第9話
「体育って、すごいんですね……」
「いや、これ男子校だけだから。普通はこんな激しくねえから」
ふたりは木陰に並んで座り、グラウンドを見つめていた。
クラスメイト達は広いグラウンドを右へ左へ行ったり来たりしている。足でボールを蹴り、相手のゴールにボールを入れたら点数を得られる競技で、サッカーというらしいとはガープから聞いた。
1時間目と2時間目は続けて実技の授業だったけれど、ガープは席について、もう文句を言ったりはしなかった。担当教師にじっと見られながらの授業はやりにくかっただろうに、その実力を発揮して静かに終えた。
そして3時間目の体育。
この時間も、本当ならばクラスメイト達が繰り広げる激しい攻防戦の一員になりたかったはずなのに、やはり、なにも言わない。今まで小言が多かっただけに、急に鳴り止むとなかなかどうして静かに感じる。
「具合でも悪いのです?」
「あ? なんで?」
ガープは学生服のまま、退屈そうにサッカーボールを手で弄んでいる。やる気に満ちた実技の授業と違って、瞼半分の目は眠そうにも見えた。
ベンチがないので花壇を覆う縁の煉瓦に座っていると、どうしても地面に近くなるせいで足を持て余す。ガープは足を投げ出し、シーレは膝を抱えていた。
「なにか言わないのです? お前のせいで運動ができない、とか」
「言わねえよ。よく考えてみたら、お前のせいなんてひとつもなかった」
「そう、ですか」
なんだか昨日までと別人みたいに静かで、調子が狂ってしまう。あー、うるさいうるさい、と思っていたのに黙られると、おやおや具合でも悪くなったのかなと思うのはおかしいのだろうか。やっと静かになったとは、どうしても思えないのである。
クラスメイトが騒がしいのに、穏やかな時間の流れだった。
時折、木漏れ日に目を細めては、風に吹かれて髪を抑える。グラウンドでは白熱した試合が行われていて、皆の必死な顔は、見ていて清々しくもあった。
(私もあんなふうに、なにかに夢中になったことがあったかしら)
あんなふうに楽しそうにボールを追い掛けたことが。
あんなふうに、誰かと勝利を喜び合ったことが。
クラスメイト達の声が飛び交って、砂埃の香りがして、ボールを蹴る音や、ボールが砂を転がる音が遠くに聞こえる。
とすん──……。
と、肩に乗ってきたのは、ガープの頭だった。
やはり眠たかったらしい。顔を覗き込むと、すっかり眠ってしまっている。
そういえば、今日と昨日と、あまり眠れていないのだと言っていた気がする。もちろんその点に関しては、お前のせいで、なんて言っていたけれど、それこそ自分には関係ない。紛れもない濡れ衣だ。
けれど、目覚まし時計で起きたときのガープの顔といったら。
目の下に濃いクマを作って、ぶつぶつ「なんで俺が」などと呟いて、眠そうな目をしていて、髪の毛はぴょこんと跳ねていてぐちゃぐちゃで、思い出すだけでおかしい。
(まあ、どうやら私のせいらしいので)
今は肩くらい枕代わりにされてもいいだろう。
それに、こういうとき、どう反応すべきものなのかわからないし。案外、目が覚めたら、またガープの驚いた表情を見られるかもしれないし。
ガープの指先から離れて、転がっていってしまいそうになるサッカーボールを今度はシーレが弄び始めた。くるくると回したり、両手の狭間で転がしてみたり。砂を手で払い落としてあげてみたり。
なるべく、肩を動かさないであげてみたり。
「危ない!!」
緊迫した声が耳に届く。
はっと気が付いた。
ボールが物凄い勢いで飛んできていた。
なのにボールの速さに比べてシーレの腕の動きは愚鈍で、顔を避けようと脊髄が反射するほうが先だったし、なにより、最も早かったのは魔法の発動だった。無意識だった。
パァァンッ──……!
シーレの顔の前でサッカーボールが破裂する。
破裂風がシーレの髪をぶわりと浮き上がらせた。ぱらぱらとサッカーボールの破片がその場に落ちて、やはり吹いた風に飛ばされていく。
「……ん? なんだ……?」
音のせいでガープが起きて、顔を上げた。
ガープの短い髪がシーレの頬を撫でていく。
シーレは慌てて否定した。
魔法を使ったと、知られたくなかった。
「い、いえ、なんでもありません。こちらにボールが飛んできただけです」
「……ふーん?」
目を擦るガープはまだ寝惚けているらしい。自分が誰に肩を借りていたのか、わかっていない。
「ごめんごめん、大丈夫だった?」
顔だけは覚えたクラスメイト達が駆け寄ってきた。
シーレは早くその場を収めたくて、弄んでいたボールを代わりに手渡した。グラウンドに戻って試合を再開して欲しいのに、クラスメイト達はすぐに戻ろうとはしてくれなかった。
「びっくりしてしまって、こちらこそ、その、申し訳ありませんでした」
「いいよ、そんなの! いやぁ、それにしてもやっぱり凄いな、魔法って──」
「あ、あの! 恥ずかしいので、それは、あまり、その」
「あ! そっか! そうだよね、照れちゃうよね、旦那さんとはいえ本人を目の前にしたらね」
遮ると、クラスメイトはなにか別のことに察しがいったらしかった。
(なにが言いたいのでしょう?)
ボールを受け取った彼は感慨深そうに笑みを零した。
「昨日の喧嘩を見たときはどうしたものかと思ったけど、ちゃんと仲良いんだねぇ。安心したよ!」
「……と、いいますと?」
「だって、咄嗟にガープのこと守ってたじゃん! 腕をこう、頭を守ってあげるっていうか、そう! 抱きつくみたいにしてさ!」
「抱き……!? いえ、私はそんなことは──!」
「やっぱ夫婦っていいよなあー」
「俺も彼女欲すぃー!!」
「い、いや、あの──!」
そんなことはしていないと否定したかったのに、彼らは今更になってそそくさと試合に戻ってしまって、否定させてもらえなかった。
横を見ると、自分の膝で頬杖をついたガープがそっぽを向いている。耳まで真っ赤になっているせいで、シーレも赤面した。
「ち、違います! 無自覚なんです! そんなことしてません! だから、ほら! 手の甲の数字、減ってませんよね!? ほら! だから守ろうとして抱きついてなんか──」
「わかった」
「本当なんですってば!」
「わかったから」
「わかってないです! なら、どうして顔が赤いままなんですか!」
「こんなん自分でコントロール出来るわけねえだろ!!」
「私まで恥ずかしくなるからやめてください!」
「なんで?」
頬杖をつく掌で口元を隠しているガープは、ほんの少しだけ顔をこちらに向けた。その瞳がほんの少しだけ赤いから、情熱的に潤んで揺れているから、言葉がきゅっと引っ込んでしまう。
「えっ?」
「なんで、お前まで恥ずかしくなんの?」
「それは、その……えっと……」
うまく答えられないでいると、なんだか余計に恥ずかしくなってしまってまたまた顔を真っ赤にしてしまう。すると釣られてガープも赤面するから、ふたりはしばらくの間、そっぽを向いていた。
抱きついた自覚なんて、本当になかった。