第6話
「よぉガープ! 遅刻ぎりぎり──誰!?!?」
ガープがシーレを連れて教室に入るや、既に登校していた40人のクラスメイト達がどよめいた。
遅刻まであと1分というところだった。
(あ、危ねぇ……)
バイクの駐車場から猛ダッシュしたせいで、ガープとシーレは肩で息をしていて、友人からシーレについて質問攻めにあうも、息を整えるのに必死で答えられない。ああ、もううるさい。弟達のような自分以外の誰かが騒いでいるジャングルではなくて、学校には自分を巻き込む煩わしさがある。放っておけば勝手に遊んでいる弟と比べて、学校は自分がなにかをしなくては収まらないから質が悪い。
なんでこんなにうるさいんだ?
そうだ、忘れていた。
ここは男子校だった──……。
ただでさえ女に飢えているのだ。
年頃の女を前にして、興味を持つなというほうが無理だ。
男子高校生ってそういうもの。
はあ、と粘っこい嘆息をつく。気付けばシーレの手をまだ握っていて、投げ捨てるように離した。走るのに夢中で気が付かなかった。
「俺の席、こっち」
「はい……」
「あれ。証明書、出しといて。先生に渡すから」
「わかりました……」
どっと疲れてしまったふたりの会話は淡々としていた。
ガープが上着を脱いで黒の学生服になっている間に、シーレがガープのリュックから書類を出す。外は寒いというのに、シーレの額には汗が滲んでいた。ガープの服の中もぐっしょりだ。
そのときちょうど、担任の体育教師、ゴモリーが入ってきた。
アバドンに匹敵する巨体の持ち主で、胡麻塩みたいな頭をしている。いつもぱつぱつのシャツを着ているせいで、見ているこっちが窮屈だ。
ゴモリーは出席簿を持ちながら教室をねめつけて、シーレを目に留める。そして小さな目を大きく見開いた。
「イマミアさんから連絡はあったが、まさか本当にそんなことになってるとはな。あれ、ほら書類はどうした。あれがないと、校長が登校は認めないって言ってたぞ」
「これです。お願いしゃす」
シーレの手から抜き取った受理証明書を手渡すと、クラスメイト達がなんだなんだと紙を覗き込む。
「おい、耳。塞いどけ」
シーレに言うと、不思議そうな顔で、それでも素直に両耳を掌で覆った。
ガープ自身もそうした途端──
「ええええええええぇぇぇええッ!?!?!?!?!?」
「はあぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!?!?!?!?!?」
「マぁジでええええええええぇぇえ!?!?!?!?!?」
教室の窓ガラスがびりびりと震えるほどの悲鳴があがった。
男子高校生ってそういうもの。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「そんなこと有り得んのかよ……奇跡じゃん」
「はーーー!! こんな可愛い子とずっと一緒とか羨ましい!」
「学生結婚とか超いいじゃん!」
ガープの心境も知らない友人達がずっと嘆いている。
ゴモリーに椅子と机を用意してもらったシーレは、ガープのすぐ隣で背筋をピンと伸ばし、ずっと前を見据えている。この学校ではありえない姿勢だ。どの男子学生も気怠げに座るか、突っ伏して眠るか、どちらかだ。
授業が始まっているというのに、クラスメイト達はシーレの周りに集まって席に着こうとしない。ゴモリーもこりゃ駄目だなと早々に諦めたのか、教壇で本を読み始める始末だ。ある程度の疑問を解消してやらないと、落ち着こうとしないとわかっているのだろう。
「ねえ名前は?」
「シーレと申します。スペルはSEEREです」
「何歳?」
「16と一ヶ月になりました」
また感嘆。
16歳のなにがいいのか、わからない。三男の弟と同い年だぞ。弟と同じ年。複雑以外のなにものでもない。なにより、ガープが最も嫌う存在だ。
「本当に離れらんないの? ちょっとこっち来てみて!」
ぐっとシーレの細い腕が鷲掴みにされ、男子の力で目一杯に引かれた。
一人分以上離れた結果は、当然、バチンッ。
ふたりは抱き合うみたいな形になって、今度は羨望の悲鳴が教室を震わせた。
「いいなあーーー!!」
