人を見る
「便、またオーナーともめたらしいじゃねえか」
感心するような、呆れたような、どっちともとれる笑みを浮かべて電子タバコを吹かしている大柄の男は、俺の上司だ。家の事情で大学に進めず、アルバイトをしていた俺を会社へ誘ってくれた恩人でもある。
この人がいなければ今の俺は、どこかで食いっぱぐれていたかもしれない。
そんな恩人が勤務の後、「飲みに付き合ってくれ」と誘ってきた。営業所のビルから少し歩いた先にある、そこそこの広さの居酒屋チェーンが行きつけの場所だ。
行きつけの理由は値段がリーズナブルなのと、喫煙席があるからだ。
俺の上司は今日買ったばかりの煙草の箱を空にしながら、俺に向かいなおった。
「ま、売り場ガラガラ、棚は埃が積もったひでえ状態だったがな! 怒るのも当然だ! がははは!」
スーパーバイザーになった俺は、確かな成果を上げる一方で、苦情の言葉を貰うことも多かった。「常に怒っているような気がして話しにくい」とか、「若いくせに正論をまくしたててきて生意気だ」とか、そんな理由。
俺からすれば怒っていると思われているのは、向こう方に怒られると思っている理由があるからだし、俺より長く生きているくせに隙まみれな店舗管理をしている奴が悪いと思っている。
「だがまあ、お前の態度がきついっていう、向こうの言い分はわかる。もうちょっとやんわりやっても良いんじゃねえか?」
「やんわりとは?」
「もうちょっと緩くやっても大丈夫ってこと」
諭すような声音の上司の言葉に、俺は「ダメでしょ」と返した。
「優しくやって売上立つんならそうしますよ。でも手を抜いて店舗運営した上で、売り上げ落としてんだから話にならない」
「かといって、真面目にやらないやつに、急に真面目にやれなんてのも現実的には無理な話だぞ」
「んなちんたらやってる間に、他所のチェーンに客取られたら、今度こそ取り返しがつかないじゃないですか」
思わず向きになって声が強まり、上司がきょとんと眼を丸めた。
「すいません……」と我に返った俺に、「いいよいいよ」と上司がグラスにビールを注いだ。
「……俺なりに、加盟者のこと考えているつもりです」
酒に口をつけた勢いで、俺は取り繕わず思っていることを話した。
「人生なんて、いつどんな時に最悪になるかわかったもんじゃないでしょ。自分がどんなに徳を積んでいても、真面目に生きていようとも、最悪の瞬間ってのはいきなり訪れる」
「ああ、お前はそうだったな……」
俺の家は、俺と母さんと父さんの3人家庭だった。俺が小学校高学年になるまでは、結構仲睦まじく、幸せに暮らしていたと思う。
関係が壊れたのは、母さんが病気で亡くなってから。母さんを失ったショックで父さんは酒やたばこに溺れるようになり、仕事でのストレスが重なったことや、今まで母さんが背負ってきた家事や責任を引き受けることになり、生活がどんどん荒れていった。
酒癖が悪い父ではあったが、俺が休みの日に昼から酒におぼれるさまを見て、思わず悪態をついたときに、顔を殴り飛ばされた。
何が起こったかわからなかった。
痛みを自覚したのは、わなわなと拳を握りしめて、血走った目で俺を見つめる父親の姿と、口の奥からにじみ出る気色悪い血の味を認識したときだった。
それ以来は口を開けば喧嘩になった。手を出される日もあった。
そんな日を繰り返してしばらくたって、俺はあいつの子どもじゃなくて荷物になったんだと思った。
飯は机に1500円がおかれるだけになった。ゴミ出しの日には、俺の知らないカップ麺の容器が増えていった。
養われていることに気色悪さを覚えた俺は、高校のときに父親に黙って、少し離れのコンビニでバイトを始めた。同意書のハンコは寝ている間にこっそり押した。
でも所詮学生のアルバイトだ。大学の資金は貯められず、進路に困っていたところを目の前の上司に拾われた。
それがきっかけでコンビニ業界で働くことになった。ほかの地方の仕事と比べ、大手ということもあり平均給料も高く、バイトでの経験も生かせると思った。
ネックなのは自動車免許の取得だったが、入るなら俺が取らせてやると、上司が代金を肩代わりしてくれたのも決定打だった。
「でもさ、俺を拾ってくれたのって、俺が仕事をまじめにやって、人並みよりは頭がよかったからでしょ」
「まあ、そりゃそうだが」
「父親がだめになったとき思ったんです。ここで腐ったらこうなるって。理不尽な環境でも俺はちゃんとしようって。バイトしながらでも勉強はしっかりとしていたし、成績も保った。やることやったから何とか踏みとどまれたんだ。あなたという運に救われたけれども、他人のせいで滅茶苦茶にされた人生で、振りかかった運をつかめたのは俺の力だ。真面目が馬鹿を見る世の中でも、どん底になったときに救われるのは真面目な人間だって俺は信じてます」
