第14話
「ねえ、シーレ」
とある日曜日の昼下がり。
隣ではガープが一生懸命に改良を重ねたパーツを組み立てていて、シーレはとても暇だった。かれこれ3時間はぶっ通しで作業をしている。ガープの気が散らないように、路上に落ちている葉っぱを宙に浮かして遊んでみるけれど、それも早々に飽きてしまって、ほんの少し見える雲がなんの形に似ているか、なんて考えていた。
そんな1階の工場にシャックスがやってきた。
突然に現れたので驚いた。
ガープももちろん闖入者に気が付いたようだったけれど、特段、気にしていなさそうなのでそのまま受け入れた。このまま拒絶するほどの理由もない。それに、いい話し相手になってくれそうだ。
「なんでしょうか」
シャックスは汚れた丸椅子を指の動きひとつで引き寄せて、パチンと指を鳴らして綺麗にしてからそこに座った。
シーレのちょうど向かいだった。
膝を突き合わせての会話は、一体、いつぶりだろう。
一家の一員といえど、親戚中が毎日顔を合わせるわけでもないので、かなり久しぶりに感じる。あの狭い世界は、さらに狭い範囲でだけで生活するのだ。
特にシーレとシャックスは年齢が近いといえど、それでも9つの歳が離れている。幼い頃から頼れる存在で、どちらかといえば主従関係というか、師弟関係に近いと感じていた。
もちろん、シーレにはシャックスへの恋愛としての愛情はなかった。
一家の中で婚姻をする。
そのしきたりがあるから、自分の結婚相手はシャックスなのだと、そう思っていただけだ。むしろ関わりが深かったのは自分よりも年下の別の親戚の男の子のほうだった。彼はまたさらに年下の、またさらに別の親戚と婚約している。そんな仲なのだ。
シャックスは我儘な子を諭すようなハの字の眉で懇願してきた。
「帰ろうよ、シーレ」
帰る場所などない。
そう言いかけて、遮るようにシャックスが続けた。
「見てごらん。ふたりの手の甲の数字は、ずっと変わらず4のままだ。相手を想う行動ができていない証拠だよ。つまり、君達は互いに好き合えない仲なんだ。嫌いだから行動ができない。そうだろう? だから、諦めて帰ろう?」
「好きと想うは同じではありません。きっと、うまくいきます。私達には、まだなにか欠けているだけなのです」
それを見付けられれば、自覚できれば行動はいくつもできるはずだ。
だが、シャックスは的外れな憂いを投げてきた。
「やっぱり、お母様の心配をしてるのかい? 戻ったら、折檻をされるかもって?」
「いいえ、まさか」
そんなことをする価値も、もう自分にはない。
「そんなことされてたのか」
ガープが真剣な目を寄越して問うてくる。シーレはすかさず否定した。
「いえ! 魔法で失敗してしまったときに厳しく叱責を受けることはあっても、折檻まではありませんでした。本当です」
ガープは小さく頷いて信じてくれた。ほっとした。
なぜ、ほっとしたのかはわからないけれど。
「もう戻りたくないの?」
改めてシャックスに言われ、シーレは考えた。
あの家は特殊だ。
魔法を自由に使い、魔法を活かして仕事ができるというのは非常に魅力だろう。自分の魔力をさらに高めることができるし、世界から重宝されるし、一目置かれる。
けれど、それだけだ。
あの家に戻りたいわけではない。
「家族に思い入れはありません」
自分の感じたままに打ち明けると、途端にシャックスの目が鋭くなった。諌める声音だった。
「なんてことを言うの」
「考えれば、私は、褒めてもらうために頑張っていました。居場所に縋り付くみたいに、褒めてもらえれば一員として居続けられるからと。でも、この家に来て、それは家族ではないと感じたんです。ここの子ども達は、やりたいことをやっています。壁に落書きをしたいからしてみる。走りたいから走る。怒られて、じゃあ次のやりたいことをやってみる。そんなふうに、いつも楽しそうなんです。誰も、褒められてなくても、いつも笑っています。多分、それが家族なんです。私達のは、違う」
「僕達が間違っているとでも言うの」
「いえ、違います。そういうことではなくて、私の中での家族というものの見方が変わったのです」
もう、いいではないか。
終わったことなのだから。
