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いたちの話術のお陰で窮地を乗り越えた私たちは、街中をぶらつきながらも、私の家へ向かっていた。ビル風がぶわっと吹いて、髪の毛が空中にたなびく。いたちは目に塵が入ったのか、右目を擦っていた。私はさっきのことに触れる。

「よくもあんなに嘘八百並べ立てられるね。あんなに弁が立つなんて知らなかった」

「んふふ。意外だったかしら?でもね、私だって本当は心臓バクバクだったんだからね?」

「へぇ。余裕っぽい感じだったのに」

「そんなことないわよ~。マジで終わったかと思ったわ」

あのマリーの狼狽えた姿……惨めったらありゃしなかった。きっと今頃、地団太を踏んでいるに違いない。

「そういえば、朔良ちゃん。写真って何?」

「へ?」

私は歩みを止める。いたちの奴、忘れてなかったのか。ここは言ってしまうべきなのだろうか。私にとって、いたちはべたべたすり寄ってくる、やかましい同級生だった。しかし、今では一つの目的に向かって進む仲だ。正直に話した方がいいのかもしれない。

「……マリー様の弱みを握ってるとか?」

「っ!?」

的を得た指摘にギクリとする。私は彼女の方を振り向いた。いたちは普段通りの穏やかな出で立ちで、特徴的な垂れ目は眠たそうだった。

「なんとなくそう思っていたのよね。マリー様の怪我も朔良ちゃんがやったんでしょ?」

「それは……」

ご名答だった。そうだ。私はあの日、マリーにお父様を侮辱されて、逆上して暴力を振るったのだ。その時の写真はまだ携帯に残っている。傷だらけになり血を流すマリー……。階段からの転落事故は、私が無理やりマリーに約束させた嘘だった。全ては私の凶行だった。

「……怖いね。そこまで見通されると」

「ふふ♪そうかしら?だって、学園長とあなたのお父さんとの因縁は知ってたし?マリー様に恨みを持ってる子なんて探せばいくらでもいるだろうけど、あそこまでやるのは朔良ちゃんぐらいしかいないでしょ?」

ゆっくりとした話し方とは対照的に、その内容は極めて論理的だった。私は諦めて開き直った。

「それでどうするってわけ?私を警察に突き出すとか?」

「別にそんなことしないわよ~。言ったでしょ?私と朔良ちゃんは友達なんだから。だから、友達を売るなんてことしないわよぉ。この件も絶対に秘密にするから、ね?」

「……一応信じとく」

「ふふ。ありがとうねぇ。でも、包帯ぐるぐる巻きになるまでボコるなんて……何があったのよ?」

「マリーの性格を考えればわかるでしょ?あいつ、言っちゃいけないことがわからないのさ。察してよ」

「ふふ。了解。だいだいわかっちゃった」

私たち二人は街路を歩いていく。風は途切れて無風となっていた。


自宅に到着した。赤レンガの外壁が目印の洋風建築だ。見た目は結構よさそうだが、内装は古ぼけた木造になっている。歩くたびにギシギシ音がなって、床は埃っぽい。本当はこまめに掃除したいんだけど、学校やらお父様のお世話やらあって、結局は週に一度が限界だ。いたちはきょろきょろと辺りを見回して、興味深そうに眺めている。とても自慢できるような家屋じゃなかったので、私は恥ずかしい気持ちがした。ドアを開けてリビングに入る。お父様はお気に入りの窓際のところにいた。安楽椅子に腰かけて、外の景色に見入っている。

「お父様。ただいま。今日は友人を連れてきたよ」

「えっと。お邪魔します。木更津いたちって言います……」

いたちはペコリとお辞儀したが、お父様は見向きもせずにただ沈黙を守っている。まるで石像のように動かない。

「……二階の私の部屋に行こう」

「うん」

私は彼女を連れて自室へ案内していった。いたちは四つ足のパイプ椅子に座り、私はベッドの縁に腰かけた。

「ふふ。朔良ちゃんの部屋、なかなかおしゃれじゃない?」

「馬鹿言わないでよ。こんな女の子っぽくない部屋なんて他にある?質素で色も少なくて……」

幾何学模様に縫ってある赤茶のカーペット、勉強机、キャビネットとその上に乗っている小物たち。お父様がまだ健在だった時に買ってもらったものばかりで、新しいものはほとんどない。私のお気に入りは赤と青のチェック模様の熊のぬいぐるみだ。確か海外旅行の時に買ったものだったような気がする。とにかく、女子高生の部屋にしては寂しすぎる。

