婚約破棄された悪役令嬢は断罪イベントをやり直す【コミカライズ】
久しぶりの短編です。
よろしくお願いします!
「アイリーン嬢、そなたは明日、離島へと流されることになった。あちらには最低限の職員しかいない。これまで貴族令嬢として生きてきたそなたが、犯罪者だらけの島で生きていけるか見ものだな」
冷たい地下牢の檻の向こうから、第二王子が冷めた目を向けてくる。隣にいるのは先日まで子爵家の養子だとされていた、国王の落胤である娘、ティナだ。怯えた目で、髪が乱れ粗末な服を着せられた私を見ていた。
ティナは現国王が市井の女との間に作った子供で、女が死んでからは孤児院で育ったらしい。その目立つ愛らしい容姿から、政略結婚の駒として子爵家に引き取られていたという。
私、アイリーンから婚約者である侯爵子息ステファーヌを奪った憎い女だ。その騒ぎで学園で目立った結果、ティナの珍しい瞳の色が国王と同じであることが話題になり、第二王子が国王を問い詰めたことでその身分が発覚した。
私が何も言い返さずにいると、二人はすぐに私に背を向けて出て行った。第二王子は今になってできた愛らしい妹にでれでれだった。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。私は一人になった地下牢で、目を閉じてあの日を思い出す。
学園の裏庭、あまり人が立ち入らない、旧校舎。園芸部に所属していた私は、学園長から頼まれて、その近くの花壇の手入れをしていた。貴族といえど、園芸を趣味にする者は多い。私もその一人だ。花は嘘を吐かないし、裏切ることもない。愛情を与えれば与えただけ、美しく咲いてくれる。
私の実家はつい最近まで伯爵家だった。これまでの貿易での功績が認められ、昨年侯爵家の仲間入りを果たしたばかりだ。
侯爵家となったことを父は喜んでいたが、私には良いことなんてなかった。数少ない友人との過ごしやすかった学園生活は、あっという間に賑やかになった。侯爵家を名乗ることを許されている家は少ない。急にできた取り巻き達に囲まれるようになった私にとって、植物と語り合うこの時間は唯一の癒しだった。
なのに、こんな場面に居合わせてしまうなんて。
「ここならば誰も見ていない。君の可愛い唇を味わわせておくれ」
「──……ステフ様、いけませんわ。貴方には婚約者が」
「そんなことは、分かっていたことだろう。それでも私はティナが良い」
「あ……そんな。嬉しいことを仰らないでくださいませ」
聞こえてきた声のうち、男の方は私がよく知る声だった。それも、幼い頃から。話に上がっているこの男の婚約者は、他の誰でもない──私だ。
垣根の影に隠れて、声のした方を覗き見る。旧校舎の入り口付近、本校舎からは死角になる場所で、ステファーヌが女子生徒を壁に押し付けるようにしていた。無理矢理のようにも見えるが、女の方も頬を赤く染めて一切の抵抗をしていないあたり、合意の上なのだろう。
「そんな……」
私はその場にぺたりと座り込んだ。ステファーヌはこちらには全く気付かず、目の前の女子生徒を引き続き甘い言葉で口説いている。
私はそんな言葉、言われたこともない。互いの距離感から、愛されていないことは分かっていた。それでもこの人となら家庭を築いていけると思っていた。結婚後は愛人を囲うこともあるだろうと覚悟していたが、まさか婚約期間に、それも学園内で浮気をされるとは思わなかった。
悲しみの後に浮かんできた感情は怒りだ。ステファーヌの不誠実な対応もそうだが、あのティナと呼ばれていた女子生徒にも苛立ちが募った。婚約者がいると知りながら、ステファーヌを受け入れたのだ。
サロンへ行って取り巻き達に話をした。彼女達の情報で、すぐにティナが子爵家の養子だと分かった。それも、美しい容姿を買われてのことらしい。余計に気に入らない。
ステファーヌの実家は歴史ある侯爵家で、かつては伯爵家で今は侯爵に上がったばかりの我が家にとって、この上ない縁談だった。喜んでいる親達を悩ませたくない。心配をかけないように、家人には何も言えないまま、ティナに軽い嫌がらせを繰り返した。どうかティナがステファーヌを私のものだと気付いて、分不相応な恋愛から手を引いてくれれば。
そんな私の願い虚しく、取り巻き達は鬱憤を晴らす先を見つけたとばかりに次々と勝手に手を出し、私の思いとは裏腹に大事になった。痛々しい包帯で右足をぐるぐる巻きにされたティナ。そして、婚約者であるステファーヌとその友人の第二王子が、学園祭の後夜祭で私を断罪した。
