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マリー様の呼び出し

下校時間になった。下駄箱の扉を開ける。すると、まあ例の如く……。

――バラバラ。

手紙の大洪水だ。これらは、いわゆるファンレターと言うやつだ。女の園であるこの学園において、私のような女性に憧れを抱く、よくわからない勢力が存在するらしい。曰く、かっこいい・見つめられるときゅんとする・王子様みたい・私を抱きしめてほしい……こんなクサい文章を何度も見てきた。馬鹿らしい。手紙なんてほとんど捨ててしまっている。だいたい、こんなものを私に送りつけてどうするんだ?何か期待している返事が得られるとでも思っているのか?勝手に白馬の王子様にしてほしくない。確かに我ながらボーイッシュなタイプだとは思う。女々しさとは無縁だし、意見ははっきりと言う方だ。逆にプリンセス扱いされても嫌だが、王子様はもっと嫌だ。全く、うんざりする……。

「ちょっと!志月さん、いいかしら?」

甲高い声。私はびくっとして振り向く。

「……光樹さん?私に何の用かな?」

光樹眞理衣がいた。肩にまでかかるウェーブした長髪を自由に流し、例の生意気そうな目つきでこちらを睨んでいる。私は動揺を隠せない。何しろ因縁の相手だ。まともに目を見て話すこともできそうもない。お父様の影が脳内でちらつく。私は胸の内を何とか抑えつけて、なるべく穏やかに振舞う。

「視聴覚室に来なさい。マリーの命令よ」

光樹さんは私を指差す。

「ごめん。今から帰るところなんだ。忙しいから」

「お黙りまさい!あたしに逆らうっていうの?いいから来るのよ」

彼女はぴしゃりと私の言葉を遮ると、袖を引っ張ってぐいぐい目的の場所まで連れて行こうとする。取り巻きも連れずに、私をどこへ導こうとするんだろう?私はともかく、光樹さんにとって私との接点は皆無に等しかった。理解ができない。不安で胸が苦しくなってくる。


視聴覚室には誰もいなかった。放課後だし、部室としても使用されていないのだ。秋の鈍い光が窓から斜めに差し込んでいた。この部屋はやや埃っぽい。明かりに照らされて細かい塵のようなものが、あたかも吹雪のように舞っていた。教室の真ん中で私と彼女は向き合うようにして立ち並ぶ。光樹さんが口を開く。

「……志月さん。あなた、人気がありすぎるのよ」

「は?」

光樹さんの提案は余りにも馬鹿馬鹿しすぎるものだった。私は唖然とする。

「そのファンレターの数は尋常じゃないわ。あたしの何倍も貰ってるじゃないの。知り合いでもね、あなたのことが好きな子もいるの。いい?この学園の花はマリー様一人で十分なの。あなたはそこらの雑草でいいのよ」

ツンとした態度で失礼なことをどんどん言ってくる。なるほど。話の筋が見えてきた。要は嫉妬だ。

「光樹さん。それは私に言われても困るよ。周りの子たちが勝手にもてはやしているだけさ。その人たちに働きかけたら?」

光樹さんは床を踏み鳴らす。ドンッという音と共に、床の埃が舞い上がる。

「馬鹿言わないで!どうしてこのマリー様がそんなことしなきゃいけないのよ!あなたが何とかしなさい。あなたに人気が集中するのは嫌なのよ。あたしだけが人気者なんだから」

「じゃあ、具体的にどうしろって言うんだい?」

光樹さんは自分の髪をくるくると指で弄り回し、幾度か天井を眺めやって考えていた。そして、薄気味悪い笑顔を浮かべてこう放言した。

「……あたしに服従しなさいよ。荷物を持ったり靴を磨いたり……ふふふっ。あたしの友達が普段からしているように、あたしに”善意”って奴を見せて欲しいわね。どっちが上でどっちが下かを証明するためにね」

