第11話
「大丈夫だよ、シーレ。これは君のせいじゃないんだ。魔力の暴発だよ」
銀髪の男、シャックスは優雅にシーレに歩み寄りながら言った。クラスメイト達は所在なさげに事の成り行きを見守っている。
シャックスはシーレの前で膝を付き、頭を撫でた。
「シーレほどの魔力を持っていると、1日でも魔法を使わないと体に大きく負担が掛かる。だから睡眠でそれを補おうとする。夜は夢も見ずに眠れただろう? そのせいだ。眠りが深くなる。けれどそれが数日続くと、体が耐えきれなくなってこうして暴発してしまうんだよ。だから、君のせいじゃない」
「はあ? なんで魔法を使わなかったんだよ。こうなること知らなかったのか?」
ガープが問うてきた。
シーレは、イマミアと魔法を使うなと約束していることを言えなかった。この場で言ったら、イマミアが悪者になってしまいそうだったし、人を売りたくなかった。
「シーレ、僕の家においで。君が家を失ったことは知っている。なんとかしてあげるから、一緒に帰ろう」
「……いえ、私はガープさんと──」
「おい待てよ。お前誰だ」
シーレの頭に置かれていたシャックスの手を、ガープが蝿をそうするみたいに振り払った。するとシャックスの優しげな眼差しが釣り上がり、キッもガープを睨む。立ち上がったシャックスはガープよりも僅かに背が高かった。
「僕はシーレの父親の兄の妻の姉の夫の姉の息子の妻の──」
「長ぇ長ぇ長え! 長すぎるわ! わかるわけねえだろ! つまり、なんなんだよ!?」
「婚約者だ。一家は一家の中で結婚をする。だからシーレが学校を卒業したら、僕達は夫婦になるなんだよ」
「なに言ってんだこいつ。本当か?」
シーレは頷いた。かつては、そうだった。
「しかし、私はもはや一家の一員ではないのです。一家の中で結婚をするしきたりがある以上、婚約は解消のはずです。それに、私はもうガープさんと結婚し、シーレ・アスタロトになりましたし、なにより、私達は物理的に離れられません」
とにかく疲れてしまった。体を動かすすべての力を奪われてしまったみたいに体が重い。
シーレはドアの側に集まっているクラスメイト達を見た。彼らはぎくりとして、肩をこわばらせている。その反応が悲しかった。
「申し訳ありませんでした」
言うと、彼らは顔を見合わせた。
「以後、このようなことが起きませぬように気を付けます。本当に申し訳ありませんでした」
誰もなにも言ってくれなかった。
そんな嫌な沈黙を破ってくれたのはシャックスだった。
「どうして君が謝るの? 彼らは魔法も使えない人種だよ。選ばれた僕達が彼らに謝る必要なんてないんだ。僕達は彼らより上なのだから」
「はあ?」
クラスメイト達が不満を漏らした。
やめてくれ。
人間に優劣などないのだから。
「やめてください。魔法なんて──……」
そこでシーレは意識を失った。ぐらりと傾いた体を抱き止めてくれたのは、ガープだった。
「おい、大丈夫か?」
「魔力を使い切って疲れてしまったんだ。僕が連れて行こう」
「うっせえな、触んじゃねえ。俺が連れて行く」
どうせもう授業などできる状態ではないだろう。それに、あとひとつの授業くらいサボったところで影響はない。伸びてきたシャックスの手を振り払って、シーレを担ぎ上げる。
「まさか、それで連れて行くつもりか? 僕なら一瞬で──」
「席につけ!!」
そこで横槍を入れたのは数学教師だ。ようやく我に返って、暴言を吐く気力を取り戻してしまったのか、乱れたスーツを整えながら吠えている。
「なんてことだ、授業をこんな形で邪魔されるなんて! 校長に報告して、罰を受けてもらうからな! そこの女は刑務所行きだ! 殺人未遂で訴えてやる! 死刑の嘆願書を──」
「「黙れ殺すぞ」」
その言葉だけは、ガープとシャックスの声がぴたりと揃った。
長身のふたりに睨まれた教師は身動きをとれなくなる魔法でも掛けられたみたいにピンと背筋を伸ばして、顔を真っ青にしていた。
