断罪、それは最後の手段
ブルス侯爵子息ベニートとストレーム伯爵息女ソラナは、婚約後の初顔合わせとなる茶会でここが乙女ゲームの世界だと気付いた。そして相手が自分と同じ転生者であることにも。
「やべぇよ。ここが乙女ゲームの世界だって今気付いたわ」
「デジャブ感満載だったのに納得したわ」
二人は目と目で会話をし、ブルス侯爵夫人からのお言葉を今か今かと待ち侘びた。
ようやく夫人から「ベニート、ソラナ嬢にお庭を案内してさしあげて」というお言葉を頂戴すると、いそいそと庭へと向かい、一直線に東屋を目指した。
東屋に入るやいなや二人はお互いに問いかけた。
「このゲーム、どこまで覚えている?!」
声を揃えた同じ質問に彼らは目を見開いた。
ベニートが躊躇いがちに切り出した。
「俺さ、このゲームの制作会社の営業だったんだけど、実はあんまり詳しく覚えていないんだわ。タイトルに恋が入っていたなーってことと、容赦ないゲームってのは覚えてるんだけど……」
「わ、私も似たようなものだわ。何だこのクソゲーっていう感想とタイトルに壮絶が入っていたようないなかったような……。あ、私も容赦ないって思った」
二人は顔を見合わせた。そしてゴクリと喉を鳴らした。
「薄っすらとした記憶からいくと、俺達は学園の創立記念パーティーで断罪されるらしい。王太子暗殺未遂で」
「ええ。確か、ヒロインに罪を着せようとして失敗してしまうのよね。そうよ、思い出したわ。罠を潜り抜け、冤罪に打ち勝ち攻略を進める……しかし犯人への罰は地位と金によってぬるくなる。乙ゲーに汚い世界は必要ねぇんだよと思ったことを!」
「俺も思い出したぞ。大コケして始末書書いたことを!」
二人は揃って溜息を吐いた。
ソラナが「でも……」と言いながらベニートに笑いかけた。
「汚い世界で良かったわ。だって暗殺企てたのに平民落ちか国外追放だもの。普通なら一族郎党処刑ものよ」
「そうだな。腐った社会様様だな。強制力が働いたとしても、ぬるい罰で済むんだからな」
ベニートもソラナに微笑んだ。しかしすぐに顔を曇らせる。
「やっぱり暗殺企てないとダメなのかな」
「私達が暗殺未遂を起こさないとエンディングに辿りつけないんでしょう。だけど私もやりたくない」
ソラナも眉を下げた。
「それじゃあ、この先どうなるか分かんないけど、暗殺は企てない方向でいこう」
ベニートの提案にソラナの表情に明るさが戻る。
「そうね。やりたくないことを無理にやる必要ないもの」
喜ぶソラナにベニートは悪戯っぽく笑った。
「本当のこと言うとさ。俺、暗殺企てるほどの頭ないんだよなー。今の勉強で手一杯」
「私もよ。全然覚えられないの。でも私達まだ八歳よ。十分伸びしろがあると思うの」
「そっか。これからだよな。お互い頑張っていこうぜ」
「ええ、お互い頑張りましょうね」
二人は微笑み合いながら固い握手を交わした。
それから九年後、二人はかつてない危機に見舞われていた。
「ソラナ、ヤバイぞ。王太子暗殺未遂犯で俺達が疑われている」
学園創立記念パーティーの会場でソラナを見つけたベニートは、彼女を会場の隅に連れ込んだ。
「ウ、ウソ。私、何もしてないわ。ベニートもでしょう」
顔を青くしたソラナにベニートは頷く。
「もちろんだ。俺達にそんな頭はないし、暇もなかったからな。だが問題はそこじゃない」
「分かっているわ。こんな大事、絶対にお父様とお母様が来るに決っている。ベニートどうしましょう。あのことがバレてしまうわ」
すがりつくソラナの手をベニートは優しく包み込んだ。
「俺の両親もきっと来る。バレるのも時間の問題だ。だがもしもの時は――」
「ベニート・ブルス、ソラナ・ストレーム、こんな所で何の話し合いだ」
聞き覚えのある声に二人は動きを止めた。
「バレるという言葉が先程聞こえたが、それは君達への嫌疑についてだと考えても良いんだな」
彼らの前に王太子とヒロイン、そして取り巻きの三人が立っていた。
ベニートはソラナを背に隠すと不敵な笑みを浮かべた。
