ごー
これでラストです。年越えなくてホっとしました。
中学一年の冬から、家の近所で気になる女の子が出来た。
前髪で目元を隠して、俯きがちに道を歩いているから分かり辛いけど、ふと……その髪が横に避けられて顔が上がった一瞬を、俺の目は映した。本当に奇跡的な一瞬だった。
いわゆる一目惚れだ。
あの日、帰りに近道しようと思わなければ。
あの時、鞄を持ちなおす動作に合わせて自然と俺の顔が上がらなければ。
あの一瞬、俺と彼女意外にあの道を通る自動車、自転車、歩行者が居たら……。
――絶対に、その女の子と築いた関係を大事にしたいとは思えなかった。
「おはよー」
「っ! お、おはよ」
カノジョの家の前でスマホ弄って時間潰しするのが日課になろうとしていた。早起きするのはこれと言って苦痛じゃ無いけど、やっぱ季節的に厳しいものがあると、今日は痛感した。でも、良い事もちゃんとある。
カノジョ――文月が、誕生日に俺があげたマフラーを装着していた事だ。
自分には可愛すぎると言って、嬉しさと戸惑いが同時に押し寄せてる表情を浮かべていたから正直なところ付けてくれるか不安だった。
……うん、やっぱり桃色にして良かった。黒髪に綺麗な白い肌だから赤色も良いかと思ったが、文月の柔らかい雰囲気にはパステルカラーの方が似合う。
俺は一人で満足しながら、道の車道側をいつも通り進む。
文月が怪我したりしないように。あと、俺達が来た道を逆行して行く他校の男が居るんだけれど、そいつがやけに文月を見ようとしてるんだよね。絶対見せるもんか、そういう目でこの子見て良いのは俺だけっていう意思表示のために。
そういえば、もう歩き始めて八分くらいになろうとしている。いつもならこの辺りで「あんまり車の通る道じゃ無いから気にしなくていいよ」って言い出すのに、今日は静かだな。
「今日は言わないんだね」
「にょ!?」
何気なくその事について口にしたら、めちゃくちゃ肩を跳ねさせた文月。
『にょ』って何さ。そんな無駄に可愛い驚き方したら変な輩が寄ってくるじゃん。てか、鞄持つ手に力が入ってるし。……自己嫌悪してるんだなぁ。白い手が痛々しい赤に染まるから何度か止めるように言ったけれど、癖になってて直らないみたいだ。
ああ、でも今日は癖よりも気になる事が有る。いつもの台詞言わないだけならまだしも、明らかに文月の口数が少ない事。それから、何かいう時にマフラーで隠れてる口元をさらに手を使って見えないようにしている事だ。
「文月……今日、もしかして体調悪い?」
「な、何で?」
「目ェ合わせないし口元隠すから、なんか調子悪いのかな、って」
「大丈夫。……ごめんね、ちょっと他の考え事してて」
考え事ねぇ……。
なんか嘘っぽいなぁと思ってたら、文月は「ふにゃあああ!」なんて奇声を唐突に上げる。は!? 何事!? と俺が驚いていると、これまたいきなり頭を下げた文月のつむじが見えた。
「ごご、ごめん! 今日、英語の先生に八時半までに昨日出し忘れた課題出さないとだから! 先行くね!」
呆然とその場に立ち尽くす俺。
そして彼女が大慌て走り去って行った理由を知るのは、放課後の事だった。
一日避けられた事にむしゃくしゃしたのもあって、俺の部屋で文月を押し倒した直後、まさかのを形勢逆転を食らった。
草食動物みたいな文月の目が、猛禽類のソレに酷似した事に気づいた時には、もう首に痛みを感じていた。
皮膚を熱っされたかと思いきや、服にしみ込んだ液体でじっとり湿って行く矛盾。それから、俺の上に乗っかっている文月の柔らかな体に反応してる俺の煩悩。
「文月っ。ふづ、きっ」
痛みによるものか煩悩によるものか……たぶん後者な気がするけど、それでまともに出せない声で呼びかける。けれど返って来たのは、
ジュル……ズズ……チュッ――ペロ。
なんかエロい音だった。
やばい。色々な意味でやばい。普通は死の恐怖を感じる場面で俺のアレが反応する可能性が高くなってきた。唸れ理性! 滅べ邪念と煩悩!
