いたちの見舞い
今日、私は学校を休んだ。寒い中びしょぬれになったから、軽い風邪を引いたようだ。微熱と喉の痛みがある。午前中はずっとベッドの中でゴロゴロし、午後になってだいぶ良くなったので、部屋の掃除をしたりお父様の面倒を見たりした。体調を崩しているのに、それほど辛くない。希望ができたからだろう。病は気からとはよく言ったものだ。さて、次は棚でも掃除するか。
「……ん?」
玄関の呼び出しベルが鳴る。誰だろう?
「はい」
私は扉を開ける。そこには、いたちがいた。
「いたち?」
「朔良ちゃん、大丈夫?風邪で学校休んだって聞いたけど……」
いたちは心配そうな顔つきをしていた。私の取り乱した姿を見ていたからだろう。
「うん、大丈夫。ちょっと熱があるだけだから。上がって」
彼女を家の中に招き入れる。いたちはお父様にお辞儀をすると、テーブルを囲む椅子の一つに座った。私はポットからお湯を注いで、ホットコーヒーを淹れてあげた。白い湯気がもやもやと立っている。
「……私、一つ言わなくちゃいけないことがあるの」
「ん?なに?」
自分用に紅茶を注ぎ、彼女と対面に座る。
「……ごめんなさい」
「え?」
いたちは深々と頭を下げた。予想外の謝罪に驚いてしまう。いたちに謝られるようなこと、されたっけ?
「いきなりどうしたのさ」
「私、朔良ちゃんにひどいこと言っちゃったじゃない?事実を受け入れるしかないって。友人なら、もっと気を遣ったことを言うべきだったのに」
でも、私は全然気にしていなかった。あんな証拠を突き付けられたら誰だってそう思う。私だって、マリーに助言をもらうまではそう信じていたのだから。
「気にしてないよ」
「で、でもっ!朔良ちゃん、すごく思い詰めていたじゃない?今日だって学校休んじゃったし。あぁ、私ったら、なんでもっとうまく言えなかったのかしら。励ましの言葉ぐらいすぐ思いついただろうに」
「そんなに自分を責めないでよ。こうやって来てくれただけで十分だからさ、ね?」
私は下手くそな笑顔を作る。いたちはそれを見て安心したのか、ほっとして顔を上げた。
「良かったぁ。朔良ちゃんったら、精神病んじゃって不登校になるのかと思ったわよぉ」
「悪いけど、私はそんなヤワじゃない。それにね、ちょっと考え方を変えたんだ」
「考え方?」
「うん。まだ仮説に過ぎないんだけどね……」
私はいたちに第三者の可能性について話した。今ある証拠では絶対にお父様が悪者だ。でも、誰か他の関与者が居た場合には、何もかも一変する。お父様も学園長も無罪かもしれない。いたちは真剣に話を聞いていたが、どうもしっくりきていないようだった。
「うーん……。じゃあ、朔良ちゃんの中では学園長は完全に無罪ってことなの?私はその第三者の存在を仮定するより、学園長が全部仕組んだって考える方が妥当だと思うんだけどなぁ」
「それは……」
彼女が言うことにも一理ある。ただ、私はマリーの言葉を疑うことができなかった。『ママはそんな悪いことはしない』……。同じ親を思う子として、あの信用の表明はどうしても嘘だと思えなかった。私がお父様を信じたように、マリーも自分の母親のことを信じている。そこに違いはなかった。
「……まあ、その線も保留しとくよ」
「それはともかく、朔良ちゃんが元気になってくれて本当に嬉しいわ♪」
「心配いらないよ。明日にはまた学校に行くからさ」
私といたちは笑い合った。友人を持つことはいいことだと思う。孤独であった私にとって、友情の価値を信じることは難しかった。でも、今は違う。こうやって励ましてくれる人が身近にいる思うと、心の中が温かくなってくる。いたちは……ちょっと鈍いところがあるけれども、私の大切な友人だ。
私たちは二階に移った。私は議事録をペラペラをめくりながら、第三者に関係しそうな人物を探してみていた。まったくノーヒントというわけでもない。明らかにその人物は学園長側の人間だ。お父様がそんな怪しい人間を傍に置くわけがない。お父様を蹴落とすことで利益を得るような、そんな立場の人間は……。
