は微笑を返したが、不安が完全に拭えたわけではなかった。

「月に住み続けるなら、90日で次の就職先を見つけろってことね。まさに月面での“職住一体”か……」

「そ、居住区から水平エレベータ2分でバス停。リニアバス7分でオフィス。月面本部はコスモクロノスの中核だし、最先端技術にも触れられる。Luna02なら、学校も大学院も無償で、卒業後はほぼ確実にうちに入れる。」

翔子は、夫が話す様子を見つめた。

この人が、こんなに嬉しそうに宇宙の話をするのは何年ぶりだろう。

25年前、彼がサークルの飲み会で「宇宙輸送の未来」について熱弁していた姿に惹かれたことを思い出した。

(私はこの人を、長年、地球という重力に縛り付けてきたのかもしれない)


「この“日和”地区なら、日本語が通じるの?夏希ちゃんとメッセはできる?」

リビングでゲームをしていた娘の光里が、電子パンフレットをめくって尋ねてきた。

「そうだね。その地区は日本人が多くて、日本語と日本の法体系が使われてる。通信誤差も2秒以内。ほとんど今と同じようにやりとりできるよ。小学校の修学旅行では火星の日本区にも行けるんだって。」

修一が日和のパンフレットを広げながら答えた。

(コスモクロノスのセクターと違って、情報検閲もない……って話はしなくていいか)

「2秒は誤差だけど、リアルタイム対戦には致命的なんだよね」

珍しくリビングにいた中学生の息子、翼が口を挟んだ。ゲームばかりと思っていた息子が、意外な調査力を見せる。

「コスモクロノスのセクターなら、居住区でも超光速通信が使えるってネットで見た。……それに、Luna02のハイスクールには深宇宙観測の専攻や、水星との交換留学制度もあるんだ。行けるなら、そこがいいと思う。光里も、どうせ英語は勉強するんだし、“日和”にこだわらなくてもいいでしょ?」

その言葉に翔子は小さく息をのんだ。

ゲームに夢中なだけと思っていた翼が、自分の将来を見据えて調べ、希望を口にしている。夫も息子も、もう地球の重力の外側に目を向けている。

(私は、家族とは違う重力圏にいるのだろうか)

翔子は、胸の奥にかすかな疎外感を抱いた。


地球に留まる理由を、ずっと“家庭のため”と思ってきた。でも、それは本当に彼らの望みだったのか。

“地球に残ってほしい”のではなく、“一緒に宇宙にいきたい”と思っていたのではないか。

重力の中心にいたのは私で、家族を静かに引き留めていたのではないか。

「超光速通信は、あくまで福利厚生の範囲で、ビジネス時間帯以外だけ使えるんだ。だから、変なサイトは通常通信でアクセスするんだぞ。父さんが怒られちゃうからな。それと、ハイスクールについてはよく調べたな。翼の希望はよくわかったよ」

修一が笑って答えると、翼は少し照れたようにうなずいた。

光里も、兄の意見には逆らわず「ふーん、じゃあどこでもいいや」と言って、リビングに戻っていった。


「翔子はどう思う?」

しばらくの沈黙のあと、翔子は小さく息をついた。

「……私は、セレネス共同自然区に住みたい」

これは嘘だった。

「でも、治安も悪いし、子どもたちの将来を考えると、居住申請はコスモクロノスがいいのかなって。週末はセレネスに旅行するのもいいかもね」

これも、嘘だった。

セレネスからは、宇宙港が見えるらしい。東京直行便が発着するその光景が、「地球に戻れる」という保証のように翔子の心を落ち着かせるように感じたからだ。

「……まだ不安はあるよ。でも、みんなの希望を聞いてると……うん、やっぱり一緒に月に行きたいって思った。怖いけど、行こう」

そう口にしたとき、翔子の胸の奥で、ほんの少しだけ地球の重力が緩んだ気がした。

「じゃあ、コスモクロノスのLuna02に決めよう。セレネスにはシャトルで片道40分だから、毎週でも毎日でも行けるさ」

修一は結論を口にし、翼は目を輝かせてうなずいた。

翔子も、静かにうなずいた。

浦和の空には雲がかかり、その向こうに月がうっすらと光っていた。

その月は、今まさに、彼ら四人を受け入れようとしていた。



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