「あっ……ふづき……」
「っ!?」
おおよそ六回目くらいだろう。ようやく文月が反応を示した。
「あ……私」
俺は、ここで一つミスを犯す。それは、何も言わなかった事。想定しておくべきだった。異様に汚れた現状に文月がどうなるか。何を思うか。
呼吸が荒くなって、瞳の中に絶望感に満ちた色が宿る。
彼女が次に取った行動は早かった。壁のハンガーにかかっていた自分のコートだけを引っ手繰るように掴み、部屋から――否、家から飛び出した。
急激に脳が冷える。外なんてもう陽が沈み切ろうとしているのに文月を一人で行かせてしまった。しかもあの様子じゃ一人になる場所探して危ない所に行きかねない。
「何やってんだ俺!」
着替えて、血塗れの服やシーツや枕、掛け布団をクローゼットに隠した俺は、寂しそうに落ちてたマフラーを掴んで文月を追いかけた。
文月が何処へ行ったかなんてハッキリと分かるわけが無い。でも、そんなに体力無いから近場で人の居ない場所は四か所くらいに絞る事が出来る。
早くアタリ――文月が居るだろう場所にぶつかる事を、普段は絶対にしない神頼みまでして走った。
あれ? 何だあのキョロキョロしてるお婆さん。
気になって声をかけてみると、
「河原にね、女の子が一人で降りて行ったの。もうこんなに暗いのに……」
いきなりアタリ。神様もやるときゃやってくれるもんだ。
ガサガサと邪魔な草をかき分けて行くと、高架下で目を丸くしている文月が居た。
「何考えてこんな所に居んの? 」
分かりきってる事なのに、思わず放った第一声。それは憤りから来たものだ。
暗くて人通りなんか皆無の場所。今は寒いから大丈夫かもしんないけど春とか過ごしやすい季節には、ガラの悪い連中が馬鹿笑いしながらタバコ吸ったりスプレーで落書きしてたりする。
そこにのこのこ現れて抵抗出来ずに泣き喚く文月という最悪の想像がパッと脳裏を過ったら、殺意が湧いた。
「え? ええ? どうして? 怪我……は?」
「文月の噛みついたとこは、見た目ほど酷くなかったから絆創膏貼ってる。場所はさっきあっちの方で挙動不審だったお婆さんに教えてもらって予想した。――それよりも、馬鹿でしょ。暗いのにこんな場所で休憩とか、襲ってくれっつってるようなもんじゃん」
口にしたからか、ドロドロと胸の奥で独占欲が煮え滾る。文月を俺にしかわからない場所に隠したくて仕方なくない。でも病んでる奴と思われたくないから、半ばその顔を隠すようにギュッギュと――文月の首にマフラーを巻いて誤魔化した。
「七緒くん、気持ち悪くないの……?」
「あ?」
文月の発言に一瞬本気で切れるかと思った。
「私、七緒くんの血を、吸ったんだよ? こんな……変な牙で刺して、怪我させて――」
「別にどうでもいいし。そりゃ、驚いたし痛かったよ。でもさ、別に怖くはなかった」
瞳が揺らいでいる文月を見たら、流石に馬鹿正直に欲情してたとは言えないなぁ。
「でも……」
「俺があの程度でドン引きするほど神経細く見えてる?」
むしろ、俺の方がドン引きされる事してるからね。
実は、文月の事中一の頃から想ってたストーカー予備軍だったとか。
「――私……殺すところだったんだよ? あのままだったら、本当に七緒くん死んじゃってたかもしれないんだよ?」
文月の声は、凄く震えていた。
「今も、すっごく甘い匂いがしてて……七緒くんをいつまた噛んじゃうか分かんないの」
………………俺、馬鹿だな。
「嫌だよ、私。七緒くんを……」
気付くのがいつも遅い。
「傷付けたく、ないの」
この優しい子は、俺を傷付ける事を嫌がっていた。
ポロポロと。文月の瞳から零れた涙がマフラーに落ちると、嫌でも思い知らされる。
ちゃんと言葉にしないと、伝わんないな。
俺は、俯いてる文月の頬に自分の両手を滑らせるようにして持ち上げる。
見えたのは、自分が泣いている事に困惑と軽蔑を抱く弱々しい表情。
「文月に殺されるなら、ある意味本望だね」
ちゃんと笑えてるだろうか……。この子の不安を、ほんの少しでも多く和らげたい。
「でも、文月じゃ俺を殺すとか無理だよ。血ぃ吸うだけで他はいつも通りだったじゃん」