「あなたのお父さん……本当にダメなのね」

「うん。もうずっとあんな感じだよ。理由無く外の景色をずっと眺めている。全然喋らずにね」

「じゃあ、料理も朔良ちゃんが?」

「そう。お父様の分も」

「そっかぁ。大変よね……」

いたちは珍しく心痛そうな表情をした。変に気を遣われるのは却って嫌なので、私は『気にしないで』という意味を込めて、頭を横に振った。

「まあそれはともかく、問題はこれだよ」

私は例のものを――ローリエ学園選挙議事録を取り出した。私たちが危険を冒して手に入れた大事なものだ。

「いよいよね」

「うん。ここに答えが全部書いてある」

いたちはごくんと喉を鳴らした。期待と不安で手が震えてしまう。10年前のあの事件の真相がここにあるのだ。私は箱から本を取り出すと、膝の上にのせて表紙をめくった。分厚いハードカバーの本で埃っぽく、古書独特の臭いがする。ページの端々には小さなコゲのような茶色の斑点が刻まれていた。時間の流れを感じさせる。私はページをめくってざっと目を通した。お父様の名前を見つけて手が止まる。

「……あった。20××年ローリエ学園次期学園長選挙……候補者二名。『志月元彦』と『光樹怜奈』」

「お父さんの名前とマリーの母親の名前ね」

「うん。えーと……選挙方法は民主主義的な方法に拠り、市の教育委員会及びローリエ学園の候補者を除いた教員の資格を持つ者による多数決で決める。投票の前に三回スピーチを行い、それをもって投票の際の試金石とする。一回目は教員の前で、二回目は教育委員会の前で、三回目は再び教員の前で」

そのあと細かなプロセスが長々と書かれている。場所はどこかとか、どの法律に基づいて選挙を行うかなどだ。だが、ここは読み飛ばしても問題ないだろう。ページをめくる指が速くなる。

「……第一回目の討論。テーマは学園における諸問題点とその解決策。光樹氏は問題となっていた学園の生徒数減少を最も由々しき事態であると述べた。曰く、『学園の生命源である生徒数が減っていることは大きな損失であり、この学園の学び舎としての機能を損ねるものである。よって、いかなる手段をもってしても生徒数を増加させなければならない』。ふん。偉そうなこと言ってくれるよ。次に、お父様がそれに反論して、『光樹氏に言うことは認めるべき点が多々あるものの、問題点は生徒の数ではなく教育の質である。一部、学園の中にやる気の欠ける教員がいることは事実であり、まずは我々の質を改善しなければならない』……」

不思議な気持ちだった。ここにあるのは埃を被った十年前のお父様の言葉であるのに、あたかも肉声のごとく血の通った声として私の中で反響した。お父様の、威厳ある実直な話し方が眼前にイメージできるようだった。幼い私の耳に響いていたお父様の声を思い出す。

「朔良ちゃん?」

「ごめん。ちょっと思い出しちゃって……」

私は無意識にお父様の言葉を――文字列を何度も指でなぞっていた。そうすればまたお父様の声が聴けるようになるとでもいうように。

「……ローリエ学園って昔は生徒数が減ってたのねぇ?今じゃそんなこと全然ないのに。むしろ多すぎて困っちゃうくらい?」

昔の学園はさぞ寂れていたのだろう。今とは大違いだ。現在では、ローリエ学園はそこそこ経済的に余裕のある女子ならば、みんな行きたがるような人気校だ。

「次、読むよ?第二回討論。教育委員会の前にてディベートを行った。テーマは……あれ?」

第二回討論のページが……破られていた。まるごと数十ページやられていた。なんてことだ。学園長の奴……証拠を隠滅したのか?そうに決まっている。自然劣化でページが破けるなんてことはないはずだ。一部を虫に食われたならわかるけれども、これは明らかに誰かが力を込めて紙を破いた跡だった。きっとあいつに不都合なことが書いてあったんだ。

