第8話
ところでふたりの手の甲の数字は一向に減っていない。シーレは5のまま、ガープはひとつ減った4のままで、丸一日が経ったというのに変わらないとはどういうことなのか。
弟達の食事と風呂と食器の片付けを手伝い終えたふたりは、ガープの道具作りの修行に2時間付き合った後で部屋に戻ってじっくりと考えてみることにした。
「うーん。そもそも相手のための行動ってなんだ?」
「違います。大司祭様は相手を想った行動と言っていました」
「同じじゃねえか!」
「違います。相手を想った行動です」
「なんだよ、それ!」
「わからないから数が変わっていないのでしょう」
うーん、と頭を突き合わせて悩むも、答えは出ない。
「とにかく、まずはひとつ減っているのですから、やはりそこが鍵になってくるでしょう。ガープさんが、私を想って取った行動がひとつあるはずなんです。なにか思い出してください」
「そんなもん、ねえよ。あったらとっくに繰り返してる」
「現にひとつ減っているのですから」
「だから覚えてねえんだっつうの!」
「役に立たない……」
「あ!? なんか言ったか!?」
ふう、と溜息をつくシーレだったが、思考の矛先を変えたらしく天井を見上げて、唐突に言った。
「カーテンを付けましょう」
「は? なんだ、急に」
「お風呂のことです。いつまでも体を満足に洗えないのは私はすごく気になります。なので、脱衣所から浴槽まで、一直線にカーテンを引きます。カーテンを境にしつつも距離を開けなければ、互いの体を見ずに済みます」
「なるほど、浴槽も半分、脱衣所も半分にするわけか」
「そうです」
「それなら出来そうだ。よし、手伝え」
先までとは打って変わって、ガープは意気揚々と1階に駆け下りた。細長い何かをいくつも手に持って、ロールのように巻かれていた薄手の布地を肩に担いで部屋に戻る。
ガープの手際はよかった。脱衣所から浴槽までの距離を測り、脚立を持ってきては細長い金属をレールの代わりにして天井にビス留めしていく。布地を測った長さで切ると輪留めをしてS字のフックを取り付ける。そうしてあっという間にカーテンがぶら下がった。
「とりあえず、今日のところはこれでいいだろ。後々、改良していこう。カーテンを防カビ材にしたりして、洗濯も簡単な素材にしたりすれば衛生的にもいいし、撥水加工された水捌がいい布地もあるかもしんねえ。いや、正直、天井に近い部分は別に完璧に遮断されてる必要なんてねえんだから、いっそ半分はメッシュ素材にして……」
ああ、こうした工夫が溢れているのだろうなと、シーレは思った。
魔法であれば一瞬で湯気のカーテンが作れる。けれど魔法とは限定された人にしか行えないもの。その人がいなければ、カーテンは作れない。けれどガープが生み出せば、カーテンはどこにでも取り付けられる。魔法を使う人がいなくても「カーテンの作り方」を教えれば、国中の人がカーテンを使える。
道具は国中を豊かにしている。
魔法なんてなくても、世界はきっと困らない。
「すごいですね……」
思わず、口から零れていた。
振り返ると、今までぶつぶつと考えていたガープが驚いた目でシーレを見上げた。
「道具って、すごいんですね」
「……は?」
「褒め言葉ですけど、気に障ったのです?」
「今、なんつった?」
「え、いや、だから道具が凄いと──」
言うと、ぱあっとガープの表情が輝き出した。
「わかるか!? これ、これ見えるか!? ステンレスに防腐剤が練り込んであって、水場でも傷まねえ素材なんだよ! 水アカもつかねえし!」
かと思うと、ガープはいきなりシーレを抱き上げて、天井に留めたレールを指差す。
「は、はあ……」
「このS字フックも! こんなに形を自由自在に変えられるくせに耐久性はすごくて壊れねえし、輪留めとの間に水が溜まっても錆びにくいから変色しねえんだ!」
「え、ええ……」
「すげぇだろ!? これどっちも俺達の工場が発明したんだぜ! このS字フックはすげぇ人気で、100均っていって、安い店に置いてもらってて、めちゃくちゃ売れてんだ! 小さいサイズから大きいサイズまで7種類も商品展開されてて、どれもひっきりなしに注文が入って生産が追い付かな──」
ガープはどうやら気付いたらしかった。
抱き上げられたシーレがガープの首に腕を回して、なんとか姿勢を保っていること。そして、ふたりの距離が今まで以上に近いことに。
至近距離で見つめ合うふたり。
ガープはやっと我に返ったのか、ぐるんぐるん視線を泳がせてシーレをそっと放した。
「ま、まあ、とにかく、カーテンはできたし、風呂でも入るか」
「そ、そうですね」
なんとなく気まずいふたりが、なんとなく風呂を済ませた。
◇◆◇◆◇◆
ガープは湯船に浸かりながら考えていた。
自分がシーレを想った行動。
なにかあっただろうか。
想うということは、いい意味なのだろうとわかる。悪い想いで取る行動でも数に入るのであれば、自分はとっくの昔に5個以上の行動を取っている。
(はー? 相手を想う?)