息の合ってしまった馬の合わないふたりは互いに睨み合って、ふんっと鼻を鳴らす。シーレを抱き上げたガープはそのまま教室を出て、シャックスもそれに続いた。
「やっぱり僕が──」
「俺の嫁だ。汚え手で触るな」
「君の手のほうが汚れているが? なんだ、その黒ずみは」
「ごちゃごちゃうるせえな!!」
そんな3人が去っていくのを見届けたクラスメイト達は、ぽつりと呟いた。
「三角関係だ……」
これから面白くなりそうだと思いつつ、自分がガープの立場なら絶対にあんなライバルは出てきて欲しくないと感じた。
◇◆◇◆◇◆
「倒れたってのかい?」
イマミアが冷えたタオルを持ってきた。
ガープは苦労して寝かせたシーレの額にタオルを乗せてやる。
(マジで大変だった……)
シャックスはいつまでも付いてきて、バイクにシーレを乗せて落ちてしまわないようにタンデムベルトを着けると目を剥いて制してきた。
──こんな野蛮なものに乗せてはいけない。怪我をする
──させねえから下がってろ
──僕に任せてくれ
埒が明かないと強引に出発したものの、なにかの魔法なのか声だけがいつまでも聞こえていて本当に腹が立った。
(軽かった)
シーレは驚くほど軽くて細かった。弟達とは違った骨格が壊れてしまいそうで、変なところに力が入って肩が痛い。
やっと着いた家では家族達の質問攻めが待っていて、それをいなして辿り着いた現在だ。
「自業自得のところもあんだよ。本当かどうかは知らねえけど、こいつはすごい魔力を持ってて、魔法を使わない日が続くと魔力が溜まりすぎていっきに放出しちまう。すると魔力が空っぽになるから、疲れてバタン。今ここ。わかってたんなら、魔法なんて使っちまえばいいのに我慢してたこいつが悪い」
言うと、いつもは厳しいイマミアがベッドの傍に膝をついてシーレの頭を撫でた。普段なら熱を出しても、食って飲んで寝てな! の一言で終わってしまうのに。やはり念願の娘には甘くなるものなのだろうか。
「シーレちゃん。そうかい……私のせいで、無理させたんだね」
シーレは死んでるみたいに静かに眠り続けている。顔が青いのはまだ体が疲労しきっているからに違いない。
ガープは疑問をぶつけた。
「私のせいって?」
「初日にね、約束させたんだよ。ガープの前で魔法は使うなって」
「え」
知らなかった。
「あんたが魔法一家を毛嫌いしてたのは知ってたし、道具屋は魔法が大敵だから、魔法なんざ目の当たりにしないほうがいいと思ったのさ。まさか、こんな代償を払わないといけないなんてね……。シーレちゃん。約束守ってくれるために頑張りすぎたんだね。ごめんよ……でもね、言ってくれなきゃわからないこともあるんだよ」
イマミアはぽんぽんとシーレの頭を撫でて、もうそれきりいつも通りの肝っ玉母さんに戻っていた。
「あんた、ちゃんと面倒見るんだよ。居眠りしてたらワイヤーカッターでドタマかち割るからね」
イマミアなら本当にやる。
ガープはうんうんと頷いて部屋を出ていくイマミアを見送った。
ベッドに座ったまま、シーレを見下ろす。
「……いつから我慢してた?」
問うても答えはない。この静けさが情けなかった。また、自分はシーレを見ていなかったのだろうか。
「そんなことしてくれたって、全然、嬉しくねえぞ」
素直に言ってくれたらよかったのに。
ガープはシーレの隣に寝そべって、肘を付いて体だけを起こし、シーレの髪に触れた。柔らかくて絹のようだった。髪の隙間から忌々しい『堕天使の救済』が輝いている。
「なにが救済だよ。どん底じゃねえか」
ピンッと指で軽く石を弾くと、シーレが寝返りをうった。それはちょうどガープの胸だった。首筋にシーレの吐息が掛かって、生きていると安堵する。ガープは苦笑して、迷って悩んで手を宙に彷徨わせたあとで、そっとシーレの背に手を回して抱き寄せた。
耳元で囁く。
「もう大丈夫だから」
夢の中にまで届いていればいい。
ガープはシーレの頬に頬を寄せた。
不思議な気持ちだった。