「ふふ。そんなに目を皿にしたって見つからないわよ。今日はもう休んだら?」
「そうはいかないよ。唯一の資料なんだから……ここに載ってるはず」
「んもぉ、色んな人が関わっているのよ?当時の他の教員やら教育委員会やら、一人一人当っていったって、そう簡単には……ねぇ?」
いたちは私のベッドの上で雑誌をペラペラめくっていた。うつ伏せの姿勢で、足を空中で遊ばせていた。
「そうと決まったわけじゃないよ。例えば……この『高良要介』っていうのはどう?選挙時に光樹怜奈の助手をしていた人だね」
私は何となく目に入った名前を読み上げる。候補者は一名だけ助手を選ぶことができ、スピーチの準備など、補助的な役割を課すことができる。お父様の方は助手を雇わなかったようだ。
「……」
「ね?どうかな?」
いたちは数秒ほど顔を伏せていた。奇妙な沈黙の時間が流れた。
「……どうかしらね?その人かもしれないし、また別の人かも」
「でもさ、偶然にしては割といい線いってると思うけどね。何といっても、第三者は選挙にある程度は干渉できる立場じゃないと意味がない。候補者以外ってなると、やっぱり助手が怪しんじゃないかなって」
「朔良ちゃん」
いたちは体を起こしてベッドの縁に腰かけた。柔和で優しい表情をしていた。目を細くして、微笑んでいた。
「……ふふ。朔良ちゃんったら鋭いわね。あなたのお父さんもそうだったの?」
「え?ああ、まあね。頭のいい人だったよ」
勉学は当然として、勘というか直観というか、そういうところも鋭い人だった。
「じゃあ、朔良ちゃんはその高良って人を追ってみるのね?」
「うん。地道にやっていくしかないと思ってさ」
「そうね。私の方も、何か手がかりがあれば知らせるわね」
「ありがとう。いたち」
私は議事録を机の上に置いた。ふと、抽斗が目に入る。私はここに裏路地で拾った拳銃を隠していた。私の秘密の一つだった。私はなんとなく、この友人と秘密を共有したくなった。私といたちは共犯関係なのだ。隠し事は無い方がいい。
「ねえ、いたち。面白いものを見せてあげようか?」
「え?何かしら?」
私は瓶の底に忍ばせてある銀色の鍵を使う。抽斗は開錠される。そして、拳銃を取り出した。木の持ち手に鋼の銃身が組み込まれている。持ち手のところに木彫り細工がしてあって、薔薇の紋章が彫刻してあった。私は銃口をいたちに向ける。
「うふふ。なぁに?おもちゃの銃で私を脅すの?」
いたちはまるで子供の遊びに付き合う母親みたいな反応をした。だが、これはおそらく本物。この凶器をいたちに渡す。おもちゃとは思えない重量感にびっくりして、彼女は銃を落としそうになる。
「え?これって……」
「本物だと思う」
いたちは食い入るようにピストルを眺めていた。特に、薔薇の紋章が気になったようで、指の腹で何度もなぞっていた。
「これ、どこで手に入れたの?」
「裏路地で拾ったんだ。私も最初はよくできた偽物だと思ったけど……ネットで色々と調べてみたんだ。重さやら形やらね。どうやらガチらしいよ?」
調べたところによると、今から10~15年ほど前のモデルらしい。
「も、もしかして……これで学園長のこめかみを……!!」
「馬鹿!するわけないだろ!」
いたちは青ざめた表情で武器を私に返した。
「……別にこれで何かしようってわけじゃないんだ。でも、これは私の秘密だし……いたちに見て欲しくて……」
頬が熱を帯びるのを感じた。は、恥ずかしい。やっぱり、やめとけばよかったかな。
「ちょっと驚いちゃったけど、私嬉しいわ。ありがとうね」
「……うん」
友達とは秘密を共有するものだ。本で読んだことがある。友人として心を許しているからこそ、自分の大切なものを見せる。秘密基地とか宝石とか……その類を。私の場合は正真正銘の凶器なわけだが。
この後、一時間ほど話していたちと別れた。今朝よりも数倍も体調が良くなった気がする。明日からまた模索の日々が始まる。ゆっくりと休んでまた頑張ろう。いたちと一緒に。