いたちとの約束
私は大股で廊下を歩く。そして、何度も心の中で罵倒する。
――クソ!クソ!クソ!
あの憎たらしい学園長は私にこう言った。
『お気の毒ね』
何がお気の毒だ。お前がお父様を地獄に叩き落としたくせに。
『相談して頂戴ね』
誰がお前なんかに相談するか。それくらいなら死んだ方がマシだ。
――光樹怜奈め!お前に私を心配する権利なんて無いんだよ!
最も憎むべき相手に気を配られる。こんな屈辱的なことが他にあるだろうか。私は怒りと悔しさで、はらわたが煮えくり返りそうになる。これほど心をかき乱されたのは久しぶりだった。
「あ、志月先輩」
「どいてよ」
――ドンッ。
一年生の女の子を突き飛ばす。彼女は床に倒れ込む。
「きゃあ!」
私にはもう何も見えていない。とにかく、早く外の空気を吸いたかった。この胸のむしゃくしゃした気分を晴らすために、新鮮で爽やかな空気が必要だったのだ。
「ちょっと!朔良ちゃん!何してるの!」
背後からいたちの声がする。彼女は私の歩みに合わせてついてくる。
「どうしたのよ。普段のあなたじゃないわ。あんなことするなんて」
「いたちは黙ってて!」
「いや、黙らないわ!」
いたちは私の腕を掴んで、そのまま壁に押しつけた。思いもよらない力技に、あっけなく捉えられてしまう。壁を背にしていたちと正面から向き合う。私は息を荒くしてひどく興奮していた。
「……離してよ」
「いや。朔良ちゃんが本当のことを話してくれるまでこの手はどかさないわ」
「離してったら!」
私はもがいて彼女を振りほどこうとしたが、出来なかった。いたちの方が身長が大きかった。たぶん、重さも優っているだろう。瞬間的な怒りが収まってきて、冷静に考えられるようになる。このままだと、このしつこい女は絶対に離さない。夜になっても動かないだろう。仕方がない。事の次第を喋るしかない。また、こいつに私のプライベートを知られることになるのだが……。
「そっかぁ。マリーのお母様がねぇ?そんなことを……」
いたちは演技的な納得の素振りを見せると、ようやく手を離してくれた。袖のところがクシャクシャだし、手首が痛い。この馬鹿力め……。
「じゃあね、いたち。もう済んだでしょ?」
「……おかしいわね」
いたちはまるで探偵のように顎に指を添えて、真剣な眼差しで斜め下を見つめていた。彼女の太い眉がピクピクと動き、謎を探っている。いい加減解放してくれよ。外の空気を吸いたいのに……。
「だって、学園長がしたことを考えてみれば、朔良ちゃんに対する態度に違和感があるって言うか……そうよ!変よ!」
「あれはあいつの皮肉だったんだよ。自分が始末した父親の娘に『相談してね』だってさ。ああっ!今でも腹が立つ!なんて嫌味な奴なんだ」
「で、でもぉ。その様子を見る限りは、嫌がらせって感じでも無いんじゃない?」
「馬鹿なこと言わないでよ。いたちまで光樹親子の肩を持つのかい?」
私の苛立ちは再び頂点に達する。いたちの馬鹿げた推理に付き合っている暇なんてない。学園長に加えて、こいつまで私を揶揄うつもりなのか?
「落ち来なさいってぇ!そんな風に単線的に理解するなんて朔良ちゃんらしくないわ。思い返してみてよ。そもそも、どうして朔良ちゃんは光樹親子があなたのお父さんをダメにしたって知ってるの?」
「そ、それはお父様が言ってたからだよ。私は光樹に嵌められたって。それに事実関係を見れば簡単にわかることじゃないか。あいつよりもはるかに人望があったお父様が選挙に負けて、代わりに光樹が学園長になった。あいつが仕組んだに決まってる。お父様がずっと願っていた学園長の椅子を、あいつが……」
いたちは例の探偵ポーズでしばらく考え込んだ後、とんでもないことを言い出した。
「”もし何か別の真実が隠されているのなら”……?」
「え?」
「あなたのお父さんの証言と事実関係を見れば確かにそうね。でもそれが全てなのかしら?勘違いしないでよね?私だって光樹親子が無実だなんて思ってないわよ?でも、プロセスがあまりにも不明瞭よ。ねぇ、朔良ちゃん。もっとちゃんと調べた方がいいんじゃないの?」
調べる?なぜ?どうやって?私はキョトンとした顔をして、言葉を失っていた。彼女の突拍子の無いアイディアに驚いただけではなく、いつになく真剣な眼差しに釘付けになってしまったからだ。いつもいたちはとろんとした柔和な表情を浮かべているのに、今の彼女は別人のような鋭さを秘めている。突然明かりを向けられた人のように、私はびっくりして停止したのだ。
「ふん。どうせ調べたって同じだよ」
「でも、意外な真実が明らかになるかもよぉ?ふふ。やってみる価値はあるって思わない?」
……いたちの言うことにも一理あるのかもしれない。私は光樹親子がお父様を廃人にしたことは1%も疑っていない。不正選挙だって絶対にあった。でも、具体的にどのようなことがあったのか、選挙の不正とはどのようにして行われたのか、私は何にも知らなかった。証人であるお父様は口がきけないのだ。私が知っているのは結果だけ。娘として知る義務がある……そう思えて来た。
「ね?そう思うでしょ?」
「……まあ、ね」
私がそう言うと、いたちはウサギのように喜んで跳ねて、腕を回して抱きついてきた。ばふんと音を立てて、彼女の豊かなふくらみが当たった。ああ、腹が立つなぁ。スリムな私とは大違い……。
「んっふふー♪やっぱり持つべきモノは友ってねー?朔良ちゃんったら、ようやく私の価値を認めてくれたのね?」
「馬鹿言わないで。自分が言ったことが採用されたくらいで、調子乗りすぎなんだよ」
「でも認めてくれたんでしょう?きゃあ♪嬉しいっ♪ねぇ、ほっぺにキスしていい?」
「勝手に嬉しくなるな!キスはやめろ!いい加減離れてよ!」
彼女はステップを踏んで後退すると、満面の笑みを浮かべた。私とは違った血色のいい笑顔が光り輝いている。
「どうやって調べるかは後で相談しましょ?色々と考えないといけないし。じゃあ朔良ちゃん。勝手に一人で行動しないでよ?学園の王子様である朔良ちゃんの、最高の友人である木更津いたちと共に行動を取ること。んふ♪わかった?」
堂々と”オトモダチ宣言”するいたちに呆れながらも、まあ認めてやろう。一人だと心細いのは事実だ。仲間がいた方が後々有利だろう。
「わかったよ。約束する」
「ん♪良い子♪」
こうして私たちは一度別れた。だいぶ時間が経っていたようで、廊下に人気を感じられない。私は新しい計画に対して、80%の不安と15%の期待と、5%くらいの”友情的なもの”を感じつつ、頭の中を整理していた。思わぬ共同戦線に気苦労が増えそうだ。