むしろシーレを嫌っていたのに、よかれと思ってした行動なんてひとつもない。
シーレのために、こうしたほうがいいと思ったこと。
シーレのため。シーレのため。
シーレのために、しちゃいけないと思ったこと。
はっとした。
そうだ、行動とはなにも起こした行動じゃなくて、起こさなかった行動でもいいわけだ。
「おい、わかったぞ! 俺がお前を想ってした行動!」
「本当ですか!」
思わずカーテンを開けてしまった自分は馬鹿なのだろうか。タオルを巻いていないシーレが当然そこにいるのに。湯で見えにくいとは、湯は透明なのに。
「早く教えてください!」
その膨らんだ胸の頂点に咲く桜は……
ぱあんっ!
ガープは自分が鼻血を出したことを察した。しかもそれを見たシーレが呆れていることも。
「ちょっと。いい加減にしてくださいよ。いつまで勿体つけてるのですか」
「ご、ごめ……ちょ、待っ。とにかく出よう」
「出たらすぐに教えてくださいね」
「わかったから早く服を着てくれ!」
改めて寝支度を整えたふたりはベッドの上で向かい合わせになった。
「多分、俺がお前を想ってしたことは、耳を切らなかったことだと思う」
言うと、あからさまにシーレの表情が冷たくなった。そんなわけないだろうと目顔で語っている。
「あのですね、耳を切ってくださらなかったのはアバドンさんもそうですし、あの場にいた機械工の皆さんもそうですよ? それに耳にカッターを当てて、やめる、という行動を繰り返しても数は減らなかったではありませんか」
「繰り返したときには、気持ちがなかったからだ。あのときは、動きだけを繰り返してたから数が減らなかったんだよ」
「では、初めはどういう気持ちだったのです?」
「傷を残したらいけないと思ったんだよ」
それでも、シーレは理解できていないみたいだった。
ガープはシーレの左耳を見つめた。銀の炎に包まれた白い石が、妖しく光っている。自分の右耳に黒い石が嵌っているかと思うと、直視できなかった。なんだか、厳かな輝きがあった。
「傷が元通りになるなら、多分、やってた。でも、傷を塞ぐだけで元に戻らないなら、駄目だって」
「駄目? なぜです?」
「なんつうか、うまく言えねえけど」
「はい」
「だから、その」
「はい」
「だから、よくわかんねえけど! 綺麗な体は、綺麗なまんまじゃねえとって思ったんだよ!」
「き、きれい……?」
今度はシーレが目を真ん丸にしていた。しかも、ほんのり頬が赤くなっている。
その反応を見て、自分がとてつもなく恥ずかしいことを言ってしまったような気がして、かーっと体が熱くなった。
「とにかく! 多分、そうだから!」
言い逃げとはまさにこのことで、ガープはとっとと毛布に包まって、目を閉じてしまった。
どくん、どくん──……。
(なんだよ、これ。なんでこんなにうるせえんだよ!?)
大きすぎる拍動に戸惑いながら、ガープはシーレに背を向けた。シーレも遅れて横になった気配があった。シーレに、拍動が伝わりそうで恥ずかしくて、身動きひとつ取れなかった。