「くそっ。誰かに見られても大丈夫なように細工されていたんだ」

「むぅ~……。せっかく不正選挙の証拠がつかめるところだったのにぃ」

私といたちは顔を見合わせて渋い表情をした。悔しいが仕方がない。

「あ、ついでに第三回討論はどうなっているの?」

「えっと……お、あった。こっちは無事だね。読むよ?」

私は粛々と読んでいく。

「第三回討論。テーマは教員の性格と規律及びそれが生徒に与える影響について。光樹氏は次のように主張した。『教員の素質は生徒の自己形成において尋常ならざる影響を与える。生徒の求めるものに対して可能な限りオープンでなくてはならない』。志月氏はそれに答えて言った。『それは最もである。だが、ただ生徒に媚びるような教員ではいけない。学園の理念に従い生徒を良い方向へと導くような志しを持った教員の規律が求められる』。……あれ?」

私はまたしても行き止まりにぶち当たった。次の行からページが破られているのだ。ここも証拠隠滅の憂き目に合ったのだろうか。だが、こちらは破れ方が少し違う。第二回討論は紙を引きちぎったというよりは、丁寧に切断した感じだ。他方、こっちのページは斜めに雑に破いてある。私は奇妙な違和感を覚えた。もし学園長が証拠隠滅のため紙を破いたとすると、こちらの方は随分と取り乱していたようだ。だが、そんな理由があるのだろうか?お父様を葬り去った後、じっくりと議事録を点検し、危険そうなページを処分すればよかっただけだ。何を急いだんだ?

「そこから先は読めないの?」

「えっと……。最後がちょっと残ってる。……以上で第三回討論は終わった。途中、大きなトラブルがあり議論は紛糾したものとなってしまった。志月氏には説明責任が求められている。なんだって?何の説明責任だよ」

お父様の説明責任?紛糾?第三回討論に何か大きな事件があったらしい。

「選挙結果について。志月氏の合計得票数35。光樹氏の合計得票数76。よって、光樹怜奈氏を次期学園長として正式に任命する。以後、委員会を通して各種手続きが取られる……」

ここまで読むと、私はもう我慢が出来なくなった。拳を振り上げて、思いっきり机の上に叩きつけた。議事録は衝撃で空中を舞った。

「クソッ!クソクソッ!!肝心なところが全然わかんないじゃないか!完全な証拠隠滅だ!」

「悔しいけど……無いものは仕方がないわよね」

私たちはなんと無駄なことをしたのだろう?夜闇に決死の逃避行を試みたのは、こんな不完全な証拠を手に入れるためだったのか?悔しさでぐうの音もでない。

「でも、何か他に方法がないかしら?破れたページを確認する方法が……」

「考えも及ばないよ。だって、ページは処分されてるに違いないさ。うう。学園長のやつ、こんな貴重な資料によく傷つけられるよ。一冊しかないんだよ?」

「一冊しか?ねぇ朔良ちゃん。私、あんまりこういう……議事録とか詳しくないんだけど、どこかにコピーが残っている可能性はない?こういう重要の書類って、万が一に備えて複製を用意するものでしょ?」

