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第16話


 実験棟は平屋だが、その内部はとても広い。その名の通り、実験をするためだけの施設で、危険な機械や装置が置いてあるとガープは言う。

 危険を予想して頑丈な作りにしてあるはずなのに、一部の屋根が内部からの爆発で穴が開いており、そこから黒煙と炎がちらちらと蛇の舌のように覗いていた。空気を舐めているみたいだ。


 何人かの生徒達が咳き込みながら出てくる。彼らを抱き止め、座らせてやりながら話を聞いた。うじゃうじゃと野次馬が校舎から溢れてくる。


「なにがあった!?」

「わかんねえ……いきなり爆発して燃え始めたんだ! まだ中に何人かいるけど、助けられなかった……!」


 そんな馬鹿な。

 シーレは大きな鉄の塊を見上げた。

 この中で炎が膨らんでいて命を喰らおうとしているなら、助けなければならない。


 なんのために魔法があるの。

 こういうときのためでしょう。


 人々を豊かにするために魔法を尊べと学んだでしょう。



(私ならできる。でも──)



 教師を呼びに行っていた誰かが言った。


「消防は他の火事に行ってて遅れるみたいだ!」

「教師が消火器を掻き集めてる!」

「こんなん、消火器でどうこうできるレベルじゃねえだろ!」

「早く助けねえと!!」


 混乱と焦りが怒号を飛び交わせた。助けたい、助けられない。どうする──。

 そんな口々が、はっとしたようにシーレを見た。


 シーレはずっと考えていた。

 水の魔法は苦手だ。自分が得意とする魔法と真逆の属性で、習得するのにも、発動させるのにも、いつも苦労した。

 だが、そんなことを言っている場合ではない。


「ガープさん、私は水の魔法が苦手なので、この建物に降らせるほどの水を生み出すことはできません。けれど、私達を囲うくらいなら維持できます。一緒に中に入っていただけますか」

「あたりめーだ。つーか、最初からそのつもりだけど?」


 バンダナを巻き直すガープを見て、身震いする。彼の勇気が自分にも伝わってくるようだった。

 彼に付いていけば大丈夫。

 自分を鼓舞してパチンと指を鳴らす。すると、ふたりの周りに水の膜が成形された。

 シャボン玉の中にいるような感覚で、わずかに視界が滲む。


「水の膜を維持するのに集中します。障害物や、ご学友の探査は任せてよろしいですか」

「おう。お前らは離れてろよ! 行くぞ、シーレ!」

「はい!」


 ふたりは燃え盛る施設の中へ飛び込んだ。



◇◆◇◆◇◆



 煙で前が見えない。

 蠢く黒い靄の中を突き進むには、炎の熱が強烈すぎた。膜のおかげで煙と匂いは入ってこないが、熱は伝わってくる。


 長居はできない。


 ここにずっといたら、この膜も沸騰して蒸発して消えてしまう。シーレは水の温度にも気を配らなければならなくなった。


 とにかく、見えなければ助けられない。シーレは細心の注意を払って、ほんの僅かに煙を動かした。ぶわりと開けた一瞬の視界に何人かの生徒を見つける。ふたりは体勢を低くして進んだ。

 ひとりめを発見した。


「おい、大丈夫か? おい!」

「気を失っています。まだ息はありますが……」


 がしゃん、がしゃんと、どこかでなにかが崩れる音がした。パチパチとなにかが弾ける音がする。しかもそれが小さな音ではなくて、思わず頭を守ろうとするほどの音量なのだから炎とは恐ろしい。

 火が大きくなって、視界がオレンジに染まる。火の粉が降り注いで、膜を突き破ってくるのを何度も修正した。

 ガープが問うてくる。


「一箇所に集めれば、こいつらも膜の中にいれられるか?」

「できます」


 本当は厳しかった。なぜかというと、維持し続けるのが難しかったからだ。膜が厚すぎれば視認性に問題が生じ、薄すぎれば熱波でやられる。絶妙な厚みを保つのが、シーレの神経をすり減らすのだった。


 けれど、言えなかった。


 今この場所で、彼らを救えるのはシーレしかいなかった。それを理解していた。そんなときに弱音を吐けるほど、シーレは脆弱ではない。


 そしてガープの腕力は凄まじかった。片手でひとりを引っ掴み、もう片手でまたひとりを引っ掴み、建物の中央へと人を集めていく。


 その中にガープを責めた彼もいた。


 ガープはなんの迷いもなく、彼も中央に寝かせた。


 生徒は全部で7人。

 シーレ達を含めると9人だ。

 周りは炎で囲まれていた。スプリンクラーが発動するも、なにか燃焼源があるのか、一向に火は衰えない。ついにはスプリンクラーも溶けて、怪物の涎のように液状化している。


 天井の瓦礫が崩れ始めていた。


 早く出なければ押しつぶされてしまう。瓦礫すべてを食い止めるのは難儀だった。


「どうしますか、このまま運びますか」

「無理だ。往復してる間に焼け死ぬ。全員、浮かせられるか?」


 試してみた。ぐっと力を込めてみるも、数人の足が浮いただけで力尽きてしまう。

 膜の維持が邪魔すぎる。それに、維持で集中を削がれるだけでなく、魔力の消費も尋常ではない。

 では移動魔法はどうだろう。

 いや、無理だ。あの魔法もせいぜい3人が限度である。


 どうする。


「このまま助けが来るまで膜を維持できるか」


 ガープは汗を掻いていた。

 シーレもだった。

 いくら膜に守られているからといえど、炎の力は圧倒的で蒸し風呂の中にいるみたいだ。膜がなければ、あっという間に炭になってしまうだろう。


 いつ助けが来るか。

 終わりの見えない時間まで維持できるかどうか。


 無理だ。

 答えられないのが答えだった。ガープは責めもせず「そうか」とだけ頷いて、袖口で口元の汗を拭った。


 どうする。


 なにか手はないだろうか。

 どんな魔法が使えるだろう。なにか。


(ああもう、こんなときに思い付かないなんて!)