「俺も女の子とくっつきたいーーー!!」
「なにこの状況ーーー!!」
同じ高校生とはいえ、この騒々しさはどうにかならないのか。ガープはとうとう嫌気が差して、言った。
「やめろよ。バチンッてくっつくの結構痛ぇんだから」
「そんな痛み、どうってことねえだろ! なに贅沢言ってんだ!」
「そうだそうだ!」
この団結である。普段はバラバラなくせに体育祭だとか、球技大会だとか、勝負どころになると一変して校内一を争う団結力を発揮するのだから機械科3年C組は恐ろしい。
「えっ。ちょっと待って。離れられないってことは、風呂はどうしたの?」
「……? もちろん、一緒に入りましたが」
「トイレは?」
「一緒に」
「寝るのは?」
「一緒に」
「エッ……rrr」
「変な想像すんな!! お前もいらんこと言わなくていい!」
「……? わかりました」
やはりシーレはこの状況が他人にとってどれだけ奇異に写るかをいまいち把握しきれていないようだった。男と女が常に一緒にいるという奇妙さを、そして他人がどんな想像をするのかを想像できない。
「ガープ。お前、その耳飾りが取れるまで体育は見学、実習は末席なー」
読書に耽っていたいたゴモリーが思い出したように言った。
ガープは思わず立ち上がってしまう。
「なんで!?」
「当たり前だろ。こんな野生児共の体育にシーレちゃんを混ぜられるか。危なっかしくて見てられん」
うん、うん。と頷くクラスメイト達。
「実技はなんで末席!? 俺、実技は一番じゃん!」
「シーレちゃんはお前にくっ付いて回らないといけないんだろ? 機械に巻き込まれでもしたらどうすんだ」
「そんな……」
力なく座る。
物心ついたころから回してきた機械。高校では当然トップクラスの腕前で、実技の首席を逃したことは一度もなかった。それが、末席なんて。
「末席とは、どういう意味です?」
シーレが問うてきた気配があったが、答えられなかった。自分の努力が蹴散らされた気分だった。
ガープの代わりに誰かが応えた。
「実技の教室にひとつだけ離れた席があんの。周りにはなにもなくて、ぽつんとした席。それを末席って呼ぶの」
「それは悪い席なのです?」
「その席に座った奴は付きっ切りで先生が付くんだよ。他の学生は黙々と作業してる中で、末席は先生監視のもとやらなくちゃいけない。いわゆる、落ちこぼれの席」
「なるほど。私がいるから、危ない目に合さぬようにと配慮してくださったわけですね。先生方のお心遣い、ありがとうございます」
シーレが視界の端で頭を下げているのが見えた。
ありがとうございます?
ありがとうって、なんだよ。
俺が築き上げた居場所を簡単に奪っていきやがって。
魔法が道具を凌駕するのと同じように、お前は俺の努力を踏みにじっていく。
時間と労力を掛けた席をすんなり目の前から失わせておいて、ありがとう、だ?
ガープは激昂して、シーレの胸倉を掴み上げていた。
ぐいっと引き寄せて、鼻先が触れ合うほどの距離で睨み付ける。
周囲がどよめいたのは、先の黄色い声援とは異なった。
「おい馬鹿やめろ!」
「なにしてんだ!」
「手ぇ放せって」
色んな手が伸びてくる。やめろ、やめろ、と言いながら、四方八方六方から制止の手が伸びてくる。
それなのに、シーレの両手はだらんと体の横に垂れ下がって、抵抗の”て”の字すら見せなかった。だから、本当なら怒鳴ってやりたかったのに怒鳴れなくて、絞り出すように言った。
「お前のせいだ」
魔法なんてあるから。
シーレなんているから。
俺の努力が報われない。
俺の努力が奪われる。
努力することすら許されない。俺はもっとできる。できるのに。
「お前のせいだ、お前のせいだ! お前がいるから! お前なんかが──!!」
「では、殺せばいいのでは?」
シーレの冷たい一言は、教室だけでなくガープをも凍り付かせた。
「あなたがなぜ私をそんなに憎んでいるのかはわかりませんが、そんなに恨んでいるのであれば早々に殺してしまえば話は済むはずです。あなたは元通り朝早くからお仕事の準備ができて、体育の授業に出られて、実技優秀者の席に座れます。
そうすればいいのでは?
