拳銃の重み
街中をぶらぶらと歩きながら、散らかった頭の中を整理しようと努力していた。さっきのマリーの一件のせいで、心の中がざわついて思考がまとまらず、順序立てて物事を考えられない。私は頭を横にぶんぶんを振る。街の風景に意識を移そう。頭を切り替えなきゃ。ローリエ学園は都会の郊外にあって、そこそこ自然に恵まれている方だと思う。でも、中心街に向かって行けば、大きなビルや綺麗に舗装された道路、スーツに身を固めたサラリーマンたち、忙しそうに駆けていく車両……都会らしい風貌が出現してくる。私は地下に続いていくエスカレーターに乗ってスーパーに入る。お父様は精神状態が悪く、料理なんてできないものだから、私が毎日代わりに調理を行っている。最初は辛かったけどもう馴れた。それに、『おいしい』と言ってくれなくても、食べてくれるだけで幸せなのだ。今日は何にしようかな……冷えてきたからスープがいいな、中華……いや魚介にしよう。鍋でコトコト煮込んで、野菜もいっぱい入れて、体の芯から温まるものにする。必要なものを買って、地下通路をから電車に乗る。私の家は大通りから少し奥の方に入ったところにあって、お父様と二人暮らしだ。赤いレンガの派手な外壁とは裏腹に、内側は完全な木造で、木の軋む音があちこちから聞こえる。埃まみれのボロ家だ。
「お父様、ただいま」
返事は無い。だが、いつものことなので何とも思わない。私はリビングに入って上着を脱ぐ。お父様は窓側に安楽椅子を寄せて、光の無い目で外の景色を眺めていた。浅黒い日焼けした顔に、塩をまぶしたような顎髭を生やし、紫色の唇は堅く閉じられている。目は落ちくぼんでいて、額に数多くの皺が刻まれている。お父様は最近食欲がない。また痩せたんじゃないだろうか。指は枯れ枝のように貧相だし、爪先が少し割れている。また厳しい冬がやってくる。しっかり栄養を取らないと風邪を引いたり関節を痛めてしまう。私が……私がお父様を支えないと。
「頂きます」
私はテーブルで、お父様は安楽椅子の近くに寄せた丸いテーブルで食事を取る。お父様はもうほとんど窓際から動かない。移動するだけの元気も無いのだろう。
「……」
お父様は食べ物をスプーンで掬って口に運んでいく。一言も喋らず、気が遠くなるほどゆっくりと。ぎこちない感じで、まるで操り人形のように機械的な動作だった。よかった、ちゃんと食べてくれている。
「お父様。冷えるからもう窓閉めるね」
私は上下スライド式の窓を降ろして鍵を閉める。でも、カーテンは開けておく。路上に目をやると、もう遅い時刻だからか、それともメインストリートから外れた裏道だからか、無人状態である。お父様はこんな殺風景を見て何が楽しいんだろう?私は席に戻って熱いスープを食べる。我ながら上出来だ。
私は二階の自室で宿題を終わらせる。そして、これからのことについて考える。私は父親の仇を取らなければならない。一人娘である私こそが担う、絶対に逃れることのできない使命なのだ。あの憎き光樹親子に引導を渡さなければならない。でも、どうやって?マリーは既に何度か痛めつけたけど、学園長はそう簡単にはいかない。何といっても、ローリエ学園の一番の権力者なのだ。ならばどうする?相手は大人、しかも、不正を働くことになんら良心の呵責を覚えない、極悪非道な且つしたたかで賢い相手だ。無暗に突っ込んでも返り討ちになるだけだろう。でも、玉砕覚悟で突撃するのも無い話ではない。私の唯一の家族であり、誰よりも大事なお父様を奪った相手を、そんな風に色々策謀を巡らして回りくどい方法で挑む必要があるのだろうか。自分の未来なんて捨てて、刺し違えるくらいの気概で突っ込んだ方が良いのではないだろうか。例えば、一撃で相手を殺めることができる武器を使用するとか……。
――カチッ。
私は鍵付きの引き出しを開ける。そして中から……ピストルを取り出す。木の持ち手に鋼色の冷たい銃身を備えた凶器だ。今から2ヶ月前に、偶然路地裏で拾ったのだ。最初はおもちゃかと思った。でも、この重み、冷たさ、そしてほのかに香る火薬の匂い……私の直観がこれは本物だと教えている。銃弾は三発入っている。銃の撃ち方なんて今どきネットで調べればすぐに出てくる。引き金を引けば、人を一瞬で絶命に至らしめる凶弾が発射される。一発目は学園長、二発目はマリー、そして三発目は?
――カチャ。
私はピストルを窓ガラスに向ける。そこには慣れない手つきで武器を握った、青ざめた少女が写っていた。銃口は彼女の心臓辺りを狙っている。
「ばんっ」
ぽつりと呟く。三発目は――この私のためにある。だって、二人も殺したらどうせ死刑になるだろう。というか、復讐を果たしたらもう生に執着するつもりはない。最後の一発は自身に撃ち込んで、地獄に堕ちる予定だ。……なんてね。今のはただの妄想。こんな凶器をどうやって学校に持ち込む?一人殺しても、もう一人はどうやる?そんな首尾よく行くわけがない。映画じゃないんだから。
部屋の電気を消して、無心のままに暗い天井を眺めている。最近よく眠れない。ずっと考え事が頭から離れなくて、そわそわして落ち着かないのだ。何度も寝返りを打っては、入眠できない自分に腹が立ってくる。私は迷っている。どうやって復讐をするのか?考えても結論が出ないことは既に分かり切っているというのに、決断から逃げ出すためにわざと煩悶しているかのよう。こんな日はベッドから抜け出して、夜空を眺めてみる。小さな砂粒のような綺羅星が、大海の中で輝いている。お父様がどうして窓際から離れないのか……何となくわかる気がする。どんなに悩んでいても、寂しくて眠れなくても、この景色が――世界の美しさが癒してくれるような気がするから。お父様もきっと、精神の薄明の中で悩み苦しんでいるのかもしれない。彼はもう二度と口を開くことはないけど……きっと……。