 なにかあるはず。

 なにかあるはず。落ち着いて考えればきっとすぐにわかる。


 シーレは炎に囲まれた中でぐるりと周りを見た。


 そのとき、ふとガープのベルトポーチが目に入った。さらに生徒達のズボンにはすべてベルトが通っている。


 振り仰ぐ。

 天井に開いた穴は、先よりもずっと大きくなっていた。


「ガープさん、全員とガープさんをベルトで繋げてください」

「ああ。でも、さすがに俺も全員は持てねえぞ」

「大丈夫です。多分、私の考えが正しければ、いけるはずです。ガープさん、私を信じてくれますか」

「ああ、信じるよ」


 一瞬の躊躇(ためら)いもなかった。


 そういえば、彼は自分の作品を責められたとき、刹那でさえシーレを疑わなかった。本当に魔法を使ったのか? そんな瞳を向けることさえなかった。

 彼は自分の力を信じているのだ。

 そして、シーレがそんなことをしないとも信じている。


 淀みなく答えてくれたガープに、また泣き出してしまいそうになった。

 喜んでいる場合ではない。シーレは力強く頷いて、そっと膜の外に出た。

 火に触れていないのに、熱が痛い。


「お、おい!?」


 さすがに焦ったガープが追ってこようとしたけれど、首を振って制した。

 そして、自分だけを浮き上がらせて天井の穴から空に出た。


 ぱっと熱がなくなった気がした。


 冷たい澄んだ空気に包まれて、煙よりももっと遥か上に。

 そしてそこで耐えた。その場から動かないように。ぐっと踏ん張る。


 すると──


 穴からガープ達が飛び出してきた。



 『堕天使の救済』の引力を利用したのだった。



 勢いよく飛び込んでくるガープが見える。炎を通ってきたからか、その頬には煤がついていた。


「シーレ!」

「ガープさん!」


 ふたりは手を伸ばし──


 互いに抱き止めた。


 生きている。


 ふたりは、ふたりの命を確かめ合うように思い切り強く抱き締めた。



(重い──ッ!)


 だが浮遊力よりも重量が勝った。シーレの魔力では支えきれず、ぐらりと傾いて落ちていく。

 保っていられなくて、ぱしんと弾ける水の膜。

 吹き上がるような強い風。

 近付いてくる地面。


 全力で浮遊魔法を掛けたが、それでも重すぎて敵わない。ほんの少し落ちるスピードが緩やかになったくらいで、それでもこの速度で叩きつけられれば無事では済まないのは明瞭だ。


(止まって! 止まれ──!)


 ぎゅっと目を閉じてさらに力を込めると、その体を包み込む腕があった。


 ガープだった。


 ガープが、抱き締めてくれている。守ろうとしてくれているのだ。


 ああ、もう駄目だ──


 目前に迫る地面に衝撃を覚悟して目を閉じる。

 咄嗟に、シーレはガープに抱き着いていた。



 ぶわり



 そのとき、宙に浮いたのを感じた。

 はっとして見ると、地面に衝突する寸前で浮いている。


 そのままゆっくりと着地して、シーレを始めとする9人は無傷で生還した。

 冷気を頰に感じて実験棟を見ると、氷漬けにされていて、すっかり鎮火しているようだった。


「これもお前か?」


 ガープに問われ、否定する。


「い、いえ、私にはこれだけの力は……」


 シャックスだ。

 間違いなく、この魔法はどちらもシャックスのもののはずだ。

 けれどそんな彼の姿は見えなくて、野次馬になっていたクラスメイト達がふたりを英雄のように取り囲んでしまった。


 揉みくちゃにされながらもシャックスの姿を探すけれど、どこにもいない。


 ありがとうくらい、言わせてくれたらいいのに。


 そのとき、ぐらりと視界が揺れた。膝ががくんと折れて力が抜ける。立て直そうとするも、うまく力が入らなくてふらつく。


「……あらら? ガ、ガープさん、すみません、また、魔力を、使い切っちゃったみたいで」

「わかった、わかった。お疲れさん。ほら、おいで」


 そして、ぽすん、と再びガープの腕に逆戻りする。

 力強いその腕に安心して、シーレは目を瞑った。


 ガープの手の甲の数字が2になっていた。



◇◆◇◆◇◆



「やれやれ。助けてしまうだなんて、我ながら甘いというか、女々しいというか」


 他の男に心を奪われた想い人を目の当たりにして激昂してしまったが、結局は見捨てきれないようだった。


 しばらく遠くから見守っていよう。

 もしかして、戻ってくるかも、なんて淡い期待をして。


 彼は銀糸のように長い髪を閃かせて、指を慣らした。



 パチン──……。

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