魔法が使える訳でも、身体能力が上がる訳でも無く。と、付け足す。
「だから、やろうと思えば力づくで押さえ込んで縛って色々出来たけど?」
ヒュッと。息を呑んだのとほぼ同時に、文月が顔色を青くした。方法はともかく、涙が引っ込んで良かった。
「それじゃあ……どうしてさっきは、そうしなかったの?」
「してほしかった? 文月ってマゾだね」
「ち、ちちっ、違……っ!」
カアァァアと顔を真っ赤に色付かせた文月に、加虐心が湧く。
「正直言うと、密着してくる感触気持ちいな~って思ったからかな」
真っ赤な上に埴輪になった。面白れぇ……。
「文月って見た感じは普通だけど触ってみると意外に胸とかあ――」
「言わないで言わないでっ! すぐダイエットするから忘れてぇ!!」
『あるよね』と続くはずだったが、文月が慌てて声を張り上げたもんだから途切れた。『ダイエット』とか斜め上の発言が出たな。からかい三割、本気七割の比率でふわふわ感が無くなると嫌だという事を伝えたら、文月は耳まで林檎みたいになってる顔を隠す。
鼻をすする音が聞こえた後に「ちょっとは気ぃ紛れた?」 って、なるべくゆっくりした口調で尋ねて、腕を引いて確かめる。
肺一杯に吸い込んだ文月の香りが、俺には甘く感じた。文月が言っていた甘い匂いって、こんな感じなんだろうか……。
一瞬過った犯罪臭い思考を止めるように「文月」と、一度名前を呼んだ。
「文月が俺を傷つけるのを嫌がるように、俺だって文月が傷つくのは嫌だよ」
上から下へ。上から下へ。ゆっくりと文月の頭を撫でた。
それは、服越しにもハッキリと伝わってきた文月の心臓の音を聞いて、俺のもきっと聞こえていると思ったからだ。普段よりも明らかに早い鼓動に引っ張られて、文月に伝えるべき言葉が早口になるかもしれない。だからアナウンサーが原稿を読む時に速度を気にかけるように、俺もゆっくりとした口調を気にかけようと撫でる手の速度に合わせる。
「話の順番が少しおかしいんだけどさ……文月はどうしたい?」
「え?」
「このまま別れる?」
文月の背筋が、ピンと真っ直ぐになったのが分かった。
一拍、二拍と間が開いて――「急、だよ」と、文月は唇を震わせる。
「あのね……一ヶ月くらいしたら、歯は元に戻るみたいなの。その……深いキスしたら、またこうなっちゃうみたい……なんだけど」
……何だそれ。
「だから、別れるまで行かないで一ヶ月間だけ距離を置いたら――」
「今、一ヶ月も離れたら絶対リバウンドするわ」
顔を上げた文月の髪の隙間から白い額がチラつき、理性の糸がピリっと音を立てた。思考よりも体に任せて、文月の額に唇を押し付けた。十分くらいそうしたような錯覚に陥ったけれど、実際は一秒より短かったと思う。
だって無理だ。名前を知る。家を知る。志望校を知る。偏差値上げる。話しかける。警戒心を解く。仲良くなる。恋人になる。いざ上げ連ねて見ればたった八つの事。けど、これにかけた時間は約三年。
俺は元来短気なんだ。もう少し時間が有れば……せめてもう一年くらいして文月の処女貰った後なら耐えられそうだけど、今はまだ駄目。文月不足で確実にベタ甘になる。てか監禁する。俺居ないと生きられないよう調教する。
――と、どうやら後半声に出ていたらしい。文月の瞳に恐怖の色が浮かんでいた。
「い、一ヶ月だよ? 十年とかじゃ無いよ?」
「月だろうが年だろうが、ディープキスする度に一定期間離れないとダメとかふざけてるよ。文月誰とも付き合えないじゃん」
「そうかな?」
「俺以外とは無理だね」
「……七緒くんは、どうしてそこまで言い切れるの?」
逆に聞きたい。どうして言い切れないのかなキミは?
思わずイラっとして、利き手が勝手に頬を抓った。
「好きだから。文月と離れるくらいなら血なんかいくらでもあげるくらい」
万が一文月が馬鹿な事を言う前に、頬から背中に手を回して完全に退路を断つと、桜色の薄い唇に俺のものを重ねた。
柔らかくて、ほんの少し湿った感触がムズリと思考の奥にあるものを刺激する。もっと貪りたくて唇が開いた瞬間に下を捻じ込んだ。
……あ、この両サイドにあるのってあの歯じゃね?