「嫉妬に狂った女は醜いな。そうは思わないか、ステフ?」
第二王子がにやりと口角を上げる。
「そうですね。アイリーン、君がこんなことする女だとは思わなかった」
ステファーヌが冷めた目で私を見ていた。その隣にはティナがいて、不安そうな瞳できょろきょろと落ち着きなく周囲を見渡していた。確かに男性に好まれそうな愛らしい容姿の令嬢だ。
「アイリーン、君との婚約は破棄する! 王女に手を出したのだ。自分がしたことを後悔しながら、牢の中で過ごすんだな」
「そんな──……っ!」
知らなかった。ステファーヌを私から奪った女が、まさか王族の血縁だったなんて。知らなかった。取り巻き達がこんな大それたことをやってしまうなんて。知らなかった。ステファーヌが、こんなにも冷酷な判断ができる男だったなんて。
何度思い出しても過去は変わらない。不実な男なんて相手にしなければ良かったと後悔しても意味がない。だって、私の未来は決まっているのだから。明日には、知らない島に流されるのだ。
「──だから、どうにもならないのよ」
今ならもっと上手く立ち回ることができたのに。ティナなんて相手にせず、ステファーヌに拘ることもなく、私の人生を歩むことができたのに。
目を開ければ、ここは現実だ。冷たい地下牢の鉄格子が──。
そこは日の光が明るく、暖かかった。花壇には鮮やかな花が沢山咲いている。愛情をかけて育てた、私の大切な友達だ。近くにはジョウロが転がっている。
「……え?」
地面に座り込んでいたようだ。庭園に何も敷かずに座れば、制服が汚れてしまうだろう。慌てて立ち上がり、スカートを叩いて土埃を落とした。
旧校舎が見える。以前ステファーヌとティナの浮気を目撃した場所だ。夢にしては、随分とリアルだ。
「ここならば誰も見ていない。君の可愛い唇を味わわせておくれ」
「──……ステフ様、いけませんわ。貴方には婚約者が」
聞いたことのある会話にはっとした。旧校舎では、ステファーヌとティナがいつかと同じようにいちゃついていた。
「そんなことは、分かっていたことだろう。それでも私はティナが良い」
「あ……そんな。嬉しいことを仰らないでくださいませ」
吐き気がする。またあの場面だ。どうせ夢ならば、もっと幸せな夢を見せてくれれば良いのに。私はその場から逃げ出した。私の人生を狂わせた出来事を、もう見ていたくなかった。
走って走って、走り慣れていない足はこれまでに行ったことのない場所に私を連れてきた。決して美しいとは言えないそこには、花の無い緑の蔦のカーテンに隠された、古い四阿があった。
おずおずとその四阿の中に入ってみる。薄青の細かなタイルで装飾されている四阿は、外はから見た印象とは異なり、中は清潔に整えられているようだった。
震えも涙も止まらない。それでも良い。私しかいないのだから、誰に見られるわけでもないのだから。これはきっと夢の続きだ。だから、後悔も悲しみも、全て流してしまえば良いの。
泣いて泣いて、すっかり夕闇が空を覆っていくころ、私はようやく、ぽつりと言葉を落とした。
「どうして私、ステファーヌ様にあんなに拘っていたのかしら……」
確かに素敵な人だったし、家の歴史の違いからして、私から断ることはできないのは分かっていた。
「──でも、私は彼を好いてはいなかったわ。なら、どうでも良かったじゃないの」
むしろ婚約期間中に浮気をしたのはステファーヌだ。本来、私が責められることは何もない。ならば、この夢の中だけでも、どうにかならないだろうか……。
「そうだわ、そういたしましょう」
私はぐっと両手を握り締めた。幸い、あの二人は堂々と校内で逢瀬を繰り返しているようだ。ならば証拠だって、簡単に集まるだろう。
「──ねえ、何をどうするって?」
誰もいないはずのそこに響いた落ち着いた声に、私は慌てて振り向いた。
「驚かせてごめん、ずっと見ていたんだ。……そんなに泣くほど悲しいことがあったのかい?」
そこにいたのは、すらっと背が高い守衛だった。こんな時間なのだから、守衛が見回りをしているのも当然だろう。
「申し訳ございません。もう帰ります」
とはいえ、ここは夢の中だろう。はたして家がいつもの通りの場所にあるのだろうか、疑問だ。……本当に夢の中だろうか?