「……」
「今、あたりを見渡せばどこにでもコンビニがある時代だ。他ブランドだけじゃなくて、下手すりゃ同業が目と鼻の先に。同じ加盟者じゃない限り、ファミマの敵はファミマでしょ。質の低い店舗は他ブランドだけじゃなく、同業に食いつぶされる危険性をはらんでいる。だから手を抜くなって言ってんのに、あの馬鹿ども……」
俺がブツブツ文句を言い始めると、「厳しさは優しさの裏返しか……」と上司はおかしそうに笑った。
「便、コンビニを良くするために、何が必要かこたえられるか?」
「え? そりゃあ……」
売り場の品ぞろえを保つこと、新商品の導入率が高いこと、接客の感じがいいこと、店内が清潔かつ整然としていること——
とありとあらゆる要素を列挙し始めると、上司が「がはは!」と吹き出して笑った。
「【人】を見れるようになることさ」
「人を見る? 見てますよ。じゃなきゃその店舗の客層のニーズを把握して、商品を仕入れることなんか……」
「人を殴ったから悪い人間のなのか、店舗運営で手を抜くから不真面目な人間なのか。そうかもしれないが、そうでないかもしれない」
おそらく自分のことを言われているのだろうと思い、俺は言葉をひっこめた。
「その店舗で働く人が、どんな思いで働いているか? 周辺で暮らす人がどんなことを考えて暮らしているか? その店舗に関わった人たちの、未来がどんなふうであってほしいか? お前はまだ想像できちゃいない」
「想像しているから、ニーズを拾った提案ができるのでは?」
「お前が拾うのは情報さ。年齢層とか、主婦とかサラリーマンとか、何をしたかしてないかとか、そういう外側の情報。もっと見るべきは、データや行いで測れない、もっと内側の部分だよ。お金を稼いだり、外面を良くすることだけが誰かの幸せとは限らないぞ」
「……」
話の意図が分からずに、俺は黙りこくってしまうと、
「まあ焦んなや! 数字を見るのは既に俺より上手いんだから!」
と強引に話を切り上げてきた。いや、話題を振ったのそっちなんだが。
アプローチを変えろということなのか、それとも今の俺に根本的にかけたものがあるのか。
「でも、お前はそのうち気付けると思ってる。お前は優しい奴だからな」
もっと優しくしろと言われた後でこの発言だ。俺はますます何が言いたいのかわからなくなった。
「お前の担当した店が、お前に関わった人たちがどんな風になってほしい?」
その答えを探しているうちに、俺はひき殺され、救世主として異界の地に呼び出されている。
「……」
俺は店舗に戻り、発注した商品を並べながら考えた。ほんの少しずつだけど、確実にマナが貯まっていく水晶を横目に考えた。
マナが貯まるってことは、俺のしたことは誰かの為にはなっている。
だけど、イコール世界の為になっているとは限らない。本当に幸せにしなければいけない誰かは苦しんだままかもしれないし、このマナの生みの親は元々裕福な誰かだっていう可能性もある。
俺はこの異能で世界をどうしたい?
この世界で生きる奴らはどんな思いで生きているのか?
その答えを出せるほど、俺はまだこの世界のことを知らない。
でも、ひとつだけ。
「あいつらの、未来……」
店舗に——俺に。関わった人たちの、未来がどんなふうであってほしいか?
それだけは今、はっきりと答えることができる。
いつも他人の面倒に巻き込まれてばかりで嫌になる人生だった。
自分勝手に生きてみたいと思った。でもそれは自分一人で生きていたいと思ったわけじゃない。
望まれた道を歩んだ自覚はないが、幸せが転がっていなかったわけじゃない。
誰かに人生滅茶苦茶にされたけど、誰かに拾われた人生だった。
自分が良くした店舗で、楽しそうに買い物してくれる人たちを見て嬉しかった。
そういった成果を上司に褒められたり、関わった店舗から感謝されることがあるのも嬉しかった。
結局俺の幸せは、自分でない誰かの幸せとともにある。
だとしたら、俺に関わった奴らの未来は——
「……」
まあ、正直この世界のことなんかどうでもいいし。救世主様とやらになる気は更々ないんだが。
「……潰すか。この店」
関わった奴らが不幸になるのを放置できるほど外道ではない。せめてあのクソガキが年相応に笑ったり泣いたりできるぐらいの世の中にはしてやりたいもんだ。
翌朝、まだ暗い早朝のこと。
人々を賑わせた異界の店舗は初めから何もなかったかのように忽然と姿を消した。
コンビニがあった跡地に、まぶしい朝日が雲の隙間から差し込んだのであった。