「これはこれは王太子殿下。取り巻き……おっと失礼。ご学友と一緒に一体どうなさったんですか」
飄々とした態度を崩さないベニートに王太子は眉を顰めた。
「とぼけるつもりか。ならばハッキリ言おう。君達に私への、王太子への暗殺未遂の容疑がかかっている」
「容疑ですか。容疑ということは確定ではないんでしょう。なのに殿下はまるで我々が犯人だと決めつけていらっしゃるようだ。これは心外、非常に心外ですよ」
「黙れ! 素直に罪を認めたらどうだ!」
取り巻きの一人、公爵家の次男が声を荒げた。
「認めるも何も、ないものをどうやって認めろと?」
べニートが鼻で笑う。ソラナは「やだベニート、悪役っぷりがカッコイイ」と震えた。
「あくまでもしらを切る気か。では教えてやろう。暗殺者から私を助けてくれた彼女、シルフィーが見たというのだ。ベニート・ブルス、ソラナ・ストレーム、君達をな」
ベニートとソラナは王太子の隣に立つシルフィーを見た。彼女は肩を揺らすと王太子の服をぎゅっと掴んだ。王太子が安心させるかのようにシルフィーに微笑みかける。取り巻きもその様を微笑ましく見ていた。
二人は「さすがヒロイン、あざとい」と思うより「逆ハー狙いか。メンタル強いな」と感心していた。
王太子がベニートにきつい視線を向ける。
「その顔は図星だと言っているようだな。罪を認める気になったか」
ベニートはポーカーフェイスを保つのに必死だった。何と言ってここを切り抜けようかと思考を巡らせていると、ソラナに腕を引かれた。王太子に「ちょっと失礼」と告げ、喚く取り巻き共を無視してソラナに向き合った。
「なに? どうかした?」
ソラナは一瞬逡巡したが、決意を宿した瞳でベニートに告げた。
「私達がやったことにしましょう」
「は?」
戸惑うベニートを無視しソラナは続けた。
「思い出して、この世界の罰を」
ベニートがハッとした。
「そう、地位とお金でなんとでもなる罰よ。上手いことやって平民落ちか国外追放になれば、あの問題からサヨナラよ」
「そうか、その手があったか。こんなチャンス二度とない。絶対に成功させてみせるからな」
意気込むベニートにソラナは「その意気よ。頑張って」とエールを贈った。
ベニートが王太子達に向き直ると憎々しげな表情が幾つも目に入った。ベニートの顔に自然と笑みが浮かぶ。気付けば満面の笑みで晴れ晴れと宣言していた。
「俺達がやりました!」
「そんなわけないでしょう」
出鼻を挫かれたベニートは、余計なことを言ったのは誰だと突然の乱入者を睨みつけた。王太子達の斜め後ろにベニートとソラナの担当教員テリーが立っていた。
「殿下が襲われた日、いえその週、この二人は特別補講を受けていたんですよ」
王太子達は虚をつかれた顔をした。ベニートとソラナは「そんな証言求めてないんだよ!」と心の中で叫ぶ。「特別補講って何?」という誰かのつぶやきを拾ったテリーは溜息を吐いた。
「知らなくて当たり前です。十年振りに行われた補講ですから。まるまる一週間、朝から晩まで教員付きっきりでの授業です。ですから、二人が犯人ということはありえません」
言い切るテリーにすかさずシルフィーが反論した。
「だったら、この二人に頼まれた誰かが襲ったんです。私が殿下をお助けした時、確かに二人の名前を聞いたんです」
「それもありえませんよ。そんな頭、この二人にはありませんから」
テリーは断言した。ベニートとソラナは小さくなった。更にテリーが続ける。
「何より留年の危機でしたから、それどころではありませんでしたよ」
王太子達が信じられないという顔で二人を見た。
テリーがベニートとソラナに向き直ると、二人の背が伸びた。
「この間のテスト、残念ながら不可です。また特別補講頑張りましょうね」
微笑むテリーにベニートとソラナが崩れ落ちた。しかしその瞬間、二人は信じられないものを目にした。
「……お、お父様、お母様」
「……い、今の絶対に聞かれた」
テリーの後ろに青筋を立てたベニートとソラナの両親がいた。