「まだ質問に答えていないよ」
守衛は一歩一歩と近付いてくる。そして四阿の中、私の正面に腰を下ろした。制服の帽子を外すと、薄暗い中でも分かる艶やかな青灰色の髪が目を引いた。その目を見張るほどの美しい顔を見間違うはずがない。
「お……お、王太子殿下……っ!? 失礼いたしました!」
その守衛は、この国の王太子であるアルフレッドだった。何故こんなところにいるのか分からないが、私は慌てて立ち上がって頭を下げる。きっとぐちゃぐちゃになっている顔が見られずに済むのなら、このままずっと俯いていても構わなかった。
「頭を上げて。ここには忍んで来ているから、礼は不要だ。それで、理由を説明してくれるかな」
疑問の形を取りながら、その瞳は私に逃げることを許していなかった。これが、将来王となる者の威厳だろうか。
「──ここだけの話にしてくださいませ」
私はいくらか躊躇いがちに、先程目撃してしまった──目撃したのは二度目だがそれを伏せて──婚約者であるステファーヌの浮気について話した。
アルフレッドは話を聞いて、私の態度に首を傾げた。
「それは、裏切り行為ではないか。あなたは怒っていないのか?」
確かに、私は怒った。そう、一回目は。二回目ともなると、怒りより脱力感の方が大きい。
「家、同士の……縁でしたので。ただ、このまま結婚する気はいたしませんが」
「そうか。じゃあ、私にも協力をさせてもらえるかい」
邸に帰って一晩を過ごすと、これが夢ではないことが分かった。寝て起きても、心地良い柔らかな寝台の温もりは変わらなかったし、次の朝も、ステファーヌとティナの仲睦まじい様子も変わらなかった。
もう一度やり直せるのなら、もっと上手くやるのに──いつか願ったそれを、私は噛み締めた。そう、上手くやるのだ。今度こそ間違わない。
そして今日、その舞台に、私は立っている。
私の婚約者であるステファーヌがティナと浮気をしているのを見た令嬢達が、鬱憤を晴らす先を見つけたとばかりに次々と勝手に手を出し、大事になった。痛々しい包帯で右足をぐるぐる巻きにされたティナ。そして、ステファーヌと第二王子が、学園祭の後夜祭で私を断罪しようとしている。
「嫉妬に狂った女は醜いな。そうは思わないか、ステフ?」
第二王子がにやりと口角を上げる。
「そうですね。アイリーン、君がこんなことする女だとは思わなかった」
ステファーヌが冷めた目で私を見ていた。その隣にはティナがいて、不安そうな瞳できょろきょろと落ち着きなく周囲を見渡していた。何度見ても男性に好まれそうな愛らしい容姿の令嬢だ。
「私は、誓ってそのようなことはしておりませんわ。それどころか、私の友人が嫌がらせをしようとしたのを止めておりましたのよ」
前回は何も言い返さなかった。今回は、言い返すことができる。それは何もしていないからだ。それどころかアルフレッドの協力により私が関わっていない証拠を作り、かつ真犯人の令嬢達を見つけることができている。
私が嫌がらせをしなくても、ティナが傷付けられていると知ったときは驚いた。そして悟った。私以外にも、ステファーヌを慕っていた令嬢は多く、同時に貴族のルールを破ってステファーヌに近付いたティナを気に入らない令嬢も多かったのだ。
「ふん、証拠はあるのか?」
「はい。私はここ数か月、何度も王城に足を運んでおります。ティナ様が怪我をした際も、私は父と共に王城におりました」
そう、アルフレッドからの招待で、私は王城にいた。
「証人は」
「共にお茶をしておりました、国王陛下、王妃陛下と王太子殿下ですわ」
その証人に、ステファーヌは顔を歪めた。
これはアルフレッドからの提案だった。ティナが嫌がらせをされていると分かったとき、私に王城にこまめに来るようにしなさいと言ってくれたのだ。そしてアルフレッドがいないときも、他の貴族か、夫人と共にいられるようにと計らってくれた。それは、証人を作るためだったのだ。
しかし、ちょうど皆で茶を楽しんでいたときで良かった。この上ない証人だ。
第二王子はティナが腹違いの妹であると分かる前から、ティナを可愛がることに忙しそうだったから、私が王城を出入りしていたことも知らなかったのだろう。
「では、他に誰がやったと言うのだ。嫉妬に狂ったお前がやったのではないのか!」
ステファーヌが先程よりも腹立たしそうに言い捨てる。私は懐からある紙を取り出し、突きつけた。そこには、令嬢の名前が十人分並んでいる。
「こちらの方々が真犯人です。──ステファーヌ様、王子殿下。お二人には、お心当たりがあるのではないですか?」
瞬間、第二王子が引き攣った顔でステファーヌを見た。ステファーヌも同様に、第二王子を見る。二人の顔色が、分かりやすく青くなっていく。事態がわかっていないのはティナだけだ。
