方舟の救世主
「ノアの方舟」という神話を知っているだろうか。
旧約聖書の創世記に登場する大洪水のお話だ。
遥かな昔、世界を我が物顔で生きていた人類の傍若無人な振る舞いに激怒した母なる神は、地球を浄化するために永遠の雨を降らせ、海面を上昇させ、水の惑星から大地を消し去った。
他の生物もろとも人類を滅ぼしたのだった。
だが、神は人類をまだ信じていたかったのだ。
1人の裏表のない青年に一雫の希望を託した。
史上最大の神の楽園の大木から削り出された壊れない方舟、
希望の船と共に青年に託された使命、それは各生物の番を二組ずつ船に乗せ、浄化された楽園にたどり着くこと。
全てを救う為に青年は旅に出るのだった。
そして今、その神の怒りがこの地に顕現した。
天が裂き、大地が唸りを上げる。
空が泣き、星の怒りが現世を潤す。
今まで世界が経験したことのないぐらいの大雨、まさに天災と呼ぶに相応しい大豪雨が森林に降り注ぐ。
その中心で抱き合う男女の足元から幾重にも連なって地表にひび割れがはいる。
隙間という隙間から重力に逆らった水が舞い上がって来た。
瞬く間に、何十mもの高さが、水で隙間なく満たされた。
その中に、たった一つだけの気泡に包まれたボクがいた。
間違いない、これは事前に聞いていた瑠璃の奥の手で“水歌”による現在では最大の術である“罪の方舟”だ。
自身を中心にした半径5kmの球状の隙間のない水が徐々に広がり、使用者の魔力が切れるまでそれは終わらない。
仮に瑠璃の魔力が無限大だとすれば、この技を使い時間経過を待つだけで世界を滅ぼすことができる。
そのポテンシャルが彼女にはあるのだ。
これこそがSクラス“第5席”水恋瑠璃の真骨頂だ。
世界を滅ぼす術だが、「ノアの方舟」に沿っている。
全てを飲み込む大洪水の物語にはたった1人の“救世主”がいる。
たった1人を“救世主”は空気に包まれ、1人だけ生き残ることができる。
使用の際は自分自身を“救世主”に指定することで、瑠璃は自爆することなく敵を蹂躙していた。
しかし、今は気泡の中にいるのはボク、つまり“救世主”に指定されたということ。
瑠璃は敵もろとも心中しようとしていることだ。
「ははっ、なんも背負う気なんてなかったんだけどな………」
まったく、笑えてしまう。
あの日に何もかもを失ってから、“弱さ”という“罪”を背負い、復讐を果たすと決めたのに。
もう何も託されるはずなく、期待されることのない愚かな罪人となったはずだったのに。
「まったく、重い物託してくれたなぁ………仕方ねえ、応えてやるよ、その期待に、なってやろうじゃねえの、この戦いの“救世主”に!!」
水面に映る自分は、ここ最近で一番楽しそうで、酷く怖い乾いた笑いを浮かべていた。
あいつは絶対に生き残る。
たとえ他の誰が戦闘不能になろうとも、無数にある手札でなんとかして捌くはずだ。
しばらく刃を交えてようやく分かった気がする、やつの術式の正体が。
自由自在に姿を変え、重い一撃も、厄介な搦手も使いこなせる術式、その技の応酬。
その中であいつは、あることを一貫していた。
あいつは、最初の爆炎以外は絶対に単発で術式を使わなかった。
そう、絶対になんだ。
術式同士が持つ良い点が相殺されたとしても、絶対に術式を混ぜて使用していた。
例えば最初に使用した“炎神鳥”、フルオートで追尾してくるのは悪くなかったが、最初の爆炎のように混ぜることなく広範囲に炎を放ってしまえば“転移”でも逃げきれない可能性があった。
例えば“風上連射”、“大気”の利点として挙げられる不可視だということ、それを“駆逐”の使用時の特徴である赤血で見えるようにしてでも威力を上げてきた、それに広範囲に放てるはずが“弦月”による一点集中の連射だ。
一体なんなんだ、このじっとりと纏わりつくような気味の悪い違和感の正体は。
思い出せ、あいつはどんな術式を使用したのかを。
探せ、あいつの行動の共通点を。
考えろ、なぜあの組み合わせだったのか、なぜ3つまでしか術式を混ぜてこなかったのか。
安全なうちに、保護されているうちに、思考を加速させろ。
「一点集中………何を捨てて何を得ていた………なぜより多く混ぜてこなかった………」
不可視、速度、その他もありとあらゆるものを捨ててきた。
そしてあいつの術式は威力を上昇させてきた。
あいつはまるで焦っているようだった、何かを隠すように、何かを恐るように、何かから逃げるかのように。
「………何を知られたくないんだ………」
ヒントを探せ、この戦いからだけじゃない、今までの会話から、今までの一挙一動から、みんなの些細な癖から、自分の今までの人生から、探し出すんだ。
思い出せ、自分の術式の本質を、なぜこうなったのかを。
あのクソ野郎への復讐のために身につけてきた全てを。
「………………………ああ、そっか」
ふんわりとではあるが、ようやく分かった気がする。
あいつの謎がわかった気がする。
そうだ、この仮説なら辻褄が合う、今までのあいつの行動が、全てがぴたりと当てはまる。
歯車が噛み合うかのように、欠けたパズルのピースが見つかったように、全てが当てはまり、完成する。
「そっか、なるほどな、ははっ、やーっとわかったぜ?夜神!!」
笑顔が止まらない、ああ、早くこの仮説を試したくてたまらない、早く夜神を叩き潰したくて仕方ない、ようやく見つけた真実の一筋の光を世界を照らすような極光に進化させて見せたい。
これは本当になれてしまうかもしれない、瑠璃から託されたこの思いを紡ぎ、“方舟の救世主”になれるかもしれない。
「さ、似た者同士楽しもうぜ?夜神!!」
大洪水が大地に天に帰還し、カラッとして浄化された世界が姿を表し、ボクは一歩踏み出した。
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