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市役所にて

私は駅で降りて、見慣れない風景に戸惑っていた。時刻は午後4時半。後一時間ほどで市役所は閉まってしまう。道に迷わないように携帯の地図機能を使いながら、慎重に目的地を目指す。結局、私は単身市役所に乗り込むことにした。電話してダメなら直接ぶつかるしかない。ごり押しの覚悟なのである。どんなに帰れと言われても腰を上げるつもりはない。残された道は正面突破しかないのだ。残念ながらいたちは一緒に来てくれなかった。外せない用事があるらしい。全く、肝心なところで役に立たないんだから。だけど、いたちはあくまで協力者。責任を一身に担うべきなのは私なのだ。

「ここが市役所のビル……」

勾配のきつい坂を上ったところに、空高く聳えるビルがあった。ここが市役所だ。一階はガラス張りになっていて、外から室内を見ることができる。カウンターに受付の人が四人ほどいて、忙しそうに何かを書き込んだり、説明したりしている。お客はまばらで、席は空いている。私は自動ドアを通り抜けて、受付に向かっていく。

「いらっしゃいませ。どのようなご用事ですか?」

「あの、見せてもらいたいものがあるんですが……」

「見せてもらいたいもの?」

「ええ。実は……」

私は事情を説明した。私自身がローリエ学園の生徒であること(ちゃんと制服も着ていたし)、とある理由で10年前の学園長選挙の議事録を見せてもらいたいこと――。受付の人は不審者を見る目をする。

「申し訳ございませんが、そういった資料は一般には公開していないので……」

予想通りの答え。受話器から何十回も聞いた。でも、私は食らいつく。

「どうしても必要なんです!お願いです!」

「そ、そんなに頭を下げられても。そもそも、どうして必要なんですか?特別な理由でも?」

「ぐっ……!」

『10年前の隠された真実を追っています』なんて答えたら、間違いなく狂人扱いだ。かといって、咄嗟の嘘もつけそうにない。こういう時に嘘の上手いいたちがいればなぁ。

「お願いします!この通り!お願いします!」

私は必死に頭を下げた。受付のカウンターに額をぶつけそうなほど、深くお辞儀をする。汗が何粒も落ちる。もう何を差し出してもいい。ここで拒否されれば、探る当てが無くなってしまうのだ。私はどうしても知りたいのだ!

「伊藤さん。どうしたの?」

「あ、課長。このお客様なんですが……」

受付の背後に一人の女性が立っていた。眼鏡をかけた三十代前後の女性で、黒色のシュシュで髪を一つにまとめていた。どこか威圧的な低い声が印象的だ。課長と呼ばれていたから、この人たちの上司なんだろう。課長は表情一つ変えずに受付の説明を受けていた。

「……わかりました。とにかく、他のお客様のご迷惑になります。控室で少し話しましょう。あなた、お名前は?」

「志月朔良です」

「シヅキさんね。この用紙に名前を書いて。控室は二階の突き当りよ。ついてきて」

私はササッと記入すると、急ぎ足で課長の後を追う。事態が好転したわけではない。だが、一筋の希望にすがりついていくしかない。この人物を上手く説得できるだろうか?


控室に通された私はソファに座った。狭い部屋で、飾り気のない地味な作りをしていた。白いテーブルに灰色の壁、蛍光灯はどことなく頼りない感じだった。あたかも、独房に閉じ込められたかのようだった。課長は私の対面に座った。胸のネームプレートに工藤と書いてある。

「まず、あなたの身元を詳しく聞かせてちょうだい?」

「はい。ローリエ学園2年A組の志月朔良です。この近くに住んでいて、それで――」

「ご両親は?」

工藤課長が遮る。私は狼狽えながらも質問に答える。

「……母親は小さい頃に死にました。父親は……その……今日は家にいません」

「連絡は取れないの?」

「え、えっと……仕事で……その……」

「仕事でも携帯で電話くらいはできるでしょう?お父様とお話させていただけるかしら?」

「でも……」

「シヅキさん?はっきり言いますが、これは悪質なイタズラよ?市役所っていうのは公共物なの。この街に住む人が問題を解決するためにここに来るのよ。あなたみたいな子どもの遊びに付き合っている暇はないの」

彼女の声色には、怒気のようなものが含まれている。

「はぁ。お父様に電話を取り次ぐつもりはないのね?じゃあ、学校に電話させていただきます。いいわね?」

「……」

「シヅキさん?」

私は何のためにここに来た?叱責を受けるため?それとも、収穫を得ずに情けなく退散するため?違う!私は真実を知るためにここに来た!ひるまない。お父様のためにも。

「工藤さん。議事録を見せてください」

「……ダメよ。あれは一般に見せるものじゃないの」

「くっ……!見せてください!!!」

――ドンッ!