そこに並んでいるのは、有り体に言ってしまえば、二人が『遊んだ』ことのある令嬢達の名前だった。令嬢達にとっても純潔でない証明になってしまうので知られたくないことだろうが──ティナに嫌がらせをした代償だと思ってしまうあたり、私は冷たいのかもしれない。
彼らは余程私を疑いたかったのか、本当に何も調べていなかったのか。いずれにせよこれを知って、皮肉なことに、私は絶対にステファーヌとは結婚をしないと決めたのだった。
当初予定していた流れが狂ったからだろう。ステファーヌも第二王子もティナも、どうして良いか分からないようだった。
最初に調子を取り戻したらしいステファーヌが、今更になって予定していたらしい言葉を口にする。
「と……ともかく! 私は生意気な女は嫌いだ。アイリーン、君との婚約は破棄する!」
言質はとった。こちらから断ることはできなかった婚約だ。ステファーヌから断ってくれるのなら、これ以上嬉しいことはない。私は思わず上がってしまう口角を抑えきれなかった。
「──ありがとう。お陰で私は侯爵の反感を買わずに済みそうだ」
よく響く声が騒めきを一瞬で消す。私は、困惑する皆に反して、やっと呼吸が楽になっていくのを感じた。これでもう一人ではない。
かつん、かつんと上品に歩いてきたのは、学園などとうに卒業したはずのアルフレッドだ。今日は仮装はしていない。第二王子が目を丸くした。
「あ、兄上?」
「そう、お前の兄上だ。もっとも私も、お前を弟だとは認めたくないが」
冷たい瞳は侮蔑の色をはらんでいて、私まで背筋が冷えた気がした。それを直接向けられている第二王子は、私の比ではないだろう。
「申し訳ありません!」
「遅い! そこにいるアイリーン嬢を含め、どれだけの人間に迷惑をかけたか分かっているのか? ──既にこれまでのお前の愚かな所業は、父上に報告済みだ」
流石に国王陛下を出されては、第二王子に勝ち目はない。まして今回は、私に冤罪を被せかけたことと女遊びをしていたことを、この学園祭の後夜祭という多くの生徒や教職員がいる場で暴露されたのだ。なお、どちらも王子として相応しい振る舞いであるはずがない。
「──そして、ステファーヌ殿」
アルフレッドの視線が、今度はステファーヌに向いた。
「は、はい! 何でございましょう、殿下」
ひっ、という情けない小さな悲鳴が聞こえたのは、元婚約者としてあまりに居た堪れないので、気のせいであってもらいたい。そして掌を返した態度が憎らしい。
「婚約破棄、したのだな。──ありがとう。アイリーン嬢と侯爵から、君さえ良ければ構わないと言われていたので助かったよ」
「は、はあ……?」
清々しい顔でそう言ったアルフレッドに、ステファーヌは訳が分からないといった様子だ。私はこの後のことを知っている。知っていても、どうしても恥ずかしくなるのを止められそうにない。
「アイリーン嬢、これで憂いはもうないでしょう。──どうか、私の手を取ってください」
アルフレッドが芝居がかった──しかし全ての令嬢が憧れるような仕草で、私に手を差し出してきた。
そう、これが王城に通っていた理由だ。王太子であるアルフレッドからの、婚約打診。私はこの侯爵家よりもより高位である縁談をもって、ステファーヌの浮気を父上に相談し、婚約が破棄となることを了承させたのだ。
目まぐるしい状況の変化に思考が追いついていないのか、ステファーヌはぴくりとも動かない。
「──はい、私でよろしければ」
微笑んで手を重ねると、そのまま掴まれダンスフロアに連れていかれる。様子を窺って止まっていた音楽の演奏が再開された。
「どう、少しはすっきりしたかな?」
「はい。ですが……このようなことのために私と婚約など」
踊りながら、私は最も大きな懸念を口にした。既に王太子妃としての教育が始められている私にしては、今更のことでもある。しかし契約という意味での婚約では心は手に入らないことを、私も今回の件で理解してしまっている。
アルフレッドはそんな私に、温かさすら感じられるような穏やかな笑顔を向けた。あまりに魅力的で、どきりと鼓動が高鳴る。
「私は、あなたが好きだよ。そうでなければ、ここまで助けようとはしないよ。だから──安心してお嫁においで」
目頭が熱い。今にも泣いてしまいそうだった。
喉が貼りついたようで声が出なくて、顔を真っ赤にして頷いた。少し、ステップを間違えた。
「私。私も……殿下のこと、その。好き……ですよ」
あの日から今日まで、どうにか運命を変えようと足掻いてきた。でも、今日は少しくらい楽しんでも良いだろう。
ダンスが終わり、会場の騒めきが快く感じるようになったころ、私は愛しい婚約者の力強い抱擁を受け入れたのだった。
☆一迅社ゼロサム様のアンソロジーシリーズ「死に戻り令嬢は、完璧な幸せを手に入れた アンソロジーコミック」にてコミカライズされました。
漫画を描いてくださったのは此匙先生です(〃ω〃)
とても素敵な漫画にしていただきました。
よろしくお願いします!!!