もっと違う話がしたかったのだ。今日は天気がいいよ。僕も体の調子が良くて、こんな魔法をこんなに使えてこんなに喜んでもらえたんだよ。僕はそれがとても嬉しくてね、気分がいいんだ。心が軽くなるようだよ。
私はとっても暇なんです。毎日こんなふうに暇潰しを探さないといけなくて。でも出来上がっていく道具を見るのはとても楽しいのです。文句は言えません。ね、ガープさん。
そんな話をしたい。そんなふうに、思わず、ふふ、と笑ってしまうような会話がしたかった。
こんな、いつまでも堂々巡りな問答をするのではなくて。
けれど、笑顔を望むシャックスは、絶望したように顔を左右に振った。
「毒されてしまったみたいだ。早く連れて帰らないと、もう元に戻れないかもしれない。急ごう」
そうして立ち上がったシャックスがガープに攻撃魔法を仕掛けようとした。
驚いたシーレは反射的に盾になった。
なにをするのだ。
そう言いたいのに、シャックスの冷たい眼差しは魔力の属性を表すみたいで身が竦む。
勝てない。
どう足掻いても、9年の差は埋まらない。
実力差を肌で感じて慄いていると、さすがのガープも我関せずを貫き通せなかったのか、作業をやめて立ち上がった。
呆れ顔でシャックスと対峙する。
「また俺を殺すって話か」
「わかっているなら、従ってもらう。もう我慢ならない。シーレが毒になってしまう前に連れ戻す」
毒とはなんだ。
この家は、この世界は毒なんかじゃない。
とうとう耐えきれずシーレは歯向かった。
「やめてください! もう私は戻りません! 離れる方法は私達で見付けますから! 助けてくださって本当にありがとうございました! でも、誰かを傷付けるのは駄目です!」
けれど、それでもシャックスは身を引いてくれない。
これは、戦闘を余儀なくされるだろうか。
自分にできる最大級の魔法を考えていると、体が疼くのか、指先がちりちりとした。馬鹿な魔力。なにを望んでいるの。
自身の魔力を責めながら、それでも頭の中で繰り出す魔法を考え続けている。
その左肩にガープの手が、とん、と置かれた。そして後ろへ引かれる。
「シーレ、危ねえから下がってろ」
なにを言うか。
シャックスは本気だ。彼の戦闘力では、いくらなんでも敵わない。
「で、でもシャックスの魔力は──」
「いいから」
「けど」
「お前が、俺が傷付くのを嫌だと思うのと同じで、俺だってシーレが傷付くのは嫌だ」
「でも……ガープさんが怪我をしてしまったら……」
「大丈夫だから」
そんなふたりのやり取りを見て、苦虫を潰したような顔をしたのはシャックスだった。
「なんてことだ! シーレ! 君はその男が好きなんだね!?」
言われたシーレは目を見開く。
「えっ──」
好き?
好きって?
わからないでいると、ガープが助け舟を出してくれた。
「今はそんなこと関係ねえだろ。シーレを助けてくれたのはありがたい。でも俺達ふたりでなんとかするっつってんだ。呼んでもいねえのに来るなよ」
「もういい! よくわかった! シーレ! 君との婚約は破棄する! 僕は二度と助けないからな!!」
ぴしゃりと人差し指を立ててそう言い残して、シャックスは霧のようにいなくなってしまった。
静まり返った工場に平穏が戻る。
「うるせえ奴だな、本当に」
「……ごめんなさい」
「お前が謝ることじゃねえだろ」
そうして作業を再開させようとしたとき、ガープの手の甲の数字が3に減っているのにシーレが気付いた。
「ガープさん! 数字!」
「んぉ!?!? マジだ! シーレは!?」
「は!!!! 私もです! 私も3です!!」
「よっしゃぁ! この調子で残りも──」
喜んだふたりが固まってしまったのは、思わず正面から抱き合っていたからだ。
ぶわりと蘇るキスの感触。
ふたりはどちらともなく瞬きをして離れた。ごほん、と咳払い。
そんなふたりの目が合ったのは、出入口から覗く弟達だ。
ぱちくり。
ぱちくり。
「母ちゃーん! またガープ兄がシーレちゃんとエッチィことしてるー!」
「おいお前ら、また──!!」
「シーレちゃんは起きてんのかい!?」
「起きてるー!」
「よし、もっとやりなァ!!」
「母ちゃん!!!!!!」
そんな騒ぎがあったせいで、シーレはまたわからず終いだった。
相手を想う行動って、どれなんだろう?
道具作りに付き合っていること?
シーレは小首を傾げた。