なのになぜ、私の耳を切り落としてくれないのです?」
だって、それは、お前の体が──。
「耳を切り落とせないのなら、隠れた場所で殺してくれさえすればよかったのに。いくらでもチャンスはありましたよね。お風呂でも、寝ているときでも。それをしないくせに奪われただの、お前のせいだだの嘆いてみっともない。
奪われたのは自分だけだとでも思っているんですか。
私がなにも奪われていないとでも思っているんですか。手に入るはずだった褒章。国王陛下との会食。両親からの期待。魔法使いは成人したら、魔法で生計を立てていくことが許されるんです。私は世界中の貧困層のかたの力になるのが目標でした。壁に亀裂があるけれどお金がないから直せない。窓が割れているけれどお金がないから新しいものを買えない。そんな方々のために世界中を飛び回って、住みやすい環境を整えてあげるのが夢でした。
魔法は材料を必要としないから。お金がなくても、直してあげられるから。それが魔法を使えるという選ばれた人間のすべきことだと思ったから、ずっとそのために努力してきました。朝から晩までずっと魔法書を読んでは魔法を繰り返し、失敗し、成功しても体が覚えるまでずっと同じ魔法をする。魔力が尽きると熱を出してしまって、一週間、うなされたこともありました。魔法を間違えて骨を折ったこともあります。夢も、その努力もすべて奪われたのは、私も同じです。けれど、決定的にあなたと違うところがあります。
あなたは奪い返せます。
この『堕天使の救済』が取れたとき、あなたはまた優秀者の席に座り、体育で走り回り、朝から晩まで仕事ができます。でも私はいくら魔法を洗練されたものにしても、もう国王陛下から褒章はいただけませんし、会食もできませんし、両親から褒めてもらうこともできません。
あなた、なにを見て自分だけ被害者面しているのです?」
返す言葉もなかった。
シーレが失くしたものなんて、気にも留めていなかった。自分の失ったものばかり見て嘆いて、それが遠くに移動しただけと気付かなかった。
「殺すか、耳を落とすか、どちらかやってくださいよ」
シーレは抵抗しないのじゃない。
諦めているのだ。
どうでもいいと、なにもかも。
ガープは全身から力が抜けていった。シーレは解放されると、身なりを整えてガープを冷ややかに見る。
「もういいです。やってくださらないなら、自分でやります」
そう言ったシーレは素早かった。
机の脇に掛かっていたガープの学生鞄を奪い、中にあるベルトポーチを見付ける。そしてそこから鋭利なクロームナイフを取り出して、刃を閃かせた。
刃がシーレの耳に食い込む瞬間──
ガープがシーレの手首を掴んで阻止した。
「……やってくださるんですか」
シーレの期待とは裏腹に、ガープはシーレの手からナイフを抜き取って、床に放った。シーレはその刃の行方を見届けたあとで、キッとガープを睨む。
「意気地なし」
そんなことを言われても、もう怒りは湧いてこなかった。
なにも言い返せない。
なにも考えられない。
すとん、と座り込んで、机に突っ伏してしまう。
その間も、ガープはシーレの手首を掴んだまま、離せないでいた。
「さあて、やっぱり授業しちゃおっかなー」
ゴモリーいわく、あれほど静かな授業は後にも先のにも、あの日だけだったという。