私の拳は机を激しく打った。手に鈍い痛みが広がる。

「私は見せてもらうまでここを退くつもりはありません!」

「ちょっと!落ち着きなさい!そもそも、議事録が一高校生であるあなたと何の関係が……!」

「関係大ありです!私は、私は……志月元彦の娘なんです!あなたは知らないでしょうけど、お父様が病んでしまった原因が書いてあるんです!どうしても知らなきゃならないんです!お父様の無念を晴らすためにも!真実を知るためにも!!」

絶叫の後に沈黙が支配する。私の叫びに驚いて、工藤さんはポカンと口を開けていた。

「……志月先生の娘?あなたが?もしかしてシヅキって……」

彼女は用紙に書かれた私の名前を確認する。彼女の視線が用紙と私の顔を行ったり来たりする。

「そんなことって、嘘よ……。こんな偶然……」

「どうしたんですか?」

「どうしたもこうもないわ。私はね……10年前、志月先生の生徒だったの」


お父様の生徒?この人が?10年前、ローリエ学園でお父様の授業を受けていた人……。

「懐かしいわ。全てが懐かしい……」

私は今こそ全てを話す時だと思った。この人はお父様を知っている。私の気持ちを理解してくれるかもしれない。

「志月先生は今何をしてるの?卒業間際になって、休職されたのは知ってるけど……」

「……精神を病みました。もう10年以上も廃人状態です」

「そんな……あの先生が……どうして……」

「10年前に次期学園長を決める選挙が行われたんです。お父様は勝つはずだったのに、不正が仕組まれてお父様は負けてしまったんです。そして精神を病んでしまった。それに……」

私は躊躇った。でも、言うしかない。

「……”例の暴力事件”も関係してます」

「……!?」

工藤さんの顔つきが変わった。あの事件のことを知っているらしい。

「だから、私は当時のことを調べて何が起こったのか知ろうとしてるんです。娘として父親の無念を晴らしたい。本当のことを知りたい」

「志月さん……」

「お願いです!議事録を見せてください!無理は承知です!でも、どうしても諦められないです……。このまま終わるなんて、そんなの……嫌なんです」

工藤さんは天を仰いだ。彼女は大きくため息をついて、何回も目を擦った。ひどく悩んでいる様子だった。

「……議事録を見せるのは規則で禁じられています」

「工藤さん……」

「でも、コピーなら……ルールを破ったことにならない」

「えっ!?」

彼女は立ち上がった。そしてドアノブに手を掛けた。

「今からコピーを取ってくるわ。じっとしていてください。はぁ。でも、全部できるかしら?ページ数だってかなりあるし……」

「あ、あの!全部じゃなくていいんです!45ページから62ページまでで大丈夫です。他は知ってますから!」

必要なのは第二討論のコピーだけだ。私は何度も議事録を読んだから、欠損しているのがどこからどのページまでなのか暗記していた。

「他は知ってる?どうして……」

「え、あ、あのっ」

「もう深くは聞きません。でもね、本当はダメなのよ?先生には私もお世話になったから、例外中の例外ですからね。もし誰かに知られたら……私だってどうなるかわからないんですからね」

関係の無い人にまで規則破りの片棒を担がせてしまった。私は申し訳なさに口をつぐんでしまい、ただただ頭を深く下げるだけだ。工藤さんは控室を出て、20分ほどで戻って来た。議事録のコピーは茶封筒に入っていた。私はそれを受け取る。

「あんまり長居されると上に怪しまれます。ほら、早く帰りなさい」

「あ、ありがとうございますっ!」

私は立ち上がってすぐ帰ろうとする。しかし、どうしても聞いておきたいことがあった。

「工藤さん、あの……」

「何かしら?」

「……お父様って先生としてどうでした?」

彼女は少し考えた後に、微笑を零した。初対面の時とは全然違う、子どもっぽい柔和な表情だった。

「……いい先生だったわ。厳しいところもあったけど、正しいことしか言わなかった。私も何回も怒られたけど、今覚えばいい指導だったわ」

「お父様が暴力事件を起こしたと思いますか?」

「……いいえ。信じられないわ。あの日を今も覚えてるわね。騒然となる教室。生徒に頭を下げる志月先生。中には冷たいことを言う人もいたけど、暴力事件なんて絶対に嘘だと思うわ。実際に手を上げたところなんて、見たことなかったし……」

「そう……ですか……!」

私は嬉しくなる。当時を知る人のお墨付きを得たのだ。そうだ。お父様が暴力事件なんて起こすわけがない!やっぱりでっち上げなんだ!

「あ、あと!すみません。もう一つだけ……」

「何かしら?」

「高良要介って……何か印象に残ってます?」

「高良先生……」

彼女は顎に手を添えて考え込む。

「ごめんなさい。クラスも違ったし……あんまり目立つ人じゃなかったの。覚えてないわ。あ、でも確か……色々と良くない噂があったような気がするわ。うーんと……離婚したとか?それで学校を休んだとか……」

離婚?高良が離婚した?

「とにかく、もう帰りなさい。それと、茶封筒はカバンの中に入れて隠しなさい。いいわね?」

「はい!」

私は工藤さんに言われるがまま、すぐ市役所を出た。ガラス壁の向こうで、彼女は忙しそうに業務に取り組んでいる。私は申し訳程度のお辞儀をした。おそらく彼女には何も見えてないだろうけど、せめてものお礼だった。私はいよいよ議事録を全部揃えた。興奮が収まらなかった。それに加えてもう一つ。元クラスメイトの証言も得た。お父様を近くで見てきた生徒が、事件の可能性を否定したのだ。私はこの励ましを受けて、何倍も勇気をもらえたような気がする。興奮と喜びで、カバンを持つ手は震えていた。

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