第1話
「あ、これね、仲良くならないと離れられないね」
「はあ!?!?!?」
大司祭の言葉に声を揃えて喫驚したのは、魔法家の令嬢シーレと、道具開発局の長男ガープだった。
◇◆◇◆◇◆
今日は教会で、一週間ほど開かれる古物展覧会の初日だった。
由緒正しきこの国は、他国から大勢の来賓がある予定で、もちろん、有識者であるシーレとガープの両親も参列が決まっていた。
教会にところ狭しと用意された展示台ひとつひとつに赤のシルク布が掛けられ、その上に、これまでの長い時間の流れを見守ってきた歴史的調度品が飾られている。
そのひとつに『堕天使の救済』と銘打たれたピアスがあった。
白色の石を嵌めたものと、黒色の石を嵌めたものとが一対になったもので、それぞれの石を包むように銀の炎が象られている。
来賓達が展示品のひとつひとつを興味津々に眺めている中で、それは起きた。
突然、『堕天使の救済』が眩く輝き始めたのだ。
かと思うと、ピアスそれぞれが左右に分かれて隼のような素早さで飛び散った。結果、シーレの左耳に白色のピアスが、ガープの右耳に黒色のピアスが刺さってしまった。
ピアスをあけていなかったふたりには、ほとんど痛みを感じないほどだった。ちくりとした痛みに、おや?と思うだけのふたり。ピアスの特攻があまりの速さだったからか、ほとんど血は出なかったものの、そのあとが問題だった。
それぞれが教会の両端──つまりふたりは最も遠いところにいたのに、見えない手に引きずられるようにして中央にきたかと思うと、バチンッと音を立ててくっついてしまった。
強い衝撃と、体温と、密着。
離れようとして距離を取っても、またバチンッと戻されてしまう。
いつもは冷静なシーレもこれには慌ててしまう。
ガープの身体を両手で押し返すようにして、離れようと何度も試みた。
「な、なんなのですか、これは! せっかくの歴史的価値が……!」
シーレの家の歴史を重んじる。
ピアスの故障がなによりも心配だった。
「おい、この堅物女! 離れろ!」
一方で、ガープはピアスよりもなによりも現状を打破したく力任せに両腕をばたつかける。
「暴れないでください! 壊れてしまったら、どうするのですか! 早く外して清拭しないと、ピアスが傷んでしまいます!」
急いでピアスを外そうとするも──。
「外れない!?」
◇◆
そして大司祭の登場に至る。
大司祭はこの『堕天使の救済』について説明をした。
「天界を追われた天使を堕天使という。彼らは慈愛の気持ちが足りずに、哀れにも道を背いてしまった哀れな天使達だ。元は清らかな心を持っていたはずなのにと、神が最後の救済を与え給うた。
それがこの耳飾りと言われている。
仲違いとは、相手を敬う気持ち、尊ぶ気持ちの欠如から起こるもの。この耳飾りは尊重することを身に付け、自分が天使だった頃の心を取り戻せと、教訓を与えているのだ。
ま、つまり、仲良くならんと外れないよ、ってことだーね」
腕を組みながら言う大司祭は小柄な割に割腹がよく、蓄えた髭で口元がよく見えない。しかし目元が常に笑っていて、穏やかな口調だから深刻な話に聞こえないのが玉に瑕だ。
神に祈るように膝をついていたシーレは眉尻を下げた。
「そんな……壊れてしまわないでしょうか」
「大丈夫だーね。強力な魔法だからね」
ほっ、とシーレ。
しかしガープは、ピアスがどうなろうと構わない。腕を組んだまま大司祭の話を聞いていたものの、我慢できなくなって口を挟んだ。
「仲良くって……俺と、この女が!? 無理に決まってる!」
「なら一生そのままだよ」
「もっと無理! 仲良くってなに!? どうすればいいんだ!?」
「ほれ、互いの手の甲を見てみい。数字の5が書いてあるだね」
指を差され、初めて気が付いた。シーレの左手と、ガープの右手の甲に薄っすらと数字の5が浮かんでいる。よく見なければ、ただの湯気だ。
「互いに5つずつ、相手を想って行動をしてやるのだね。つまり、合計で10個。その数字が消えたとき、自然と『堕天使の救済』も役目を終えて、ふたりから離れて行くのだね」
「相手を想った行動って!?」
ガープが一歩前に出るのをシーレが諌めた。
「大司祭様になんて口の聞き方をするのですか。目上の方に教えを乞うのですから、もっと丁重に──」
「知らなんだね」
「いっ!?」
とは、ガープの驚嘆だ。シーレは言葉も失って目を見開く。
「思いやりは人それぞれ違うもの。これをすれば仲良しという指標がないのと一緒だね。だから、他人にはわかるはずがないんだね。ふたりが努力して、相手のために動いてあげる。これしか、ないんだね」
おっほほほほ。
と、お腹を揺らしながら笑う大司祭の前で、シーレはがっくりと肩を落とし、ガープは天を仰いで叫んだ。
「嘘だぁぁぁあああ!!」
なにせこのふたり、犬猿の仲である。
◇◆◇◆◇◆
「治療魔法も駄目ですね。傷口を塞いだら、ピアスだけぽろりと外れてくれるかと期待していたのですが……」
