不穏な入学式
王都の一等地にある小さな二階建ての赤レンガの建物の寝室で。
伯爵の親から余っていた爵位を譲られたばかりの新米子爵ルシウスはベッドの中で唸っていた。
「う、うう……頭いたいぃ……」
枕もうつ伏せで枕にしがみついているのは、まだ少年だ。
青みがかった銀髪に、白いはずの肌は高熱で首筋まで紅潮している。
もう春で、三日後には学園の高等部の入学式だというのに風邪を引いてしまったのだ。
本当なら同じ王都にある実家で看病を受けられたのだが、いま実家には兄の子供がいて、まだ一歳児なのだ。
「うう……ヨシュアに風邪うつしちゃったらヤバいもん……」
仕方ないから独りで耐えている。
力なく寝返りを打って仰向けになった顔は汗だくだったが、とても麗しい。
ぼんやり開けた瞳の色は、ほんのり緑がかった薄い水色。一族特有の色で、湖面の水色といった。遠い先祖が住んでいた場所にあった湖の色なのだ。
ルシウスの実家はリースト伯爵家という魔法の大家で、一族の主だった者は皆、魔法剣士だ。
先祖に魔人族という人類の上位種ハイヒューマンがいて、その血を受け継いでいるから強かった。
ルシウスはそのご先祖様たちに事情があって、古い時代に封印されていた赤ん坊だった。
ずっとずっと実家の倉庫に封印されていたのだが、十六年前に今の兄が封印を解くきっかけをくれたことで、現代に復活したハイヒューマンである。
その上位種のはずのハイヒューマンがなぜ風邪で唸っているかといえば、単純に現代人なら当たり前に持っている免疫力がないからだ。
一度罹患して癒えれば獲得できるのだが、そのためには下手な治療をせず、自然に治るに任せる必要があった。
人間より強い生命力を持つから、普通の人間なら危険な流行病でも命を落とすことはまずない。
しかし免疫を獲得するまでがとにかく辛かった。
「兄さん……父様ぁ……どうして側にいてくれないの……」
もう十六歳だが、まだ十六歳でもある。
それにハイヒューマンで格別魔力の強いルシウスは身体の成長も遅い。まだせいぜい十二歳ほどの体型でしかなかった。
精神は肉体に引きずられる。まだまだ子供なのだ。
(看病、断らなきゃよかった)
父や、兄とそのお嫁様は絶対にダメだ。可愛い甥っ子に触れる機会が多いから、絶対に来ちゃならんと伝えてある。
身の回りの世話をする使用人は朝晩、料理や洗濯などを行いに来るがそれだけだ。
(さびしい。兄さんたちから離れたのは自分からなのに)
幸い、学園の入学式までには全快した。
だが、悠長に朝食を食べていたら時間を勘違いしていることに気づいて、パンを齧りながら慌てて家を出て学園まで走ってきた。
そして学園に到着するなり、鈍臭い銀髪の小柄な生徒にぶつかってしまう。
「わわわ、ごめん、前見てなかったー! これお詫び、美味しいよ!」
「え、あの?」
いきなりぶつかられて、頭を下げられ、しかもお詫びまで渡された銀髪の男子生徒は驚きながら手の中に握らされたものを見た。
ルシウスが手渡したのはチョコレートだ。青いセロファンに包まれた一粒の。
「えっ、これガスター菓子店のショコラ!? こんな高いもの貰えません!」
「いいのいいの。美味しいから早めに食べてね!」
言うだけ言って、ルシウスは全力で入学式の会場を目指した。
「あれ? まだ皆、わりと余裕ありげに歩いてる……?」
もしやこんな全力疾走しなくても間に合うのでは? とようやく頭が回り始めてスピードを落とす前に、また誰かにぶつかってしまった。
今度は先ほどと違って、ぽよーんと跳ね返された。
「わ、わわわっ?」
「おっと、危ないぞう。ちゃんと前を見てくれ」
あたた、と転んで立ち上がりかけたところに、低い声がかけられた。
伸ばされた手を取って立ち上がる。
そこでようやく自分がぶつかった相手の姿を見た。随分と大柄な男性だ。
肌色が薄くて皮膚の下の血管が透けてほとんどピンク色をしている。
帽子を被っているから髪型や髪の色はわからなかった。
「ハッ!? 高等部の先生ですか、ごめんなさい!」
「いやいや、お前さんと同じ制服着てるだろ? 新入生だよ、留学生だけどな」
「そっかあ。あっ、入学式の講堂がどこか知ってる?」
「これから向かうとこだ。一緒に行こうか」
入学早々、親切な同級生に会えた。
これは幸先が良いかもしれない!
入学式は講堂で行われる。
まだクラス分けの発表前なので座る席は前から先着順だ。
遅くに到着したルシウスは当然、後ろのほうの席になる。
適当に空いてる席に座ると、隣に見慣れない新入生たちが来て、ルシウスに話しかけてきた。
「ねえ、君。あいつには近寄らないほうがいいよ?」
「ん?」
既にハーフエルフの学園長の挨拶が始まっている。
横から話しかけられてルシウスは眉間に皺を寄せたが、内容が気になったので聞くだけ聞くことにした。
「さっき君がぶつかってた銀髪の男子生徒、宰相家のグロリオーサ侯爵家の末の息子なんだけどさ」
彼らはその侯爵家の分家の者たちだという。
「へえ。詳しく聞かせてよ」
後ろの席だったのが幸いして、おしゃべりしていても、壇上の学園長や行動の壁際で控えている教師たちに見咎められることはなかった。
先ほどぶつかって一緒に行動まで来たピンク肌の大柄な生徒も、彼らとは反対側のルシウスの隣の席から会話に耳を傾けている。
生徒たちが言うには。
最初にルシウスがぶつかって詫びにチョコレートをあげた銀髪の小柄な生徒は、現宰相が若い後妻の間に儲けた息子だそうだ。
宰相は亡くなった最初の妻との間に長男が既にいるから彼は次男になる。
「だけどその後妻ってのが不貞を犯して。あいつだけ置き去りにして家を出ちまってるんだぜ」
「へえ~。そうなんだ」
そりゃ残されたあいつは実家で針のむしろだろうぜ、とイヤな感じで笑う生徒たちに、ルシウスは適当な相槌を打った。
(宰相。あんたの息子、自分とこの親戚からいじめ受けてるよ。何やってんだよアイツ!)
現宰相はルシウスの父と同級生なのだ。
ルシウスも子供の頃から知っているが、そんな不義の子がいるなんて話は聞いたことがなかった。