好奇心から一度唇を放し、顎を持ち上げて文月に口を開けるように言う。
文月はトロっとした表情で俺が何を考えているのか読もうとしていた。でも俺は「無理矢理こじ開けられたい?」と笑顔で急かす。だって、やれば文月にもすぐ分かる事だし。
文月の口の中にある二本の八重歯は、本当に鋭かった。こんなの首にブッ刺されてよく生きてたな俺……。
なんとなく触ってみようとしたら、それに気付いた文月がギョッと目を剥いて俺の名前を呼ぼうとした。
「「なな――」
「下手に動かすと俺の指に刺さるんじゃね?」
「……」
「すっげぇ変な顔」
嘘だ。ピタっと口を動かすまいとした文月の顔は、実はマヌケで可愛かった。
このマヌケ面……告白した時してた。
俺の頭の中で、文月を落とすのに費やした時間が再生される。
一目惚れから、自分でもキモいと思うような情報収集で始まった。
高校に入学したら席が隣だった時は、誰にもばれないよう小さくガッツポーズをした。
ボールペン忘れてたのに気付いて「使えば」って自分のを渡した時は、後で後悔した。もっと優しくしろよ俺、ぶっきらぼうにも程があるだろ! って。
春の遠足で、疲れて死にかけで歩いてるの見た時は肝を冷やした。
一湖も初菜もいない美術の時間、ぼっちで困ってる文月を見てニヤニヤしてる女子数名を見た時は、「アイツ等、後で殺そう」と決意しながら文月を強引に誘った。
他にも色々アピールした。したけど、鈍い文月に頭を抱えた回数はもう数えきれない程だ。
それで……異性として好きで、ずっと大切にしたいって伝えた時は、足が震えてたっけ。よく憶えてるのは、これでもかと言う程熱が集まった自分の顔と、告白の言葉と、真っ赤になって泣きだした文月の顔だ。
嗚呼、聞きたい……な。文月の今の気持ち。何を思ってるのか。まさかとは思うけど、好きなのは俺だけ?
「――あんだけ、あんだけ苦労してやっと手に入れたんだよ?」
人と違っても――普通の女の子じゃ無くても良い。
吸血鬼で良い。
俺は、キミを愛してる。
「文月は、俺と同じ気持ちじゃ……無い?」
ピクリと文月の肩が跳ねて、数秒間が開いた。
「……私はね、七緒くんほど過激な事にはならないよ。でも……そうだね――――我が儘……なんだけど」
「良いよ。文月の我が儘って、我が儘になってないし」
我儘と言うか試練だよね、男を試す……。
「私……ね、七緒くんが大好き」
ほら、やっぱり。
「だから、私も……たった一ヶ月だけど、今日みたいに避け続けるの――――嫌だなぁ」
もう、本当に可愛過ぎる。
文月の頭を自分の胸に押し付けて、俺はこの可愛い生き物を自分家に持ち帰ると決めた。
翌日。
「朝帰りねぇ。過去は変えられないからしょうがないけど、歯ぁ食いしばれ七緒君。文月は三学期の試験トップ10に入らなきゃ……分かってるわね?」
声にならない悲鳴を上げる文月の隣で、俺は文月の母さんに抉るように殴られた。
「全く、文月は大分もう血が薄まってるから吸血症状は十六歳の間だけなのに。しかも、少しでも血を吸ったなら嗅覚は麻痺したでしょうに」
大きなため息を吐いたおばさんの発言に、一瞬だけポカンと文月は口を開けっ放しにしたけれど、すぐに詰め寄る。
「そんなの! そんなの昨日言ってなかったよ! 十六歳の時だけとか、ちょっとでも吸ったら匂い無くなるなんて言ってないよ!」
「だってアンタ、『ちょっと』じゃなくてガブガブ吸いそうだったんだもの。殺人事件を避けたい側としては、初めから吸血させないようにするわよ」
今日も学校が有るので、車道側を歩きながらしょんぼりと打ちひしがれた文月を見た。
背中から悲愴な空気がすっげぇ出てるな。
「文月」
「なに……?」
「俺、医者になるから左手の薬指とっといてね」
至極当然の事を言った気がしたけれど、どうやら俺は、不意打ちで特大の爆弾をぶつけたらしかった。真っ赤な顔で無反応になった文月は、三分程立ってから「完敗です。もう勘弁してください」と、両手で顔を隠してその場に蹲った。
あとがき
「小説家になろう」での初めての後書きです。ほんの一話の短編の予定が、ちょっとした連載になりました。可愛い吸血鬼の女の子を書きたくて軽い気持ちで始めたものがまさか何日もかかる作品になるとは……。せいぜい三日くらいで言わる予定でした。が、何日もかけて良かったと思いました。
最後になりましたが、此処までお付き合いいただきありがとうございました。
+PS.スマスマの最終回を見ながら書いていましたので中々大変でした。
「のって来たのって来た! ここ大事なシーン――あああ! TVも見逃せない!」
こんな感じでした(笑)。
もしお時間がございましたら、現在連載中の「乙女ゲームに転生したはずなのだが……!?」も宜しくお願いいたします。