「ふんっ。やっぱり魔法なんて役に立たねえじゃねえか」
シーレはガープの嫌味を聞き流し、魔法書を広げた。自分が閃いていないだけで適切な魔法が載っているのではと考えたからだ。しかし、魔法書はシーレの見開きの大きさが両腕いっぱい、枚数は顔の長さに匹敵する。ほとんどを暗記しているシーレでも、読了するのに一昼夜では済まなそうだ。
一方、ガープは腰に巻いたベルトポーチから得意のペンチを取り出した。
ぎょっとしてシーレが制する。
「それは駄目です! 『堕天使の救済』が壊れてしまう可能性が大きいです! 傷ひとつ付けないで外さないといけません! 私だって、それを考慮して攻撃的な魔法ができないでいるのですから!」
「俺の手に掛かれば壊さねえで外れるんだよ! 職人を舐めんなよ! 魔法にばっかり頼ってるお嬢様とは違えんだよ!」
とは言いつつも、シーレはハラハラとしてしまう。
シーレはこの国が建立した当初から住む元祖国民で、魔力を有する稀有な一家だ。家族間婚姻を繰り返し、純血を保ち、今でも強力な魔力を保ち続けている。
自分達のルーツが歴史と共に歩んできたから、やはり歴史を重んじる。
魔法を使えるものの証として、すっかり廃れてしまった真っ白なワンピースを毎日欠かさず着ているのも、黒髪を伸ばし、肩の位置でふわりと結んでいるのも、慣習を尊んでいるからだ。
肌が青白いのも魔法使いの証。
だからシーレはいつも白レースの日傘を持ち歩く。
一方でガープは移住してきた一家だ。
多くの国民がそうであるように魔力は一切ない。だが手先の器用さを利用して、魔法がなくても魔法と同等の便利な道具を開発してきた。風を起こせないなら扇風機、水を湧かすことができないなら井戸、炎がないならマッチというように道具を発展させてきた。魔法と道具は同等。
魔法なんてクソ喰らえ──それが家訓の気合の入った職人一家の長男がガープだ。
薄汚れた茶色のツナギにいくつものベルトポーチ。日に焼けた肌に、額に巻いた赤のバンダナが目印の熱血漢。
当然、生きてきた環境も教訓も常識も異なるふたりは仲が悪い。
「あー、くっそ! 外れねえ! なんだよ、これ! 固定されてるわけでもねえのに!」
確かにピアスは刺さっただけで、耳朶を貫通した先の針になにか固定具が付いているわけではない。だから本来であれば、真っ直ぐに力を加えれば引き抜けるはずなのだが、どうしてかピクリとも動かないのだ。
「やっぱり駄目でしたか」
「やっぱりってなんだよ! 舐めてんのか!」
「では次の手に行きましょう。
耳朶を切ってください」
シーレが、ほら、と左耳を向けるとガープが絶句した。目を真ん丸にしている。
「おま……。は? 耳朶を、切る?」
「はい。耳を削ぎ落とすまでは必要ないと思います。耳朶だけ切り落としてください。直後に自分で治療魔法を施しますので、問題はありません」
「痛みを感じねえ魔法でもかけんのか?」
「そういった魔法もあるにはありますが、こんなふうに耳朶ほどの狭小な局所的なものは難しいのです。どうしても意識を朦朧とさせるのが付き物なので、そうなると切り落とした直後に治療魔法を発動させるのが難しくなります」
「薬は?」
「同じ理由です。意識が朦朧としたら意味がありませんし、今の医学では耳朶だけ痛みを感じない薬というものは存在しません」
「魔法で耳朶が元に戻るのか?」
「いえ。治療は回帰とは異なります。傷を塞ぐだけです」
「じゃあ、お前の左の耳朶がごっそりなくなるってことじゃねえのか?」
「そのとおりです。鏡越しに微細な魔法は難しいです。得意の道具で切ってください。あ、消毒はしてくださいね」
ほれ、と左耳を指すと、ガープは迷いながらもハサミ型のカッターを取り出し、用意されていた消毒液を刃先にかけた。鉄やワイヤーでも切れるカッターだ。シーレの耳朶など、2回で切り落とせてしまうだろう。
シーレは痛みに耐えるため、敢えて床に視線を落とした。
ガープが耳朶に触れたのを感じる。
そして道具特有の冷たくて硬いものが耳朶を挟む。
いよいよ来るであろう痛みに深呼吸をした。ふうー。
一方で、痛みを感じないはずのガープの手がぶるぶると震えている。
(……大丈夫かしら、この人)
なんて思っていると──
「くっっっっそ!! 切れねえ! 切れるわけあるかバカ!! 人の体だぞ!? 道具じゃねえんだ! そんな簡単にスパッとやれるわけねえだろうが!!」
「それは技術が足りないという意味ですか」
「心意気の問題だ!」
「私本人がやってくれと言っていますのに、とんだ根性なしですね」
「ああ!? このイカれ頭! お前、俺になにさせようとしたのか、わかってんのか! 親に産んでもらった体を大事にしようとは思わねえのか!!」
「『堕天使の救済』を取り出すためには仕方ないこと──」
ふたりは同時に気が付いた。
ガープの手の数字が4になっている。
「ええええええええぇぇぇええ!?!?」
なんで?
どうして?
ふたりには、さっぱりわからなかった。