「そうかもね。でも、それがどこにあるかなんてわかりゃしない……ん?まてよ?」

私は閃いた。そうだ、あの手がまだあるじゃないか。

「教育委員会だよ!この選挙には委員会の立ち合いの下で行われたんだ。だったら、委員会の方でも資料を保存しているはずだ。だって、当事者なんだから!」

「そうよ!その通りだわ!」

疑問点や難点はまだたくさんある。教育委員会が議事録を素直に貸してくれるとは限らないのだ。でも、希望はある。ならば、それを追いかけよう。

「当面の目標は決まったね。またいろいろと調べなきゃ」

「そうね。はぁ。また夜間の侵入をしなきゃいけないのかしら?」

「それはまあ、その時は仕方がないよ」

「えーっ……。もう高所から降りるのは勘弁してほしいわよぉ」

いたちはうんざりとした顔をした。でも、まんざらでもない感じを与えた。

「……今日はこれぐらいにしておこうか。もう遅いよ。いたちも帰るでしょ?」

私は外の景色を眺めた。青空は徐々に夕闇に沈みつつある。街路は暗くなり、街灯にも明かりが灯った。

「そうするわ。あっと、その前にちょっといいかしら?」

「うん?何?」

彼女は自分のカバンをガサガサと漁りだして、中から紙袋を取り出した。

「朔良ちゃん。開けてみてよ」

私は紙袋の封を切って中の物を取り出した。マフラーだった。赤茶色と青紫色の正方形が、幾何学模様にデザインされた毛糸のマフラー。これは一体?

「いたち、これは?」

「……私からのプレゼント。ふふ。買ったやつだけどね」

プレゼント?なんで?別に誕生日でもないのに。

「あらぁ?あんまり嬉しそうじゃないわねぇ?もしかして好みに合わなかった?」

「ち、違うよ。理由がわからなかっただけ。急にどうしたのさ。私に贈り物なんて……」

「”友達”だから当然でしょ?うふふ。大切な友人にはプレゼントするものなの。ほら、着せてあげるね……」

いたちは私の手からマフラーを取ると、ゆっくりと私の首に巻き付けた。新品のマフラーは、毛先がチクチクしてちょっとむずかゆかった。

「ほら、似合ってる。これからどんどん寒くなるし、気に入ってくれたなら使ってくれるかしら?」

「……ありがと」

私は全身がマグマみたいに熱くなるのがわかった。恥ずかしさと感謝の念みたいなものが混ざり合って、私を内側から突き動かした。全身が異様に軽くなって、飛んで行ってしまいそうだ。照れてるのか、私は?

「私ね……朔良ちゃんが心配なの。ほら、お父さんがあんな状態でしょ?それにいつも独りぼっちだったから心労も凄いだろうなぁって思ったのよ。こんな私でよかったら……もっと頼ってくれると嬉しいわ」

「……うん」

「それにね。私も片親だから何となく辛い気持ちはわかるの」

そうだ。いたちの両親は離婚していて、母親と二人暮らしをしている。私の母は赤ん坊だった時に病死した。思い返せば、私と彼女は”片親”という共通点を持っていたのだ。

「ホントにありがとう。このお返しは絶対にするから……」

「うふふ♪それはそれは畏れ多い、なんといってもローリエ学園の”王子様”からご返礼を頂けるとは……♪」

いたちはわざとらしく、恭しくお辞儀をした。

「いたちっ!その王子様っていうのやめてよね。私、その呼び名嫌いなんだから」

「あらぁ?なんでぇ?似合ってるじゃないのぉ~」

「似合ってないんかないよ。私だって、女の子っぽいところあるんだから。まったく、誰が広めたんだろう?入学当初はそんな風に言われなかったのに」

私に大きな不快感を与える王子様という呼称――二年に上がったあたりから急に広まりだしたのだ。

「ふふ。きっと朔良ちゃんに憧れてた子が何となく言い出したのよ。私も朔良ちゃんにぴったしだと思うけどなぁ」

「むぅ。友達やめるよ?」

「あー!やっぱりなし!ごめんなさい!二度と言わないわよ!」

取り乱すいたち。それを見て笑う私。こんなに心が温かくなるのは何年ぶりだろう。これが友情というものなのだろうか?私が学園で失っていたもの……。


「また明日」

「うん」

私はいたちを玄関で見送った。薄暗い路地に、彼女の背中姿が見えなくなるまで、その場に佇んでいた。氷のように冷たい秋風に震えながらも、首に巻き付いたマフラーをぎゅっと握っていた。いたちの姿はものの一分で街中に消えてしまった。

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