私は拳を握る。体中の血液が流れを激しくして、熱気を帯びるようになる。

「ふふ。もちろんあなたに逆らう権利はないわ。だってあたしは学園長の娘……マリー様だもん。いい?このローリエ学園はね、あたしの庭なの。あたしが所有者であんたらはただの園丁に過ぎないんだから。わかった?返事をしなさいよ……」

なんでこいつはこんなに偉そうなんだ?別に頭がいいわけでもないし、運動が出来るわけじゃない。人格的に尊敬すべき点なんて微塵もない。ただ不正に選ばれた学園長の娘だってだけで、すっかり番長気取りになって威張り散らしている。どうして……どうして私が従わないといけないんだ?

「ちょっと志月さん!何黙ってるのよ!その反抗的な目は何?文句でもあるの?ある訳ないわよね。だって、万が一にも逆らったら退学なんだもん。ふふ。そうだ……あなた、あの志月元彦の子どもなのよねぇ?」

――!!!

「お父様の名前……どうして……?」

光樹さんはケラケラ歯を見せながら笑う……まるで悪魔みたいに。

「だって知ってるに決まってるじゃないの。ママが言ってたわよ。あの男ったらいつになっても負けを認めようとしなかったって……あなたみたいに往生際が悪かったって。馬鹿な男よね……自分が選挙で負けた理由がわからないんだから。くひひ。ママと比べて下らない人間だったのよ……」

私の中で何かが弾けた。思考は彼方へ吹っ飛び、ただ本能のみに従って行動した。怒りという赤い文字が記号となって、私の中で激しく点滅していた。私はこの女の胸倉を掴んだ。そして、思いっきりビンタした。

――パァン!

視聴覚室に鋭い音が響いた。私よりもかなり小柄なマリーの体は少しばかり宙に浮いた。赤い痕がべったりと右頬に刻まれる。彼女は何が起きたのか理解できないようだった。だが、それは私にとって好都合だった。何が起きたか理解される前に、もう一発食らわしたかったからだ。

――パァン!

今度は逆の手で平手打ちを食らわした。さっきよりも強く激しく攻撃は執行された。先ほどは横へ流すようにしたが、今回は後ろに押し倒すように力を込めた。マリーは後ろに吹っ飛んで壁に背中を打った。そして、糸の切れた人形のように力無く尻もちをついた。瞳孔が開いていて、呼吸もできないようだった。

――許さない。お父様を侮辱することは誰であっても許さない!

カッとなってやったことだった。後のことなど考えてなかった。ただお父様を侮辱されたのが許せなくて及んだ凶行だった。私は……この女に暴力を加えたのだ。

「あ……あな……あなた……」

すっかり顔を青くしたマリーは口をわなわな震わせながら、混乱しきっている頭の中を整理しようとしていた。言い出すべき言葉が形にならず、空振りした状態でだだ漏れる……と言った様子だった。

「やったわね……やったわね!志月朔良!このマリー様に暴力を働いたわね!あんたなんか即刻退学よ!あの男みたいに学校から追い出してやるぅ!そして……社会のゴミにしてあげるんだからぁ!」

――社会のゴミ?お父様が?

怒りは冷たい殺意に変わった。不気味なほど落ち着いていて、次に何をするべきか、脳は全く冷静に計算した。もっと激しく傷つけるべきだ――それが計算の答えだった。

「へ?あ?何……や、やめなさいよ、やめなさいっ!いや……グハァッ!」

思いっきり彼女の体を蹴りあげた。まるでサッカー選手が遠くにボールを飛ばすみたいに。小さい彼女は必死に体を丸めて自己防御しようとした。要はうずくまった。でも、そっちの方が好都合だった。だって、獲物は動かない方が仕留めやすい。こんなダンゴムシみたいなやつは、何度も踏みつけるのが相応しかった。

――ガン!ガン!ガン!