ベニートが王太子の足に縋り付いた。
「本当に俺達がやったんです。嘘じゃありません。お願いです。今すぐ断罪して下さい!」
ソラナがシルフィーの足に縋り付いた。
「私達がやったの貴女も知っているでしょう。殿下にもっと訴えて下さい。私達がすぐに断罪されるように!」
二人は即座に父親に引き剥がされた。
「父上、見ての通り王太子暗殺未遂の容疑を掛けられております。お願いです。どうか勘当して下さい!」
「お父様、シルフィーさんが私達を犯人だと言っています。お願いです。どうか勘当して下さい!」
「ならん」
彼らの父が切って捨てる。ベニートとソラナは発狂した。
「イヤー! もう勉強なんてしたくないのー! 平民になって好き勝手自由に暮らしたいのー!」
「勉強しなくても生きていけるだろ! 貴族なんてもう嫌だ! 平民になって好き勝手自由に暮らすんだ!」
「何で魔術に物理と科学が必要なの?! 前世の物理のテストで零点だった私には厳しすぎるわー! イメージで使えるってテンプレ、あれは嘘だったのー!」
「前世で科学が零点だった俺にも厳しすぎるわ! イメージ云々言ってるヤツらは内政とか飯テロするんだぞ。頭が良いに決まってるだろ! 凡人な俺には酷な世界すぎる!」
「あなた達、そんなに勉強したくないの?」
ベニートの母ブルス侯爵婦人の言葉に二人は口を噤んだ。そして何度も首を縦に振る。
「このような平民計画を立てるくらいですものね」
ソラナの母ストレーム伯爵夫人の手には数枚の用紙。二人の顔が青褪めた。
「移住候補地の風土、人口、生産物に特産品、交通、交易、訪問者の目的、犯罪発生率、他にも色々あるわね。とても良く調べられていて感心してしまうわ」
「こちらは国外脱出計画よ」
ブルス侯爵婦人が紙の束をパラパラとめくる。二人は手を取り合って震えた。
「移住先までの距離、日数、交通手段、安全性、泊まる宿、それに伴う各金額、その他諸々。そして移住候補地の各資料。求められる職業についてまで調べてあるのね。お金さえあればいつでも行動に移せそうよ」
朗らかに話す母二人の目は全く笑っていなかった。
「こんなことをしているから、特別補講を受けることになるのよ」
「こんなことに時間をかけるから、留年しそうになるのよ」
ベニートとソラナはますます身を縮めた。ブルス侯爵が息子と未来の義娘に告げる。
「お前達は勉強ができないんじゃない。興味のあること以外をしないだけだ。切羽詰まらないとやらないだけだ。この計画書を見てよーく分かった」
「安心なさい。我々は絶対にお前達を平民にしたり、国外にやったりしないから。こんな素晴らしい計画が立てられるんだ。立派な領主とその夫人になれるよう、我々がしっかりサポートしていくからな」
ストレーム伯爵の死刑宣告にベニートとソラナは王太子に縋り付いた。
「犯人は俺達って殿下も言いましたよね。早く断罪を! 手遅れになる前に俺達に断罪をー!」
「今すぐに断罪、断罪をお願いします! 娼館行きと処刑以外なら何でも受け入れますからー!」
「ああ、分かった」
王太子の言葉に二人は目を輝かせた。期待の篭った熱い視線をこれでもかというほど注ぐ。
「君達が犯人でないことが。よって断罪はしない」
『絶望』という文字を顔に貼り付けたベニートとソラナが両親に引き連れられ会場を後にする。扉の向こうから「この恨み晴らさでおくべきか〜」「裏切り者には鉄槌を〜」という怨念の篭った台詞が聞こえてきたが、王太子は空耳だと思うことにした。
しかし後年、王太子が王位に就いてから、何故あの時二人の対策を取らなかったんだと心底後悔することになる。興味とやる気があるだけでどこまでも突き進む彼らは、事ある毎に重箱の隅を突くかの如く国の政策に難癖をつけた。ブルスという名を聞くだけで文官も大臣もそして王でさえ胃を痛くする事態に発展するなど、この時の王太子は思いもしなかったのである。
転生者って頭良いよな、内政も飯テロも絶対無理だ、という思いから生まれました。