私は何度もマリーを踏んだ。肩に背中、そして頭部。後頭部を踏みつけた時、その勢いでマリーは額を床に強くぶつけた。

「ひぃ!いだぁっ!やめて!ぎゃあっ!……ギャンッ!」

額を打ち付けた時のマリーの悲鳴ったら歓喜そのものだった。私の中の犯罪的な何かが恍惚な甘い汁を吸った。もっとこんな声を聞きたいと思った。子犬みたいな可愛い声。

「ぎぃいいっ!ぎゃあっ!いだいいだいだいっ!!やあ”あ”あ”ぁああああ!」

既に悲鳴ではなくなっていた。命の危機を感じた時に発せられる、金切り声というか絶叫というか……獣的なおぞましい声だった。私はふと我に返った。本当に殺してしまうところだった。私はきっとマリーの骨という骨が砕けても、内臓という内臓が潰れても暴力を止めなかっただろう。でも、そうしたらお父様の面倒は誰が見る?ダメだ。落ち着かなければ。

「がぁっ……はぁっ……あぁっ……びぃい……」

マリーは暴力の嵐がようやく収まったのを感じて、その血だらけの顔を上げた。ひどい顔だった。鼻血が出ていたし、切れた額からは大量に流血していた。血の流れは眉間を通り鼻筋で二つに割れて顎に落ちていく。口の中を切ったのか、唇の端からは雫のような赤いものが滴っている。これが……あの学園の花、光樹眞理衣の今の姿だった。私に痛めつけられて、苦悶と恐怖の表情を見せて、今にも絶命してしまいそうな激しい息遣いをしている。

「ひ、ひぃっ!血、血よ!あたし、あたし……血が出てる!怪我してる!ぎゃあああ!救急車!死んじゃう!マリー死んじゃうわ!いやいやいやぁあああああ!うわああああああ!びゃあああああああん!!!!」

マリーはまるで赤ん坊みたいに泣きだした。ダメだ。こんなに騒がれたら誰かやってくる。私の行動が露見してしまう。そうしたら、今すぐにでも退学だ。なんとかしなきゃ。私は、私は……。

――パシャッ。

携帯でマリーのボロボロの姿を写真に収めた。そして、脅迫した。

「マリー!いいかい!?今、私はあんたの写真を撮ったんだ!血だらけの情けない姿をね!もし今この場で起きたことを周囲にばらしたら、私はあんたの写真をばらまく!あんたは権威失墜ってわけだ!」

「うげっ……そんな……ひどい……」

「その傷は……階段から転げ落ちたってことにしなさい!いいね!絶対にばらすな!」

私は鬼気迫る表情で彼女に訴えかけた。そして、逆らったらどうなるか、ポーズで示した。つまりは……拳を振り上げたのである。

「わ、わかりましたぁ!言わないから……言わないからもうぶたないで……」

「絶対?ちゃんと約束できる?あんたは卑劣で信用できない人間だからねぇ……」

「言わない!絶対に言いません!お願いぃっ……!」

マリーは懇願した。目に涙を浮かべて、血とよだれが混ざり合った液体を口から零し続けている。私は一応は彼女を信用することにした。ここで疑い続けてもどうしようもない。証拠写真は持っている。マリーはプライドの高い女。こういう社会的脅迫は一番嫌いなはずだ。すぐに約束を破ることはしないだろう。

「……」

私は視聴覚室を後にする。扉を開けて出る瞬間に、もう一度だけ振り返ってマリーの姿を見た。壁に寄りかかってペタンと座り込んでいる彼女。顔についた血をワイシャツの袖口で必死に拭っている。綺麗に整えられていた服は、足跡と埃と血で汚れている。まるで浮浪者のような汚らわしい恰好をしていた。

「……ふん」

私の心の中で、今まで感じたことのない”気持ちのいい痛み”が生じた。背徳的で悪魔的な痛みだった。私はきっとまたマリーを痛めつける。だって、私がここにいる理由はマリーへの復讐なのだから。それが私の……使命なのだから。

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